徒然なる日条(平成16年4月〜5月分)

2004年04月01日
今日から新年度。朝礼でもいつもと違って簡単に抱負を話したが、とりあえず後6ヶ月が勝負。いよいよ厳しい月日が始まるのか?

最近は新入社員は少ないが、この出向先では貴重な大卒の新入社員の女性が登場!少し頬が緩む。

夜、前々から有志の方々と準備を進めていた『夢の女・玉三郎』掲示板の第二回オフ会の打ち合わせ兼ミニオフ会。とりあえず原案通り6月19日(土)開催で決定した。その他段取りなどを決めて、ほぼ形が見えれば後はもう完全にミニオフ会状態で、次から次とかなりディープな話も出て、盛り上がる。こういう話をしていると、気持ちよく酒もどんどん進む。気が付いたら午後11時をはるかに過ぎていた!

結局かなりの酔っ払いになって帰ったが、乗換駅からの電車はもう終電が出た後。しかも雨が激しく降っていたから、タクシーに延々30分以上待って乗る羽目に…。しかし楽しい一夜であった。
2004年04月02日
昨日の御前さまと飲み過ぎ(?)がいささかきいて、今日は開店休業状態。しかも天気も雨から曇り、そして晴れとめまぐるしく変わり、温度もぐっと上がって、暑くなったから、夕方にはどっと疲れが出る。やはりもうあまり無理がきかない年齢になっているのを実感する。

昨夜の打ち合わせの結果を受けて、オフ会先行案内を出して、早々に寝についた。
2004年04月03日
久し振りの一人での休日。ゆっくりとビデオを見たり、本を読んだりで1日を過ごす。

しかし、昨年暮れに購入したDVDレコーダーの調子が今一つ。メーカーのサービスの来てもらったら、持ち帰り点検するという。どうも新製品でははずれることが多い。相性が悪いのか?大事な放送も控えているから、早く戻しておくれ〜。
2004年04月04日
冷たい雨の降りしきる1日。家での休養にはもってこい。

だが、時間は出来ても、読書も進まず、だらだとして終わってしまった。どうも忙しい方が気が張っていていいようだ。明日からは本格的に仕事にうちこまなくてはいけない。
2004年04月05日
これは昨日のことだが、書いた後の話であるし、また今日は日記ネタも無いので、それを書くことに。と言っても大したことではなく、毎度のビデオ録りのこと。

日曜日夜のNHK教育の「芸術劇場」は、クラシック音楽から、歌舞伎や演劇まで愛好家にとっては逃せない番組が目白押しで、毎週の放送は殆ど録画している。

昨夜もイギリスのロンドン交響楽団の演奏会があったので、早速録画予約した。だが、最近どうもうまくいかないことが多いので、時間を過ぎた頃に念のために、テレビを確認したら、また様子が変、というよりクラシック音楽はやっているが、どうも曲も指揮者が違う!そんな馬鹿な?と思って見直したら、やはり1時間前のN響の番組である。そこでもっと前を見たら、選抜高校野球の中継があったから、これが延長か、遅れたらしいと見当がついた。止むを得ず、そのまま番組を見ていたら、やはり1時間以上の遅れであることが分かった。それで予約をセットしなおして、事なきを得たが、簡単に時間延長しないで欲しいな!NHKさま。

でも、こういうことを言うのは極めて少数派なんだろうな〜。それにしてもはじめて気が付いたが、この番組の司会進行も事前の録画だった。しかも、ご丁寧に「何時何分からこれこれの番組を放送します」と言っているのはお笑いである。知らない人が見たら、時間を間違えることは請け合い。
2004年04月06日
昨夜のことを例によって遡って書いているが、7日に発売予定の『鼓童ワン・アース・ツァースペシャル』のDVDが入手できたので、帰宅後早速視聴してみた。先日ハイビジョンで放送された『鼓童meets玉三郎』をお仲間の方のご好意により見ることが出来たが、和太鼓演奏のこの集団が玉三郎を招聘して演出してもらうことにより、今までとは異なった新しい一歩を踏み出したことが分かるいい番組だった(25日のNHK教育テレビで初の地上波放送予定)。しかも玉三郎の演出が丁寧かつ創造的で、彼の音に対する鋭敏な感覚をうかがわせる。はじめは戸惑っていた団員も徐々にその演出に反応して乗ってくることが、見て取れる。番組後半で放送されたものは、抜粋だったから、今度の全曲ライブDVDへの期待は大きかった。

やはり期待通り素晴しい演奏で、一旦見始めたら引き込まれてしまい、結局最後まで一気に見終わった。そこで、『夢の女・玉三郎』掲示板に感想を書き込んだが、あまり夢中で書き込んだら、どうも長文になりすぎたようで(本当に悪い癖!)、「警告、コメントが長すぎます」と出てしまった!それだけなら良いが、投稿画面に戻ったら、草稿が消えている!がっくりしたが、どうせここまで書いたのだから、と、再度せっせと書いて投稿が終わったのが午前1時過ぎ。何をやっているんだか!

以下、投稿の一部

「これは昨年11月20〜21日の世田谷のパブリックシアターでの公演を全曲ライブ収録したものです。

第1部は伝統的なナンバーですが、第2部は玉三郎さんの演出が際立ったものです。玉三郎さんが「うねりながら流れて行くように、それぞれ独立した曲目が、ひとつの曲のように、あっという間に終結に向かって行けるように構成したい」と狙いを語っているように、ほぼ途切れなく多彩な曲が続き、最後の新曲「佐渡へ」になだれ込みます。アンコールの後のカーテンコールでは、玉三郎さんも登場して、会場から熱い拍手を受けます。

全体の演奏は、今まで和太鼓集団として有名だった鼓童が玉三郎さんというはじめての外部の演出家を得て、邦楽器集団として大きく変貌した、と評価していいと思います。勿論、和太鼓の荒々しいリズムは、人間の本性に潜む野性を刺激して興奮させます。しかし、どこか単調になることもあります。「佐渡へ」では、はじめてという全員の演奏で、しかも筝、胡弓、津軽三味線をも使うことにより、和太鼓が一層雄弁かつ多彩になって、見事なアンサンブルになっていたと思います。これは玉三郎さんの豊富な人脈から、川瀬白秋さん、藤舎名生さんなどの助力を得たことも大きかったと思います。

この演奏を聞けば、何故鼓童が佐渡に拘っているかがよく分かりますし、また玉三郎さんもその郷土性を生かしながら、より洗練させようと意図したともの思われます。恐らく集中稽古で3回にわたって佐渡に泊り込んで、その自然と接したことにより、ヒントを得たのでしょう。」
2004年04月07日
今の事務所の最寄り駅にとんかつの美味しい有名店がある。何年か前に会社の若い同僚の女性に教えられてから、やみつきとなった店である。まさか自分がその駅近くに勤務するとは思ってもいなかったから、昨年出向してからは大喜びでせっせと通っている。勿論、昼の定食だが、リーゾナブルな値段でボリュームたっぷりの軟らかいかつが食べられる。キャベツも美味。ご飯、キャベツお替り自由も嬉しい。

そこで今日も行った訳だが、いつものメニューを注文した後、珍しくなかなか出て来ない。少々イライラしたが、携帯メールをうって時間を紛らわせていた。お待ちどうさま、と出てきたとんかつ定食はどうもいつもと違う。

???

自分「あの〜、”黒豚おろしとんかつ”を頼んだんだけど」
店員のオバサン「お客さんは、”黒豚ひれ”を頼まれましたが」
自分「え〜っ、そんな事言って無いよ〜」
店員のオバサン「いえ、たしかに”ひれ”と言われました」

そこは気の弱い自分としては、「まぁしょうがないか、あまり変わらないものな」と思い直して、食べ始めた。しかし、味は似て非なるもので、それほど美味しくない。やはり今度はいつものにしよう、と思って、やおら伝票を見たら

え〜っ!?!?

値段がいつもの倍以上だった(>_<)。

こんな店、二度と来てやるもんか!と思いつつ、一方できっとまた性懲りも無くのこのこと出かけそうな予感もしていた。
2004年04月08日
今の出向先も東京シフトで人も増えていて、手狭になったせいか、もう一つフロアーを借りることになった。そこで、当然引越し。はじめ明日朝から移動を行いますから、と言われたので、のんびり構えていたら、午後帰社するなり今日夕方から移動します、と女性事務員から言われた。

え〜っ、急に言われても…、との抵抗も虚しく夕方から移動開始。その前にここのところ横浜に常駐している若い同僚にSOSを出したが、間に合わないかもしれませんから、よろしく、とのツレナイ返事。止む無く老骨に鞭打って、お手伝いいただいた若手に混じってえっちらおっちら机運び。

しかし、一番大変なのは移動した後の整理と机の配置。大体レイアウトも満足に決まっていないのだから、あーでもない、こーでもないとやっていて、どうやら片付いたのが7時過。1時間以上もかかったことになる。あ〜、しんど。これでもう終わりかと思ったら、明日は棚やパソコンを移動しますから、と言われた。もう年寄りの人遣いに荒いこと、荒いこと。明日、筋肉痛にならなければいいが。
2004年04月09日
今日から移動により、フロアーが変わり、今まで1階だったものが5階になった。やはり6ヶ月にせよ慣れた事務所の風景が変わるのは、何か違和感があると同時に、新鮮でもある。ただ、まだオフコン(死語か?)が移動するまで暫定的なので、少々落ち着かない。しかも、自由に使えるPCが実質1台に減ったのは痛い。まぁ、仕事より私用(?)に使っていたことも多いが…。

昨夜のイラクの日本人拘束の報道には心を痛める。たしかに退避勧告を無視して入国した人達まで面倒を見られるか?という議論はあるにせよ、やはり人名尊重を第一にして考えてもらいたい。だが果たして今の小泉政権にその姿勢があるのか?米国べったりの考えを何とかしてほしいものだ。
2004年04月10日
ここ数日、急に花粉症が悪化!今年は花粉が飛ぶのが少ないと言われていて、安心していたのだが、どうも目は痒い、花はズルズルで体もだるい。土曜休日にかこつけて、午後まで惰眠を貪ったが、かかりつけの医者に頼んで薬をもらう。これがきいてもらわないと、厳しい。

夜、地元の市民大学のOB会の地元の方々との飲み会。非常に暖かく迎えていただき、話もはずみ気が付いたら5時間も飲んでいた。皆さまともにお元気で、お酒も強い!これからも良いお付き合いをしていきたい方ばかりだ。
2004年04月11日
昨日のお酒も気持ちよく飲んだせいか、休日に関わらず今日も早起き。薬もきいたらしく、目のかゆみも大分おさまったので、ここのところご無沙汰だった実家に赴く。高齢の母親も意外に元気で安心する。

朝テレビを見ていなかったので、イラクで人質となっている邦人の解放声明が出たことを実家のテレビを見て知る。しかし、その後一向に安否が確認されたという情報が入らない。早く無事に保護されることを祈る。

そのテレビを見ながら、歌舞伎関係のビデオをするともなしに整理していたら、結構数があるものゆえ今まで忘れていた舞台の録画を何本か見付ける。どうも整理が悪かったから、埋もれていたらしい。お仲間が見たがっているものもあったから、早速自宅に持ち帰った。思わぬ荷物になってしまった。
2004年04月12日
早朝駅で号外が出ているから、人質解放か?と思いきや、未だ進展せずで、結局一日空転したようである。いずれにしても無事解放まで心配は続く。

朝仕事を始めようとすると、今度正式に大阪本社から異動された部長が、このような暫定的な机などの配置では仕事に差し支えるとややお怒り気味で、その号令の下、棚やロッカーなどの移動を行うこととなった。トホホ…。週初めから肉体労働である。またもやえっちらおっちら、慣れない引越し運搬人よろしく荷物を運ぶ。折から、夏のような暑さ、汗をかきかき運んだ結果、どうやら形がついた。

夜、珍しくテレビが空いているので、スーパーテレビ「浜崎あゆみー光と影」を見る。どうもあゆマニア殿のページを普段から読んでいるとこの番組を見ないと悪いような気がして(こういうところは我ながら義理固い?!)、ついつい最後まで見てしまった。当方のようなど素人がコメントする資格はないし、いずれ詳細なレポが読めるだろうから、簡単に書くが、あのようなスーパースターの地位にいての栄光と絶望をかなり突っ込んだ映像で見せていた出色のドキュメンタリーかと思った。どの世界にいても第一人者は孤独な戦いを強いられるものである。5年近く密着してやっと素顔を垣間見させてくれたのは、あゆ本人に余裕らしきものが出来てきたのか?
2004年04月13日
やっと新しいフロアーの雰囲気の馴れてきた。またレイアウトもとりあえず落ち着き、さぁ溜まったデスクワークと思ったら、1台しか無くなったPCがどういう訳か、ネットに接続できない。だから、諸連絡のメールもうてない。はっきり言って、これには困った。しょうがないから、女子事務員のPCをそっと借りる羽目に…。

昼、出向元の1年先輩に久し振りにお会いして、ランチ。今の事務所のごく近くに勤務されていた、という偶然がある。やはり長い間仕事をご一緒したことのある方と、話すのは楽しい。今の業務にもご協力いただけるようで、大変有難い。
2004年04月14日
昨日から温度が低く、また今日は冷たい雨。傘を持っていたとはいえ、体に沁みるような雨だ。こんな日は体調も今一つである。

そこへ来て、先月ローラーで回った営業の成果がなかなか上がらない。上司もいささかしびれをきらしたのか、今度は懸案のテナントビルの近辺の金融機関を回る話が出てきた。これからリストアップすることになるが、来週は横浜に通うことになるのか?

別に誉めていた訳では無いのだが、自分個人としては前の番組を見ていなかったので、感心してみていたのだが、やはりあゆマニア殿には、あのスーパーテレビくらいでは物足りないらしい。しかし、そこに書かれているgoogleの謎?は同感である。

前に書いた通り、このサイトが一時期まったく検索出来なかった時期もあるうえ、ページランクというのもよく分からない。リンク先によるらしいのだが、とくにリンク先が変わっていないのに、ランクが変動する。またあるキーワードで検索しても、かなり上位で検索出来る時もあれば、下位も多い。勿論変動が激しい。それによって、アクセス数の多寡に変化は無いが…。
2004年04月15日
9時過ぎに帰宅したら、イラクで拘束されていた日本人3人が無事解放されたというビッグニュースが飛び込んできていた。8日間もの間、日本政府はまったく翻弄されてばかりだったが、無事解放されたことは、最悪の結果も予想されていただけに、ほっと安堵する思いだ。

それにしても、解放までの家族の思いはどんなであったか!しかるに、勝手に行って、税金のムダ使いをするとは何事か?との声も随分家族にはあったらしい。それを非難するくらいだったら、自衛隊の派遣の方が、よほど税金のムダだと思うが。
2004年04月16日
今日、七月歌舞伎の演目の正式発表があった。七月は毎年猿之助歌舞伎の公演が定番であったのだが、彼が病に倒れて、回復が捗々しくないようなのか、33年もの長期間連続してきた奮闘公演をついに断念するに至ったことは、新聞報道で知っていた。だから、代わりの公演が何になるのか注目の的だったが、意外にも前々から再演を熱望していたあの『桜姫東文章』を玉三郎が、澤瀉屋一門とやるのだと言う。それも昼夜に分けて。

これは大変嬉しい反面、不安も残す。こう言っては悪いが、若手の台頭著しい一門も、総帥不在の公演でどこまでその力を発揮できるのか?まだまだ古典の味が薄い舞台が多いから、あの桜姫をどう演じてくれるのか?しかし、逆に考えれば、これも彼らにとって願っても無い機会であろう。清玄・権助の二役を段治郎がやるという情報もある。今三国志でも猿之助の代役で奮闘しているから、期待大である。勿論、本人にとっては大きなプレッシャーもあろうが…。

それにしても、猿之助の早期回復を祈る。まだまだこれから歌舞伎界のために頑張ってほしい貴重な人であるから。
2004年04月17日
今日は土曜出勤。毎度そうだが、さしてすることも無く、無為に1日が過ぎて行く。実はこの四月から土曜日の休日が固定されてしまって、大変不便になった。今の会社の方々はかえって喜んでいるようだが、いろいろ予定がある時は、自由がきかないのは困ったものである。一応今月は来週の予定を考えて、振り替えてもらったが、果たして今後はどうなるか?

先日点検に出したDVDレコーダーが2〜3日前に戻ってきた。異常は認められないという。だが、何故かバージョンアップしたとも…?おかしくなければその必要もないだろうが。何か変である。今日やっと試してみたが、若干の改善はあるものの、同じ現象が起こる。またいじくってみて駄目だったら、再度言わなくてはどうも納まらない。
2004年04月18日
土曜日が休日で無いと、日曜日は結構忙しいものである。ちょっと朝寝坊をしてしまうと、何かかにかいろいろやっているとすぐに昼になってしまう。今日も暑いが、午後からはいつものウォーキングがてら、外出。

またもや遅れてしまった図書を返却に図書館にも寄る。予約を端末からしようと、ふっと見ると4月1日からインターネットで予約が出来るとの張り紙が。あれっ、何時の間に、と思ってカウンターに行って見ても、チラシ一つ無い。係りの人に聞いて、ようやく詳細が分かったが、一体PRしようとする気があるのか?疑問であり、不親切。帰宅して一応試した見たが、あまり使い勝手も良くない。また予約は出来るが、貸し出しの延長は出来ないのは、極めて不便である。少し経ったら、意見を出して、修正を提案してみよう。
2004年04月19日
前に書いたが、ここのところ昔の名画のDVDのはまっている。何も前に見たものを再度見なくてもいいと思うだろうが、やはり思い出のつまった名画は何度観てもいい。とくに一時ミュージカルに凝ったことがあって、これが後にクラシック音楽にのめり込む遠因になっているが、これが不思議と飽きない。やはり音楽の素晴しさ故か。

『ウエストサイド・ストーリー』は観た時は、ただただそのダンスの素晴しさに圧倒されたが、その基には卓越したバーンスタインの音楽がある。クラシックの聞き出して、最初は指揮者の彼とは結び付かなかった。しかし、今DVDであらためて視聴すると、ロバート・ワイズ監督の映像美の素晴しさと相俟って、音楽・ダンスとも比類の無い傑作だとあらためて感じる。これは繰り返し観るビデオである。
2004年04月20日
四月大歌舞伎の夜の部観劇。今月はご贔屓の坂東玉三郎の出演はないものの、勘九郎、仁左衛門、三津五郎などの顔合わせによる『白浪五人男』の通し。歌舞伎は通し上演にこそ、その本来の面白さが分かる、という持論から言えば、何が何でも観なければと必死に押さえたチケット。会社もそこそこに歌舞伎座に駆け付ける。歌舞伎ファンになって六ヶ月の今日の同行者は、初めての一階の一等席での観劇。果たしてその感想やいかに?

三時間弱の公演だったが、とにかくこれぞ歌舞伎と思わせる魅力たっぷりの舞台で、恐らく普段歌舞伎にあまり関心がない人にも十分その良さが理解できる面白さであったと思う。通しだから、筋も明解、魅力的な役者が勢揃いし、衣裳・舞台装置などが絵のように美しく、そして何よりも観て楽しく面白いから、これを観たら歌舞伎ファンになること請け合いである。同行者もご贔屓の役者は間近に観られるうえに、花道もバッチリだから、十分堪能したようであった。「やはり一階席は天国です」と。これは悪いことを教えてしまったかな?!
2004年04月21日
今日から、営業で当分横浜地区を回ることになった。明日からと思っていたら、同僚が何を勘違いしたのか、早々と直行で出かけたから、慌てて準備もそこそこに出かける。1年近く前、職場で通いなれた、勝手知ったる場所。とりあえず、出向元の横浜支社にこの四月から赴任した元の同僚に挨拶方々訪問した後、金融機関を数店を回る。たまたま通った横浜球場横の公園に咲き揃うチューリップの群れの美しさに魅かれて携帯写真を撮った。でも、後で聞いたら、家人も偶然同じ頃姪と見に来ていたらしいが、曰く「今年の花はあまり綺麗ではない」と。

                             
2004年04月22日
引き続き横浜の関内地区を中心に歩いている。前々からよく知っていたつもりでも、隅から隅まで隈なく歩いてみると、あらためてこの関内というところが、幕末から明治にかけての面影を色濃く残していることに気が付く。とくに建築物に観るべきものが多い。近代的なビルの混じって、西洋建築の建物が建っているのを観ると、何かほっとする。

日本郵船の建物のように現役のものもあるが、多くは歴史遺産として保存が図られているのは結構なことである。今日通りがけに覗いた神奈川県立歴史博物館もその一つだ。旧横浜正金銀行(後の東京銀行→東京三菱銀行に合併)の本店跡で、ドイツ・ルネサンス様式と言われる壮麗な建物である。常設の歴史の展示のほか、様々な特別展示があるらしい。今は江戸浮世絵の丹波コレクションの江戸名所七変化をやっていた。仕事中で無ければ、そのまま入場してしまいそうな魅力溢れる広重や豊国の浮世絵が目白押しのようだ。
2004年04月23日
今日は前日に比べ比較的時間の余裕があったので、銀行廻りの合間に携帯カメラでパチリパチリと撮っていた。やはり観るべきものが多いから、撮影の対象も結構あるものだ。

これは山下公園にある「赤い靴をはいてた女の子の像」。最近まで気が付かなかったが、野口雨情作詞の人口に膾炙した(と言っても、大分年齢が分かる限られた年代層だが)有名な童謡『赤い靴』にちなんだもの。

              
2004年04月24日
今日は、歴史を学ぶ市民大学OB会の総会とその後の記念講演会。今回役員を仰せつかったから、当然出席。思ったより出席者が多く、講演会も盛会だった。だが、自分は今週の疲れからか、途中で意識不明に…(恥)。

終了後、役員会の打ち上げ。ずううずうしく付いて行って、楽しく飲む。本当に皆さんお元気で、いろいろな話題で話がつきない。今後の役員会も出来る限り出席しないといけない。
2004年04月25日
昨日から冬に逆戻りしたような寒さに驚く。数日前には真夏日だったから、まず着る物が無いうえ、体がついて行けず悲鳴を上げている。昨日のお酒もきいたのか、今日は体がだるかったから、外出もそこそこにして家でひたすら休養する。

やっとアバド指揮のDVDによるベートーベン全集を一部聴くことが出来た。噂には聞いていたが、予想をはるかに上回る素晴しい出来の演奏ばかり。2001年の2月のローマでのチクルスの収録だが、この時期は彼が病から回復した頃にあたる。たしかに顔を見ると頬もまだこけていて、心なしかあの柔和な笑顔が少ない。しかし、演奏ではそれを微塵も感じさせず、壮絶な集中力があって、引き込まれる。ベートーベンの交響曲の偉大さにあらためて気付かされる記念碑的な全集と言えよう。これを観たら、音楽に映像は要らないということが偽りだと分かるはず。それほど、音と映像が一体となって作り上げる世界は何物にも替え難い。

しかし、蛇足だが1枚だけどうしてもPCでは再生出来ないディスクがある。DVDレコーダーではOKなのに…。不良品として取り替えてもらいたいが、PCでの動作を保証していないと書いてあるし…。さて困った。
2004年04月26日
昨夜は『鼓童meets玉三郎−劇場への招待』をしっかりとDVDで録画。以前にお仲間の方に借りて視聴したが、やはり今回は自分のライブラリーとして永久保存するためにも、DVDは絶好のメディアである。元がハイビジョンだから画像も格段に美しい!

しかし、何よりも一人間としての玉三郎の魅力全開の番組だった。佐渡の自然の背景に、新しい演出に挑む姿は感動的すらある。はじめて外部からの演出家を招いての鼓童にも最初は戸惑いがあったようだが、徐々に玉三郎の演出によって変わってゆくさまが興味深い。彼らはこれによって新たな地平を開いたのではないか?

また、玉三郎自体もこの演出を通して変わったようだ。昨年から今年にかけてのいろいろな挑戦はそれを如実に表わしているようだ。今目が離せない。
2004年04月27日
今日は第33回俳優祭を観に歌舞伎座へ。以前から観たいと思っていたものだが、2年に一度くらいの開催で、しかも1日2公演のみだから、言わばプラチナチケット。今回は幸い夢玉のお仲間がチケットを頑張ってゲットしてくれたので、滅多にない機会と平日だが休暇を取って(^^ゞ、出かけた。

生憎の悪天候だったが、開演前より早目に集合して、観劇経験のあるみゆみゆさんから体験談を聞く。狙い目は舞台の合間に催される役者さんが自ら立って販売する模擬店。人気役者のところは大混雑のようだから、対策のアドバイスを受けた。プログラムに店の場所の図があるとか、金券の種類とか、聞いていてへ〜っ、という話が多い。やはりこういうことは事前に聞かないと分からないものである。

いざ出陣ではないが、会場と同時に入場、早速プログラムと金券を購入する。席は3階の一番上だが、思ったより舞台がよく見える。

『華酔木挽賑〜お祭』は、ベテラン俳優を中心に華やかな踊り。新派の水谷八重子や波野久里子もいる。これは至極まっとうな踊りだが見応えはたっぷり。

連鎖劇『奈落〜歌舞伎座の怪人』はオペラ座の怪人にヒントを得てのものらしい。ただ、変わっているのは映像を中心にしていて、その間に生の舞台が挟まる形になっていて、面白い試みである。とにかく名題役者をはじめ役者さんが総動員で次から次へと登場してきて、普段とは違った役も多いから、大爆笑である。いちいち上げたら切りがないが、例えば、最近話題になった『白い巨塔』をパロって、仁左衛門・孝太郎親子が国立大学の前財教授、佃助教授とか。スピーディーな展開は観ていても飽きない。この映像と舞台はDVD化の話題もあるようだから、折角の映像、是非ともメイキングも含めて実現してもらいたいものである。歌舞伎ファンにはとても喜ばれるものだと思う。

さて、お目当ての模擬店。お仲間は分散したが、贔屓の役者さんが異なるから当然である。もう一人の方とほぼご一緒に勘九郎、幸四郎・染五郎、仁左衛門・孝太郎、富十郎親子、團十郎、若手役者などの店を順次廻る。まぁ、買物はそこそこで、生の顔を見に行って、写真を撮ったというところ。本当は写真撮影はまずいのだろうが。スタートダッシュが良かったから、最初はそれほど混雑は無かったが、だんだん混み合って来たら、混雑で身動きが取れなくなってきた。テレビの取材も何局か来ていた。さらに人込みで暑いのなんの。一時間はあっという間に終わる。贔屓の役者さんとの記念写真を撮った人は頬が緩んでいた。

これは、坂東弥十郎さんの八ツ橋の販売。横にに息子の新悟君もいる。

              

『滑稽俄安宅珍関』もお馴染み勧進帳のパロディー。富樫左衛門の待つ安宅の関は思い思いの藝を披露しないと、通れない。そこに現われるメンバーたるや、もうお遊びだから次から次へとこれでもかこれでもかというくらいはじけた姿と演技で笑わせるから、楽しいことこの上ない。ゴスペル聖歌隊、氣志團子というロックグループ、宝塚ならぬタンカラヅカでオスカルやスカーレット、バトラーまで登場する。扇雀はレオタード姿にまでなる。気持ち悪いという勿れ、これもお遊びとはいえ、それらしく見えるから大したものである。最後にこの5月に新海老蔵になる新之助が登場し、襲名のご挨拶。会場から盛大な拍手が沸き起こる。

終演後、お仲間と所用で来られた方も含めて歌舞伎の話が尽きなかった。
2004年04月28日
昨日は台風並みの大風だったようで、新幹線も止まったらしい。昨日の俳優祭の後に帰った方も被害にあったようだ。今年の春の天候はどうもおかしい。今日も晴れの予報が、午前中に一転俄に掻き曇りではないが、急に真っ暗になって雷を伴った強い雨に襲われた。傘の用意などしていないから、喫茶店に飛び込んで、暫しの休憩。お蔭で雨が止むまでそこにいたから、仕事の予定がすっかり狂ってしまった。

昨日から一泊でバス旅行に行っていた家人も雨に祟られた旅行のようだったらしい。お蔭でそのグチを聞く羽目に…(^^ゞ。
2004年04月29日
明日は出勤ではあるものの、実質的には今日から大型連休に入った気分で一日のんびりしていた。そこで、最近さぼっている読書に集中した。幸い手許にあった網野善彦『歴史を考えるヒント』(新潮選書)を一気に読了。

先日亡くなった氏の著作の中では啓蒙的な書だが、それだけにかえって明解、かつ示唆に満ち満ちたもの。基本的には他の著作の主張と一貫していることは言うまでもないが、歴史を考える場合に言葉の意味をよく考え、当時どういう意味であったかを正確に把握することが重要であることを繰り返し強調していることが興味深い。

百姓という言葉は「あらゆる職業の人々」が本来の意味で、農民を意味はまったく含まれていないと主張して今までの常識を覆したのは氏の功績である。ここでもその点を分かり易く解説している。さらに農民以外の職能民(海民、山人など道々のともがら)が多様な活動をしていて、過去の常識であった貧しい農民は間違いだったと説く。また普通の人々を呼ぶ言葉もそれぞれ垢にまみれているから、「平民」と呼びたいという考え方も納得が行く。

一番うなったのは、市場という言葉の意味についてである。市場は、元は市庭だという。そして相場も、同じく相庭とか。つまり、これは朝廷や法廷と同様、「庭」は人々が共同で何か作業や生産、あるいは芸能を行う場所を意味していた、とのこと。そして、市場は共同体を超える交易の行われる場を表わし、その場所がいわゆる「境界領域」、世俗の縁が切れる場所、「無縁」と説明する。

また、「小切手」「手形」「為替」のような商業的な言葉は、実は翻訳語ではなく、日本の中世から古代まで遡れる古い言葉で、近代以前の日本の商業・金融は、われわれが思っていた以上に高度な発展を見ていて、これが明治以降の急速な資本主義の発展につながって行くという説は、強い説得力があった。

これを機に、もう少し氏の残した著作を読み込む必要に駆られた。
2004年04月30日
もう連休に入った会社もあるようで、今日は電車も比較的空いていた。だから、仕事も今一つ緊張感がなく終わる。さて明日からはいよいよ5連休だが、昨年の夏休みのように計画的に過ごそうと思う。

そこでまたもや作った連休予定表。
第一日目 遠出する(藤やつつじの花見の予定)
第二日目 溜まった荷物の整理(これをやらないと家人から何を言われるか分からない)
第三日目 このサイトの手入れ(遅れている観劇記の追加など)
第四日目 実家に出かける(たまには親孝行などの真似事を)
第五日目 予備日

果たして予定通り行くか?早くも計画倒れになりそうな予感が…。
2004年05月01日
連休第一日目

朝早起きして、電車を乗り継ぎ足利市に向かう。あしかがフラワーパークに藤を見に行った。ここの藤は見事とは聞いていたが、予想をはるかに上回る藤の楽園であった。勿論、シーズン真っ盛りで、行楽客も多く詰め掛けていたが、人出が気にならないほど、藤の美しさに見惚れた。一本の大木から、何百畳もの藤棚に咲き揃う藤の鮮やかさ、美しさには言葉を失う。しかも、他所では滅多に見られない白藤がとりわけ見事である。白藤がこんなにも綺麗なものであるとは、はじめて知った。

これは大藤
             

これは白藤の散歩道

             
2004年05月02日
連休第二日目

昨日1日出かけていたので家事を手伝ってから、片付けをしていたら、昨日のお土産を実家の母に持っていけ、との家人のご託宣。早速の予定変更だが、どうせ連休中に行くつもりだったから、急遽というほどでもなかったが、実家に運ぶビデオをも荷物にして出かけた。先に22日の花組芝居のチケットを三軒茶屋で購入。丁度その時、今度ご一緒するメル友さんから金沢旅行の写メールが来て、居ながらにして旅情を味わえた。以前行ったことがあるが、また行ってみたい街である。

行ってみたら、寄宿している姪が家に帰っていたので、泊まれと言われて、そのまま久し振りに一泊した。この年齢になると、子供の頃のことやご近所のことなど昔の話が多くなる。つもる話でまたもや夜更かしをしてしまった。
2004年05月03日
連休第三日目

ゆっくりと朝寝坊をしてから、昨夜の話の続きで子供時代からの写真はどうしたろう?ということになって、戸棚を手探りで調べたら、大雑把ではあるが意外に整理されて缶の中に入った大量の写真がぞろぞろと出てきた。あれもこれもと懐かしいものばかりだった。

驚いたのはその撮った時のことまでよく覚えていた写真が多かったことだ。幼稚園の遊戯会、小学校・中学校の旅行の写真、そしてここで書くことを暫し躊躇うような恥ずかしい記念写真など、思い出は尽きない。しかし、もっとも嬉しかったのは、飼っていた愛犬との写真がでてきたことだ。この犬、随分家族の一員としてとけ込み、十数年可愛がった犬だったから、良い思い出が残っていたものである。死後も数頭飼ったが、やはりこの犬が一番懐いていた。今思い出してもその頃の仕草まで蘇える。

その思い出に浸っているうちに、六月歌舞伎のプレオーダーの抽選に外れたことが分かり、一転冷水を浴びせられたようになった。やっぱりくじ運が悪い、というかからっきし弱いなぁ〜、とがっかりしたところへ、お仲間から朗報が…(^_^;)。その方は当方の分も含めて申し込んでいただき、当たったとのこと\(^o^)/。平日の昼の部でしかも三階席だが、当たっただけでラッキーである。これはプラチナチケット。感謝!感謝!!
2004年05月04日
連休第四日目

GWの後半は天候が崩れるという予報。朝から強い風が吹き荒れ、雨が今にも降りそうだったから、外出を控えて家で一日ゴロゴロしていた。ところが雨は一向に降らず、これなら外出をすればよかったと何か損をした気分。

それでもお蔭で、ここのところ溜めていた観劇記を一つ書き上げることが出来た(四月大歌舞伎『白浪五人男』は大いなる小屋に)。やれやれ。以前に比べて、少々根気が無くなったか?
2004年05月05日
連休第五日目

大型連休の最終日。もともと予備日にしていたが、どうも予定がないと、ピリッとしない悪い癖が出てしまい、結局だらだらとした1日を過ごす。やはり予定通りにはいかなかった連休だった、と反省。

こどもの日と言っても何の感慨も無いのは年齢のせいだろうが、最近復活傾向にあるとは言え、鯉のぼりを近所ではあまり見かけなかったのも、ぴんと来ない理由であろう。空高く、吹流しで泳ぐ鯉のぼりを見るのは、やはり爽快で、季節感溢れるものだ。

子供が小さい時によく行っていた信州の市の保養施設がある村では、数え切れないほどの鯉の吹流しが、川をまたいで泳いでいたのを思い出す。目に眩しい新緑に泳ぐ鯉のぼりは、何故か生きているようにも錯覚したほどだった。
2004年05月06日
五連休の後の仕事は当然ながら調子も出ないから、かなり効率の悪い一日だったが、温度もあまり上がらないうえに、何故か電車に冷房が入っていた(怒)。おまけにいつもなら連休明けには治るはずの花粉症が依然として引き上げてくれないから、周りにじろじろと見られるようなクシャミの連続だった。本当に風邪を引いたのかな?

今日背広を久し振りの着たら(と言うほどでもないが)、どうもベルトがきつい。そんな馬鹿な!と思ったが、やはり連休後半のだらだらとした生活から、いささか体重が増えたらしい。元来太らない体質を自慢していたが、今回はそろそろ危ないかもしれない。何しろ、おやじが同じ年齢の頃、かなりお腹が出ていたから。

これは少し真面目に仕事をしろ、ということなんだろう。精々一生懸命歩かなくてはいけない。
2004年05月07日
まだ五連休の後遺症か、仕事に身が入らない。困ったものである。しかし、今日は昨日とうって変わっての暑さでは、本当に体がついて行かない。

海老蔵襲名興行の影響なのか、ここのところ廉価な歌舞伎の本が続々と刊行される。先般の藤波隆之『歌舞伎ってなんだ?』(講談社文庫)に続き、NHKテレビの解説や歌舞伎座のイヤホンガイドでお馴染みの小山觀翁氏の『歌舞伎、「花」のある話』(光文社知恵の森文庫)も出版された。これも以前に刊行された本の改訂版のようだが、初心者向けというより、もはや手引きではあき足りない人を対象にしているようで、少し覗いただけでも、なかなか類書では見られない記述が多い。さすが長年歌舞伎の啓蒙に力を尽くされてきた筆者らしい、と感じた。廉価版とはいえ、熟読に値しそうな本である。
2004年05月08日
贅沢にも連休疲れか、あまり外出する気も起きず、読書とテレビ観賞、そしてPCで一日終わる。それにしても読書量が落ちたのには、自分ながらいささか呆れてしまう。読みながら居眠りをはじめることもしばしばだから、困ったものである。

夜、昼間衛星第二で放送された四国金丸座のこんぴら歌舞伎大芝居二十周年『再桜遇清水』などを観る。何しろ我が家のテレビとビデオは家人に握られているから、DVDに録画してPCで観るしかない訳で…(苦笑)。

この往時の歌舞伎小屋の貴重な遺産を実際に使って催される「こんぴら歌舞伎」、今年は早くも二十周年という節目の年を迎えて、第一回の演目を同じ主演・作の中村吉右衛門などによって再演されたものである。しかも今年は今まであった屋根を支えていた柱を取り除いて観やすくしたとともに、かけ筋という一種の宙乗りの装置も再現して、より魅力ある小屋になったようである。

江戸歌舞伎の再現を一つの夢と考えている身にとって、この小屋は是非一度訪れて見たい場所である。何よりも桟敷とそれにあわせた舞台だから、観客席と舞台が非常に近い印象がある。画像を観ているだけでも、観客の息遣いが聴こえてくる。また、照明も出来る限り自然光を取り入れて、昔の芝居小屋の雰囲気を再現しようとしているのがいい。幽霊が出て来るところなど、戸を閉鎖して真っ暗にしてしまうから、観客はキャーキャー言って怖がっている。

本はまだまだ練ってもらう必要があるし、役者ももう少し注文を付けたいところもあるが、これはこれで歌舞伎の面白さを味わうには十分であった。幕間に吉右衛門のインタビューがあったが、彼がこの小屋に出会うことによって、発声、顔の作りや小道具など昔の本に書いてあったことがよく分かったという趣旨の言葉が印象的であった。

なお、魁春の襲名口上や宙乗りも観る事が出来たのは、予想外の楽しさだった。
2004年05月09日
昨日に続いての一日。今頃春眠暁を覚えずなのか、ここのところ休みというと決まって朝寝坊。だから一日が余計短い感じである。これではならじと、勇んで外出しようとすると、無情な雨降り。結局殆ど歩くことが出来ず、この休みも終わる。これでは体重を絞ることが出来ないぞ。
2004年05月10日
その言動によりややもするとマスコミに誤解を招くことも多く、やんちゃと言われた市川新之助も、この一日から歌舞伎座で無事に海老蔵襲名公演の幕を開けた。マスコミの報道も概して好意的に取り上げており、ちょっとした襲名ブームである。チケットの売れ行きもほぼ完売のようで、これでは六月の分の入手がなお一層困難を極めそうで、頭が痛い。

仕事で銀座周辺に行くことが多いので、時間の許す限り歌舞伎座を覗いて見るが、今日は行ってみて驚いた。何と、海老蔵の父團十郎が今日から休演するという。体の丈夫な人だから、今まで休演した記憶があまり無い。市川家の大事な名跡海老蔵の襲名公演を休演するとは、余程体の調子が悪かったのであろう。襲名公演の実現に至るまでには並大抵ではない心労があったのであろうか?

普通役者が止むをず休演した場合、代役が立つ。そして、「三日ご定法」と言って、最低三日間は代役の役者が勤めるのが不文律とか。だから大事なお家の襲名、きっと一時的に休演したら、またすぐ復帰するものと思っていたら、その後に来た歌舞伎座メルマガでは、この五月公演を全て休むという。検査入院するようだ。

たしかに役者は相当過酷な仕事である。猿之助はじめ、最近体調不良で休演する役者も多い。ゆっくり休んで早く元気な舞台を見せてもらえることを祈るのみ。

夜、帰宅したら、テレビの「SMAP×SMAP」で、ゲストに團十郎・海老蔵親子が出演していた。勿論以前に録画したものだが、團十郎の顔色もよく、とても体が悪いとは見えなかったが…。
2004年05月11日
今日は暑くなるとの予報だったが、それを上回る暑さ。いきなりなつ〜という感じで、外を歩いていてもくらくらした。正直疲れ果てて、早めに帰社。こんな日に仕事など出来る訳が無い、と勝手に言い訳。明日からはまた横浜地区を中心とした営業活動。人員も増やしての営業だから、本当に尻に火がついてきて、うかうかしていられなくなってきた。

先日読んだ歴史家網野善彦氏の著作に魅了されて、またぞろ他の著書を漁り始めた。『日本とは何か』(講談社)である。これは最晩年の、いわば氏の仕事の集大成の感のある力作である。しかも、啓蒙的な部分だけではなく、、過去の研究業績の厚い蓄積が物を言う内容の豊富さがあるから、どっしりとして読みでがある。また、日本の歴史に対する氏の並々ならぬ情熱は衰えていないから、一字一句もおろそかに出来ない。熟読するほどに味もあるから、しっかりと内容を吸収したい本である。
2004年05月12日
今日からまた横浜での仕事が中心になる。気骨が折れるうえに、風邪をひいたのか、喉が痛い。さらに追い討ちをかけるように、夕方から左上の奥歯が痛んできた。久し振りの歯痛で、少々きつい!明日歯科に行きたいが、仕事の関係でどうなるか?

地方のメル友さんが、六月歌舞伎の電話予約がつながらず、これまた困った。15日の一般発売にかけるしかないのか?

自宅に帰ったら、團十郎の病気が急性前骨髄球性白血病であると発表があったとのニュースが飛び込んできた。先代の團十郎も若くして癌で亡くなっているから、嫌な予感がしてはいたが、まさか!と一瞬言葉を失う。テノール歌手のホセ・カレラスの例もある。今は不治の病とは限らない。頑張って病を克服して欲しい。

海老蔵もつらいだろうが、父のためにも襲名公演を乗り切って欲しい。頑張れ、海老蔵!
2004年05月13日
案の定、今日は体調も含めて最悪の日。まず昨夜から歯痛と発熱でよく寝られず、朦朧としたまま会社へ出勤。雑務を片付けて、さぁ、六月歌舞伎夜の部のネット予約をと張り切って、時間丁度にアクセスしたのに、無情にも予定枚数販売終了!一体、何枚用意したのか?と怒りたくもなる。これはますます六月のチケット入手が厳しくなってきた。少し甘かったか?

時間を調整して、歯医者に行ったが、歯が原因ではないと薬もくれず。おいおい、患者が痛がっているんだぞ。藪じゃなかろうか?

その後は当然の如く殆ど仕事に身が入らず…。
2004年05月14日
いささか体調は回復してきたものの、何とか一日をしのいだというところ。それでも休みもせず、無事週末を迎えることが出来た。

今朝出勤前に携帯の着信音が鳴る。ハテ、誰からかな?と思って早速開けたところ、鷹に楓さんだった!三月末で会社を退職して、今お菓子の店を開くべく準備中である。今日と明日、学校で勉強するため、これから新幹線で東京へ出て来るという。同じ会社のお仲間であっても、遠方にお住まいだから、まだ直接お会いしたことが無い。

これはお会いする滅多に無い絶好の機会なのだが、残念ながら横浜中心に仕事をしている今日は、時間のやりくりがどうしてもつかない。また、お相手もスケジュールがタイトであるようだった。そこで残念ながら、今回は断念して、来月の機会を待つことにした。六月の方が時間も取れそうであるし、うまく行けば日記部のオフ会もあわせて期待できるかもしれない。
2004年05月15日
今日は問題の六月歌舞伎の一般発売日。若いお仲間には電話予約の方を頼んでおいて、こちらはネット予約に挑戦。いつものように朝10時ちょうどにアクセスして、予定通り平日の公演夜の部を申し込んだのだが、それから先がもういけない。いくらOKボタンを押してもうんともすんとも先に進まない。やっとつながったと思うと、今度はサーバーが混み合っています、と出てしまう。そんなこんなを繰り返すこと30分、とうとう販売予定枚数終了の文字が…(>_<)。

こんなことははじめて。どんなに悪くても今までは席だけは確保できたのだが。六月にもまして、海老蔵襲名興行の人気の沸騰振りには驚かされたし、また或る意味では怖さを感じた。

これは夜の部は駄目か!と半ば諦めかけたら、電話班から3階席が取れました〜、との嬉しい知らせ。取れただけで有難い。感謝!感謝!!今回ほどお仲間に助けられた予約は無い。これでほっと一安心である。

夜、市民大学OB会の定期通信の編集会議。と言っても自分は担当の皆さまの今まで作り上げた原稿を殆ど感心するばかりで、眺めていた感じである。ただ、作成過程をメールのやりとりで逐一読むことが出来ていたので、お蔭で何とかついて行けたとは思う。杯を交わしながらの熱い議論もおよそ五時間。ようやく完了!お疲れさまでした。
2004年05月16日
雨の一日。風邪を完治すべく、専ら休養に努める。しかし、加齢とともに治りが遅くなってきた。

今この日記を書いていて、ふっと思い出した。このサイトの正式の開設はこの18日だが、昨年の今日から日記を再開したのだった。数日の歯抜けはあるものの、ほぼ毎日書いてきて、早一年。よくもだらだらと書いてきたものだと我ながら呆れるが、それだけ習慣になったとも言える。

以前にも書いたが、会社のイントラに書いていた日記に端を発したこのサイトも、当初の構想とはやや異なったところもあるが、ベースにはこの日記がある。政治、経済、社会のことには偶にしか触れない、極めて私的な身辺雑記であって、もし読む方がいれば、あまりの世情への無関心さには驚かれるであろう。しかし、日記というものは本来こうあるべき、というものは無いと思う。まさに徒然なるままに自分の書きたいことを書く、これで良いであろう。またそれが継続の要諦でありそうだ。

今まで日記を書く習慣の無かった自分に取って、この一年は得難い貴重な体験をした。これを励みにこれからも継続あるのみ。
2004年05月17日
年金未納・未加入問題は今まで書いてこなかったが、いよいよ政局のドミノ倒しの様相を呈してきた。福田官房長官や民主党菅代表を頂点に続々と該当者が暴かれて、もはやまともに保険料を払っている議員はいないのではないかと疑心暗鬼になってきた。

小泉総理も任意加入だから責任は無いと言い訳しながら、未納を渋々認めた。しかもそれを帳消しにする意図が見え見えの北朝鮮訪問との同時公表である。それを批判しながら、今日民主党の後継代表にすったもんだで内定していた小沢氏までが未加入の事実を発表して、代表選出馬を辞退した。小泉首相と差し違えを狙ったか?いずれにしても、政局は、年金問題で混迷の一途である。

これほど大きな問題が何故今頃起きたのか?社会保障を推進する立場にあるべき国会議員が年金に無知であったことが最大の原因であることは、論を俟たない。彼らが責任を追及されるのも当然である。

しかし、彼らを弁護するつもりは毛頭無いが、もう一つの大きな原因はやはり日本の年金制度の複雑さにあろう。年金制度一本化は掛け声倒れで、なかなか進展しない。今回の三党合意も同床異夢である、あまり期待は持てない。

だから一方では急速に進展する高齢化社会に対応して改正すべき点も後手後手に回って、ますます制度が複雑化するばかりである。今回の年金制度改正ですら、問題があまり議論されないまま、一方的に国会で成立する見込みである。未納・未加入問題が年金制度への不信を増幅したままでの改正ほど無意味なものは無い。

まず自民党は未納議員を全員公表して、責任問題を明確にしないといけない。そのうえで、一本化を早急に検討すべきであろう。そして給付と保険料のバランスを保てる制度を構築する。それに尽きる。言うは易し、行なうは難しだが、そうしないと、次代を担う若者の年金不信を払拭できない。それですら、迫り来る年金制度の危機に対応出来るのか?不安の種は尽きない。
2004年05月18日
今日でサイト開設満一年を迎えることが出来た。まったく思いもかけず開設したこのサイトが、ここまで続き、またあっという間に一年経ったとは、感慨無量である。

何事にも怠惰な自分がこのようなサイトを継続出来ただけでまず驚きだが、それをまた読んでいただいた方が予想をはるかに越えて多かったことは、驚きを通り越して怖いくらいであった。

それはこのようなサイトでも、ネットを通じての多くの方々との多くの出会いがあった賜物であろう。あらためてご愛顧いただいた皆さまに伏して感謝申し上げるとともに、今後も変わらぬお引き立てをお願いする次第である。
2004年05月19日
サイト開設1周年についてお祝いの書き込みを頂戴した。有難いことである。

しかし、そこでのご注文はなかなかポイントを衝いたご意見ばかりで、大変参考になると同時に、また大きな課題でもある。今後の改善の良い指針として、考えて行かなくてはいけない。

とくに再三書いているように、読書手帖が増えない。このサイトの発祥が読書日記であったことを省みると、忸怩たる思いである。性根を据えて読まないと出来ないであろう。

また往年の名優たちの思い出を書くことは自分の観劇体験をまとめる意味で、時宜にかなったテーマと思うが、さて実際に書くとなると相当しんどい気がする。今までのようなやり方ではなく、少し工夫が要るようだ。
2004年05月20日
台風の接近により1日雨が続く。今日も横浜での仕事だったが、それでもいつもなら海風が強い土地にしては、意外に弱かったから、雨でも助かった。明日も強い雨と風だったら仕事に支障が出そうだ。

今週はチーム総出でローラー営業が続く。労多くして実りの少ない仕事だから疲れが溜まる。しかし、週末のお楽しみを励みに精々骨身を惜しまず働く。珍しいことだ!

昨夜修正した今度のオフ会の案内を再度手を入れる。昔絵画が大の苦手だったから、美的センスはあまり無いのだが、やることだけは好きである。こういう作業をしていると、疲れも忘れてあっという間に時間が経ってしまう。また夜更かしをしないうちに早く寝ないと…(^_^;)。
2004年05月21日
今週のローラー営業も週末で一段落して、ほっと一息。また来週から新たな地区を回ることになるので、今日の午前中はその準備。

午後から出向元で所用があったため、久し振りに新宿へ向かう。途中10年振りに単身赴任から東京へ戻ってきた会社の同期と会う。自分の今置かれている環境を話して、アドバイスをもらった。やはりこういう時は、心置きなく話せる友はいいものである。

出向元でも今後のことを腹蔵なく意見交換。1年間の約束の出向が延長できるかが焦点だったが、その芽も出てきそうである。ただ、いずれにしても、今後の仕事の成果いかんであろう。
2004年05月22日
地方在住のメル友さんが観劇に日帰りで上京。不慣れな東京ゆえ、駅まで出迎えてからお目当ての花組芝居の観劇に向かう。

演目はこの一座の幻の代表作『いろは四谷怪談』。ネオ歌舞伎と称して、歌舞伎を下敷きにした舞台。歌舞伎とミュージカルの中間という感じだ。鶴屋南北の『東海道四谷怪談』をもとに、自由な発想で作り上げられたこの芝居は、歌舞伎好きにも十分鑑賞に堪えうる面白さがあった。

まず、歌舞伎の手法である綯い交ぜが大胆に取り入れられていて、あっと驚く展開もある。また刃傷松の廊下も原因を三人の男色に求めるなど大胆な解釈も新鮮である。

舞台転換もスツールのようなものをうまく使って、壁や屏風などに出演者が次々に変えて行って、スピーディーだから飽きさせない。幕間無しの130分はあっという間であった。

夕方、若手有志でのミニオフ会。今度の夢玉オフ会の会場の予約や最終打ち合わせを兼ねて開催。はじめての顔合わせもあったが、普段メールのやり取りで交流しているから、すぐ打ち解けて、歌舞伎の舞台やご贔屓の役者の共通の話題で、これまたあっという間に楽しい時間が経ってしまう。午後8時過ぎの新幹線に乗るのを、皆で改札口まで見送って、今日の充実した一日は終わった。
2004年05月23日
昨日の日朝会談は、一体成果があったと言うのだろうか?小泉首相は自画自賛しているが、拉致被害者のご家族の帰国(これもたしかにおかいしい表現だが、他に適当な言葉が見付からないので、あえてそのまま使う)だけでよしとして、安易に妥協してはいないか?不明者の安否・消息もはっきりとした回答がないままの手打ちで、今後の交渉を継続してゆくのは、北朝鮮にしてやられたとしか思えない。どう考えてもかの国が得している。拉致被害者の家族を帰すのは、当たり前であって、それをいかにも好意から行った風に見せて、自国に有利な条件を引き出したのは、かなり狡猾である。まだまだ警戒してかかなければいけない国だ。
2004年05月26日
公私共に超多忙および疲労につき、珍しくこの日記をお休みしてしまった。したがって、この日記も遡って書いている。

月曜日からは主に横浜駅周辺を回っているが、ポートサイドと言われる新しい街を担当した。人工的に出来た街だからどこか冷たいが、ビルの設備は皆超一流。仕事をしている人はさぞや快適であろう。ただ、以前行った晴海地区と同様、まったく飲食店が無い。勢い昼食は弁当屋に頼るほかなさそうである。お蔭でこちらも食べるものが無くて、昼食に困った。

それを補う訳でもないが、夜は今活動しているメンバー全員で中華街で夕食会。はじめての人もいて、談論風発大いに盛り上り仕事の疲れも癒された。偶にはこういう機会でもないと、今のような厳しい仕事はとてもじゃないがやってられない。
2004年05月27日
今日から今度は川崎駅周辺の活動に重点を移す。ここ川崎は、約30年前に勤務した思い出の地。その後の開発で当時の面影は大分無くなってきたが、政令指定都市になってもやはりどこか垢抜けなさを残していると思うのは、考え過ぎか?

最初に勤務した事務所は完全にその当時の痕跡も無く、高層マンションに変貌していた。だが、ところどころ昔のままの店が数店残っており、とりわけよく通った鍋屋があったのは嬉しかった。この店は若手でよく飲み、かつ食べたものである。

今回あらためて気が付いたのが、その事務所前に走っている道路が旧東海道だったことだ。これは迂闊にも最近地図を見ていて発見したのだが、今はあちらこちらにその標識が立っているからすぐ分かるものの、昔はそんなものは無かったと思う。最近の歴史ブームでこの旧街道を歩く人も多くなったらしい。何の変哲も無い普通の道だが、今でもあまり広くは無い。たしか先へ行くともっと狭くなったと記憶している。今度機会を見て多摩川からこの道を辿って歩いて、往時の雰囲気を味わってみたいものである。
2004年05月28日
いよいよ今週はじめに正式にイントラ日記部の研鑽会(要は飲み会、普通で言うオフ会)の開催が告知されると、参加表明やらでントラ日記部の掲示板も久し振りに賑わって来た。1年以上振りの開催であるし、部員各位も転職や退社も多くどのくらいの参加者があるか懸念されたが、これなら多くの参加者が期待できそうである。

とくに今回は遠方よりの参加者もあるようだから、楽しみが倍増である。部員でまだ知らない方はいないと思うが、もしまだの方がいたら日記部長のページをご覧下さい。
2004年05月29日
疲労が溜まっているが、土曜出勤日で東京支店へ出社。毎度思うが相手先が休みだから、外出の仕事もなく、さりとて取り立ててする事務がある訳でもなく、またもや漫然と一日を過ごす。

そういう時には新聞を読んで時間をつぶすことも多いが、ある新聞の土曜特集に「東京の食べ物で驚いたものランキング」があって、とても興味深かった。

トップはお蕎麦のつゆが真っ黒というのは、まず予想通り。東京生まれの人間にとって当たり前のあのかつおだしの味が、関西方面から来た人にとっては、醤油だけと思うらしい。だが逆に自分に取っては、最初関西の薄味が物足りなかったから、これは馴れであろう。

その他、もんじゃやおでんのちくわぶなど、総じて小麦粉を使ったものに驚きが多かったのは面白い。

だが、自分の関心から言うと、和菓子の話題が二つ入っていたことが興味をひいた。一つは桜餅。先日食べた長命寺の桜餅は餡を薄皮でくるんだもので、さっぱりとした美味しさだが、これが関西から言えば、皮の表面がつぶつぶしていないのはどうも、となるらしい。関西風の桜餅は道明寺、同じ桜餅と言っても系統が違うと言っていい。和菓子好きにとっては、どちらも異なった味でそれぞれ楽しめるのだが。

もう一つは東京の和菓子屋、とくに大衆的なお店ではおいなりさんやのり巻きを売っているがごく当たり前だが、どうもこれが関西では考えられないことをはじめて知った。記事によれば、二食の時代の名残りでそのようになったらしい。たしかに、幼児の時から軽い昼食の時にそのような和菓子屋で、おいなりさんやのり巻きを和菓子と一緒に買って食べるのが東京では普通だったと思うが、それが関西には無いことは驚きだった。

一体に関東と関西の文化の違いから来ると考えられる食文化の違いが大きい。これはやはり経てきた歴史の違いなのか?
2004年05月30日
今日は真夏の暑さ。一週間の疲労もあって、午後には思わず昼寝。

昨日書いた食文化の関東と関西の違いは、少し飛躍的に言えば、先日来読んでいる網野善彦『日本とは何か』(講談社)によると、均一な日本と言うにはあまりにも列島内部で地域差が大きいことに原因を求められるかもしれない。

南北に長い日本、そして周囲を海に囲まれた日本は、日本人という均一民族が住むにはあまりにも地域差が大きいことが、この本を読むと実感される。言語の問題、宗教の問題、穢れに対する意識の問題(これがいわゆる差別の問題にもつながっているようである)、そして生活習慣、食文化の違いになっているようだ。

言われてみれば、その違いは中世の鎌倉幕府の時代に、東の幕府と西の朝廷の二つが言わば分立したことに遠因があるようだ。関東と関西の呼称もこの時代かららしい。現在こそ関東の関は、箱根・碓井の峠より東を指すらしいが、当時は伊勢の鈴鹿、美濃の不破、越前の愛発であったようだ。これこそ畿内、京都を中心とした発想であろう。鎌倉幕府の成立により、二つの権力に分裂したことが、その後の戦国乱世と信長、秀吉の統一によっても結局地域差を収斂出来ず、現在にまで至っていることは、日本という国の思いがけない複雑さを知る思いである。
2004年05月31日
昨夜は毎月一度放送されるNHK教育テレビ芸術劇場の歌舞伎の放送を『暫』や『実盛物語』で楽しんだ。子息の海老蔵襲名興行を無念にも病気のため休演した團十郎の鎌倉権五郎は、再見であったが、さすがと言える大きさであった。

菊五郎の実盛は、もう一回りの恰幅のよさが欲しかったが、捌き役らしい爽やかさは十分であった。他方、助演陣はいささか物足りなかった。

しかし、昨夜はその後にもっとお楽しみが待っていた。芸能花舞台で二世尾上松緑の素晴らしい藝の一端を観ることが出来たからである。この戦後の歌舞伎界を支えた名優の生の舞台は、1960年代の壮年期に集中して観た。時代物から世話物まで行くところ可ならざるが如く次々と大役を演じていて、またそのどれもが高い水準の舞台を見せていた。踊りの名手でもあり、きびきびとした所作は他の役者のお手本になるようなうまさであった。これも六代目菊五郎の薫陶の賜物か。

その舞台を抜粋とはいえ、歌舞伎十八番の『象引』という珍しい舞台で観ることが出来た。しかも年代的に古くても、意外に綺麗な映像であった。これに舞踊『玉屋』もあった。ゲストの織田氏が言っていたように、たしかに手の使い方が抜群に美しい踊り。これは、久し振りに眼福。このような映像をNHKはまだまだ多く所持しているようだから、どんどん放送なり、DVDで出して欲しいものである。


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