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毎日新聞の演劇担当記者である小玉祥子氏が、毎日新聞日曜版に中村吉右衛門の聞き書きを連載したものを、加筆してまとめたものである。今年65歳になる吉右衛門の、ご本人は極々平凡な人生と言うが、実は波乱万丈の歌舞伎役者としての人生である。
この聞き書きが優れているのは、ご本人からの聞き書きをもとに当時の諸資料(劇評、回想録等)に丹念にあたり、裏打ちをしていることにある。吉右衛門自体は謙虚な人柄であることは行間から滲み出ているが、それを当時の資料とあわせて読むことにより第三者の目で見た吉右衛門の歴史が立体的に浮かび上がる。
吉右衛門は両親の結婚の経緯(初代吉右衛門の娘正子が、八代目幸四郎と結婚したことにより、「男の子を二人産み、一人を実家の養子にして吉右衛門を継がせる」と言い切った)から、産まれ落ちた時から二代目を継ぐ宿命にあった。ところが子役時代を経て少年期になると成長とともに背が延びて「顔が小さく、背が高い自分は体型的に歌舞伎俳優に向かないのではないかという悩み、同じ道を進む二歳違いの兄と常に比較される憂鬱。すべてが吉右衛門という大名跡を継ぐにたる俳優にならなければいけない重圧に起因していた」。しかも今の吉右衛門の魅力の一つである台詞術も、若き日は裏声が震え、発声に難があると言われたそうである。今の口跡はそれを清元を習うことにより鍛え上げた永年の努力の賜物であるという。
本書で明らかにされている吉右衛門の若き萬之助時代のエピソードの一つにフランス人女性との恋がある。帰仏した女性を追って一時は歌舞伎役者を辞めてフランスへ渡ろうと思ったというから、この恋が成就していたら、今の吉右衛門はなかったことになる。それを思い止まらせたのは「ばあばあ」と呼ぶばあやの死である。
昭和36年の高麗屋一門の東宝入りは当時の歌舞伎界を震撼させた大事件であるが、結局その画策をした菊田一夫が本格的に歌舞伎公演を東宝で軌道に乗せようとは考えていなかったことがその失敗の原因であることが本書でも語られている。東宝劇団の根拠地として考えられた帝劇は花道をはじめ歌舞伎には向かない劇場であったうえ、ミュージカルにも吉右衛門を出演させようとした。兄の染五郎(現幸四郎)は、「ラマンチャの男」などで世界的にも大成功したが、吉右衛門はミュージカルには不向きだった。だから菊田一夫から「君は歌舞伎だけやっていればいいんだよ」と言われたことが、東宝離脱・松竹帰参の引き金になったことが明らかにされている。しかし、結果として二代目吉右衛門を歌舞伎役者として復活させることになったことは歌舞伎界として大きな意味があったように思う。
その後結婚、鬼平への出演、そして吉右衛門としての藝の継承、新作の創作など、本書で語られている内容は滋味溢れるものばかりである。「役者は一生修行」という吉右衛門の65年の人生は、本書を通じて多くの歌舞伎ファンに読んでいただきたいと思う。なお、本書末尾に「中村吉右衛門 年譜」(舞台出演年譜)があり、資料としても大変貴重である。
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