山川静夫

『歌舞伎の愉しみ方』(岩波新書)
NHKのアナウンサー時代から歌舞伎好きとして知られ、その後主に歌舞伎に関するエッセイを執筆している山川さんが歌舞伎案内として誰でも気軽にできる歌舞伎の愉しみ方を伝授した好著である。歌舞伎をはじめて観た時の印象は人さまざまであるが、山川さんはそのどれもが正しく、自分なりの感性の尺度を持つことが歌舞伎の愉しむ第一のコツと言う。だからはじめは退屈でも興味や関心を持てばよく、またそれにはホンモノをまず観ることが感動につながる、と例を挙げて説明しているが十分肯けるものである。そして自分が先代吉右衛門と六代目歌右衛門の『籠釣瓶花街酔醒』を観た時の感動を語る。

その後第二章で歌舞伎の約束事を花道、女形、ツケなどを分かりやすく解説している。また狂言のパターンを歌舞伎・「物」づくしとして第三章でこれまた簡明にまとめている。また第四章では「私の歌舞伎の愉しみ方」として、下座音楽や雪月花などを魅力ある筆致で語り、幕内に詳しい山川さんならではのエピソードも多い。

しかし、この本の一番の最良の部分は、第五章の「いずれも様もごひいきに」で、ひいきの役者をつくることは、歌舞伎の愉しみ方の早道として歌舞伎役者の芸を三つの「い」で観てはどうかと説いている。
一 いろけ(色気)
二 いき(粋)
三 いいマ(間)
この三つの「い」のどれもが歌舞伎役者の魅力であることは間違いなく、日本文化のすべてに当てはまりそうだという意見も納得できる。そして、ひいきとなったらその役者の先代とは単純に比べてはならないから、「團菊じじい」と言われるような何かにつけて昔の名優のことばかり持ち出す老人たちを「これでは歌舞伎は前に進みません」と否定する。

「要は、芸道を歩みはじめた若い役者たちが道を踏みはずさないように、観客席から注意深く見守り、心がまえを大切に日々の修行を積んでいく環境づくりこそ、ひいきの役目だと私は思います。そして、その暁に、大きな役者に成長した姿が見られたらどれほど愉しいことでしょう。
(中略)
観客が役者を育て、役者が好演して観客を感動させることによって観客を育てる、両者が響き合う関係にあってこそ、歌舞伎は愉しくなります。
そして役者の成長とともに観客のあなたが進化すること、これが「歌舞伎の愉しみ方」の結論です。」

長年歌舞伎好きを任じてきた山川さんだからこそ言える至言だと思う。本書中に愉しい歌舞伎のイラストもご本人のものだという。玄人はだしの達者なものである。本書は、初心者から愛好家まで歌舞伎に関心のある方には必読の本であると自信を持ってお薦めしたい。

(補足)著者は、「歌舞伎通」と言われるのがいやで、「歌舞伎愛好家」と言って欲しいという。そこには落語の「酢豆腐」の例を引き合いに出して、通人は大衆からは好まれない存在だとしている。そしてえてして「歌舞伎通」と俗に言われる人が、自分だけがその道を知り尽くしていると信じこみ、高所から見下ろしていては文化は多くの人のなかで決して育たないと指摘して、「わかりやすさ」と「やさしさ」をあとがきで強調していたことは我が意をえたりと思った。



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