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平成21年2月に94歳で天寿を全うした歌舞伎界の最長老であった二代目中村又五郎さんについて池波正太郎が書いた名著『又五郎の春秋』を読み返した。実は蔵書であったはずの文庫本がなかなか見付からないので、図書館から借り出したのがこの『池波正太郎大成第29巻』。図書館でも文庫本がなかったのがいささか驚きだったが、結果的にこの全集版で再読して、正解だったように思う。
全集所収のものであるから、丁寧な校訂と資料の掲載によりこの名著の理解が深かまったことも大きいが、同時所収の池波正太郎のエセーが自伝から日記、グルメなど多彩な読み物が満載で、池波ワールドを満喫できるのも大きな魅力である。しかも池波氏の自伝を読むと又五郎さんと共通点が多いように感じられた。自分の流儀を持ち頑固なこと、そして子供の頃に父親を失い(死別と両親の離婚の違いはあるが)、早くから一家の主として家計を守らなくてはならなかったこと、ともにダンディーであること、などである。
そんな池波氏が又五郎さんに惹かれたのは、歌舞伎の伝統は役者の芸であり、これを後輩たちに伝えてゆかなくては歌舞伎はなくなってしまうという危機感であり、そのために又五郎さんが尽力した国立劇場での歌舞伎俳優養成事業の講師であろう。本書のなかでも具体的に又五郎さんの指導振りが詳細に描写される。実技中心の的確で厳しい指導は並の情熱では務まらないものである。又五郎さんが育てた役者がいなかったら、歌舞伎の脇役がどうなっていたか?それだけではない、本書には触れられていないが、今の歌舞伎役者で又五郎さんの教えを受けなかった人はいないと言われるほど過去の名優の型と多くの役を後進に伝えている。教育者としてまことに得難い役者であったとしみじみ思う。
ご本人は子役時代から苦労したためか、あえて強制して息子さんを歌舞伎役者にしなかった。ある意味では私生活と役者生活を明確に切り分けていたのかもしれない。またそのためかどうか分からないが先代幸四郎たちが松竹に戻ってもご本人は東宝専属のままで役者を通し、また日本俳優協会の財務理事として役者の福利厚生の充実にも力を注いだことも本書で明確に指摘されている。本書出版以降の又五郎さんの役者人生をさらに知りたくなるが、脇役として人間国宝に指定されたことで十分報われたものと思う。
本書は又五郎さんという稀有な歌舞伎役者を通して池波正太郎の歌舞伎に関する造詣の深さを、味わい深い文章で綴った名著である。 |
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