徒然なる日条(平成15年10月〜11月分)

2003年10月01日
新入社員の日条(第1日目)

今日から新しい職場に出勤。通勤経路も全く変わったが、幸い電車の便がよいから、前と同じ時間に家を出ても、かなり早い時間に到着することが出来た。また、無理に急行電車に乗らなくても良いので、今日のようにうまくすると座れる可能性があるのは有難い。ただ、帰りが座れないのが残念だが、贅沢は言えない。

今日は朝から午前中一杯ミーティング、午後からは周辺を回って、実地調査の勉強と早くもぎっしりの日程であった。だが、今まで未経験の仕事だから、慣れるためにもその方が助かる。それにしても今日回った南青山地区は、裏通りでも海外有名ブランドのアパレル店などが軒を連ねていて、全くの様変わりの様相。これが日本かと思うような違和感を覚えた。

事務所は一部の業務が別店舗に引っ越すようで、それまではスペースの関係で机が無くて、仮住まい。早くちゃんとした机で執務をしたいものである。
2003年10月02日
新入社員の日条(第2日目)

今日から早くも外回り。と言っても、まだすぐには行くところもないので、とりあえず某社の関連部門に挨拶をも含めて、何箇所か回る。幸いまだ知人がいるところが結構あったので、継続的訪問で情報入手につながるような話があればよいが…。

夜。出向先の上司とお互いの共通の友人を交えての飲み会。談論風発、なかなか有益な意見交換もあり、楽しくよい酒だった。しかし、時間はかなり超過!帰宅したら12時を回っていた。

今日の朝日新聞夕刊は、一面に平成中村座の仮設芝居小屋の写真と記事、また芸能欄には玉三郎の『お染の七役』の記事と写真。ファンサイトの掲示板やMLにも続々と熱い拝見報告が…。これは、観劇当日が待ち遠しい!

 平成中村座は10日(金)の昼の部を観劇予定
 歌舞伎座は13日(祭)の夜の部を観劇予定。
2003年10月03日
新入社員の日条(第3日目)

今日も朝から外出。主に某社中心に知り合いに面談しているが、有難いことに親切に接していただいている。またOBを訪問すると、意外な人物に出会ったりして、人の縁を感じることが多い。

夜は激励会の名目で仲のよい友と飲み会。一番気が休まる。気持ちよく酒に酔う。明日は休みだから良いか!
2003年10月04日
今日は土曜日のお休み、って今までは当たり前だったが、今度の会社では日・祭日の休み以外には、月3回の指定休日を取ることが出来る。だから、最初は月3回土曜日を休むものと思っていたが、そうではなくて平日も含め月3回希望の日に休めるという運用だそうである。

出向を決める前から、10月は怒濤の歌舞伎3興行連続観劇の月なので、チケットをあらかじめ押さえていた訳だが、平成中村座だけは日・祭日に取れず、10日(金)になっていた。だから、行った早々恐る恐る有給休暇をいただこうと思っていたが、この取り扱いを適用すれば、10日は指定休日を取れる!これはラッキー!\(^O^)/。その代わり、11日と25日の土曜日は出勤だが、そんなことは何のその。早速手を上げて、ばっちりお休みを確保。

明日はある資格試験があるので、今日は図書館に籠って俄勉強。しかし、普段のサボりが祟って、全く成果上がらず。まあ1回で通る試験ではないから、明日は参加することに意義あり、で行こう、って最初から諦め気味…。

鷹に楓さん
という訳ですから、前みたいに人さまのことを心配する余裕がないかもしれませんよ〜(^O^)。でもこちらも負けずに更新しますから、お互いに頑張りましょうね、って伝わるかな?やっぱり社内のイントラから外れると、不自由だなー!って言う位なら、メールしろって…。はいごもっともです、そうします。
2003年10月05日
今日は1日資格試験。まあ勉強不足だから、合格点に届く見込みは全く無いが、この辺をもう少し学習すればいいのかなというポイントらしきものは掴めたと思う。次回は頑張ろう、とは思うものの、新しい仕事関連の勉強が最優先だから、どこまで出来るか?

さて、懸案の試験が終わり、いよいよこの1週間を乗り切れば、待望の歌舞伎観劇!

それにしても、肝心の読書が全く進んでいない。図書館の本も借りっ放しである。そろそろ返却の督促がくるかな?
2003年10月06日
道路公団の総裁の去就をめぐってのドタバタ。小泉総理が選挙対策として動いているのは笑止だが、それに輪を掛けて藤井総裁の居座りの倣岸振りには呆れ果ててしまう。結局辞任を拒否して、解任となるのだろうが、これだけ国民の声を無視する官僚も滅多にいないだろう。

時々取り上げる世界的テノール歌手、プラシド・ドミンゴがウィーンでのオペラ公演中に声が出なくなり、降板したとの報道があった。やはり彼も人の子、年齢には勝てないということなのだろうか?かのパバロッティも段々第1線から退いてきており、ドミンゴがこのまま歌わなくなると益々寂しくなる気がする

今回の出向について挨拶状を知己にお出ししたが、メールでご連絡をいただくことが増えている。しばらく振りの方もいて、この機会にお会いすることができるのは、有難いことである。
2003年10月07日
新入社員の日条(第5日目)

4日目が無くて、5日目に飛んでいるがそこは御勘弁いただくとして…。本格的に外回りをしているが、季節が急に秋を通り越して寒くなると、もう冬到来かと思ってしまう。たかだか1ヶ月前に暑い、暑いと言っていたのが嘘のようである。幸い風邪は引いていないが、環境が変わったせいもあるのか、やたらと疲れる。この6ヶ月が楽をしすぎたためかもしれない。早く馴れなければと思いつつ、今日も1日外歩き。

それにしても、原監督辞任以来のジャイアンツの迷走振りにはうんざりする。フロントと現場が完全に意思疎通を欠いている。コーチ陣の全員辞任に加えて、川相選手までがフロント不信から、引退を撤回して、自由契約選手として他球団に移籍・現役続行を希望したという。犠打世界一のこの選手まで逃げ出すとは、一体来シーズンはどうなるのだろうか?もうジャイアンツファンを辞めようか?
2003年10月08日
新入社員の日条(第6日目)

今日の夕方やっと自分の机ができて、さすらいの生活におさらばできた。やはり事務職から入った人間にとって、My Deskがないと落ち着かないものだ。しかし、どの位収納できるか分からなかったから、文房具類など軽いものしか持って来ていなくて、大分多くの荷物を前の所属に置いたままにしてある。辞書や本など使い慣れたものがないと、どうも勝手が違う。今度仕事の合間に荷物の運ばなくてはいけないが、さてその時間が取れるや否や?

後はネット環境だが、メールアドレスは頂戴した。出向元のネットとどのように違うかはまだよく分からないが、早くマスターして使いこなさなければいけない。だが、帰宅して試しにそのアドレスに送信してみたが、送信エラーになる。何故?

今日から主に都内の現地支社に伺っているが、ここでも意外な知己に出会うことが多い。それだけ年を食っているともいえるが、本社部門に長くいたお蔭でもある。出来る限り、多くの人と会うことを目指さねば…。
2003年10月09日
新入社員の日条(第7日目)

昨日机が出来て落着いた訳でもなかろうが、新しい職場の雰囲気に随分慣れてきたような気がする。いろいろな書類も新しい様式に書くのは戸惑う反面、新鮮でもある。今日は早くも交通費の精算。1週間単位だそうで、某社とは大分スピードが違うと感じた。たしかに1週間でも馬鹿に出来ない金額である。これは有難い事務処理だ。

夜珍しくテレビドラマを見る。山崎豊子原作の『白い巨塔』だ。主役の財前五郎と言えば、田宮二郎が忘れられない。そんなに前とは思わなかったが、もう25年も前だそうだ。今回は唐沢寿明と江口洋介が主役だから、トレンディードラマのような感じもするが、今日の初回を見た限りでは、脇役をヴェテランで固めていることもあり、なかなか手ごたえのあるドラマに仕上がっていた。女優陣も池内淳子から黒木瞳、矢田亜希子など豪華である。ワンクールで完結するのが常識の民放のドラマでは珍しい半年の連続という。製作者の意気込みがうかがえる。教授選を巡る争いから、医療ミスの裁判まで原作は息をもつかせない面白さだった。原作にどこまで迫れるか?これからの展開が期待できる。
2003年10月10日
今日は、今月の歌舞伎興行3連続観劇の初日。まずは、浅草寺裏に仮設された平成中村座の昼の部『加賀見山再岩藤』(かがみやまごにちのいわふじ)から。

今年は、江戸開府400年、歌舞伎発祥400年という記念すべき年にあたり、いろいろな催し物が行われている。3年前中村勘九郎が隅田河畔で立ち上げた仮設の芝居小屋での平成中村座の興行は、人気を呼んで回を重ねて、ついに歌舞伎に由縁の深い浅草寺境内で行われることになった。

元々歌舞伎は、出雲の阿国が京都で「かぶき踊り」をはじめたのが発祥とされているが、その発展は江戸の歌舞伎小屋での興行が盛んになった元禄頃からである。当時の芝居小屋は、幕府の官許でなければ興行できず、その印として小屋の正面に櫓を上げていた。この興行権を持っていたのが座元で、実は中村勘三郎という名跡はもっとも古い小屋の一つである中村座(最初は猿若座)の座元であったのだ。芝居小屋は当時悪所として幕府に規制されていたため、その場所を変えつつ隆盛を見たが、例の水野忠邦の天保の改革で浅草寺裏に移転を命じられた。当時全く辺鄙なこの土地にいきなり芝居小屋が出現した訳だが、当時森田座、市村座とともに江戸三座と並び称された中村座は、ここでも殷賑を極めた。だから、地名を前名の猿若町としたくらいだから、中村家は浅草寺ととても縁が深いのである。

その仮設小屋、今回はじめて入ったが、入り口の呼び込みからはじまって、いかにも芝居小屋という工夫が多く、楽しめるところだった。まず、靴を脱いであがる。よく考えれば当たり前なのだが、とても新鮮だった。場内に入ってみれば、いつも馴染んだ舞台と違って、やや低い舞台と花道があり、その前に平土間がある。さすがに今の観客用に座椅子はあるが、とても舞台に近い印象がある。後ろの椅子席も可愛らしい木の椅子。さすがに当方のような男性には少々小さく、長く座っているのはいささか苦痛だが、手作りの感じだ。

天井には大きな中村座の提灯。幕も普段見慣れた萌黄、柿、黒の定式幕ではなく、白、柿、黒であるのも目新しく感じる。一番驚いたのが幕内の席があることだった。西洋風の舞台が定着した現在では想像できないが、江戸時代には定式幕内に席が設けられていて、多くの観客がそこから舞台を観ていたのが芝居絵から分かる。平成中村座は「桜席」としてその幕内の席を復活させていたのである。

今回は浅草商店街も協力して、奥山風景の町並みを作り、訪れる人を楽しませていた。期間中だけ通用する小判の発行などお遊びも楽しい。

さて、肝心の狂言は中村勘九郎の父勘三郎が復活した通し狂言『加賀見山再岩藤』がコクーン歌舞伎で手を組んだ串田和美の演出になるもの。しっかりと江戸歌舞伎の伝統によりながら、新しい試みも多い楽しい舞台だった。詳細は、大いなる小屋に。
2003年10月11日
新入社員の日条(第8日目)

昨日は指定休日を取ったので、今日は土曜日だが出勤。しかし、意外にも朝の電車は混雑していて、土日ダイヤなのに座れなかったのには驚く。

週休2日制となって一体何年経つのだろうか?体が完全に5日出勤、2日休みのリズムになっているから、どうも土曜日に出勤するのはとても疲れる。今日は相手先が休みだから、外出する訳でもなく、ひたすら新しい仕事の勉強に終始していたのだが…。

でも考えてみれば、短期間であったが月2回の指定休日の時期があって、土曜出勤の日は電話も少なく、ゆっくりと溜まっている書類の整理などして、結構有効に活用していた。そう考えれば、今度の仕事での土曜出勤もいろいろ使えそうだ。ただ、不動産という仕事柄電話が多いのは予想外だった。
2003年10月12日
先週の資格試験は結果を待つまでもなく惨敗だったが、これは日頃の不勉強がたたったものだから、自分としては納得。次回の試験を期すとして、とりあえずその関連の通信講座はやりあげなければいけないので、今日もせっせとお勉強。今回は習得済みの部分が多かったから、1日で無事終了。これ位気合を入れて勉強を続けていれば、次回の試験なぞ……(以下略)。

これで明日の歌舞伎座の夜の部の観劇は心置きなくできるというもの。

また、通信教育もこれで4回を終了したから、さあ読書だー、と図書館と書店を徘徊。新刊で次の本を購入。

@ 島田荘司『ネジ式ザゼツキー』(講談社)
待望の御手洗潔ものの新刊がついに出た。「不可解な童話と前代未聞の異形な死体」と帯にある。早く今読みかけの本を片付けて読まなくては…。
A 原武史『鉄道ひとつばなし』(講談社現代新書)
講談社のPR雑誌『本』で時々読んでいた鉄道についての興味深いコラムが本になった。気鋭の歴史学者の書いたものだから、今までにない斬新な切り口の話が満載されている。今日少し拾い読みしただけでも、例えばJR中央線はその起点の東京駅と終点の高尾がいずれも天皇に深く関る場所だ、という指摘があり、首肯される卓見だと思う。そこから、何故中央線は他の線と比べて飛び込み自殺が多いのか?という問題にまで話が進むが、決して飛躍ではない答えが何とも面白い。
2003年10月13日
今日は、今月の歌舞伎興行3連続観劇の2日目。歌舞伎座の夜の部『於染久松色読販 新版お染の七役』が主な出し物である。これは、有名なお染久松の話を軸に、全く異なった性根の七つの役を美しい女形が次から次と目まぐるしいばかりの早替りで見せながら演じるという珍しい演目である。大和屋坂東玉三郎は、若い頃からこれを得意にしていたが、実に約15年振りに舞台にのせてくれた必見のもの。原作はあの鶴屋南北で、七役のうち、土手のお六という悪婆ー伝法な女が南北らしいと言われる。

とにかく早替りの早くて、回数の多いこと。分かってはいてもその見事さには感心してしまう。しかもただ替わるだけではなく、しっかりと役の性根を押さえて、演じ分けているから観る者を唸らせる。しかし、数えてみると2時間半の舞台で30回位替わっているのだから、殆ど舞台に出ているか衣装を替えているかのどちらかであろう。たしかに体力がなければ、出来ない演目である。ご本人はもう出来ないかもしれない、と言っているがその通りかもしれない。

今回は小生の歌舞伎好きに多大の影響を与えた老母を連れて行った。この演目には目を見張って、食い入るように舞台を観ていた。早替りには、ただ凄いを連発。十分満足してもらえたようだ。滅多にできない親孝行が出来た。

観劇記は、大いなる小屋に。
2003年10月14日
新入社員の日条(第9日目)

今日も外出した朝方から雨が降り出し、結局1日中降りっ放し。こういう日は、外へ出る仕事は辛いものがある。対策としては、何とか濡れないように地下鉄を利用したり、地下道を通るしかない。しかし、相手があることだから、そうそううまくはいかない。今日も相手先が駅から歩く場所だったから、やっぱり濡れそぼってしまった。

濡れるといえば、昨日の午後の低気圧の通過に伴う風と雨には参った。降り出した雨が1時過ぎになって、急に強い降りになり、風も出てきた。さらに強くなって、よく言うバケツの底をひっくり返したような豪雨になってしまった!昨日は歌舞伎座の夜の部に行くために老母を家に迎えに行くことになっていたから、さあ大変。何しろ最寄のJRは雨にからきし弱いから、ちょっと強い雨が降ると、すぐダイヤが乱れたり、運休してしまう。案の定、駅のアナウンスが何か言っているのが聞こえて来たが、雨の音がうるさくて、よく聞き取れない。このまま強い雨が降り続いて電車が止まったら、開演時間に間に合わなくなって一大事。

慌てて家を出て豪雨の中を飛び出しが、僅か5分程度の道のりなのに、全身濡れ鼠。しかもやっとのこと辿り着いた駅で聞いたら、何とか電車は動いているが速度規制でノロノロ運転らしい。でもタクシーもないし、他に交通手段は無いから、諦めてホームに入ったら、幸いあまり待つことなく電車が来た。乗ったらやはりノロノロ走る。いつもなら4分のところ10数分かかってしまった。でも1駅で私鉄の乗換駅に到着して、私鉄に乗ってみれば、こちらは豪雨何するものぞとばかりに快調に飛ばしてくれたから、順調に早い時間に着いてしまった。しかもその時にはあの雨は何だったんだ、と唖然とするほど空はもう晴れ始めていた!残ったのは雨に濡れた衣服と荷物になった傘だけ。でもまあ予定通り歌舞伎座に入れて、舞台も堪能できたから、よしとしなければいけないのだろう。やれやれ。

昨日は新聞の休刊日だったから、今日の夕刊で昨日の豪雨について読んだら、1時間に60ミリほど降ったらしい。風も風速30メートルはあったとか。そりゃびしょ濡れになる訳だ。
2003年10月15日
新入社員の日条(第10日目)

外出が多いと当然交通機関を使うが、今度の会社は地下鉄の駅に近いので、出退勤時だけでななく、頻繁に地下鉄を使う。ところが、地下鉄は経路が複雑だし、入口・出口が分かり難いから、苦手だという人が多い。今ご一緒することの多い同僚というか先輩もその一人である。

ところが当方は、何でもいいから電車に乗っていればご機嫌の人間。鉄道の線路図や地図を見るのも大好きであるから、仕事でいろいろな電車に乗れるのが嬉しくてしょうがない。だから、違った経路で出かけるのは、ウキウキする。

今日も殆ど当方があちらからこちらへと乗り換えて、連れ歩いたから、ご本人は付いてくるだけで精一杯だったようだ。後で言われてしまった。稲○さんと一緒に行くと楽だけど、今度一人で行けと言われたら、迷うだろうな…。

これにはいささか反省!もう少し親切にお教えしながら歩かないと。でもこの楽しみは辞められませんな。最近歩く駅すぱあとを自認する。少し思いあがりか?
2003年10月16日
やっと13日の歌舞伎の観劇記を大いなる小屋に追加更新したが、まだ見落としていることがありそうだし、もしかするともう玉三郎の七役は観られないかもしれない、と思うと、今月もう一回観たいという欲望が強くなってきた。

わがイントラ日記部のゲーノー通の方は、同じ公演を二回観る・聞くのが当たり前のようである。とすれば、六条亭がもう一回観ても、みーはー娘さまあゆマニア殿よりやり過ぎとは思われないだろう。と、勝手に言い訳を言いつつ、密かに2回目の観劇を画策中…。
2003年10月17日
新入社員の日条(第12日目)

また1日飛んでの日条だが、別に会社をサボっている訳ではない。たまたま昨日はその話題を取り上げなかっただけである。と言っても今日もとくに書くことも無い。

今日は遅ればせながら、出向元へ出向いて定期健康診断。本当は9月中にやらなければいけなかったのだが、前に書いたように暑い時期のバリウムは大の苦手!そこで逃げまくっていたのだが、とうとう最後だからやらなくてはと思って受診したら、今日の健康診断はバリウム無し。なーんだ、といささか拍子抜け。それはそれで良かったのだが、他の検査項目はとくに問題なさそうだったから、逆に胃は大丈夫なのか?と少し心配になってきた。先日も職場が変わったことによる疲れか、不調で酒も控えて薬を飲んでいた。幸い、今日あたりは胃も快調だが、注意するに越したことは無い。

さて、かかりつけの医者で胃の検査をするかなー…(^-^)/~。
2003年10月18日
今日は、今月の歌舞伎興行3連続観劇の3日目。国立劇場の猿之助一門の復活通し狂言『競伊勢物語』(はでくらべいせものがたり)である。今まで全く未知の狂言で、その存在すら知らなかったもので、その一部の上演が今から38年前、通しとなると約120年振りという珍しいもの。さすがに猿之助と国立劇場の組み合わせは、粋なことをやってくれる。

物語は、お馴染み伊勢物語を題材に、惟仁親王と惟喬親王の帝位争いを中心にしているが、そこは猿之助歌舞伎、骨寄せ、屋台崩し、宙乗りなどケレンたっぷりのスピード感溢れる愉しい舞台であった。しかし、一番の出来の良い場面の「春日村」は、これもお約束の高貴な人の身代わりで死んでゆく夫婦・親子・義理の母子の情愛をくっきりと、また深々と見せて、なかなか感動的だった。とくに娘を演じる笑三郎が、妹背川という筝曲を弾じながら唄うところは、演技しながらという難しいものだが、心に沁みるいい場面だった。ご本人は娘役はニンではないと言っているが、どうしてどうしてとても素晴らしかった。この舞台の成功は、ひとえに彼のこの演技であろう。

その他の一門の活躍で大変活気溢れる上演で、とくに師匠猿之助があまり出番が無くても、これだけ水準の高い舞台を出せるのだから、本当に若手が成長してきたことを実感した。

観劇記は、後日大いなる小屋に。

さて、これで3連続の歌舞伎観劇は終了したが、やはり歌舞伎座の『お染の七役』があまりに良かったので、25日(土)の千穐楽は出勤だが、帰りに観に行くことにした。本当に玉三郎の七役のもう最後の舞台になるかもしれないので…。
2003年10月19日
今日は昨日とはうって変わって爽やかな秋晴れ。家の中の雑用を片付けメールもうち終わったら、早速最近サボっているウオーキング!しかし、ここのところ仕事で結構歩いているせいか、快調に飛ばしてズンズン歩き、予定より早く目的地に着いてしまったくらいだった。殆ど汗もかかず、気持ちいい運動だった。これならもっと距離を伸ばしてもよかった、とちょっと反省。

普段できない買物などした後、カメラの量販店を覗いたら、もう年賀状のソフトが沢山出回っていたし、お目当てのプリンターも新製品が続々出ていて、目移りがしてしまった。もうそんな季節か!と日の移ろいの早さに驚くばかり。パソを入れただけで、まだプリンターが無い。冬までには何とか購入したいが、さて懐具合はどうかと言えば、ややというより殆ど寂しいが……。

注目の日本シリーズ第2戦、昨日の第1戦に続き、阪神タイガースは苦戦の模様。まあGファンにとってはどっちが勝っても良いが、強いて言えば同年齢だし今季限りで勇退らしい星野監督を応援したい気持ち。頑張れ!タイガース!!
2003年10月20日
昨夜はこの日条の更新を終わった後、スポーツニュースを見たら阪神タイガース大敗の報道で、それ以上詳しく見る気も失せてしまい、ビデオ録り中のNHK教育テレビ芸術劇場を観た。スイス、ルツェルン音楽祭からのマーラー交響曲第2番『復活』である。勿論、途中からだからどんな演奏かな?と少しだけ観るつもりが、一旦観始めたら止まらなくなってしまった。それだけ凄い演奏だった。何しろ、アバドファンの拠り所であるこちらの管理人さんがあまりの凄い演奏に終わった途端気絶して、当分復活不能になった(笑)ほどである。

これは、昨年ベルリンフィルの音楽監督を辞任したクラウディオ・アバドがこの音楽祭のために臨時に組織されたスーパーオーケストラ、ルツェルン祝祭管弦楽団を指揮した演奏である。アバドの『復活』と言えば、最初の録音であるシカゴ交響楽団との鮮烈な演奏が印象的で、その後のマーラー演奏を常に注目してきた。そして全集として纏められた録音は、どれも高い水準にあるものばかりだったが、そのなかでもやはり『復活』の演奏した盤は傑出していたと思う。アバドにとってこの曲は相当思いいれのある曲なのであろうと推察される。

だから、フリーになってこの音楽祭を取り仕切ることになった時、アバドがこの曲を真っ先に取り上げたのは、当然と思える。『復活』は、得てしていやに深刻ぶったり、大仰に演奏されることが多い。しかし、今回のアバドの演奏の何と瑞々しいことか!名手が集まった木管楽器のソロ(フルートのパユ、オーボエのブラウ、クラリネットのマイヤー等錚々たるメンバーである)の何と冴え冴えとして響く音か!アバドの指揮は、全くの自然体。どこにも力みはなく、いとも軽やかに音楽を運んでゆくが、聴くものを捉えて離さないこぼれんばかりの美音が鳴り響く。テレビの録画を観て興奮することは滅多に無いが、ついに最後まで高揚した気分のままでフィナーレを迎えてしまった。

そして、その後も冷めない興奮。これは当分このビデオを観続けることになりそうである。ユーロ・アーツが制作に関わっているから、DVD化が期待できる。
2003年10月21日
当方も生粋のジャイアンツファンなれども、先日書いたように同じ時期に神宮にいた(と言っても応援していただけだが)身としては、星野監督には大変親近感を持っている。なので、この日本シリーズはやはり阪神を応援したい。

今日は珍しくやや早く帰宅したので、さあー野球はどうなっているか?と思ったら、中止!それはないよ。でもよく考えたら、今日から甲子園だから、西から雨模様ならばしょうがないか!明日の試合を期待しよう。
2003年10月22日
と前日に書いてはいたのだが、国立劇場の18日の観劇記が完成しないため、アップ・ロードしないままお休み。

今日の関東地方は朝から一日中雨だったが、これは甲子園はやっているだろうと期待したが、皮肉なもので昨日と違って帰宅が遅く、テレビを観たらもう9回。しかし、1対1でそのまま延長線に突入したので、思わずテレビの前に座り込んで観戦する。結果は阪神タイガースのサヨナラ勝ち!やれやれ良かった。これでまず明日からの試合が余計楽しみになった。でもジャイアンツ・ファンがにわか阪神ファンのようなことを書くと熱狂的なファンから怒られるかな?

やっと観劇記−大いなる小屋が三つとも完了した、。この十月は江戸三座の賑わいを思わせる歌舞伎興行の活気に勢い付いて、自分なりにかなり力を入れて書いたつもりである。とくに通し狂言というのが嬉しかったからその点に留意したつもりだが、ご意見をいただければ今後の参考にもなるが、果たして反響があるや否や…。

ただ、国立劇場の通しについては、観劇記の抜粋らしきものをちらにお送りしたら、そのまま掲載をいただいたうえにリンクまではっていただいた。管理人さまに謝意を表する次第です。
2003年10月23日
今日も日本シリーズが楽しみだったが、昨日に引き続き帰宅が遅れてしまい、もう試合が終わってしまったと思いきや、8回に5対5の同点に追いつき、9回に入ったばかりだった。そのまま連夜の延長戦!ところが、フジの『白い巨塔』がはじまり、無念のチャンネル切り替え。

それでもちょうどコマーシャル時に切り替えたら、金本のサヨナラホームランのシーンが…。連続サヨナラ勝ちという劇的な勝ち方で、阪神タイガースが完全に息を吹き返した。これはいける。ますますこれからの試合の期待が高まるばかりだ。

今月の三つの歌舞伎公演を的確に概括した記事が、今日の朝日新聞の夕刊に載っていた。ややケレンに力点が置かれている嫌いはあるが、時宜を得た記事であった。これを読むと本当に今月は歌舞伎ファンにとって幸せな月であった、としみじみと思う。こんな月はもう当分無いかな?
2003年10月24日
今月は歌舞伎の観劇に集中している感があるが、いや別に他の趣味を忘れている訳では無い。たまたま江戸三座を思わせる歌舞伎興行が活気を呈していたからだ。クラシック音楽も時間は少ないが、もっぱらCD・DVD鑑賞を続けている。

今日は久し振りのクラシックのコンサート。東京オペラシティのBCJ(バッハ・コレギウム・ジャパン)のJ・S・バッハ『管弦楽組曲』全曲の演奏会である。近くにありながら、今まで聴いたことがなかったこのホール、ジュークボックス型の木の温もりが感じられる美しいものだ。音の響きも好ましい。

BCJの演奏は、期待通り愉悦感溢れる演奏だった。現在の日本のオリジナル楽器演奏の水準の高さもうかがわせる。どれも良かったが、強いてあげれば第3番か?それとフルート独走で有名な第2番が、弦5部(VnT、U、Va、Vc、Vg)に通奏低音という編成を聴いたのは初めてだった。意外とすっきりとしていて、いい演奏だった。

帰宅したら、阪神タイガースが逆転で3連勝とか。いよいよ王手をかけた訳だ。これは益々日本一に期待が持てる。

さて、明日はいよいよ歌舞伎座の千穐楽!充実していた今月の観劇の最後を締めくくるに相応しい幕切れとなるか?
2003年10月25日
昨日は日付を間違えて更新していた。相変わらず慌てもののところがある。これが正しい25日の分。

それで今日は出勤にもかかわらず、夕方早めに事務所を抜け出して、歌舞伎座の千穐楽に駆け付ける。勿論お目当ては玉三郎の『お染の七役』だから、最初の『金閣寺』は終わった後でも問題なし。幕間にいつも某掲示板でお世話になっている方にお会いし、玉三郎談義の花を咲かせる。こういう出会いも嬉しいことである。

今日は再見だが、やはりとても楽しめたし、またゆっくりと余裕を持って観ることが出来た。やはりこういう舞台は、なかなか観られるものではない。既に書いた観劇記(大いなる小屋)を修正する点が無かったのには、ある意味ホッとした。しかし、これで連続の歌舞伎観劇は本当に終わってしまった。もう当分このような充実した月は来ないのかもしれない。
2003年10月26日
昨夜の千穐楽の興奮が冷めやらぬまま遅く寝たから、今朝は朝寝坊するはずが、やはりいつもの通り結構朝早く起きてしまうのだから、体調がいいせいなのか?ただ単に年を取っただけなのか?

家人が昨日から旅行で留守だから、一応洗濯など片付けてメールをうったり、掲示板に昨夜のことを書き込んだり、となかなか忙しい。昼過ぎにいつものウォーキングをしながら、地元の図書館へ。近々システムの変更で2週間くらい休館になるらしいのだが、今日もらったチラシでは予約を自分で入力できるようになるようだ。やや他の図書館に比べて遅い感もあるが、歓迎すべきことではある。ではインターネットを通じた予約はできないのか?と思ってよく見たら、来春にはそれも可能になるらしい。益々結構である。

夜はお待ちかねの日本シリーズ。王手をかけた阪神タイガースが悲願の日本一なるかと期待したが、ダイエーホークスの勝利に終わる。両球団とも本拠地でないと勝てないのか?いずれにしても明日は待ったなしの第7戦!どちらが勝っても不思議ではなくなった。
2003年10月27日
今日は、所用があって実家に寄ろうとして、最寄駅から電話を入れたら何回鳴らしても出ない。具合が悪いとも思えないが、ハテ?と思った。とりあえず行ってみるかとも思ったが、そうだ、この時間ならもしかして買物かもと思いついて、行きつけのデパート内にあるスーパーに顔を出して見たら、居た、居た、居ましたね〜、母が…。やっぱり血の繋がっている親子、考えることは一緒だなー、と思わぬところで納得(苦笑)してしまった。

結構重い買物の荷物を持ってやって、実家に着いたら、当然ながら日本シリーズ第7戦の真っ最中。しかし、ダイエーホークスがリード。思わずテレビ画面に見入り、とうとう最後まで見てしまった。何故か今シリーズは両チームとも本拠地でしか勝てず、第7戦にまで縺れ込んだのだが、そのおかげで、普段野球中継を滅多にやらないテレビ東京が放送権を得たらしい。全国ネットが少ない在京キー局の悲しさ、一部の地方局では中継が無かったらしい。

幸い、胴上げまで見ることが出来たが、王監督率いるダイエーホークスの強さを認めざるを得ないが、心情的には星野監督に日本一を取らせたかった。やはり同年代の連帯感のようなものか。伝えられる監督引退の花道を飾れなかったのは、残念至極!

しかし、これで今年のプロ野球は、全日程を終了。開幕以来8ヶ月、贔屓チームの勝利に一喜一憂してきたが、これも今日で終わりである。何かプロ野球の閉幕とともに冬の訪れを感じるここ数年である。何となく薄ら寒くなってくるのである。

それにしても、今日の中継でゲスト解説をしていたあの犠打世界一の川相は、ジャイアンツに愛想をつかして、来年は中日で現役を続行するらしい。こういう選手に逃げられるなんて、ジャイアンツも地に落ちたものである。本当に来年そのまま贔屓を続けるかは、思案投げ首といったところ。何を大袈裟な、と言われそうだが、たがが野球、されど野球!50年来のファンの悩みは深いものがあるな〜。
2003年10月28日
本当に今日は急に温度が下がってしまったうえに、天気予報が外れて1日雨だったから、外へ出ているとうすら寒さを感じた。これはいかん、風邪を引いたかな?とも思ったが、どうも疲れが出たらしい、やたらと眠い。電車に乗っていても、すぐに(-_-)zzzとなり、これでは仕事は…(以下、略)。

たしかに新しい職場もほぼ1ヶ月を過ぎて、そろそろ緊張が緩み始める頃である。加えて、連続歌舞伎観劇も、プロ野球も終わったし(全然関係ないか!)、疲れがでても不思議ではないだろう。この日記の更新などしていないで、さっさと寝なくては(^_-)-☆。
2003年10月29日
昨夜は早く寝て睡眠も十分なはずなのに、引き続きお疲れモード。電車に乗っていればぐっすり寝込んで乗り過ごすし、書類を作っていれば間違えてばかりいるし…。これでは仕事が…(以下、略)。今日も早く寝ようっと。

と言いつつ、この日記の更新だけはしないと気が済まない、と思うのだからもう完全に生活の一部になってきたようだ。でもこんなくだらない日記に付き合ってくれる人がいるのだろうか?
2003年10月30日
相変わらず、低空飛行だが…。

新しい職場での仕事も早1ヶ月近く経つが、よく考えたら某社でそのまま仕事をしていたら、11月の生命保険の月だった。業界あげての生命保険の普及月間で、営業成績を競う月だが、何と某社には招かざるお客さんがお出でになるという。なにしろ大事なお役所だから、仇や疎かには出来ないが、この月では営業第1線は大変である。会社の仲間たちは、皆持ち場持ち場で終わるまで気が抜けないであろう。陰ながら、応援するしかない。
2003年10月31日
長かったような、短かったような十月も今日で最終日。天候の具合か、環境の激変のためか、今週は大分体調を崩したが、週末になってやっと持ち直し、何とか仕事の切りをつけて1週間を終えることが出来た。どうやら、年に似合わず、少し自分の限界を考えずに動き過ぎたようだ。十一月は、普通の勤め人(って、何が普通かはよく分からないが…)の生活に戻らなくてはいけないだろう。

それに、深まりゆく秋はまた絶好の読書シーズンなのだが、ここのところまとまった読書が全く出来ていない。昨年の今頃の日記を見ると、その差は歴然!心を入れ換えて、読書に励まねば…。と言いながら、またもや観劇とコンサートの予約に思いを馳せるのであった。
2003年11月01日
今日から待望の3連休!体調も回復したせいか、朝からいろいろ動き回って雑務を片付ける。その後は、例によって隣の駅までウォーキング。これができる時は調子がいい証拠だが、前に比べると少し距離が足りない気がする。一応今日は往復したから、約5Kは稼いだことになる。この休みの間にさらに距離を伸ばさねば。

プリンターを買おうと量販店を覗いたが、あれこれ悩んで末決められずにそのまま家に帰る。一番ほしい型は、OAラックに入るにはやや大きすぎる。家人に言ったら、小さいのにしたら、と一言。う〜ん、そんなに簡単なら、悩まないんだけど…。

いつもお世話になっている坂東玉三郎のファンサイトの掲示板で、オフ会を開く話が急進展した。小生が提案して、ご常連方の賛同を得たので、管理人さまのご了解もいただき、開催することにした。勿論、言いだしっぺ、裏方を買って出る訳である。さてどれだけの方々にご参加いただけるか?
2003年11月02日
爽やかの秋晴れ。絶好のウオーキング日和だから、いそいそと出かけたいところだが、どうも家人のご機嫌を取らないとまずそうなので、午前中は神妙に家事のお手伝いで終わる。午後からお馴染みの川沿いの遊歩道を上流に向かって歩くこと約4K、気持ちよい汗をかいた。

遅い昼食を美味しいラーメン店で、と思って遊歩道の終点近くの店に行ってみたら、凄い行列!最近とみに人気が出てきたのは最初の頃から行っていた人間にとっては嬉しい反面、手が届かなくなっているのは少し寂しい。しょうがないないから、また足を伸ばして、これまた人気の出てきた北海道ラーメンの店へ。麺が卵入りの黄色い麺で、舌にシコシコでなかなかイケる。濃い味噌味も好みに合う。餃子セットで1Kはお得感あり。お腹も満足。ところが、この昼食が後で後悔の種に…。

昨日返却を忘れた本を返しにまた図書館に寄ったら、何とコンピューターがシステムダウンしているという。どうも今月の中旬に予定されているシステム変更が影響しているらしい。幸いに、返却や貸し出しは手作業でやってくれたが、10冊の貸し出し限度のチェックはできていないから、オーバーしたらどうするのだろう、と他人事ながら余計な心配をしてしまう。係りの人も機械に頼っていると、こういう時は困りますね、と苦笑していた。

図書館を出て昨日買いそびれたプリンターを今日こそは買おうと量販店に向かっていたら、メル友さんから可愛いメールが…。こういう時は、本当に携帯は便利である。早速返信を送る。最近は結構歩きながらうっているが、やや危険か。

プリンターは、昨夜OAラックの奥行きを測ってきたから、そのチェックだけして、即決定。結局少し高い買物だったが、重い荷物を持ち帰ってから、設置、ドライバーの設定などは簡単に終わり、試し印刷の結果も十分満足できるものだった。これでOAラックも一通り揃って形が整った。でもやっぱり予想通り、随分大きいわね、と家人に指摘される。あのー、これでも小さいものにしたんですけど…。

さて、夕食の準備する段になって、今日はお手製餃子にするから、と言われてギャフン!まさか昼食に食べたとも言えず、大量の餃子を食す羽目に。でも大好物だからいいや。
2003年11月03日
今日11月3日の文化の日は過去の統計上晴れる確率が高い日だが、今日は珍しく朝から雨が降ったり止んだりの愚図ついた天気。これでは予定していた連日のウォーキングができそうにないので、午前中少し外出しただけで後は家に籠ってもっぱらテレビ鑑賞。

文化の日の特集番組なのか、NHKの衛星第2で珍しく歌舞伎の6時間連続の生放送があった。今月の歌舞伎座や国立劇場からの一部生中継や役者へのインタビューなど盛り沢山の内容。しかし、一番の注目は視聴者リクエストによる「懐かしの名舞台」ベスト10だ。

結果は、1位の『勧進帳』から10位の『俊寛』まで、有名狂言の名舞台の目白押しだった。とくにモノクロながら、十一代目市川團十郎、先代松本幸四郎、尾上梅幸、十三代目片岡仁左衛門などの競演は、記念すべき舞台ばかりで思わず画面に引きずり込まれた。『勧進帳』などその迫力たるや凄まじいものであった。それにしても、血の繋がりとは恐ろしいもので、孫の新之助があんなに似てきているとは思わなかった。これは来年の海老蔵襲名が待たれる。

勿論、贔屓の玉三郎も『鳴神』雲の絶間姫で登場、道心堅固な鳴神上人を誑かす色気は、やはりただものではない。この映像を全曲再放送するか、DVD化できないものなのだろうか?多くの貴重な映像を所持しているNHKのそれが責務だと思うが…。
2003年11月04日
今日は、またもや東京オペラ・シティでのコンサート♪♪。まさか十月から他社へ出向するとは考えてもいなかったので、前の事務所の近くのこの会場のコンサートならと早くから押さえていたものだ。演奏は、スタニスラス・スクロヴァチェフスキ指揮のザールブリュッケン放送交響楽団で、ブルックナーの交響曲第5番他である。本日から3夜連続のブルックナー演奏の第1夜。

ミスターSと呼ばれるこの指揮者は、今年でちょうど80歳。先年亡くなったヴァントと同じく、遅咲きのブルックナー指揮者で、近年リリースされた全集が好評だったから、この連続演奏会は是非聞きたかったもの。

現われたマエストロは写真通りの風貌だが、とても年齢には見えない身のこなしで、指揮振りもなかなかにエネルギッシュ!そして、その棒から紡ぎ出される音楽の何と若々しく、良く鳴り響く音か!ドイツの放送交響楽団は全体的にレベルが高いけれども、このオケは比較的マイナーな部類に入るのだが、とてもそうは思えない。

ブルックナーの前に、モーツアルトの交響曲第35番「ハフナー」が演奏されたが、これがまた意外というか、素晴らしい演奏だった。近年の小編成のオリジナル楽器の演奏に馴染んだ耳には大編成の近代オケはどうかと、一抹の不安があったが、とても生き生きとしたリズムで運ばれた躍動感溢れるモーツアルトだった。

ブルックナーの第5番は、もう期待通りの名演だった。あのがっちりとした教会の伽藍を思わせる壮大な音楽が見事にオペラ・シティのコンサート会場に鳴り響いた。コラール風の音の洪水に身を浸せば、これぞまさしく至福の時。約75分の演奏が終わったら、思わず「ブラヴォー」と叫んでしまっていた。こんな演奏は久し振りだったと思う。

明日の第2夜、第7番のチケットを取らなかったのをいささか後悔したが、贅沢は言っていられない。第3夜の極めつけの第8番を取ってあるのだから。明後日を楽しみにしよう。
2003年11月05日
これは本来昨日書くことだったのだが、ミスターSのブルックナーの第5番があまりに素晴らしかったので、書き漏らしたことを今日の分として…。

オフ会の裏方を相勤めます、と名乗りでたはいいけれど、さて会場はどうしようか?と思った時に、ふっと思い出したのが某社近くの高層ビル。高層階のレストランに某社OBの大先輩が顧問でいたんだ、と早速訪ねて見た。ホテルの経営するレストランだし、窓側の眺めが良いところを押さえてもらえるので、その他の条件もまあまあだから、仮押さえをお願いした。

昼間はバイキング形式なので、用事が終わったらついでにといっては悪かったが、そのまま昼食をとっていた。そこへ、「おい、稲○君じゃないか?」とお声が…。振り返ってみれば、これまた昔仕事でお世話になった某社OBの大先輩が。「今何をしているの?」と言われ、早速名刺交換したら、「君、この会社知っているよ、何と言ったっけ、支店長の常務さんは?」とおっしゃるので、これこれですと申し上げたら、「そうそう、その常務さんを僕は存じ上げてるよ」とのこと。

それは奇遇ですねー、しばらく話がはずんだ。10月から出向して仕事でOBや知り合いを辿って回る日々だが、思わぬ邂逅が多い。しかし、今日は一番びっくりした。また、大先輩にお会いしたのは、恐らく十数年振りなのに、よく覚えていていただいたのは感激もした。こちらの方がとっさにお名前がでなかったくらいだから。まだ、現役でバリバリ仕事もされているようで、何か眩しいようなお元気さ。自分も定年後は見習いたい、と思うような生き方である。
2003年11月06日
一昨日に続くスタニスラス・スクロヴァチェフスキ指揮のザールブリュッケン放送交響楽団の演奏で、ブルックナーの交響曲の3夜連続演奏会の第3夜、最終日である。

今日は、仕事の関係で事務所を出るのが遅かったので、到着するまで気が気ではなかったが、ようやく開演時間の直前に滑り込めた。席が6列目とあったから、前のほうとは思っていたが、実際には3列目で殆どかぶりつき状態。

今晩の演奏曲目は第8番、1曲のみ。ブルックナーの9曲のなかでも最高傑作であるとともに、古今の交響曲のなかでも最高峰に位置する名曲中の名曲。今まで多くの指揮者の名盤を楽しんできたから、ミスターSの演奏やいかに?と注目したが、十分満足できるものだった。

やはり暗譜で振っていて、実に細かい指示を送っている。楽員の方もそれに敏感に反応しているから、演奏が悪い訳がない。それに音のバランスが非常にいいから、安心して音の洪水に身を浸すことが出来る。本当によく音が鳴る。

第3楽章のアダージョにたっぷりと酔った後は、有名なフィナーレになだれ込み、あっという間にクライマックスへ。約85分の素晴らしい演奏を終えたマエストロに会場からは惜しみない拍手が続き、楽員が引き上げた後も会場を去ろうとしない観衆に応えてマエストロは何度もステージに呼び戻されていた。しかし、その姿には一仕事をやり終えた職人の満足な笑みがあったように思う。
2003年11月07日
新入社員の日条

不動産会社の新入社員も一応仕事らしきことはしているということを、偶には書いておかないと……。1日の大まかな行動をパターン化すると、以下のようになる。

・朝5時50分起床
・6時30分家を出る
・1駅で乗り換え、10分並んで始発の急行に座る。新聞を読みながら居眠りすることもしばしば。
・7時35分下車、途中で軽食をとりながら、新聞をチェックする
・8時前に事務所に入る
・メールの受信、送信、今日の行動の確認
・8時30分打ち合わせ
・電話でのアポ取り
・9時30分頃までに事務所を出発
・1日4〜5件の訪問を目指す
・16時30分頃帰社
・その日の活動を整理
・雑件の処理、明日の行動予定を立てる
・19時頃事務所を退室

とまあ、こんなものだが、昔に比べると(って何時と比較してかは不明だが)やけに朝型になっている。だから、早いときは、新入社員が事務所の鍵を開けて入っている。しかし、たしかに朝のうちは作業が捗る。早朝出勤はいいことづくめだから、やめられない。

でもその分、昼食をとった後は、急に眠気に襲われることもあり、今日なども電車で居眠りをしたために、目的地に着いても……(以下、略)。その後は言うも今さらの結果に……(-_-;)。
2003年11月08日
今日は土曜日だが、出勤日。今まで完全週休2日制に馴れた体には、いささかきつい。今月はとくに土曜日が5回もあるから、2回出勤で余計そう思う。しかし、11月「生命保険の月」で頑張っている某社の営業第1線を考えれば、まだ楽をしているのかもしれない。そう思って通勤時によく見てみると、土曜日にもかかわらず通勤・通学をしている人が随分多いことに気付く。世の中、完全週休2日制のところばかりではないのである。

今日は立冬とか。朝方は結構冷える日が多くなってきた。また、道路に落ち葉も増え、立ち木も寒々してきた。今年は夏も短かったし、秋もあまり感じないうちに早くも冬がやってきたようだ。

しかしながら、法人相手の営業では土曜日に出勤しても、外出がある訳でもなく、雑務の片付けで1日が終わる。たまにはこういう書類整理の日もあっていいし、普段いじれない会社のパソもゆっくり操作出来る。でもそこでやっていた仕事と言えば……、やっぱりここで言うのも差し障りがある。ご想像におまかせします。
2003年11月09日
今日は衆議院選挙の投票日だが、地元の選挙区が無風状態で、投票しようがしまいが結果にはまったく変わりは無いことが判っているから、よっぽど棄権しようかと思った。しかし、どうも棄権するのは寝覚めが悪いかな?と考え直して、投票だけはしたが何か虚しい気もした。

もともと、今回の選挙は争点がよく見えず、自民と民主の2大政党の対決という割には、盛り上がらなかったように思う。

だから、夜のテレビの開票速報も見る意欲も湧かず、もっぱらパソの無料プログラムのダウンロードに勤しむ。やはり、政治には無関心すぎるか?
2003年11月10日
新聞の朝刊は総選挙の速報版で記事も少ないからと、よく見ずに出かけたので、天気予報もろくろく読まなかったら、雨だけでなく、思いのほかの低温で震え上がる。こういう時は、女性のほうが着るものに融通がきくのか、もう冬支度のような装いも多かった。これでは、早くも厚手の背広にしなくては、風邪を引いてしまう。

寒さと雨に祟られて、ほうほうの体で外から帰ってきたら、手回し良く会社の同期の忘年会開催のメールが入っている。う〜ん、もうそんな季節か!と幹事の手配りのよさに感心する。早速出席の返信をした。

帰り支度をしていたら、若い同僚が出向元の事務所からこれを預かって来ました、と1通の封筒を手渡された。何かと思って開封すると、10月の初めに受けて散々だったある資格試験の合格証ではないか!え〜、とビックリ(@_@;)。「あれで受かるなんて」と、あらためて信じられない感じである。点数をよく見ると、合格ラインぎりぎりでクリアーしていたようだ。しかし、とにかく合格は合格。ホッとした。やはり我ながら、テストには強いなぞと一旦は思ったが、よくよく思い直すとあまり自慢できる話でもないと気が付いた。これを人に話せば、「そりゃー30数年、生保の仕事をしていれば、通って当たり前だろう」と言われるのがオチである。はー、その通り。落ちていたら何を言われたか分からず、恥をかいていたところだった。やれやれ…、受かっただけ儲け物か。ラッキー\(^0^)/。
2003年11月11日
今日も昨日に続き低温で、しかも冷たい雨!またもや寒さに震え上がる。こういう時は地下を使うに限る。仕事での移動ももっぱら地下鉄の利用で済ませる。ところが、今日行った某銀行などは地下からの出入口が少し分かりずらく、しばし右に行ったり、左に行ったり。こういう時は地下街は困る。

ましてや、大手町駅などはこれが同じ駅だとは思えないほど離れていて、歩かされる。久し振りだったから、これまた右往左往。さすがの歩くえきすぱーともいくらか自信喪失気味。

話を進めていたオフ会も昨日で参加を締め切ったら、6名の申込みをもらい計7名で開催と決まる。思いの他多かった。早速会場への正式予約とご案内の送信を終了し、とりあえず一段落がついた。ほー、(^-^)/~。
2003年11月12日
前にも書いたように、坂東玉三郎のファンサイトの掲示板が、今回の『お染の七役』であまりにも盛り上がり、また多くの若い新しい方(それも初歌舞伎が、このお染の千穐楽という人が2人も!)が書き込みに参加してきたので、この機会にいつものお仲間が気楽におしゃべりをできるオフ会を催したらどうか、と提案したら、思いの他反応があり、言いだしっぺ、裏方を勤める仕儀と相成った。恐らく皆さんが同じ思いだったようで、日程の関係等で参加人数はそれほど多くは無いが、反応は随分多かったように思う。

とりあえず、順調に準備を進め、昨日一連の準備と連絡を終えた。ところが、今日携帯にメールが入り、「締め切り後ですが、今からでも参加させていただけないでしょうか?」とあったのには驚いた。まったくに未知の方で、今までROMの方らしい。早速、変更の手続きを進めたが、玉三郎の人気、そしてネットの力、恐るべし!!
2003年11月13日
Jフォンがvodafoneに社名変更に伴って、携帯のアドレスが変更になるという連絡をもらっていたので、今日はメル友さん(って、こっちが勝手に思っているだけかな?)にテスト送信のメールを送ってみた。別にとくに問題がある訳でもなく、無事に着いたようで、早速到着のレスが来た。

しかし、よく考えてみると、1年前は携帯すら持っていなかったし、会社のメールも満足にうてなかったのだから、我ながら様変わりである。ちょうど1年前の今日もらったメールがきっかけで、頻繁にメール交換するようになり、今では仕事でも、プライヴェートでもメールは通信手段として欠かせないものになっている。携帯は3月に初めて持った初心者だが、メールは毎日使っている。

とくにメールの自動転送機能をフルに活用していて、職場でも自宅でもそれぞれに来たメールを読むことができるのは、便利この上ない。また携帯でもチェックでき、また読むことが出来るのは、外出ばかりの仕事には大変有難い。

10月からの仕事では、相手先にアポイントを取って行くことがとても大事だが、何しろ忙しい人が多いから、電話でアポを取ること自体がままならない。そういう時には、メールでお願いすることは、とても有効である。数年前には考えられないことだ。

今まで頑としてメールを触らなかった同僚が、今度の土曜の出勤の時に教えて欲しいと言って来た。やはり、メールの効用が馬鹿に出来ないことを痛感したらしい。
2003年11月14日
今朝は抜けるように晴れ上がった空が眩しいくらいだったが、かなり冷え込み、もう初冬を思わせた。しかし、その分空気も澄んで、気持ちが良い。こういう天気、気候なら外歩きもある意味では楽しい。

ここのところ、元の会社のOBや他社への出向者にお会いする機会もまた増えている。それもまた楽しいことの一つである。皆さんそれぞれの会社、部署で活躍されており、優秀な人材が多かったとあらためて痛感する。それと、外部へ出てみてはじめて分かるが、やはり労働条件や待遇は世間的にもいい部類に属していたと思う。そう考えると、少し狭い世界に安住し過ぎる気がするが、いかがなものだろうか?
2003年11月15日
今日は、と言っても1日更新をしなかったので、これは16日にまとめて書いているのだが…。

なぜ毎日書いている日条をサボったかといえば、Tokyo Disney Seaへ出かけたら、疲れ果ててしまったからである。遊びに行ったのに疲れたとは言語道断(?)だが、何しろ東京に住まいしながら、TDRはあれは若者向けのレジャー施設だと今まで頑なに行こうとしなかったのである。十数年前に会社の部の旅行でもわざわざリゾートホテルまで泊まりながら、園内には入らず帰ってきたほどである。後は押して知るべし。

そんな頑固者が何故節を曲げたかといえば、家の人が一日チケットをもらってあったのが長男が忙しくて行かないまま、そろそろ期限切れになるから代わりに行ってみたいと言いだしたからである。何しろここのところいろいろあって、ますます頭が上がらないから、家庭サービスで渋々行くことにした訳である。

一旦行くと決めたら、早速ガイドブックまで買ってきて家の人は張り切っている。今さらドタキャンはできず、朝早く起きてのこのこと出かけた。あらかじめネットで調べてあったから、その時間に間に合うように電車に乗ったら、あっという間に予定の9時前には舞浜に着いた。それから専用のモノレール(?)に乗って入口へ。この乗り物は未乗だったから、鉄道好きには嬉しいミニ乗車だった。

入場したら、ガイドブックにある通り人気のアトラクションの予約を取った後、マーメイドやアラビアンのワールドへ行ったりして楽しんだが、段々人込みが増えだし、レストランも並ぶ始末。しかも、天気が益々悪くなってきて、雨もパラパラ降り出し、寒くなってきた。それでも港を一杯に使ったショウはなかなか見応えがあって、大人でもとても楽しめた。また最後にやっと入場できたロストワールドもインディジョーンズの世界で、ジェットコースターのような乗り物もスリル満点だった。

ちょっとしたお土産を見て、帰りの電車に乗ったのが午後6時半頃。帰宅したらどっと疲れが出て早々と寝てしまった。やはり馴れないところへ行ったのが原因のようだ。だが、あれこれ理屈を言わなければ、大人でも十分愉しめる場所だということはよく分かった。後でガイドブックをよく見たら、半分も行けていなかった。さて、再挑戦はあるか?
2003年11月16日
昨日の疲れが激しかったのか、今日は遅くまで寝ていてもまだ眠いし、疲れが取れない気がした。やはり馴れないことはするものではない。これが歌舞伎の観劇なら、少しも疲れないのだが…。

そうは言ってもそうそう寝ていられず、起き出して家の片付けを少し手伝ってから、いつものウオーキング。約1時間の歩きの後、注文していたCDが入荷したとの連絡を受けていたのを思い出して、渋谷のCDショップへ。待望のC・クライバーのベートーヴェンの『田園』である。これは今年一番の話題盤であろう。早速帰宅して聴こうとしたら、雑用が入ってきてとりあえず1回のみ試聴。う〜ん、これは今までに聴いたことのない『田園』だ。とにかく早い。しかも強弱がある。音も悪くない。これは明日からまたじっくり聴き込もう。
2003年11月17日
今日もまた偶然の出会いが…。

渋谷から新宿に行く電車に乗って席に座ると、前に見た顔が。会社の1年先輩である。退職後まだ仕事が決まってはいないとのことだが、大変お元気そうであった。健康のためにまだ働くところを探しているよ、とは言っていたが、今の生活に十分満足されているようだった。羨ましい!早く自分も真似してそういう生活に入りたいとも思う。

今の上司が出先でもう1軒寄りますというのでのこのこと付いて行ったら、某商社を退職された方が個人的なネットワークを使って多方面に仕事をされている事務所だった。早速名刺交換した後、出向元の会社の話をついでに申し上げたら、「自分も仕事でよくお邪魔したよ。それからY君を知っていて、つい最近も会ったよ」とおっしゃる。その友人のところへはそろそろ行ってみようと思っていたから、思わぬところで名前が出たものだとビックリした。これはすぐ行かなくては。世の中は広いようで狭いとよく言うが、本当にこういう出会いが多いとその通りだと思う。外歩きはこれだから止められない。

しかし、自分ながらよくもだらだらと毎日日条を書いていると思うが、不思議とネタ切れを起こさない。まぁ他人様にとってはたいしたことは無いネタではあろうが。やはり習慣であろう。だから、最近はお仲間の日記の更新が気になる。別にハッパをかけたわけではないのですがね。
2003年11月18日
>あゆマニア殿

1公演3回とは、たしかに凄いです!脱帽物!!六条亭はとても真似出来ませんね〜。でも、今度開催するこちらの掲示板のオフ会のご参加者は、もっと何回も通う方もお出でになるから、その玉さまへの熱い思いとマニア振りをよく見習ってきます。

そのオフ会ももう間もなくとなってきた。ご参加者はいずれ劣らぬ玉さま狂の方々、きっと秘蔵の逸品などお持ちであろうから、当日の趣向としてできればそのようなグッズのご披露などお願いしてあるが、さてわが身を考えるとファン歴は約16年と長いものの、とくにグッズは集めていなかったから、持っているものはあまりない。悩んだ結果、いささか前の映像にすることにした。これなら、お持ちの方は少ないと思うが…。

トップページにも記したように、今日でちょうど開設満6ヵ月を迎えた。スタートした時は、どうなるか自分ながら海のものとも山のものとも分かず、ただ夢中で突っ走ってきた気もするが、思いもかけぬ多くの方々に支えられて、ここまで来た。ご愛顧いただいた皆さまにあらためて感謝の意を表するとともに、今後のなお一層のご支援をお願いする次第です。さぁ、次の目標は開設満1年!
2003年11月19日
50%と20%。この数字が新聞記事に踊っている。しかし、余程注意深い読者でないと、この数字の意味するところはなかなか理解し難いのではないか?

今度の年金法改正の厚生労働省の原案に出て来る数字で、50%は勤労者の退職前の収入に対する割合、20%は給与から控除される保険料の割合である。つまり、年金額は退職前の収入の約半分を目安に、今は凍結されている保険料は徐々に引き上げて給与の2割を上限とするという案である。今度の改正案はいいとこ取りで、高齢化社会の急進展で財政的に逼迫してきた年金制度を、一方は給付の一定割合を引き下げ、片や保険料は引き上げるが頭打ちを設けるという一種の妥協の産物である。これによって、これから受給がはじまる団塊の世代の給付を抑制するとともに、保険料のアップに怒る若年層に一定の配慮をしていることになっている。どうも総選挙の絵に描いた公約くさい。

しかし、この案はかなり玉虫色なるが故に、下手をすると共倒れ、つまり思っていたより給付は抑制できず、他方保険料は入ってこないとなって、財政的にもっと厳しくなる恐れが高いのではないか?しかもこの前提に国庫補助を現行に3分の1から2分の1に引き上げがある。これも今の国の財政事情から言って、本当に実現できるのかはすこぶる疑わしい。

いずれにせよ、年金制度の抜本的な改正案は、全ての年代にとって痛みを伴うことは事実。だがそれを避けていては、問題を後送りするだけではないだろうか?

とは総論的には言えても、受給直前の団塊の世代には、いつもながら悲哀を託つ案ではある。毎度毎度悪者扱いで、給付を引き下げられる一方である。小生を含めて、企業の発展・成長を最大の目標にし、身を粉にして勤労者の生活を長年続けてきた団塊の世代にとって、ふと考えると一体今までの会社生活は何であったろうか?と索漠とした思いにもなる。先日の新聞報道にもあったが、団塊の世代が定年により退場するだけで、企業全体で4兆円の利益が出るという。そんなに邪魔なのか団塊の世代は!嗚呼!
2003年11月20日
10月からは通勤経路が変わり、それまでとは違った私鉄にJRから乗り換えている。幸い急行の多くはそこが始発駅になっているから、少し並べば座れって通勤できるのは大変有難い。しかもこちらの私鉄の方が所要時間が少なくて済むからなおさら楽である。

ところが、そうそう結構ずくめでもない。やはり座るために並ぶ順番取りの競争が熾烈なのである。この競争はJRの乗り換え時からはじまる。はじめは何故こんな朝早くから皆走るのかと思うくらい、JRを降りるやいなや走ること走ること!だから、降りることさえ競争と言っていい。昨年の今頃、ここで乗り換え客にドアから押し出されて、転倒し軽傷を負ったことがある(「過去の日記」)。それも今考えると当然と言えるほど凄い勢いで降りる。そして脱兎の如くエスカレーターや階段に殺到して走る。改札を出て約50Mほどの直線は、短距離レースのよう。

だから最初はいささか恥ずかしくもあり、とても走れなかったが、今はここで出遅れたら良い電車に座れないことが分かったから、恥も外聞もなくただひたすら走る。お蔭でノロノロだったのが結構走れるようになった。仕事での歩きと朝のミニマラソン(?)、これは体調維持にはとてもいいようだ。しかし、よく考えると通勤・通学は大変なエネルギーが要るものだ。
2003年11月21日
今日は、今の出向先の会社の担当役員が同行して、企業回りをする日。もう2カ月近く経つのに、成果が上がらないから梃入れか?と思ったがそれは勘ぐり過ぎ。主に出向元を回ったが、とにかくご一緒に一生懸命あちらこちら回っていただいた。幸い、出向元の各部署も好意的に対応してもらったので、何とか面目が保てて、ほっと一息。

帰りがけのJRの改札口近くで、またもや仕事上の先輩というか大先生にお会いする。やはり会社の近くに来てしまうのだろうか?ともかくお元気そうで何より。しかし、最近本当によくいろいろな方々と再会する。

明日は『夢の女・玉三郎』掲示板のオフ会。ご参加の方々は、皆さん楽しみにされているようである。さて、どんな出会いが待っているか?
2003年11月22日
今日のオフ会は、全員で8名の出席となった。会場は、新宿の高層ビルの51階のレストラン。幸い予約の関係か、ほぼ個室の状態でゆっくりとお話ができた。多くの方が初対面だが、日頃掲示板で書き込みをしている方々だから、すぐ打ち解けて、飲み、食べつつ多彩な話で盛り上がったように思う。だから、時間の経つのもあっという間で、席を替えてお茶を飲みながらまた話がはずんだ。気が付いたら、開始からほぼ6時間経過していた!

オフ会ゆえに普段できないようなレアなお話やファン垂涎の秘蔵グッズのご披露もあり、玉三郎ファンの皆さまには、楽しんでいただけた1日であったかと思う。裏方としては、行き届かない点もあったと反省することも多いが、とりあえずはお役目を無事果たせて、肩の荷が下りた。
2003年11月23日
今日は、と言っても一日更新をしなかったので、昨日の話を遡って書いているが、十一月の顔見世大歌舞伎昼の部を観劇した(観劇記は、大いなる小屋に)。歌舞伎の世界にとって、形式的にはなったにせよ顔見世興行はやはり特別で、座組みも良く意欲的な狂言が取り上げられる。

歌舞伎座に行ってみれば分かるが、今月は劇場正面に櫓が上がっている。江戸時代に芝居小屋の興行権の象徴であった櫓は、やはり歌舞伎にとってもっとも相応しい道具の一つだ。これを見ると、顔見世という雰囲気を味わうことが出来る。

今月は、国立劇場の公演が『天紛上野初花』の通し狂言なのだが、どうも座組みに魅力が乏しい。国立の公演は、演目は意欲的なのだが、松竹から役者を借りてくるためか、時々こういう風に役者の層が薄いことが起こる。だから、どうも歌舞伎の味が淡白なのである。

そこで、今月はいつもの主張の反して(?)、見取り狂言を三つ並べた歌舞伎座を選んだ訳である。『石切梶原』『船弁慶』『お土砂』がその演目。しかも、『船弁慶』は中村富十郎の一世一代のもの。長老の一人で、踊りもうまい富十郎に一番の期待があったが、18日から体調不良で休演したという。これは、代役の菊五郎を観るしかないと思っていたら、22日から昼の部のみ復帰したという。もう高齢だから、そんなに無理をせずとも…、とも思うが、諦めていたから、その舞台を目にすることが出来るだけで観る方は有難いことだ。

能から取ったいわゆる松羽目物だから、前半は能を思わせる荘重な舞いが中心。動きが少ないので、富十郎の負担は少なかったであろうが、後半は平知盛の霊で義経主従と船上での様式的な立ち回りになると、やはりいつもの精彩が無いように見受けられた。ただ、そこは藝の力、それを補ってあまりある品格ある演技だったように思う。

まだまだ元気に活躍して欲しい役者、是非お体を大事にして早くいつもの元気な姿を見せてもらいたいものである。

しかし、今月はもう一人市川猿之助が福岡の博多座の公演中に、脳梗塞で入院、休演した。幸い症状は軽いようだが、大事をとって十二月の京都南座の顔見世も出演を取り止めるという。歌舞伎役者も殆ど休みの無い過酷な仕事。ゆっくり休養して、一日も早い回復を祈る。
2003年11月24日
三連休の最終日、この二日間を用事と言っても遊びだが、出かけてばかりだったので、今日は運動を兼ねたいつものウオーキング、と思って外へ出たら異常に寒い。ブルっと来て、慌てて家に取って返し、厚手のジャンパーを着る羽目に…。でもお蔭で寒さを感ぜず、距離をこなしてから、商店街に買物へ出る。

愛用していた仕事用のバッグがとうとう寿命で壊れてしまい、先日来目ぼしいものを探していたのだが、懐具合もあってやっと今日価格も手頃で、気に入ったものを購入できた。早速、家に戻って中身の入れ換え。まぁよく入っていると思うくらい、前のバッグにはいろいろなものが詰め込まれていた。どうも貧乏性だから、常に手許に使うものを持っていないと落ち着かないほうだ。今度は前ほどたくさん入らないから、何とか不要なものを処分をして、どうやら収まった。カジュアルのバッグも先日買ったから、これでバッグは一新!気分良く仕事も出来そうだ。
2003年11月25日
雨の天気は分かっていたが、あれほどヒドイ雨になるとは予想外だった。風も強く、ちょっと歩いただけで、すぐびっしょり濡れてしまう。こういう日は外回りは堪らないね、と今日もご一緒した役員さんとお互いに嘆いたものだ。

帰社後もらったメールの返信をしようとしたら、サーバーが不調で修復に時間がかかるという。どうもサーバーの容量が少なく、予想以上に負荷がかかってしまったのが原因のようだ。とすると、こちらが設定したメール転送もその一つの原因か?そんなことはないはずとは思いながらもいささか気になった。

それにしてもPCが使えないとは、困ったものだ。それだけ頼っているのが現状だが、それを抜きにしては出来ないのも事実。もう後戻りは出来ないくらいしっかり根付いている。
2003年11月26日
また1日書くのをサボったので、遡って書いている訳だが、この日は仲のよい会社の同期の1カ月1回程度の恒例の飲み会だった。今の出向先は、殆ど酒を飲む機会が無い(某社とはエライ違い!)ので、久し振りの飲み会のような気がした。

この年齢になると、とくに同年代の人と飲む酒はうまいと思う。恐らく気が休まる酒だからであろう。だから、いつも結構飲んでしまうが、気持ちよく酔い、しかし後に残らない良い酒である。本当に人と人とのつながりは大事だとしみじみ思う。

先日のオフ会は、参加された方々の仲間意識というか、好む対象を同じくする人々の連帯感が急速に強まったようで、早くも今回できたネットワークを通じていろいろな連絡が飛び交うようになってきた。しかも皆さんはとても楽しそう。これはオフ会を開催してよかった、と思う。これも人のつながりの大事さであろう。
2003年11月27日
今日高校の同期会のHPが開設されたとのメールが飛び込んできた。前から話は聞いていたので、ついにやった!と万歳三唱ものであった。

早速覗いてみると、開設担当者のご苦労がよく分かる出来栄え。しかも懐かしい写真も多く、40年前に戻ったような気分を味わった。しかし、こういう写真をちゃんと持っていた人がいたとただただ感心する。自分の整理・保存の悪さをあらためて痛感した。

しかし、そこに写っている自分は、たまたま去年の同期会時の写真もあり、比べると自分ながら同じ人間かと思うような変貌振りである。これでも昔は少しは……(以下、略)。

またネットを見る楽しみが増えたというものである。
2003年11月28日
外歩きは殆ど都内だから、多くはJRと私鉄、それも地下鉄が多い。切符の購入が一番面倒だから、最近はsuicaとパスネットを常用している。前には回数券があって、割引もあり重宝したが、乗客に有利なものはすべて廃止されてしまったようである。一番愛用したのがJRの山手線内回数券で、11枚綴りの1600円で、190円区間も乗れて最大490円もお得だったが、やっぱり早々と無くなってしまった。

今のsuicaもパスネットもちっとも割引は無いが、やはりいちいち切符を買わなくて済むから、便利である。だが、パスネットは落とし穴がある、というか自分が阿保なのかもしれないが、定期券と一緒にパス入れに入れている(これは乗り越し精算をしなくて済ませられる2枚投入用の機械に備えてだが)から、ちょっと気をつけないと定期券を入れるのか、パスネットを入れるのか迷うことがある。でもそれくらいならまだ問題は無いが、定期券を入れて済むところを、パスネットを入れたら…、そんな馬鹿なことをと思われるだろうが、考え事などしていると、すぐやってしまう!もう何回やったことか!入れる場所を考え直さないと。
2003年11月29日
土曜日だが、今日は出勤日。月3回の指定休日にも大分慣れたが、今月のように5回も土曜日があると、何か損をした気分。しかし、法人相手の営業をしていると、土曜日は外回りの仕事があるはずも無く、もっぱら事務所で執務に専念。といって、新入社員にそうそう仕事も多くはないから、勢い手持ち無沙汰になり、ついつい私用メールを…(^^ゞ。

一昨日家人が郵便局のクイズ?かなにかで、フルーツが当たって品物が着いてみたら、2箱ものりんごが来たという。とても1軒では食べきれない分量だから、親戚におすそ分けするという。結局実家の老母のところへは、当方が今日運んだが、結構大きいりんごだから、数があると重いこと重いこと!雨のなか、重い荷物を運ぶのに難渋した。

しかし、どうも自分に比べると家人はよく抽選に当たる。本人はそれだけはがきを出しているから、と言うがどうもそれだけとは思えないほどよく当たる。かすりもしない自分とは大違い。今度ジャンボ宝くじが出るから、挑戦してみたら、と言ったら、満更でもないようだった。たくさん買ってど〜んと当ててくれないかな〜(^O^)/。
2003年11月30日
日曜日だが、早起きして大雨の中町田駅の集合場所へ向かう。今日は町田市の歴史に関する市民大学を卒業したOBで組織する「まちだ史考会」の歴史散歩バスハイクの日である。晩秋の駿河路の歴史と文化を尋ねる旅。

大雨の降りしきる中、集合時間ちょうどに着いたら、もうほぼ全員の参加者が集まっていた。皆さんとても熱心である。しかし、この大雨だから、今日の予定は全部回れないかもしれない、という声が聞こえる。まぁ、しょうがないなと思っていたら、出発して1時間くらい走ってSAで一旦休憩を取った時には、雨も殆ど止み、しかも何と富士山がはっきり見えるではないか!バス1台の貸切なので、バスガイドさんが付いたのだが、最近には珍しい(失礼!)若い可愛らしいガイドさん\(^o^)/。この彼女が興奮するのだから、よほど稀なことなのだろう。あの大雨だから、たしかに信じられない光景である。

東名高速を降りると、すぐ登呂遺跡がある。弥生時代後期、西暦2〜3世紀の農業の集落の姿を伝える貴重な遺跡。我々の小学校時代の歴史の教科書ではお馴染みの遺跡である。ただ、今まで見学する機会が無かったので、今日一番の楽しみの見学地であった。学芸員の方の簡潔な説明を聞いた後、復元住居や高倉倉庫を見て回る。住居は、随分しっかりしたもので、床がじかであることを除けば、こんな農家は昔の日本には何処にでもあったようにも見受けられた。これだけスケールが大きい遺跡を見たのは初めてである。

しかも、ここでつい最近木製の琴が出土したという。三つ目だそうだ。全国でも珍しいようだ。当時のムラは、支配者は政治的なリーダーと、祭祀を司る巫女の両方の存在が見られたようで、考えてみたら卑弥呼も同時代である。その権威付けに音が一つの重要なものであったが、銅鐸が有名にもかかわらず、琴が格の高い地位を占めていたらしいことははじめて聞いた。現在のものから見れば、とても同じものとは思えないほど小さいが、膝のうえで弾いたと考えれば、なるほどと思う。形状はやはり琴そのものだ。

駿府城址公園を見てから、日本平に向かう。ここのレストランで用意された昼食を取った後、休憩中に早速お土産を買う。ここの展望台からの眺めもなかなかの見もの。次にロープウェイに約5分乗って、久能山東照宮に渡る。いうまでも無く、徳川家康を祀る神社である。ここでも係りの学芸員の方の懇切丁寧な説明で、歴史の面白さをいろいろと満喫できたが、ここの造営中に日光東照宮が出来たのに、何故そのまま久能山も造営を続け現在まで続いているか、今一つ判然としなかった。どうも日光には家康のお骨は運ばれていないようで、形の上でその魂だけが動座したのではないか?と感じた。

最後の見学地は、名勝三保の松原、能の羽衣伝説で有名なところである。残念ながらここから絶景と言われる富士山は望めなかったが、さすが名高い景勝地、雰囲気は十分で、天女も現われそうな場所である。

帰りは、清水港のお土産もののセンターのようなところへバスが寄ったので、新鮮な魚介類に目を奪われ、ついついまたお土産を買ってしまった!東名高速に入ってもいつもの渋滞は無く、比較的スムーズに走って、ほぼ定刻に出発地の町田駅に戻ってきた。途中バスの中で、今日の感想や説明の補足などあったが、レベルの高い話が多いのには驚いた。皆さんよく勉強しているな、と関心しきり。自分もあのような歴史の知識を蓄えるのが夢の一つである。やはり定年後か?いずれにしても久し振りの歴史散歩、存分に楽しんだ。お世話役の方々にお礼を言いつつ帰路に着いた。


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