徒然なる日条(平成15年12月〜平成16年1
月分)

2003年12月01日
いよいよ師走に突入。今年も残すところ、後1カ月。毎年思うが、年齢のせいか本当に1年の経つのが早い気がしてきた。

今日は今の会社の1月に1度の全体朝礼があったが、営業成績があまり芳しくないようで、担当役員さんから叱咤激励が飛んでいた。我々出向者もそろそろお客さんという訳にも行かなくなってきたようだ。

しかし、そうは言っても一からやっている仕事、簡単に成果が出るものでもない。地道にこつこつやれば、いつか結果が出るであろうことを信じて動くしかない。

それにしても、毎度の事ながら、雨の降る日は困ったものだ。ついつい億劫になって、活動が鈍りがちになる。11月は例年に無く雨が多かったようだが、月が替わっても同じなのだろうか?しかし、外歩きは悪いことばかりでもない。移動にはどうしても空き時間が出るから、勢いお茶を飲んだり、書店に入って立ち読みしたり、で時間調整をすることになる。今日も何気なく書店で雑誌を見ていたら、12月分の番組が載った月刊のテレビガイド誌に目が行った。もう出たのかと年末の特集番組を中心に見ていったら、10月の舞台に熱中した坂東玉三郎主演の『お染の七役』が早くもテレビで放送予定に載っている!(12月28日(日)NHK教育テレビ芸術劇場で放送予定)どうも全編の放送のようである。

早速いつもの掲示板に情報連絡を書き込んで、この前のオフ会出席メンバーにも同報送信した。まだ皆さまはご存知無かったようで、一様にびっくりしながらも喜んでもらえたようだ。考えたら、このような早い時期に放送することは滅多に無いから、ファンにとってはあの舞台をまたテレビでじっくり味わえることは、無上の喜びであろう。それにしても、NHKもこれぞと思う舞台を放送しないのに、これはまたどういう風の吹き回しかとも思うが、まぁ贅沢は言うまい、あの舞台をまた観ることが出来るのだから…。
2003年12月02日
今まで時々書いているように、隠れた趣味に鉄道愛好がある。この愛好家には、いろいろな型があって、旧国鉄や現在のJRを主に追いかける人、外国鉄道を好む人、また時刻表を得意にする人、全線乗り潰しをする人、車両を愛好する人、など実に様々である。自分はどのタイプかというと、どちらかと言えば、私鉄とその路線を乗り潰す方を好む。別にJRを嫌いではないのだが、私鉄の方が、距離は短いが非常にバラエティに富んでいて、好ましいのである。幼児から私鉄沿線に住み、親しみがあったこともあるかもしれない。とくに今は無い玉電という路面電車に乗って、常に運転席の横にかぶりついて、自分も運転している気分を味わっていたことも大きいだろう。

そんな私鉄愛好家に絶好の本が出ているのに気が付いた。

和久田康雄『私鉄史探訪60年』(マイロネBOOKS JTB)である。鉄道と旅をテーマにしたよみものシリーズの1巻目であるが、昨年出版された時に、見落としていたらしい。著者は、運輸省出身の鉄道愛好家として夙に著名な人で、過去に何冊かの啓蒙書を読んだ記憶がある。

この本は、まさに私鉄を愛して60年の著者の薀蓄が傾けられていて、どのページを繰っても魅力満載である。各社の社史を中心とした第1章の「私鉄史のスポット」は、統合・合併を繰り返して形成された大手私鉄の歴史が綴られ、第2章「ターミナルの移り変わり」では、また異なった側面からの私鉄の発展が語られる。この二つの章を読めば、私鉄の歴史を通じた一つの現代史を味わえる。また第3章「思い出の名車」では、各社の歴史的な名車が貴重な写真とともに取り上げられている。この章に限らず、この本の写真はすべて著者自ら撮影したものという。本当に珍しいものも多い。

なかなか暇と金がないから鉄道旅行に行けずに溜まっているストレスをこの本は、解消してくれる。当分手許において繰り返し読むことになりそうである。
2003年12月03日
今の出向先の事務所は、南青山の骨董通りというところにあり、有名ブランドやアパレルの有名店が軒を連ねるなかにぽつんと事務所を構えている印象がある。まるでオフィスに相応しくない環境である。ただ、このようになってきたのは、ここ数年のことらしく裏通りまで店が犇めくさまは、日本ではない感じがする時がある。どうも年寄りには歩きにくい。

ただ、そういう町だから、有名人とくに芸能人がよく訪れるようだ。ようだ、というのは、来て二カ月強だが、まだ誰にも遭遇したことがないからである。一緒に来た同僚は既に何人か見たという。どうもそういうことには、縁の無い人間だと思っていたら、今日図らずも駅の改札である人にすれ違った。やはり最初はあれ?、見たことがある人だな?くらいだったが、通り過ぎてから気が付いた。壇ふみだったV(^-^)V。意外と顔も小さく、また地味な印象だった。でもここで会ったはじめての芸能人。これから、いろいろ会いそうだな、って結構ルンルン気分のミーハー!
2003年12月04日
遅まきながら、地上波のデジタル化の話だが、いよいよ12月1日から始まったのは周知の通り。当分はごく少数の人しか見られないが、順次エリアは拡大されてゆき、8年後には今のアナログのテレビは使えなくなる訳である。それでなくとも、テレビ自体の大型化とプラズマテレビ・液晶テレビの爆発的な売れ行きで、従来のブラウン管のテレビは取って代わられようとしている。急速なデジタル化の進展である。デジタル家電を巡る動きは企業の業績を大きく左右するまでになっているようだ。数年前に買った大型テレビも過去の遺物になりそうである。

当方の関心から行けば、DVDの動向が一番気になる。ここのところの大型テレビの売れ行きに比例して、DVDレコーダーも同じように売れに売れているらしい。新型も殆どが大容量のHDDを備えてて来ている。ビデオテープからDVDへの時代に変わりつつあることは、間違いない。何しろ、映像も音も格段にDVDの方が上である。しかも、HDDに簡単に長時間録画可能。これでは、勝負の結果は明らかというものである。

ソフトの低価格化も進んでいる。数年前に結構高価で購入していたLDのソフトが、CDと同じ位の値段で、しかも勿論映像付きのデジタルの音で手に入るのだから、嫌になる。でも、やっぱり因果なことに、お気に入りの演奏は、DVDを買ってしまうのだが……(^o^)。
2003年12月05日
もう年なんだから早くコートを着たら、と家人に言われながら、着なかったコートをついに今日の寒さに着ることに…。やっぱり、痩せ我慢だったのか、着た方がずっと暖かい。こうなるともう離せない。

町はすっかりクリスマスの飾りで一色。ショウウィンドーには、ツリーが華やかに飾られているところも多い。クリスマスそのものには、まったく縁が無いが、何となく慌ただしくなってきた。道行く人も心なしかいつもより急ぎ足に見える。このまま、忘年会などで過ごすうちに、すぐ大晦日になってしまうのか?最近は飲む機会も少ないが、さすがにシーズン、来週あたりから予定が入りだした。飲み過ぎないようにしないと。
2003年12月06日
ここのところいろいろ予定があったりして、休みというと出かけていたから、今週末は久し振りに完全な2日間の休み。溜まった雑用を片付けて、もう2度も督促が来ていたので、図書館に借りていた本を返しに行く。今回の大幅なシステム変更で、利便性が向上した反面、一旦借りた本の期限延長は最大4週間に決められたようだ。たしかに同一人が長いこと1冊の本を長く借りておくのもまずかろう。まぁ、借りっ放ししてても、まだ読んでいない方が悪いのだから。

それにしても、最近は、どうもパソにうつつを抜かしているためか、はたまた怠惰になったのか、読書速度が著しく落ちている。借りた本もまともに読み上げていない。少し活を入れねば……。

そう言っているそばから、家に帰れば廉価になって再発売されたクラシックのDVDを数枚鑑賞!やっぱり、映像はいいな〜!
2003年12月07日
昨日図書館から借りたものを全て返したつもりが、何をボーッとしていたのか、CDを持って行くのを忘れていた。そこで再び行く羽目に…。しかし、今日は抜けるような青空、また冬にしては暖かい。早速いつものウオーキングを兼ねて、隣駅まで歩く。途中、車が猛烈に白い煙をもうもうと上げている。時々バンバンと小さな爆発音らしき音が。どうもエンジンがイカレタようだったが、車には詳しくないのでよく分からなかった。そこを立ち去った後に、消防車や救急車が来たようだが、怪我人でも出たか。

図書館に着いて、新規の貸し出し本やCDを見付けて手続き後、新しいシステムにレベルアップした予約を試してみる。なかなか速度も早くなっていて快適だし、自分で自由に予約できるのがいい。これで、インターネット経由で検索・予約が出来るようになれば、言うことは無い。来春には実現見込みだそうだ。

帰りがけに、学生風の男性に声を掛けられる。何かと思ったら、美大の写真専攻の学生だが、写真を撮らせて欲しい、という。こんな老人を撮ったって、と言ったら、町の風景とあわせて撮っているので是非に、と言われ承諾したが、いろいろな角度からかなりの接写だったから、どんなものになっているのか?きっと役に立たない写真になっているんじゃないかと思う。いい機会だから、最近関心があるデジカメについて教えてもらった。さすが専門、詳しかったからかなり参考になった。今日は行きも帰りも変わったことがあった日だった。
2003年12月08日
山本周五郎の生誕100周年の記念ドラマを見た。TBSの『初蕾』である。最近は、家人にチャンネル権を握られているし、ドラマといえば2時間ドラマのサスペンスものばかりだから、こちらの好みに合うようなものが全くといっていいほどない。僅かに先日の『蝉しぐれ』などは、全部は見ることは出来なかったが、藤沢周平の原作の味を十二分に出した優れた作品であった。

今回は、原作が山本周五郎だから、見る前からある程度の水準は期待できたが、実際に出来上がったものは期待をはるかに上回るものであった。何よりも作りが丁寧であるし、出演者が芸達者ばかりで見応えがあった。主演の宮沢りえは、DVDで見た『たそがれ清兵衛』の時の好調さをそのまま維持しており、今回も薄幸の娘が恋人の子供を生んだ後、捨て子を恋人の親に拾ってもらい、偽って乳母として実の子の面倒を見ながら、女として母として成長して行くさまを鮮やかに演じていたと思う。加えて、恋人の両親役の宇津井健、若尾文子が、まったく飾り気無く、どこか飄々とした演技で、唸らせられた。池内淳子、泉ピン子もしっかりと脇を固めていた。こういう大人の嗜好に耐えられるドラマをもっとどんどん見たいものだが、先日の視聴率操作問題ではないが、目の前の数字に追われているテレビ業界には、あまり期待してはいけないのかもしれない。
2003年12月09日
12月ともなると、朝まだ日が昇っていないうちに起きるようになる。だから、1日が晴天なのか、曇りなのかよく分からない。だが、晴天の時は朝焼けが見られることが多くなった。それだけ空気が澄んでいるためなのか。ここ数日冬特有の抜けるような晴れの天気が続いているので、朝焼けも美しい。そして、続いて赤々と朝日が昇ってくるのを見ることができるのは、何か非常に清々しい気がして、1日の初めをとても爽やかな気持ちでスタートすることが出来る。

こういう日は、昼間外を歩いていても暑からず寒からず、かえって外を歩いている方が気持ちがいい。だから、時間の許す限り、歩くことに精を出すようにしている。東京の街は、意外にに坂が多いところである。そこを歩くだけでいい運動になる。しかもなかなか由緒ある名前も多く楽しい。今日も皇居周辺を九段坂から麹町方面へと歩いたが、袖摺坂、御厩坂など風情ある名前の坂ばかり。仕事をしながら、運動と歴史散歩をしているなんて、ちょっと贅沢な感じを味わう。

だが、夕刻は風も強くなり木枯らしが吹いた。これには震え上がる。
2003年12月10日
飲む機会が少ないといえども、さすがに12月の忘年会シーズン、今週から飲み会が多くなる。今日は、某社の入社同期の忘年会。本来は毎年3月に開催することになっているのだが、要望が多いようで、東京周辺の同期に声をかけて急遽同期会の忘年会となったようだ。

希望退職で某社に残っている人も数少なくなり、また年齢的に同期と飲むのが一番気が置けないからだろうと思うが、20数人も集まった!やはり同期だと久し振りに会っても、まったくそんな気にならず、親しく杯を酌み交わすことが出来るのは、嬉しいことだ。お蔭で、強くない酒をいささか飲み過ぎ。再就職が決まって、新しい職場で元気に働いている同期も多く、安心する。

定期的に飲み会をやろうという声も多く、まったく自由参加で1カ月に1回定期的に会を催すことになった。楽しみなことである。
2003年12月11日
引き続き忘年会。元々酒は強くないのに、根が好きなのか誘われると喜んで行ってしまう。今日は、出向先の方々との飲み会。行った店は、本来行きたかった店とは違ったが、なかなか肉の美味しいところだった。

ところが、幹事の方によく話を聞いてみると、その行こうとした店は、当方が数年前まで若い人たちとよく行っていた美味しいちゃんこの店であることが分かり、驚いた。通っていた期間もほぼダブっていて、もしかしたら店でニアミスしていた可能性が高いですね、と笑い合った。本当に世の中は狭いものである。忘年会時期は予約が取り難いので、年が明けたら新年会でもその店でやりましょう、という話になった。
2003年12月12日
今年はどうも雨が多いようで、11月も例年を上回る降雨量であったらしい。月が替わってもやはり同じで折角の晴天も長続きしない。昨日からの雨が今日も止むとの予想とは異なって、降ったり止んだりのすっきりしない天気、しかも寒い!そんななか今日は、はじめての不動産の物件調査。同行していただいた役員さんにいろいろ教えてもらいながら、なるほどそういう見方をするのだと感心することばかりで、今までの不明を恥じるばかりである。しかし、幸い歩くことだけは馴れているから、精力的に見て歩いて、予定時間より早く無事終了。

夕方帰社したら、事務所内のレイアウト変更があり、机の移動やらでごった返している真っ最中。役員さん自ら移動を指揮しているのを見てびっくり!出向元では考えられないことだ。やや船頭が多すぎて円滑に作業が進まなかったきらいがあるが、どうやら片付いたらもう午後8時近く。

帰りがけに書店に寄ったら、案の定15日発売予定の塩野七生『迷走する帝国』(ローマ人の物語第]U巻)が既に店頭に並んでいた。1991年から毎年1巻ずつ発売されて、全15巻で2006年に完結する予定のこのシリーズ、既に]U巻目に達しいよいよ衰亡するローマ帝国の核心を描く。毎年12月の楽しみの一つである。早速購入。さて冬休みまでもつか?
2003年12月13日
今日は、昨年大晦日に急逝した伯母の一周忌の法要。本当に突然の死であったから、周囲の衝撃も大きく、老母などもこのまま寝込んでしまうのではないかと心配したほどであった。まだその傷が完全に癒えたとはいえないが、幸い今日は元気に出かけた。車中から晴れ上がった青空の彼方に富士山をくっきりと臨むことができた。よほど大気が澄んでいたのであろう、東京近郊でも珍しいくらい美しく見ることができた富士のお山であった。

法要後は、お清めの食事会。7人の良い孫に恵まれて幸せな人生を送った伯母であったと思うが、こういう賑やかなことが大好きな人であったから、さぞ一緒に出たかったであろう。とくに今日は一人は曾孫連れ、もう一人は奥さん連れと、またファミリーが増えていた。こういう時しかなかなか会えないが、孫たちの元気な明るい笑い声にはやはり若いことは素晴らしいことだとしみじみ思った。
2003年12月14日
昨日の法事で昼間から飲み過ぎたのか、朝起きるのがいささか辛くて蒲団から出ないで惰眠を貪っていたら、どうも家人のご機嫌が悪い。自分も昨日は出かけていて疲れたのだろうが、こういう時は家事の手伝いをしないとまずそうなので、午前中は神妙に家事をこなす。

午後やっと解放されて、気持ちよい晴天のもとでウォーキング。いつものコースを歩いて、例によって図書館から市内散策へ。ウィンドーショッピングの後、家電量販店ではがきソフトを購入する。パソを買ってはじめて作る年賀状、さてどんなものを作ろうかと考えるだけでも楽しい。毎年億劫な年賀状の作成も、これで少しは遊びながら作れるというものだ。今年はネット上の友人もできたので、ネットを使った年賀状も作成してみよう。

夜、イラクのフセイン元大統領が拘束されたとのニュースが飛び込んできた。アメリカの占領後も反米ゲリラの跳梁に悩まされているイラク。先日の日本人外交官に対するテロのような悲劇はもう繰り返して欲しくない。これで、少しは反米活動が止むのであろうか?
2003年12月15日
前にも書いたが、外歩きをしていると、意外と時間が空いてしまうことがある。とくにアポイントを入れるとなると、移動の時間を考えて比較的余裕を見て取るので、予定より早く終わってしまうと、ぽっかりと時間が空いてしまうことがしばしばだ。そうそうお茶ばかり飲んではいられないので、こういう時は近いところなら歩いて移動するか、相手先の近くまで行って書店で時間を潰すことが多い。書店では、大体面白そうな雑誌や新刊本を物色して済ます。ところが、新刊本を扱う書店なら皆大同小異であるが、古書店となると話が変わってくる。やはり特色を持った店も多く、そういう店だとついついあれこれ見てしまう。

今日も行きつけの神保町の書店を覗いたら、最近関心を持っている著者の絶版本の在庫を見付けた。図書館でも滅多にお目にかからない書籍だ。これはと思いつい手を出したしまったが、購入して帰リがけに何気なくもう一度書棚をよく見ると、見かけない本が…。今まで知らなかった坂東玉三郎のかなり前のインタビュー本である。珍しい写真も多い。しかもサイン入り。以前の所有者の保存が良かったのか、造本も綺麗である。これは今買わなければ、後悔すると思い、これまた購入へ。でも、後で、懐の寂しくなったのを大いに後悔する羽目に……。
2003年12月16日
遅まきながら、先日のNHK教育テレビで放送された『ピアニストの競演−ヴェルビエ音楽祭から10周年記念公演』を視聴した。いやはや、凄いとしか言いようない内容だった。まずとにかく出演者がきらびやか!今をときめくアルゲリッチ、キーシン、プレトニョフ、アックス、ランランなどに加えて、メットの音楽監督のレバインも加わって、まさに世界的ピアニストの競演で、けだし壮観である。彼らが連弾や、2台で繰り広げる音楽は爽快かつ愉悦感溢れるもので、聞き手の耳を楽しませるのに十分以上である。

さらにお祝いに掛け付けた弦楽器奏者の顔ぶれがまた凄まじい。よくぞこれだけ集まったと思うようなメンバーばかりである。クレーメル、レーピン、サラチャン、今井信子などあげたらきりがない。これらのメンバーをバックに、バッハの4台のピアノのための協奏曲は、まずお目にかかることが出来ない豪華版の演奏。勿論、内容も十分である。

最後の8台のピアノによる演奏は、はじめて聴いた。あまりの凄さに声も出なかった。ピアノ演奏のダイナミズムを堪能した素晴しい放送であった。これは、是非DVDで出して欲しいが。
2003年12月17日
年金の改正問題で、与党の原案が決着したようだ。案の定というか、やはりというか、最初の原案はどこかに置き忘れられて、給付水準の50%の確保と、保険料の18%を巡る攻防で、数字の辻褄合わせで終わってしまった。どうも与党内の自民党と公明党の主導権争いもあったようである。そしてお決まりの選挙対策。

数字の根拠となる出生率や運用利回りを考えると、とてもこの案で改正が長続きする見込みは無いであろう。結局、問題を先送りしただけであって、早晩早い時期にまた改正せざるをえない。
2003年12月18日
昨日の年金問題に続き、今日は来年の税制改正の案が固まったとの新聞報道があった。毎年のこととはいえ、税制もころころと変わる。何か思想がはっきりしていないようだ。これも所詮取れるところから取り、選挙対策上まずそうなものは据え置くか、減税しているとしか思えない。

今回も、老年者控除の廃止と公的年金等控除の縮小は、高齢者所帯への影響が大きい。年金問題といい、税制といい、どうも高齢者には益々住み難くなるようだ。
2003年12月19日
さすがに十二月、忘年会が続くが、今日はぽっかりと空いたので、年内は行けないかもしれないと思い、カレンダーなど渡すものを持って、実家の母のところへ行った。今は、通勤経路の途中下車で済むから、帰宅途中に気軽に寄ることが出来る。

不意に行くので、食べるものが無いといけないと思い、途中買物をして行った。家に入って、座るか座らないうちに、ただいま〜、と寄宿している姪が帰ってきた。「あれ〜、後ろから来たんだ」と言うと、「叔父さん、私を追い越したでしょう?」と言う。え〜、とよく考えたら、角を曲がる前の橋のところで、携帯をいじってゆっくり歩いていた女性をたしかに抜いた。いくら暗かったとはいえ、姪に気が付かなかったなんて…(>_<)。

家でよく見れば、まだあどけなさが残る姪だが、外へ出れば一人前の大人の女性、どうもその落差に惑わされたらしい。後で母と話している中で、まだ姪が生まれる前の話が出たが、つい十年前のような気がしたことが、二十年以上も前のことだったことが判明。そりゃ、こちらも年を取って、姪も成人する訳だ、と変なところで納得してしまった。
2003年12月20日
今日は、と言っても後で書くように珍しくダウンしてしまったので、遡って書いている訳だが、土曜日の出勤。もう大分馴れたが、やはり仕事が無くて、時間を持て余す。そこで、ついついネットを見ることになるが、関西・中部から北陸地方に大雪との報道。これは大変とメル友さんにメールしたら、夜のうちにドカンと降った由。「でも馴れているから通学も車だったので大丈夫ですよ」との返信に一安心。たしかに東京も随分冷え込んでいる。

夜は出向先のごく親しい仲間との忘年会。焼き鳥も焼酎も美味しく、ついつい調子に乗って飲み過ごしてしまう。気が付いたら終電直前で、家に着いたら久し振りの御前様。当然、家人は夢の中…。
2003年12月21日
前夜の気持ちよい酒にもかかわらず、朝はどうも目覚めが悪いうえに、どうも体が重い。起きると頭もボーっとする。こりゃ、二日酔いかと思って、そのまま寝たら、もう起きられない。結局、どうも昨晩の冷たいか風に酔った体が冷えて、久し振りの風邪っぴきのようで…。歳をも省みず、飲み過ぎたのが祟ったようだ。やはり、歳には勝てない、ということである。家人のご機嫌の悪いこと、悪いこと。
2003年12月22日
風邪もまだ十分に回復していないが、お仕事、お仕事、という訳でいつもどうり朝早くから出勤。宮仕えの辛いところである。どうも1日寝ていたら、腰まで痛くなってきた。やっぱり年齢を実感!しかし、明日は休みだから、と何とかこなして帰るがどっと疲れが出る。ふ〜。だんだん鼻がつまってきて、鼻水も出る。こりゃ、いよいよ本格的な風邪か?明日の休みも大人しく休養しなくては。あっ、でも年賀状にまったく手を着けていない。折角ソフトを買ったのに…。
2003年12月23日
風邪の回復も今一つだが、寝てばかりいてもかえって治りが悪いと思い、暖かかったので、昼過ぎからはいつものウオーキング。往復1時間の軽い運動で、いくらか体も軽くなったようだ。

そこで、夜は手付けていなかった年賀状に取り掛かる。と言っても、ソフトを購入したばかりだし、住所録も未作成だから、やることが多すぎてなかなか進まない。やっと気に入った文面ができたと思ったら、今度は宛名面がうまく行かない。いろいろいじっているうちに、いくらか分かってきて直したが、そんなことはマニュアルにも書いていない!一番おすすめのソフトを選んだはずなのに…。いらいらいら。結局何とか格好はついたが、問題の住所録は、データベース(と言えるほどの数ではないが)で作ったものがこれまたうまく変換されない。いい加減時間切れで、強制終了したが、夜中に蒲団に入ってから考えたら、な〜んだという初歩的ミスを犯していた。そんなこんなであれこれ考えているうちに、いつのまにか夜明けが…。

明日からまた飲み会が続くから、このペースでは一体何時になったらできるものやら、はて間に合うのか?
2003年12月24日
少し更新をサボっていたが、とくに風邪で具合が悪かった訳ではなく、ただ単に天皇誕生日の休み明けと仕事納め、それに最後の忘年会行事が重なって忙しかっただけに過ぎない。さすがに師走である。だから、これは遡ってまとめて書いている。

今日は、かねてからの案件について、相手先の実際の担当者にやっと面談できるまでこぎ着けたのだが、開口一番「この話は極秘事項なのに何処から聞きつけたのか?情報源を教えて欲しい」と言われてしまった。当然そんなことは言える訳はないから、適当にお茶を濁して、何とか後に話が続くよう、冷や汗をかきつつしゃべり、同行した上司もうまくフォローしてくれて、まずまず最初の気まずい雰囲気はどうやら無くなって終わった。帰る途中、その上司がこれが不動産の取引なんですよ!と言っていたのが印象的だった。まさに身を持って貴重な体験をした。

先日My Webに遊びに来てくれたゆうさまとその後メール交換するようになり、大学の授業が終了し、夜行バスで帰省するとのことだったので、出発時間まではじめてお会いして、歌舞伎の話を中心に盛り上がった。先般の『夢の女・玉三郎』掲示板のオフ会の時もそうだったが、いつも掲示板で会話している方と実際にお会いするというのは、大変不思議な体験である。ただ、一つ言えることは、書き込まれている文章と実際の雰囲気・お人柄は非常に似通っている、と言うことである。今回もその通りであって、つい最近歌舞伎にはまって、とにかく何でもひたむきに吸収したいというご本人の情熱が感じられた。初心者であっても、その意欲と新鮮な感覚は、我々にも参考になることが多い。若いファンが益々増えてくれることは、歌舞伎の将来も明るいと思う。
2003年12月25日
午前中と午後と2件、ちょうど3ヶ月の出向の成果と言えるような仕事に目鼻がついた。勿論、すぐに成約とまでは行かないが、一定の前進はあったと手応えをを感じた。取り掛かってから、出来上がるまでには、同僚の協力も随分もらったことを感謝しなければいけない。

しかしながら、思ったよりも短期間に形を付けられたのも、過去の仕事から得られたノウハウらしきものが生かせたからだと思う。業種が違っても、手法は共通していた。今後の仕事への大きな自信となったと思う。

夜は出向先全体の忘年会。普段多忙でなかなか会話が出来ない方々と杯を交わしつつ、気楽にお喋り出来たのは、嬉しいことであった。
2003年12月26日
最後の挨拶回りを終えて、出向先でも皆さんに年末の挨拶をすると、やっと仕事納めという実感が湧いてきた。本来は明日の土曜日に出勤の方々も多いようであったが、我々出向者はどうやら大目に見てもらったようで、今日で無事本年の仕事を終了!

夜、出向元の組織の仲間と最後の忘年会。10月に合計6人が出向し、久し振りに会う仲間もいる。今の出向先も大変良くして貰っているので、あまり気は使っていないが、やはり前の仲間と飲むのが一番気持ちが楽である。最近の仕事の状況や今後の抱負など情報交換しながら、飲みかつ食べるのは、何とも快い。これで本当に年忘れが出来た。
2003年12月27日
一年の仕事を終えた疲れを癒す暇も無く、午前中は滞留していた年賀状作りに精を出す。ようやくはがきソフトにも馴れて、住所録のチェックを終えたら、後は順調に進み午後2時頃には一気に印刷まで終えることが出来た。

たしかにソフトを使うと、快適で自分の思うようなものが出来る。またコメントも複数作ることが出来るのも秀でている。出来栄えはやや手前味噌ながら、十分満足したものが出来た。後は、残った会社分と電子年賀状だ。
2003年12月28日
実は昨日、HDD&DVDレコーダーを言わば衝動買いしてしまった。今年はPCも買ったから、大分迷ったのだが、今のPCではDVDの再生は簡単だが、肝心のテレビの映像を録画するのはなかなか面倒くさい。テレビから離れているから結線がいちいち大変であるうえに、衛星放送が受信できない。やはり、少ないとは言え、歌舞伎やクラシック音楽はNHKの放送に頼らざるを得ない。

そこで、今日の『お染の七役』の保存版を録ろうと、購入。予想通り家人からは非難轟々。今のデッキを直したばかりなのに、との声を聞き流しつつ、結線と設定の勤しむ。結構設定がいろいろあって思うように進まず、いささか焦ったが何とか無事終了し、テスト録画も完璧に出来た。後は実際の録画の出来である。この続きは明日。
2003年12月29日
昨日は、夜22時からの放送を今や遅しと待機して、HDD&DVDレコーダーの予約を入念にチェック。はじめ家人が録ると言っていた現行のビデオデッキも使わないようなので、180分テープをセットして二重の体制を取った(少し大袈裟!)。さすがに放送を開始したら、2本録画している上に、画面まで見たら何を言われるか分からないので、様子を伺いつつ、時々覗いてみる。0時45分無事終了!ビデオデッキの方が、Gコード予約が時間ちょうどだったために、お尻が少々切れたが、これはご愛嬌である。肝心のHDDはしっかりと録れている。画像も音もさすがに良い。

鑑賞はゆっくり明日にと考えて片付けていたら、実際の舞台を観られなかったメル友さんから、感想メールが入る。ここまでよくぞと思うほど隅々まで確かな目で観た感想で、感心した。なかなか新鮮な視点もあり、大変参考になった。

今日は、家事の手伝いをした後は、何本かメール交換をした。次に遅れていた会社の年賀状を仕上げて投函、これでまずやるべきことはとりあえず終了。夕方から、早速HDD→DVDへダビングをしてみた。高品質録画をしたから、録画モードを変えなければならず、等速ダビングで時間はかかった。しかし、出来栄えは十分満足できるものだった。これなら、テレビ録画だけでなく、大事なVHSテープやLDをDVDに変換して置けば、経年劣化も避けられ、良い画質で観ることが出来るから安心だ。問題はどれだけ時間が取れるかである。
2003年12月30日
いつも家の手伝いをしないので顰蹙もの、今日くらいはやらなければとは思うものの、普段やらないから勝手が分からず、邪魔者扱い。まして休みで1日だけ愚息が帰ってきたが、そうなると家人はべったりである。どうも会社でも家でも窓外である。

そこで、空いた時間にLD→DVDへダビングをしてみたが、これまた十分満足できる音と映像であった。これなら、DVD化されていないLDを徐々に移して行ける。結構、お気に入りのLDでDVDで再発されていない盤も多いのだ。

やっとゆったりして、ネットサーフィンをしてみたら、鷹と楓さんがこちらの風邪を心配してくれている。もう大丈夫ですよ。あっ、でも八朔は美味しかったから、また送って下さ〜い!ってまたおねだりをしてしまった。
2003年12月31日
いよいよ今日で2003年も最終日。昨年の自分は過去の日記の通りだが、今年はどんな1年であったのか。

一言で言えば、自宅のPCと携帯を持ち、またMy Webを立ち上げたことにより、ネット上の交流が広がったことに尽きる。そういう意味では波乱も多かったが、充実した実り多い年だったとも言える。元々会社のイントラもあまり知らず、ましてやインターネットはまったく見た事もないない時代遅れの人間だった。それがイントラの日記を書き出したことから、若い方々のお仲間に入れてもらい、かつこのサイトまで立ち上げてしまった。とても1年前には考えられない変わり様である。

今年は2月に地方のお仲間が横浜に遊びに来てくれて楽しい飲み会と観光が出来たことにはじまり、同じ月にイントラ日記部のオフ会にも初参加した。

しかし、希望退職に応じなかったことから、どこへ転勤するか分からず、自宅のPCと携帯を3月に購入した。決まってみたら地方転勤ではなかったものの、思わぬ部署への異動。実際に赴任してみたら、予想以上に憤懣やるかたない処遇に腹を立て、一時は仕事も殆どしなかった。その手遊びにこのサイトをとりあえず立ち上げた。勿論、若いお仲間からの刺激によっている。その後は夢中で更新を続けているうちに、他のサイトの掲示板を通じて交流が広がり、地方のメル友さんも増えた。

幸い仕事面では10月から他社へ出向し、それなりに充実した日々を送ることが出来た。また歌舞伎観劇もその月に3公演を連続して観ることができ、大変な収穫であった。またこれを機会に『夢の女・玉三郎』掲示板のオフ会まで開催してしまった。その結果さらに交流が広がるという副産物まであった。

29日で五千番に到達したが、これもこのような交流の賜物!今は少しでも長く、また充実した更新を続けて行こうと思うのみである。

いろいろお世話になりました。来年もまた良い年でありますように。
2004年01月01日
いよいよ新しい年が明けた。とくにこの年齢ともなると、とくに目新しいことは何も無いが、やはり今年1年をどうして行くか少しは考える。本来は1年の計は元旦にありだから、もう少し考えなければいけないのだろうが、そこは楽天的な人間、あまり計画性はないまま、今まで生きてきた。

しかし、昨年のようにいろいろあると、さすがに考えてしまう。そうは言っても、とりあえずの目標は今の出向先の仕事を続けるとなると、不可欠のある資格を取得しなければならないことである。固くなってきた頭、さてどのくらい耐えられるか?新年度の行く先が決まる前から、準備だけは進めなければいけないだろう。

昨夜の大晦日から必見のクラシック音楽や歌舞伎のテレビ放送が目白押しだが、どうも録画を続けると家人のご機嫌があまり芳しくない。この前買ったDVDプレイヤーが利いているらしい。どうもこういう番組に対する理解度が今一つである。やはり○○と小人は養い難し、元日だからと立てて、恒例のウィーンフィル・ニューイヤーコンサートの録画は断念。これはいずれすぐにDVDで出ることが予定されているから、残念だが止むを得ない。
2004年01月02日
今日は、家人の実家に年始の挨拶回り。と言っても、甥や姪の子供たちも大きくなっているから、お年玉をあげに行くようなものである。最近は、義兄も酒があまり飲めなくなってきたらようだから、もっぱら甥や姪の旦那と酒を酌み交わし、おしゃべりをする。いろいろな話が聞けるから、やはりたまにはこういう酒も良い。

いささか飲み過ぎで、帰りの電車は寝てばかり。まぁ、お正月だから、いいか!
2004年01月03日
東京は、とてもお正月とは思えないような暖かさである。お正月料理の食べ過ぎ、お酒の飲み過ぎのせいか、少し体が重く感じられるので、暖かさに釣られて、いつものウオーキングに出かけた。1駅約30分の行程だが、途中受信したメールの返信をしたりしていたら、大分時間をオーバーしていた。少し速度が鈍かったこともありそうである。明後日からの仕事始めに備えて、明日も運動をしないと、マズイ。

お正月も3日目ともなると、初詣の人も多いのか、町は雑踏していた。帰りは人込みの中を縫うように歩いて帰ってきた。

実は今日は、誕生日。生年を書いてあるから、隠しようもないが、満57歳になった。この年齢にもなると、誕生日は嬉しいというより、もうそういう年になったのだな、としか思わない。これからの人生をどう生きていこうかと考える良いきっかけにはなるが…。

それにしても、子供時代からそうなのだが、どうもお正月の誕生日は損をしている気分である。というのも、「もうおめでとうを言っているから、あらためてお祝いをする必要はないわね」とお正月と一緒にされて一巻の終わり!最近の子供がやっているようなお誕生パーティなどは望むべくも無いが、これだけ何も無いと少し物足りない。まぁ、逆に今さらお祝いされても恥ずかしい年齢であることも事実だが…。
2004年01月04日
思わぬ誕生日のお祝いメールを頂戴した。有難くいただいたが、やはり気恥ずかしい。

今日も運動をと思ったが、元日から老母の体調が悪いと聞いていたので、様子を見に出かけた。ゆっくり寝たので元気になったとのことで、一安心。しかし、気丈な母もやはり高齢だから、このまま一人暮らしを続けさせていいのか、少々悩ましい。

気分晴らしにと持っていった年末年始の歌舞伎や邦楽のビデオを見せた。一緒に観ていたら、予想外の発見もあり見入ってしまった。

それならば、と2日に予約してあった衛星放送の歌舞伎番組を観ようと、帰宅後DVDレコーダーを回したらまったく録れていない!何と結線を間違えていたらしい。地上波はうまく行ったので、安心してしまい十分な確認をしなかったのが原因と判明。高い代償(?)だったが、これでやっとどうやらこの機械にも慣れたようである。
2004年01月05日
今日は仕事始め。まず早朝からのラッシュに驚く。休み中のガラガラの電車に慣れていた目にはまるで別世界!始業前の年始の朝礼にも新しい年の仕事が始まるという実感をした。

挨拶回りをしながら、今日は昔お世話になった法人の担当者の方に久し振りにお会いできた。お話をしていると、年数のブランクをあまり感じなくて、とても懐かしい感じがした。こういうところは、外回りをしている喜びでもある。

夜、いつもの仲間と早速の新年会。年末にお互いに忙しくて忘年会を出来なかったので、その代わりという飲み会。やはりいつものように時間を忘れて飲む。正月休みで今一つだった胃の調子も逆療法(?)で、かえって調子が良くなったようだ。帰宅の途中の電車の中で、夕方もらっていたメールの返信をしていたら、チャット状態になる。ずっと携帯をいじってばかりだったから、周りからは変なオジサンと見られてしまったかもしれない。
2004年01月06日
引き続き年始の挨拶回り。今日は風が冷たくて、少々辛い。

早めに引き上げて帰宅後、やっと懸案のLDのDVD化を2枚ほど試してみる。一旦HDDに落とすのには時間がかかるが、その後DVDへの高速ダビングは、たしかに早い。これなら過去のLDは出来る限りDVD化すれば、いつでも良い画質と音で楽しめる。
2004年01月07日
挨拶回りも3日目ともなると疲れる。大体どうも単調な仕事だし、元々飽きっぽい性格だから、あまり乗らない。勢い熱心に回らないから、今日は早めに帰社してしまった。

帰省していたゆうさまが帰って来られて、早速メールをくれたので、せっせと返信。え〜っ、それって仕事中?まぁまぁ、そう固いことは言わずに…(以下、ノーコメント)。

今日は七草。たまたま昼に会社の仲間と行ったレストランで、七草粥があった。やはりこういう日に食べられるのは、何となく一年中健康でいられそうで、嬉しい。有難く美味しく頂戴した。
2004年01月08日
今日は北日本を中心に悪天候だったようで、東京も冷たい風が吹いて外歩きする人間を震えあがらせた。何しろ風が肌を刺す。またそういう時に限って間が悪いもので、出歩く時間が長かったから、余計に体が冷えてしまった。こういう時には、熱い○○をちょっと一杯ひっかけて…、おっと仕事中にはそれは出来ないから、紅茶党としては熱〜いロイヤルミルクティーを飲むしかない。ということで、今日は何杯飲んだことか!

しかし、そんな中も今日は空いた時間に、深川を少々歩いた。お馴染みの鬼の平蔵や小兵衛の世界である。東京に住んでいながら、とんと不案内のところ。道の至る所に、旧跡がある。芭蕉庵跡、馬琴生誕の地、松平定信の墓所等々。お正月のせいか、深川七福神詣らしい団体も目に付いた。とりあえず深川飯を食べてその雰囲気の一端を味わったが、今度暖かくなったら、一度ゆっくり歩きたい場所である。
2004年01月09日
前にも書いたが、携帯は昨年3月に持ったばかりであるが、まさかこんなに使うとは思ってもいなかった。どうも携帯というと、電車の中で大声で喋られる迷惑なものという印象が強かったし、仕事中追っかけまわされるのも嫌で、持とうとも思っていなかった。それが気が変わったのは、地方転勤の可能性を考えて、固定電話代わりに購入したからである。

ところが、実際に使いだしてみて驚いたのだが、殆どメールの送受信に使うことになった。遠隔地在住の友達との連絡は、何とも便利なものであるし、とにかく早い。これがPCのメールであれば、開けるのが精々1日1回だから、どうしてももらったメールの返信は1日遅れくらいになるが、携帯メールの場合は着信音ですぐ分かるから、即読めて返信が可能になる。これでは、自分も含めたオジサンまでもが電車内でピコピコやっている訳である。

勿論、今使っているdocomoだと、1回のメールで送信できる字数が250文字と限られているから、伝えられる情報量は少ない。だが、その速報性は驚嘆物である。早くて30分程度あれば、お互いにメール交換が出来る。そして、その限られた文字数を補えるよう絵文字の使用が出来るのも目新しい。最初は殆ど使わなかったのだが、若いメル友さんとメール交換するようになって、その絵文字を巧みに使っていることに感嘆した。これは識者は気が付いていないかもしれないが、大袈裟に言えば、新しい日本語の文章表現になっていると言ってもいいだろう。

まぁ、そんな固い話は別として、PCから携帯にメールを入れる時でも、その絵文字が使えると面白いだろうに…、と思っていたら、ちゃんとそれが出来るフリーソフトのkemailというものがあった!やはり世の中、頭がいい人がいるものだし、また考えることは同じなのである。

早速、ダウンロードして試してみた。前日は環境設定でつまずき、うまく動かなかったが、よくよく考えてみればこちらの理解不足から来ていたのに気付いたら、今日は簡単にテスト送信までOKとなった。これで、家に居る時は、PCから携帯に絵文字入りのメールを入れることが出来ることになった。早く打てると同時に、もう一杯となった送信メールのフォルダを補えるメリットもある。
2004年01月10日
今日は、ご近所に住む会社のお仲間夫婦との新年会だったのだが、ご主人が昨年からお出でになっているお客様対応の準備(?)で、時間が割けず、奥さんと二人の飲み会となった。元々彼女が入社した時からのご縁だから、東京と大阪と勤務地が異なっても、共通の知人が多く、次から次と話しながらお酒も進み、あっと言う間に時間が経ってしまった。

勘定を払う段になって、3人で予約していていたから当然3人分取られると思ったら、飲み放題分は結構ですとのこと。申訳ない、と言いながら内心はラッキー\(^O^)/。値段の割には食べるものも多く、良心的なお店だった。これはまた使おう、と思ったら、来週また別の会合で来る店だった。でも、こういう店なら、何回来てもいい。
2004年01月11日
三連休の谷間の1日。気分的にはゆったりするが、どうも気が抜けるのか、朝寝坊はするし、起きていて本を読んでもすぐ居眠りする。最近、本を読む速度が遅いし、何より読書時間が減っている。PCを触っている時間が長いためだ、と原因は分かっているのだが、やはりメールのやり取りする時間も多いから止むを得ない。しかし、これでは肝心の書い貯めた本が積み上がるばかりで消化されないから、少し心して時間を作らないとマズイ。
2004年01月12日
今日は成人の日で休日なのだが、どうも長年15日というのに慣れてしまっているので、ピンと来ない。三連休となるのは有難いのだが、移動祝祭日はその日の意味が忘れられてしまいそうである。ましてや、各地で従来のような成人の日の祝典を中止しているケースが多いから、余計何の日か分からなくなっている。

と、固いことを書いているが、要は女性の着物姿大好き人間にとっては、この日だけはたっぷり鑑賞できる(気持ち悪い?)のが、その機会が無くなったのを残念がっているだけか?今の住居の近くに市の大きな施設があるので、今までは毎年そこを会場にして成人式が行われていて、成人式当日は、着物姿の女性で駅前は溢れていたのだが…。

着物は日本女性の一番美しい姿だと思っているから、一生に一度の成人式で着物を着ると言うのは、悪い習慣ではないと思うが、これも段々廃れて行くのかもしれない。
2004年01月13日
今日は、冬型の気圧配置が強まり、明日にかけて日本海側から北日本は大荒れの雪模様のようである。この掲示板でも鷹に楓さが朝雪嵐だったと言っているし、メル友さんも雷もひどく大雪になりそうです、とメールをしてきた。

東京地方も朝雨が降ったのにも関わらず、一向に温度が上がらず1日寒かった。いや、もしかしたら、体調が今一つだったから、余計寒さを感じたのかもしれない。今頃正月疲れか、はたまた連休疲れか、どうも胃の調子が思わしくないうえ、体もだるいからやたらと眠い。こういう時は、早く寝るに越したことはない。
2004年01月14日
今日も身を切るように風が冷たい。完全なる冬型気圧配置である。当分続きそうで、外を歩く身にとっては厳しい。

昨日に続き体調不良だが、これも年のせいだろうからしょうがない。医者に行く時間が無いのが困るが、土曜日にでも時間を作らねば。

それでも、帰宅してからは日課になっているメール交換。『夢の女・玉三郎』掲示板での交流のおかげで、やり取りも頻繁になっている。ある方からご提供いただいたものも大変なご好意を頂戴して、大変有難いことである。その件も含めて今日はとくに多かったかもしれない。
2004年01月15日
(休養のため、ネットもつながずお休みしました)
2004年01月16日
まだ完全回復とまで行かないが、週末だから休む訳にも行かず、出勤。また得てしてそうなるのだが、こういう日に限ってなかなか大事な仕事が入って来て、結構忙しい。結局帰宅は9時過ぎ(な〜んだ、たいしたことは無いじゃないか、と言われそうだが…)。

明日は外出予定もあるが、何としてでも病院に行かなくてはと思うのだが…。

今朝の朝刊で、芥川賞に史上最年少の女性二人が決まったとの報道があった。前評判は高かったが、まさかその通り実現するとは思わなかった。若者の活字離れが言われるなか、携帯を通じて密かに書籍に戻ってきている動きが底流として見られ、また文芸誌の編集者がかなり若返ってきて、大分編集内容も変わってきていたようだった。

だから、今回のような若い作家が輩出して、大きな賞をもらうことは、非常にいいことだと思う。一種のアイドル化という批判もあるが、長い目でじっくり育てて行けば良いのであって、我々読者も暖かく迎えて行きたいものである。

また片や、直木賞は今さらとも言うべき、中堅の二人。遅きに失した感もある受賞だが、まずはめでたいことである。個人的には、京極夏彦の受賞は自分のことのように嬉しい。とくに受賞作『後巷説百物語』は、とても楽しめた『巷説百物語』、『続巷説百物語』の続編で、これから読み始めようとしていたばかりだから、益々楽しみが倍加した感じだ。
2004年01月17日
予報通り、今日の東京は朝のうちから初雪!大した降りではなかったから、積もることは無かったが、寒い1日であった。

そんな中、今日と明日は大学入試のセンター試験。最年少のメル友遠音さまも今日はその受験。エールを送る。

やっと胃の検査を近くの医院で受診した。今回の体調不良でようやっと重い腰を上げたという訳である。苦手のバリウムも難無くこなして、降る雪の中を浅草に向かう。

地下鉄の駅を降りて、仲見世へ入ると、まだお正月の雰囲気満点。まゆだまや凧、羽子板の飾りなど情緒一杯である。やはり浅草はどこか違う雰囲気を漂わせている。

初春歌舞伎の連続観劇の第1回目。今日は、もうお正月恒例となった浅草の若手歌舞伎である。中心となる五人の若手人気役者の公演も、今年も五回目とか。一日二回の公演は、同じ狂言を演じる役者を変えて行っている。また、最初の挨拶で七之助が言っていたように、はじめて歌舞伎を観劇する人でも分かり易い狂言を集めているのは、悪くはない。

ロック歌手を思わせる中村獅童が一気に人気を高めたためだろうか、若いファンが溢れている。またお正月らしく和服姿で観劇する女性も多い。

午後3時からの熱い舞台を観終わって外へ出ると、まだ仲見世は明るい。最近の人気で夜もライトアップしているようだ。

観劇記は、大いなる小屋に。

帰宅したら、鷹に楓さんから八朔が届いていた。まさにおねだりしたような格好になってしまった。すみませ〜ん、ごちそうになりますm(__)m。
2004年01月18日
市民大学のOB会−史考会の新年会。久し振りに出席したので、もう一緒に受講した方々は少なくなってきたが、役員さんの準備よろしく小学唱歌を中心にしたゲームもあり、楽しめた。年齢的には先輩方が多いようだが、皆さまとてもお元気で、自分もあのように元気溌剌のシルバーエイジを迎えたいものである。

終わり際に、先日のバスツアーでお世話になった役員さんから、このサイトが取り持つ縁で、役員へのお誘いがあった。「まだ現役で働いているので、十分な活動が出来ないかもしれませんが…」と申し上げたが、是非にとのお言葉をいただいたので、お受けした。お住まいもお近くのようだから、今度一杯やりましょう、という話になった。定年後の生活をにらむと、このような地域の方々との交流が出来ることは、大変有難いことである。

2日間に渡るセンター試験も終了したが、果たして結果は?
2004年01月20日
一番気になっていた遠音さまのセンター試験の自己採点結果について、夕方メールが来た。とりあえず予想点数に達していたとのことで、ほっと一安心(^0^)。

ある意味では、試験というのは自分が受けた方が気が楽だ。出来の手応えがあるからだ。人様だと、様子が分からずただ心配するだけだから、気が揉めるものだ。二月下旬にまだ二次試験があり、それまで気を抜けないのは可哀想だが、我々の時代と違って今の試験制度がそうなのだから止むを得ない。合格まで応援を続けるのみ。
2004年01月20日
仕事で外を歩いていると、いろいろなことにぶつかる。

「そこのダンナさん、ちょっとこれ奥さんに持っていかない?」と声をかけられた。相手は車中からだが、勿論まったく見知らぬ人である。

側へ寄って見ると、
「これ、売れ残ったんだけれど、このまま持って帰ってもしょうがないので、ダンナさんなら奥さんにちょうどいいだろうから、持って行ってよ」と、時計やらリングなどを差し出す。
「いや〜、そんなものをもらう訳にはいかないよ。高いものだろし」
「いい品物だよ。だったらこれも付けるよ」と、また品物を増やす。手に取って見てみると、一見本物風。
「いや、気になるんだったら、俺の今晩の飲み代位気持ちで出してもらえればいいよ」と、金を要求して来た。
「そんなに今は金を持ってないから、払えないよ」
「そんなことを言わず、ほんの小遣い程度でいいから」
「それほど持っていないよ」
「ちぇっ、けちなおっさんやな〜。あんたが損するだけやで。相手を間違ったかな」と、さっさと行ってしまった。

どうもよく街頭で見かけるブランドまがいのものを廉く売っている連中らしい。危うく高いものを買わされるところだった。やつらプロから見て、このじいさんだったら、ちょうど良い鴨だと思われたようだ。は〜、そんなに間抜けな顔をして歩いていたのか?しかし、結構いい品物だったから、本当に損をしたのかもしれない、と若干後悔の臍をかんだことも事実である。
2004年01月21日
今日は出向元の同期入社の飲み会。先月の忘年会で毎月集まれる人間だけで飲もう、という話になったので、その第1回目。12名来たから結構集まったと思う。やはり年齢的にだんだん同期で飲みたくなるというのはどこも同じようで、先輩方に聞いてもそう言っていたが、我々同期もこれから毎月開催することになりそうで、早速来月の予定が決まった。

気兼ねなくお前、俺で酒を飲むのはやはりとても楽しいことだ。これからもこの同期会のつながりを大事にしたいと思う。
2004年01月22日
いやに寒いと思ったら、今日は西日本から北陸にかけて大荒れの天気で、雪もかなり積もっているという。鷹に楓さんからも遠音さまからも雪が吹雪いています、とのメールをもらった。早速お見舞い(?)の返事を差し上げた。

夜、この前頂戴した八朔を持って実家に寄った。食事をしてからいろいろ話をして、帰ろうとしたら、一般のメール着信音が鳴る。また○○かと思って開いたら、最近PCで頻繁にメール交換をしている和音さまからであった。携帯にははじめていただいたので、ちょっとびっくり!何と今日の歌舞伎座夜の部でご祝儀に投げられる手拭を手に入れられたとのこと。それは滅多に取れない貴重なものをゲット!早速おめでとうメールを返信する。

これは明日観劇する時も可能性大だ。恥も外聞もなくゲットに向けて頑張ろう(^_-)-☆。
2004年01月23日
初春歌舞伎の連続観劇の第二日目。歌舞伎座の夜の部の『二人道成寺』が眼目だが、昼の部も豪華顔合わせによる忠臣蔵九段目『山科閑居』だから、これは一幕見で観劇した。

12時過ぎに並んだら前から8番目だったから、十分座れた。久し振りの一幕見だが、花道を殆ど使わないから、舞台は良く見える。義理の親娘の情愛が前半の主題。それをたっぷり見せた玉三郎と菊之助の演技が泣かせる。

夜の部は1階だから、『二人道成寺』の二人の花子の美しさを味わうのには絶好の場所。黒の衣装の道行の出が大好きだが、それが二人となるとその美しさはまた格別。初日に比べて、菊之助の踊りが格段の進歩。玉三郎のうまさは言うまでも無いから、二人の踊りはまさに至福の時。

その余韻に浸っていたら、帰りがけに携帯に同僚からメールが入っていた。何と出向先の会社の同僚が、入院先で亡くなった、という。仕事面でいろいろ教えてもらっていた頼りになる方だったが、ここのところ調子が悪いと言っていたので、気にはなっていた。昨日も体調不良で、早く帰宅していたが、今朝突然倒れ緊急入院していた。まさか亡くなるとは!茫然自失というのは、こういうことを言うのか!年齢も同じである。衝撃は大きく、後に残りそうである。

今日は、一生忘れられない日の一つになりそうだ。
2004年01月24日
先週受診した胃の検査の結果をようやっと聞きに行って来た。結果はとくに異常ありませんね、と言われたからほっと一安心したが、その後がいけない。結構酷使していて、お疲れ気味の胃ですね、と言われてしまった。

元々若い時から神経的にすぐ胃がやられる方だったから、大体丈夫な胃ではないのは分かっている。最近こそ結構酒を飲み、強い方だと言われるが、若い時は酒も殆ど飲めなかった。だから、意外と知らず知らずのうちに胃を酷使していたのかもしれない。もう年齢が年齢だから、気をつけるに越したことは無い。

と言いつつ、今日も休日の飲酒をしてしまった。反省!
2004年01月25日
初春歌舞伎の連続観劇の第三日目。国立劇場の公演。珍しい演目に魅かれて観に行ったが、予想以上にいい舞台だった。ここのところ国立劇場は首を傾げる演目も多いが、出演俳優の好演もあって、見応えがあった。

芝居が跳ねた後、大急ぎで歌舞伎座に向かう。千穐楽前日の、しかも日曜日、超人気の『二人道成寺』の一幕見だったから、入れるかどうか心配だったが、幸い『夢の女・玉三郎』掲示板のお仲間の方が先に順番を確保していただいていたので、無事入場できた。再びあの感動を味わうことが出来た。

また終演後、入口でこれまた先日のオフ会参加の方がお嬢さんとご一緒に観劇に来られていたところをお会いできた。今日は国立劇場から一緒に観劇の方もいて、まさに掲示板のを通じた交流の1日であった。

さて、観劇記を頑張らねば…。
2004年01月26日
今日出勤してみたら、金曜日に急逝した出向先の同僚の葬儀は、ご親族の意向で密葬で済まされたとのことだった。お見送りできないのは、まことに残念だが止むを得ない。職場では全員で黙祷して、故人を弔った。

それにしても、机がそのままであっても、そのうえに女子職員の心遣いでお花が飾られていると、やはりもう亡くなってしまったということが実感される。人間の命の儚さを思う。しかし、それだからこそ、生きている間は、今の一瞬一瞬を大切に、充実して生きることが大事だと痛切に思う。とくにこの年齢においてしかり。
2004年01月27日
偶には時事ネタだが。

学歴詐称の国会議員が問題になっている。弁明が二転三転しているうえに、わざわざ渡米してまで調べに行って、結局大学を卒業していなかったことが明らかになって帰ってきた。当然、責任を取って辞職すると思ったら、所属政党を離党し、国会議員の報酬を辞退する、ただし、無報酬で任期一杯議員の職務を全うしたい、と言う。

もう呆れて物も言えない。まず、自分が通っていた大学を卒業したかどうか分からないということが一体あるのだろうか?よしんばそれが本人の勘違いだったとしても、選挙民に誤解を与えたことは明らかなのだから、道義上議員を辞職するのが本筋なのだろうが、そういう意識はまったくないらしい。やはり政治家の倫理はどこか庶民の常識と大きくずれている気がしてならない。

と言って、この議員が辞職すると、前回の選挙で敗北した大物政治家が復活する可能性が高いようだから、スキャンダルまみれのこの人の再登場も困ったものだ。どうして政治家にはまともなのがいないのだろうか?
2004年01月28日
出向元の友人だった一人と久し振りに会って、会食した。彼も希望退職してから、幸いに再就職していて、同じような企業相手の仕事をしているので、お互いの仕事の情報交換が主目的だったが、話はやはりこれからどういう生活をしたいか、ということがメインになった。

年齢的には上だから、今年もう年金の受給が開始されるという。だからもうあまりあくせく働きたくなく、自分の好きなことをやりたい点で話は一致した。

突然話題が変わるようだが、年金の開始年齢の65歳への引き上げに絡んで、雇用の65歳への延長問題が取り沙汰されている。だが産業界では反発している。雇用コストが上昇するから、反対は当然であろう。60歳定年法の時ですら、実現までに時間を要した。

だが、忘れてならないのは高齢者の生きがいの問題であろう。恐らく60歳を過ぎた人間の多くは、一定の年金収入さえあれば、後は自分の人生設計と生きがいから、再雇用を希望するかどうか考えると思う。理想は健康のためにも適度に働き、適度に好きなことをやる、ことであろう。

だから何も定年延長まで義務付けることは必要ないのではないか?希望者を再雇用する、それだけで良いと思うが…。ただ実際には、再雇用の制度を持った企業の多くが、まだ企業側に選択権があるようだ。そこのところの解決がいの一番に必要だと思う。
2004年01月29日
販売の提携をしている住宅会社の戸建て住宅の宣伝に、出向元の会社の地元の営業所に出かけた。久し振りの現地であったが、何か非常に懐かしい気がした。やはり長年籍を置いていた会社の雰囲気は、どこか他所とは違うようだ。そこでも昨年までご一緒であった先輩とも久闊を叙すことができた。お元気そうで何よりであった。

さて明日は、これまた久し振りに事務センターのある本社組織内の営業所に出かける。少し本社や子会社を回ってみよう。
2004年01月30日
昨日に引き続き、戸建て住宅の宣伝に出向元の会社の現地営業所の朝礼に出席した。話すのは、一緒に行った同僚の先輩にお願いしたが、先日一緒にお酒を飲めなかった所長のてきぱきとした対応のお蔭で、所期の目的は果たせたと思う。感謝!

その後、館内の関係会社を数社回る。久し振りの方も多く、話がはずんだ。それに比べると、本社部門は若い人ばかりで、もう顔見知りも少ない。たまたま行きの電車で会った以前勤務していた支社の同僚が、「自分には合わないからまた支社に出たいと言っているんですが…」と言うのはよく分かる気がする。「でもポストがあるだけいいじゃないか」と慰めともつかず話したが、いずれにしても中高年には住み辛い会社生活になっている。

さて明日は土曜日だが、我が出向先の会社は出勤!これまた厳しい(>_<)。
2004年01月31日
月1回の土曜日の出勤だが、外回りでは相手先が休みだから、とくに外出もなく事務室にこもって、ひたすら事務作業。と言ってもそうそう営業に事務があるわけもなく、ついついPCをいじることに…(^^ゞ。しかし、これも単調になってくると瞼が自然と…(-_-;)。

しかし、事務室に居ると暖かいから、眠気だけでなく、外気との温度差でどうもクシャミが出る。それがここのところ多くなってきたから、嫌な予感がして鼻をかむと、やはり血がまじる。あ〜っ、来た〜、いつもの前兆が〜(>_<)。今年は花粉が飛ぶのが少ないと言われているが、早くも粘膜をやられているようだ。これは今から薬など飲んで予防対策を講じて置かないと、またヒドイ目に合いそうである。


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