島田荘司


『占星術殺人事件』改訂完全版(講談社)
作者のデビュー作であり、名探偵御手洗潔の初登場の作品である。この作品は発表当初社会派推理小説全盛の時代であったから、まったくの不評であったらしい。しかし、今では島田荘司の代表作として著名である。

南雲堂から不定期で出版されている『島田荘司全集』1に、はじめて大幅な加筆修正がほどこされて収録されたが、何故か予告されていたような講談社ノベルスの刊行が遅れていた。今回ようやく発売されて、この改訂完全版が廉価で読めることになったことは幸いであるが、これまた不思議なことに『島田荘司全集』1に加筆修正したとある。一字一句比べた訳ではないから正確なところは不明であるが、手元の全集と比べても違いには気が付かなかった。もしあったとしても、句点の位置や微妙な言い回しなどの細かい部分であろう。作者の改訂癖には、いささかファンとしては困惑するところであるが。

さて、事件は昭和十一年に起こった六人の処女のバラバラ事件という猟奇的な殺人事件の謎を、占星術師だった御手洗潔が石岡和己とともに解き明かすものである。そのトリックは、過去に読んでいて分かっていたはずであるが、今回のように図も多く挿入されているとさらによく理解できる。江戸川乱歩のような一見古き探偵小説のような雰囲気が満ち溢れていて、これなら発表当時受け入れられなかったことが納得できる。しかし、ただトリックの面ばかり云々されるが、意外な犯人の告白には同情を禁じえないような哀感がある。

加筆修正のお蔭であろうか、非常に読みやすくなっているから、本格推理小説復権のきっかけとなったこの小説は、さらに多くの人に歓迎されるだろう。
『斜め屋敷の犯罪』改訂完全版(講談社)
講談社ノベルス版による改訂完全版である。オホーツク海を見下ろす岬に、裕福な会社経営者が建てた傾斜している館と塔、名付けて「流氷館」で起こる連続密室殺人事件。作者の言葉では「この作のアイデアは、70年代の後半、一軒の家のいたずら描きをしていたら思いついた。」という。この建物の構造そのものが、この作品の主人公のようになっていて、その詳細な描写をよく頭に入れておかないと、密室殺人事件の大仕掛けなトリックの謎解きの醍醐味が半減するかもしれない。

このようなトリックは現実味がないと否定する人がいると思うが、本格推理小説は高度に知的な遊びである。否定するよりもここまでスケールの大きいトリックを紡ぎ出した作者の力量に脱帽せざるを得ない。今までの日本の推理小説においてはかってなかった作品である。後に続く新本格派の、例えば綾辻行人の「館」シリーズは明らかにこの作品の大きな影響下にある。

また、この作品で占星術師である御手洗潔の名探偵ぶりが、読む者に強烈である。前作に比べて変人というより意図して道化の真似をしているが、それも犯人とその家族への優しさから来ているのは特筆すべきであろう。この二作で御手洗潔の名は不動のものになったが、作者によれば発売当時はまったく売れなかったそうである。隔世の感がある。

(追記)本ノベルス版には、『島田荘司全集T』(南雲堂)収録の完全改訂版に手を加えたような断り書きはないが、図版など明かにこちらの方が正しく、また見易い。南雲堂版全集の意義にふっと疑問を持ってしまう。
『北の夕鶴2/3の殺人』−島田荘司全集V(南雲堂)
個人全集としては異例とも言えるスローペースで刊行されている島田荘司全集(南雲堂)、ようやく第3巻が発売された。著者が作品に手を入れて完全改訂版としているためもあろうが、全体で何巻になるのかも分からないうえ、次回刊行時期も不明という読者泣かせの全集である。

さて今回再読してみて、収録の4編のうち『北の夕鶴2/3の殺人』を島田荘司の傑作の一つであることをあらためて確信した。それは吉敷竹史刑事を主役にしたシリーズとしてのみならず、全島田作品としてみた場合でも考えは変わらない。最初に読んだ当時、ご多分にもれずトラベル・ミステリーを数多く読んでいた。そのなかで発見したのが島田荘司の吉敷物の初作品『寝台特急「はやぶさ」1/60秒の壁』である。長身でハンサムな刑事という設定自体が斬新なうえ、トリックにも新味があった。そして第3作目『北の夕鶴2/3の殺人』に出会う。

この作品をはじめて読んだ時の興奮は忘れられない。吉敷竹史に別れた妻があり、その加納通子が犯人と疑われた事件が勃発し、彼は公務を離れて通子の救出に乗り出す。途中犯人たちから襲撃されて満身創痍になりながらも、懸命に推理をめぐらして、まったく解決不能と思われた事件を解き、通子の危難を助けた。そこには別れながらも通子への慕情があり、ハードボイルド的な展開でぐいぐいと読むものを引っ張ってゆく。しかも、義経伝説に絡めた鎧武者を使った大トリックは、まさに唖然としたものである。だからこの作品には男のロマンと本格推理が渾然一体となった美点があるが、それが逆に批判の対象になったようだ。

この作品で私は完全に島田荘司のファンになり、以降ほとんどすべての新刊を読むとともに『占星術殺人事件』や『斜め屋敷の犯罪』も遡って読んだ。しかし、当時はまったく知らなかったのであるが、この処女作と第2作はまったく不評のため御手洗潔物は封印され、作家としての地位を築くまでは吉敷物をメインに書いて行くというのが著者のスタンスだったようである。事実、ここで使われた大トリックはどうやら本来御手洗物のために使われる予定だったらしい。

今回の月報には「新本格派の黎明」と題して島田荘司と綾辻行人との対談が収録されている。この対談のなかで綾辻は『北の夕鶴2/3の殺人』にふれて、批判的な内容の批評に対してこう語っている。

「いや、それにしても『北の夕鶴』は衝撃的だったんですよね。巽さんが言われたのは、吉敷物のリアルな人間ドラマ性とあの大トリックとが、小説の中でちょっと衝突しているのではないか、ということだったんでしょう。(中略)

‥‥でもぼくは、今読み返すと‥‥いや、発表当時も思っていたことなんですが、衝突するかもしれないような両者を強引にひとつの物語の中に入れてしまったことで、逆に、それまでなかったものというか、読んだことのない味わいの作品のなった気がするんです。そういう意味でも傑作だと思うんですね。『北の夕鶴』は。もしも御手洗潔が、『北の夕鶴』の「三ツ矢マンション」の謎に挑んでいたとしたら‥‥もちろんそれも面白いと思うんですけど、たぶんある意味、”当たり前の面白さ”になるんだろうなと(中略)

それでぼくとしては、期せずして『北の夕鶴』というキメラ的な傑作が書かれてしまった、その事実のほうを大いに喜びたい気持ちなんです。」

このキメラ的な傑作とは言いえて妙である。また綾辻行人の慧眼に脱帽せざるを得ない。しかし、それほどではなくとも読者は正直である。以降、吉敷物が書き継がれ、また通子もいくつかの作品に登場する。そして一定に作家としての地位を築いた後矢継ぎ早に御手洗物の傑作群が発表されるのである。
『龍臥亭事件』(光文社)
もうすっかり新本格派の巨匠的存在となった島田荘司だが、この作品は近年の充実した作品群のなかでもとりわけ傑出した大作である。
にもかかわらず、一部の熱狂的なファンを除くと、あまり世評が高くないと思うのは小生だけなのか・・・。

この作品は1996年1月にカッパ・ノベルスで初版が出版され、1999年10月に光文社文庫に収めら、その間一冊の愛蔵版にまとめられるという幸運にも恵まれている。

御手洗潔シリーズを愛読してきたので、初版が出たときにすぐ飛びつき、無我夢中で読み耽り、その面白さに酔い痴れた記憶がある。これは彼の代表作、「大傑作」だと思う。御手洗潔シリーズを人様にすすめる時は、『占星術殺人事件』、『斜め屋敷の犯罪』、『水晶のピラミッド』などとともに、この作品を一押しであげていた。

だから、さる親しい女性が御手洗潔シリーズを好きなのだけれども、この作品は読んでない、と聞いたときは迷わず強力にオススメした。彼女は早速とりかかり、一旦読み出したら止まらず、徹夜して2000枚にのぼるこの大作を一気に読み上げた、とのこと。

その時、寄せられた感想の一部分。
「○○さんのいう通り「大傑作」でした。
御手洗潔不在で頑張る石岡先生がけなげでした。
確かに複雑な作品であんなラストは想像できませんでした。
閉鎖的な田舎の風習というか人間関係、感情は怖いものですね。
悪意のない人間を鬼にしたてあげてしまうのですから。
本書を読む前に「最後のディナー」を読んでしまったので里美ちゃんが無事なのは知っていましたがあんな事件に巻き込まれていたなんて。
今後の二人の関係がどうなっていくのか楽しみです。」

これを読んだ時はわが意を得たり、と思ったのだが、反面自分の印象とは微妙に違っているな、とも思った。
どうも彼女は小生の気が付かないことを読みとっている、複雑な作品とは分かっていながら、自分が読み落としているところがあるのではないか?と気になった。

そこで今回敢て7年ぶりに再読してみた。愛蔵版だから、一冊にまとまっているので、全体を見渡しながらじっくりと読み進むことができた。勿論、ラストは分かっているのだから、ルール違反なのだが、全く新鮮で再読とは思えなかった。どのページにも新しい発見があり、全体と細部の関係がよく分かり、この作品の複雑な構造がすっきりと見通せた。

実は御手洗潔シリーズとは言いながら、名探偵は直には登場せず、いつもはワトソン役の石岡和己が探偵役を務める。御手洗潔が北欧に旅立った後、横浜・馬車道のアパートに逼塞していた彼はある女性の依頼で岡山県の貝繁村(仮名)に赴き、そこで「龍臥亭」と呼ばれる凝った作りの元旅荘に滞在し、次々に発生する密室殺人とバラバラ殺人事件に巻き込まれる(平成7年3月〜4月)。

そしてそこに約60年前にこの村で起こった「津山三十人殺し」の犯人の亡霊すら現れる。

石岡は旅荘の娘である犬坊里美に魅かれ、また同じ旅館に滞在しているミチさん・ユキちゃんという何かいわくありげな親子が気になり、彼女たちを助けようと奮闘するが、それをあざ笑うかの如く、8人にものぼる大量殺人が連続して起こる。無能な警察、そして自分の力に自信をなくしている石岡は北欧にいる御手洗潔に助けを求める。しかし、返ってきて答えは「リュウコワセ」という電報と、「この手の事件が単純でなかったためしなんてないんだ。あと君に必要なものは、自信だけだ」という手紙だけだった。深まる謎に苦闘する石岡!

しかし彼は手探りのなかから、ついにこれらの殺人と昭和7年に起こった猟奇的事件との間にある或る暗合を見つけ、見立て殺人ではないか?という手がかりをつかむ。そこから、都井睦雄の「津山三十人殺し」の真相にたどり着くのは容易いことだった。

後半はこの「津山三十人殺し」の世に知られることのなかった真相の解明に当てられる。そこでは、因習というか、退廃的な農耕民族的陰湿さが悪意のない人間を鬼に仕立て上げ、大量殺人引き起こさせた、という事実がノンフィクション・ノベル風に描かれる。この描写が真に迫っていて読む者を惹きつけて止まない。

そして、最後に意外な真犯人と事件の全体像の解明!

かなり、ネタバレに近いが、密室殺人、バラバラ殺人、見立て殺人という本格ミステリの謎が、これでもかとばかりに盛り込まれているとともに、実は「龍臥亭」という旅荘の特殊な構造からくる仕掛けもあり、これはまた館ものでもあるという豪華さ!
これ一冊で本格ミステリの醍醐味が味わえること請け合いである。

しかし、島田作品はそれだけでは終わらない。御手洗潔が北欧に旅立ってから落ち込んでいた石岡和己がこの事件の解明を通じて立ち直ってくる、言ってみれば人間回復の物語であるとともに、次につらなる作品群『最後のディナー』、『Pの密室』、『上高地の切り裂きジャック』に石岡とともに主役を務める犬坊里美との運命的な出会いと交情(年齢差のある二人の恋愛の始まり?)の物語でもある。

さらには、謎めいた行動をしてきたミチさんについて、ある驚くべき事実が明らかとなるというエピローグまで用意されている。ただし、この面白さを理解するには、島田荘司のもう一つのシリーズー吉敷竹史ものを読み込んでいることが必要なので、ここではお読みいただいてのお楽しみ、とだけ言っておこう。

長くなってしまったが、再読して分かったことはこの作品が「大傑作」であるという感想がより強固なものになった、ということである。御手洗潔ものはよくその力技による解明から作品の構成を云々されるが、この『龍臥亭事件』はよくその構成が考えられ、非常にバランスのよいまとまりがある。作者の周到かつ綿密な計算が窺える。

この作品を再読する機会を与えてくれた女性に感謝しなければならない。
『最後の一球』(原書房)
平成18年に立て続けて刊行された島田荘司作品の掉尾を飾る御手洗潔シリーズの中編小説。『ロシア幽霊軍艦事件』の後の事件という位置づけであるが、読後感は大分異なる。出だしは突拍子もない話と思ったが、題名通り野球を取り上げていて、御手洗と石岡は脇役に回っている。

主人公は貧乏な生活から脱出するために人の二倍も三倍も努力して、プロ野球選手となろうとしたが、自分の限界を覚り、天才選手の影武者になることによって己を生かそうとした一青年である。作者がここまで野球に詳しいとは驚くほど、グランドの選手の立場でノンプロからプロ野球の試合までを巨細に描いていて、臨場感がある。

しかし、その天才選手に起こった不幸な事件から、主人公の青年は針の穴を通すほどのコントロールで、代わりにある復讐を果たす。その事件の真実を見抜いた御手洗の粋なはからいも、今までのミステリーとは一味違った清涼感がある。しかも、昨今問題となったローン会社のグレイーゾーン金利問題も取上げるという社会性にも事欠かないのもさすがである。
『リベルタスの寓話』(講談社)
『リベルタスの寓話』と『クロアチア人の手』の二つからなる中編集で、御手洗潔シリーズの最新作である。収録順序は雑誌への発表とは逆になっているが、人種の坩堝といわれた旧ユーゴスラヴィアのボスニア民族紛争を背景にしているから、複雑な民族抗争の歴史を知るには、この順番の方が分かりやすいと思った。

標題作『リベルタスの寓話』は、ボスニアで起きた、作者がよく取り上げている切り裂きジャックのような怪事件を、スウェーデンのウプサラ大にいる御手洗潔の友人が石岡和己の役割を務めて、事件を調査し、その情報をもとにして御手洗が電話で推理して、解決するという形をとっている。

ドゥブロブニクスというヴェネチアに似た中世自治都市でのリベルタスと呼ばれたブリキの人形をめぐる哀しい寓話が、一つのモチーフになっており、それに加えてセルビア人、クロアチア人、モスリム人を主とした入り組んだ民族間の抗争の歴史、そして現代の国境を越えたコンピューター・ゲームでの仮想通貨が、リアルマネーと化す問題が絡み、この事件は複雑怪奇な様相を呈してくる。しかも、血液型をメイン・トリックにしており(作者はこれを古典的な医学知識だという)、これらのみでもゆうに一冊の長編小説を書ける内容だと思わせるボリュームである。

重い主題を取り扱っているけれども、もつれた糸を解きほぐす御手洗潔の推理は、論理的で明快だから、本格推理小説を読んだという満足感を十分味わえる。と同時に民族紛争の歴史の悲惨さを浮き彫りにしており、多民族の共存がいかに難しいかは、我々単一民族である日本人の理解をはるかに越えたものであるようだ。

後者の『クロアチア人の手』は、来日したクロアチア人たちが起こした一種の密室殺人事件である。小説としての出来上がりは前者より劣るが、それでもその事件解決の推理は十分納得させるものがある。



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