福井晴敏


『川の深さは』(講談社文庫)
前から気になっていた『川の深さは』が文庫化されたので、早速読んでみた。何しろ第43回江戸川乱歩賞に最終候補に残った本作は惜しくも受賞を逸したが、選考委員のあの大沢在昌をして「私はこの作者のファンになった」と言わしめた作品である。

一読して惹き付けられた。マル暴上がりで自らグータラ警備員と言う駄目な中年男の前に、ある日傷ついた若い謎の男女が転がり込んでくる。その世話をするうちに生きがいを取り戻し、二人と交流を始めるが、その背後には日本と北朝鮮の問題や自衛隊、そしてオウム真理教を思わせる宗教団体のテロ事件があって、主人公は否応無しにその渦中に巻き込まれてゆく。しかし、主人公はそれを通じて人間回復を果たして行き、恋する相手も現われる。この相手は福井作品には珍しい彩りで、たぬきに似た中年男とこの女性の恋は何か微笑ましい。

中年男と特別な訓練を受けた受けた若者との交流は、『亡国のイージス』の先任伍長と若いクルーのそれの原型を思わせ、その二人が手を携えて冒険に乗り出してゆくところは、手に汗握る面白さで、やはり日本には珍しいスケールの大きな冒険小説になっている。しかし、福井作品の恐るべきところは、人間が書けていることである。だから、主人公たちに心から共感してしまうのだ。読んでいてほろっとさせられて、うまいなーと思わせる。

題名の『川の深さは』は、女性誌の心理テストの「あなたの目の前に川が流れています。深さはどれくらいあるでしょう? 1、足首まで。 2、膝まで。 3、腰まで。 4、肩まで」から来ていて、情熱度を表しているという。男性主人公二人は言うまでもなく「4、肩まで」。つまり、「情熱過多、暴走注意」。まさにその通りで納得。そしてこの川が最後までこの作品の底流を流れており、ただの冒険小説とは異なった深い感動を齎すのである。
『亡国のイージス』(講談社)
イージスとはギリシャ神話に登場する、どんな攻撃もはね返す楯のことだそうで、従来型とは一線を画する探査・射撃能力をもつ海上自衛隊の護衛艦をイージス艦といい、その護衛艦[いそかぜ]を舞台に艦長・先任伍長・若いクルーを中心に多彩な人物が交錯して、波乱万丈の物語が展開する。

前半では、訓練航海にでた[いそかぜ]艦上で次々と不審な事件が起こり、何のために・誰がという謎が謎を呼び、話が二転三転する。このあたりは、ミステリーとしてもよくできている。
結果として、[いそかぜ]の叛乱が明らかとなり、大規模破壊能力をもつ化学兵器を弾頭に装備したミサイルの照準を東京首都圏に設定して、東京湾に錨泊した[いそかぜ]対日本国の戦いの長い長い1日が後半部で描かれて行く。

平和国家とは? 国防とは?という重い主題を底に秘めながらも、物語全体のスケールが大きくかつ護衛艦内部をはじめとするディテールの描写が実に精密かつリアルで、読むものの息をもつかせない。また謎の生い立ちを持った若いクルーと先任伍長の人物像がリアルに描かれ、共感を呼ぶ。

アクション小説としても超一流であり、近頃これだけの重量感と深い感動を与えてくれた大作はなかった。この作品が第2回大薮春彦賞、第19回日本冒険小説協会大賞、第53回日本推理作家協会賞をトリプル受賞したのも当然と言える。
『終戦のローレライ』(講談社)
ハードカバーで全2巻(文庫本で全4巻)、原稿用紙で2800枚におよぶ超大作、内容も太平洋戦争の末期を舞台にした日本の終戦秘史とも言うべき壮大かつ重厚な作品である。作者は、映画化を前提に第二次世界大戦と潜水艦と女性を登場させるよう要請を受けてこの作品を書いたと言っているが、たとえはじめはそのような他動的な要因から構想したとしても、おそらくは一旦書き始めたら、その主題の大きさと奥深さが作者の想像力を刺激して、構想はどんどん膨らみ、このような大作に仕上がったのだと思う。冒険小説の旗手が歴史小説の側面を色濃くあわせもった作品を書いたことも特筆される。

『亡国のイージス』でも見られるように、作者の軍事全般に対する知識は並大抵のものではない。しかも今度は第二次大戦時の潜水艦が主な舞台である。正直そこに出てくる潜水艦内部を描写する専門用語には理解できないものも多いが、ナチス・ドイツの開発したローレライ・システム−秘密の潜水艦の超高感度水中探知装置を巡って、その奪取を狙うアメリカとそれを取引材料に日本を有利な条件で終戦に持ち込もうとする軍令部の浅見大佐の野望が明らかとなることから話は一挙に動き出す。しかし、主役はドイツからの戦利潜水艦「伊507」であり、そこに乗り組んだ絹見艦長、田口掌砲長、折笠征人などの一癖も二癖もある乗員たちと謎の混血SSのフリッツ・S・エブナー、さらにはローレライと呼ばれる装置−実は高い感知能力を持ったフリッツの妹パウルの織り成す人間模様と、彼らが次第次第に一蓮托生と言えるほど濃密になってくる連帯感が素晴らしい。

そして浅見大佐の狙いとは離れて、「伊507」は艦独自の動きをはじめ、テニアン沖でのアメリカ艦隊の包囲網を、神業的な絹見艦長の潜水艦の操舵術と艦員の一致協力で突破し、3発目の原子爆弾を東京へ落とそうとしていた飛行機を撃ち落し、若い折笠とパウルに後事を託して逃し、自らは海の藻屑と消える。この際の戦闘シーンが手に汗握る面白さである。彼らは無事日本にたどり着き、戦後の混乱を手を取り合いながら生き延びて行く。作中の要所要所に流れる「椰子の実」が効果的で、心打たれる。

学問としての歴史にはifは禁物であろうが、これは小説であるだけに、作者は史実を踏まえながらも、それに囚われることなく、想像力の羽を大胆かつ豊かに広げて、また臨場感溢れるディテールの描写とたしかな人間造形で、読む者を圧倒する豊かな物語−戦争小説であり、歴史小説であり、青春小説でもあるこの物語を紡ぎ出した。その途方も無い才能にはあらためて驚嘆せざるをえない。一体この人はこの先どこまで伸びて行くのであろうか?次作がどんな作品になるか?待ち遠しい。
『Op.ローズダスト』(文藝春秋)
通称ダイス(防衛庁情報局)が舞台になっていて、主人公がノンキャリの公安警察官(主人公自ら公安の窓際をもじって、「ハムの脂身」というのが面白い)と陰のある元情報局員が主役となる設定は、『川の深さは』『亡国のイージス』などと共通するところがあるのは否めないが、今回は日本国内でのテロ事件をめぐって、市ヶ谷(防衛庁)と桜田門(警察庁)のせめぎあいのなかで、次から次へと波乱万丈の物語が展開するのは、やはり期待を裏切らない面白さである。

しかも、古い言葉ではなく、新しい言葉で日本の防衛と安全を考えて行く作者の姿勢は、ただのエンターテインメントでは終わらない予感をさせる。下巻に入ってから、壮大なクライマックスに向ってぐんぐんと進む物語に惹き付けられて、一気に全巻を読み終えた。週刊誌連載に新たに800枚書き下ろされたものだという、下巻の三分の二を占めるFAINAL PhaseとAfterの部分が圧倒的な迫力で読ませる。ネタバレもあり、あまり詳しくは書けないが、臨海副都心を舞台に爆弾テロを仕掛ける五人の元ダイスのグループに対して、その元の仲間の自衛官二名と公安のノンキャリ並河警部補が、そして徐々に彼らに同感して協力しはじめた自衛隊と警察のメンバーたちが果敢に立ち向かう。

今までの作品でもそうだったが、この作品でも作者の精密な描写には舌を巻く。これはとてもフィクションとは思えない。今の臨海副都心にこのようなテロが仕掛けられたら、果たして防御できるのだろうか?と不安になってしまう。日本でもいつなん時起こっても不思議ではない危機管理のシミュレーション・ノベルであろう。

しかし、作者は主人公たちの性格描写にも手を抜くことなく、何故五人がテロに走ったか、またそのリーダー入江一功と親しい友だった丹原朋希の一人の女性をめぐっての複雑な感情の交錯をも詳しく描く。加えてその上司だったヘリパイ羽住の秘められた恋情もあって、その人間関係は従来の作品にもまして物語に厚みと深みがある。さらに朋希に生き続けて行く希望を持たせる並河警部補の娘恵理の存在も全体として暗い物語のなかでの一筋の明かりとなっている。

ローズダストとは、波の花を見て主人公たちが「白いばら」とも「綿埃」とも言ったことから、名付けられたことから来ているが、クライマックスで壊滅的な打撃を被りった臨海副都心にこのローズダストが漂い、乱舞する光景は、現代日本に警鐘を鳴らして、テロの墓標となしたモニュメントに奉げられた美しいあだ花なのであろうか?





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