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山田風太郎と言えば、「忍法帖シリーズ」がその代表作と一般には思われている(なかでも柳生十兵衛三部作、なかんずく『魔界転生』は奇跡的な傑作)が、実はそう一筋縄ではいかない非常に守備範囲の広い作家である。推理ものあり、伝奇ものありである。伝奇ものも室町ものから戦国、江戸期を舞台とした「忍法帖シリーズ」、幕末妖人伝、明治ものと各時代を満遍なくカバーしている。
とりわけ、山田風太郎の全作品のなかで、群を抜いて屹立しているのが明治もの−明治小説全集として纏められた一群の小説群である。その第1作として昭和50年(1975年)に刊行されたこの『警視庁草紙』こそ明治ものの代表作であるばかりでなく、彼の最高傑作であると言って過言ではないだろう。
これは、全18編からなる短編連作集だが、全体としては一個の長編のような趣を呈している。冒頭に政争に破れて下野し、鹿児島へ戻るため東京を離れようとしている西郷隆盛とそれを見送る川路利良(後の初代警視庁総監)を描くところから物語ははじまる。そこへ落語家三遊亭円朝が登場し、彼の代表作の一つである『牡丹燈籠』を思わせる奇怪な事件が展開する(「明治牡丹燈籠」)。しかもその事件解決に乗り出したのが、お馴染みの三河町の半七!半七は勿論かの岡本綺堂の生み出した傑作捕物帳の主人公だが、決して架空の人物ではなさそうなので、この登場も違和感はない。しかし、さしもの半七も手を焼いた怪事件は元八丁堀同心千羽兵四郎と、その元上司である元南町奉行駒井相模守に持ち込まれことになる。二人の活躍により、警視庁の役人たちを出し抜いて事件は解決し、円朝の『牡丹燈籠』は完成する。
実にこの1編を取っても、実在の人物群を縦横に動かし、見事な仕上がりの短編となっているのだが、これはまだほんの序の口。以降、警視庁対東京南町奉行といった対立の構図を縦糸にして、明治期に活躍した錚々たる人物たちが、こう動いた、また恐らくこう動いたであろう波乱万丈の物語が、虚実皮膜の綱渡りのなかに展開して行く。その人物たるや、よくもこれだけの人物をと思わせるほど次から次へと登場してきて、読む者を唖然とさせる。それがいかにも自然で、作り物めいた感じがしないのは驚くべきことである。
河竹黙阿弥、唐人お吉、河鍋暁斎、清水次郎長、大政、小政、首切り浅右衛門、山岡鉄舟、熊坂長庵、皇女和宮、そして作家では、漱石、一葉、鴎外、露伴などなど、枚挙に暇がない。しかもこれ以外の主要な人物ー先にあげた川路利良や原胤昭などは、他の明治ものの諸作ー『地の果ての獄』、『明治断頭台』、『明治波濤歌』、『明治十手架』などにも主要な人物として登場して来る。これはバルザックの人間喜劇にヒントを得ているようだが、このいわゆる人物再出方式はこれらの作品に厚みを増し、総体としてさながら明治人物絵巻を作り上げている。
以降の各編の詳細に触れることはできないが、漱石(金之助)と一葉(夏子)の幼い出会いを、一編の怪談咄のなかに描いた「幻談大名小路」、本編の外伝とも言うべき高橋お伝の恋を綴る「妖恋高橋お伝」、からくり儀右衛門や画家の高橋由一も協力して、時の権力者井上馨を攻撃する痛快な「幻燈煉瓦街」などが忘れ難い。
最後は西南の役に出陣する川路利良率いる警視庁抜刀隊に千羽兵四郎が参加するところでこの物語は終わっているが、警視庁対東京南町奉行の対立は、やはり旧勢力が敗北したのであろうか。しかし、山田風太郎の眼は、他の明治ものでも川路利良を主役にしていながら、何故か明治の時代に主役たりえなかった人物に注がれているように思われてならない。このあたりのことは、6編の中篇集である『明治波濤歌』であらためて考えてみたい。 |
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明治十五年から十七年の三年間、自由民権運動の高揚期を背景にして、元会津藩町方同心干潟干兵衛が、会津落城の際には妻お宵を、そして薩摩への報復のためにともに従軍した西南の役では子息蔵太郎を喪い、その遺児お雛とともに辻馬車稼業をしていて、遭遇する事件の物語である。お雛が、「父(とと)! 父(とと)!」と呼ぶ時にのみ血まみれの軍服姿で蔵太郎の幽霊が現れて、干兵衛たちの危難を救う。さらに蔵太郎が呼ぶと、妻お宵の幽霊も現れ、しかも二人とも死んだ時の年齢のままである。いつしか、干兵衛の馬車は「幽霊馬車」と言われる。
虚と実が交じり合い、明治の著名人物が入れ替わり立ち代り登場するのは、他の明治物と同じであるが、この作品は架空の人物と幽霊が主役という点で、より幻想味が濃い。勿論、三遊亭円朝、大山巌・捨松夫妻(まだ結婚前であるが)、田山花袋、川上音二郎・貞奴、伊藤博文などがまさにこんなところに出て来るのかと読む者をうならせ、歴史的にもありうると思わせるのは、いつもながら明治物を読む醍醐味である。とりわけ、坪内逍遥が後に妻とする花魁花紫とともに活躍する花魁自由党の章は傑出した面白さである。
しかし、前半はこのような人物たちが主役であったが、後半に至って自由民権運動の壮士対新政府、そして鬼県令として名高い三島通庸との対立から、干兵衛はいやおうなしに自由民権運動側に肩入れするようになる。しかし、自由民権運動にたずさわっている壮士たちも、元はといえば武士であり、時の明治政府への不満分子だと見抜き、その見る目は醒めていて、「戦中派が赤軍派をみるようなもの」という例えで表現しているのは戦中派山田風太郎ならではであろう。
しかし、自由民権運動の敗北と自らの死を見通しながらも、干兵衛と年老いた学者の晩香先生は、加波山蜂起にむかって行く。晩香先生の「どうせ人間は、みんな仕掛花火に似た命じゃて。……いや、花火を打揚げられる人間は、まだ倖せといおうか」という言葉には、戦中派山田風太郎のさまざまな思いが込められたメッセージのように思う。 |
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時は明治十九年秋、極寒の北海道の監獄が舞台であるためか、最初はただひたすらに酷烈さが印象づけられる小説である。薩摩出身の有馬四郎助(実在の人物で、後の「愛の典獄」と呼ばれたように受刑者に愛情を持って接し、一生を監獄、つまり刑務所の看守から所長を務めた人である)が、北海道の樺戸の集治監(監獄)の看守になって赴任するところから、この十四編の短編連作の物語がはじまるが、船中で護送中の囚人たちが騒動を引き起こす波乱の幕開け。監獄教誨師として北海道各地を回ろうと同船している原胤昭(『明治十手架』の主人公でもある)の力で無事騒動は治まり、有馬は原に親しみを持つ。
しかし、樺戸、そして空知の監獄(ここは幌内炭鉱掘削のためのもの)の双方に看守として務めながら、有馬は多くの囚人の苛烈な生き方に出あうことになる。明治人物絵巻の趣がある風太郎明治小説全集のなかでも、この作品はどちらかといえば地味ではあるが、通人向きの人物が続々と登場する。大盗賊「五寸釘の寅吉」、収監されながら自在に監獄を出入りする「牢屋小僧」を狂言回しとして、例えば「境港事件」の生き残りの二名は、西郷隆盛を狙撃した否かを巡って対照的に運命が分かれる。また政治犯としては、直前に起こった自由民権運動の壮士たちが、秩父困民党事件の首謀者を百姓一揆として馬鹿にするといった歴史の皮肉も物語として活写される。
こう書いてくると、小難しそうな小説に聞こえてしまいそうであるが、実際には波乱万丈の痛快なもので、時はあたかもアメリカ西部劇と同時代、西部劇を見るような大活劇が展開する。独休庵(ひとりきゆうあん)なる酔っ払いの医者が登場するが、これが「ドク・ホリディ」のもじり。『警視庁草紙』にも登場した鴉仙和尚ともども、二台の犬ぞりを操って、深夜の氷原を疾駆するラストは、手に汗握る面白さである。しかも、独休庵が有馬の親戚である幕末の謎の人物益満休之助らしいことが暗示されていて、興味深い。
他に温情ある看守として山本五十六の兄である高野襄、囚人側では秩父困民党事件で死刑判決を受けながら、その死の最後まで逃亡しおおせた井上伝蔵、子母沢寛の祖父梅沢十次郎、著名人としては同志社の創立者新島襄、作家の幸田露伴など、いつもながらの山田マジックによって、多彩な人物が続々と登場するのは圧巻である。幌内炭鉱で掘り出された石炭を運ぶために、日本で三番目に敷設された幌内と小樽間の鉄路での逃亡した囚人の追跡劇で、弁慶号を義経号が追いかけ、反対方向から来た静号との出会いで三台の機関車が勢揃いして、弁慶号が立ち往生するのも愉快である。 |
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この作品は、さながら明治人物絵巻の感がある『山田風太郎明治小説全集』のなかでも、推理小説の色彩の濃い異色の連作短編集である。
主役は明治小説全集のほぼ全作品に登場する最重要人物の川路利良であり、ドクトル・ヘボン・岸田吟香・高橋お伝・東郷平八郎・高村光雲・内村鑑三など例によってきらびやかに多くの歴史上の人物が登場する。また明治政界の大物である西郷隆盛・江藤新平・山県有朋・桐野利秋も重要な場面で川路利良に絡んでくる。架空の物語だから、いつもながら、作者は見てきたような虚構の糸を紡いでいるであるけれども、まったくそれを感じさせない巧みなストーリーの展開には舌をまく。しかも、本筋ではないが、あのマルクスの『資本論』の一部が早くも翻訳されて、危険思想とみなされるという話は明らかに虚構にしても、時代的にはありえると思えるから、鋭い着想である。
舞台は明治初期、まだ政府組織が混乱しているなか、役人の不正を糺す目的で古めかしい名前を復活させた太政官弾正台の大巡察である川路利良と佐賀出身の香月経四郎とが、競って不可解な殺人事件を解決して行く。この香月の出で立ちが指貫・水干姿という仕事に似合わない古風な格好をしていて、それでいて留学していたフランスから金髪の美女を連れてきていて、罪人の処刑にギロチンまで使用する先進的な部分もあるアンバランスさ(題名の断頭台は弾正台にかけてあるのはもちろんである)。そして、香月経四郎は正義の政府の実現のために、羅卒(今で言う巡査)たちを使って、事件の核心に迫り、最後は美女エスメラルダが巫女姿で、あの世から殺された者を呼び出して驚くべき真相を語る。
全八編のうち最初の二編は導入部で、実際の謎の殺人事件は続く五編であるが、どれも解決不可能と思えるようなものである。しかし、それらの事件についてすべての本当の真相が一気に明らかにされるという驚愕のエピローグが待っている。脇役の駄目な羅卒たちが最後に死力を振り絞って奮闘する姿には思わず声援を送りたくなってしまう。
これは風太郎明治小説を代表する作品であるばかりでなく、日本の推理小説としても第一級の作品であることは疑いようも無い。 |
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この作品も『山田風太郎明治小説全集』の一つなのに、何故題名がエドかというと『お菊さん』で名を知られ、フランスの作家で海軍大尉として日本を訪れたことがあるピエール・ロティの旅行記『秋の日本』のなかに「エドの舞踏会」の章があり、それを借用したもののようだ。
時は明治18〜20年、鹿鳴館を作り、不平等条約の改正のために政府が躍起となっている頃の話である。海軍大臣西郷従道(隆盛の弟)の伝令使(今で言えば、秘書官か)となった、後に総理大臣や海軍大臣を務めた山本権兵衛が、大臣の命を受けて、大山巌の妻捨松とともに明治政府高官の妻たちに鹿鳴館の舞踏会に出てもらうよう、頼みに回り、その意外な素顔を知ることになる。相手は、井上馨、伊藤博文、山県有朋、黒田清隆、森有礼、大隈重信、陸奥宗光の各夫人という錚々たるメンバーである。もう一人ル・ジャンドル夫人がいるが、この人については、後に触れる。
この夫人たちは、
「山本権兵衛が言う、
『政府のえらか人、みなさんそろって大美人ばかり奥さんにしとられますなあ…』
答える西郷従道海軍大臣、
『そりゃみんな西国の田舎侍で、江戸に進駐して、江戸の女を見て魂が飛ぶ思いがしたんじゃろ。ま、征服者の掠奪、っちゅうやつじゃな…』」
ところが、政府高官が成り上がり者なら、その夫人たちもほとんど芸者や女郎あがりだったのである。主人公の山本権兵衛の夫人自体が、品川の女郎だった。しかし、彼女たちはみなそれぞれ傑物である!芸者姿に戻って胸のすく啖呵をきる伊藤博文夫人梅子。女遊びを隠す夫の裏をかいて、自分の妹として鹿鳴館に連れてゆき、しっぺ返しをする山県有朋夫人友子。秘密の子を逆手にとって、夫を付回していやがらせをする警視総監三島通庸を脅喝する陸奥宗光夫人亮子、など天晴れとも言える活躍である。洋風化のために外人の子を産んでしまう森有礼夫人常子の話も哀切である。
しかし、一番印象に残るのが、政府が顧問に招聘したル・ジャンドル将軍の夫人糸子である。ある意味では人身御供のような形で嫁いだ彼女は、混血児の男の子は苦労するだろうとの夫の言葉に長男を泣く泣く里子に出す。そのままその消息は分からなかったのだが、山本権兵衛が調べたところ、歌舞伎役者の養子になったという。この子が何気なく助六や切られ与三郎の科白をやるのも面白い。そして、有名な明治20年の井上馨邸での天覧歌舞伎で、この子は九代目團十郎と『連獅子』を踊る。そこへ来ていたル・ジャンドル夫人糸子が、顔じゅうを涙でぬらしながら「橘屋!」と声をかける場面は感動的である。この子−坂東竹松は、のちの十五世市村羽左衛門である。歌舞伎界の伝説的な名優の一人である羽左衛門が、実は混血児だったという出生の秘密も驚くべき秘話であった。
「終曲・鹿鳴館の花」で、華やかにワルツを踊る貴婦人たちを見ながら、西郷従道が山本権兵衛夫人登喜にやさしく語りかける。
「生まれながらの貴族もおりゃ、氏素性のよく知れん者もおる。…おいはあれを見て、いつも不思議に思うんじゃが、男はな、元の身分がいやしいと、いかに出世しても、その人相にそれが残る。ところが、女性はな、貴族になったら、みんなみごとに貴族になるな。いや、衣裳の事じゃなか、心がじゃ。あっぱれ、女は変わる。―」
これこそこの小説の主題を端的に表した言葉であろう。女たちの鹿鳴館物語は、明治高官の妻たちの歴史の表舞台からは隠された物語でもある。 |
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『警視庁草紙』をはじめとする明治ものは、短編連作の形を取るものが多いのだが、昭和56年(1981年)に刊行されたこの『明治波濤歌』はいわば中編集の趣がある。各編は以前河出文庫版で読んだ時は、執筆順に並んでいたということだっだが、今回の全集版では、作者の意向で初版本の順序に戻してあるという。ただし、その順序の意図しているところが、不敏にして判然としない。
この中編集のテーマは、中扉の次の文言に明らかである。
「波濤(なみ)は運び来り
波濤は運び去る
明治の歌・・・・・・」
つまり、明治の時代に「港を出て行った人、入ってきた人たちの話」(山田風太郎)なのである。
全6編全てに触れることはできないので、もっとも感銘深い1編を中心に取り上げてみたい。
『風の中の蝶』
6編中もっとも長い1編。近年歴史学者色川大吉氏の発掘になる新しい史実によって明らかとなってきた自由民権運動鎮静後の北村門太郎(透谷)と多摩の豪農石坂昌孝の子供−ミナ、公歴の姉弟の交流を軸に、三多摩地方を舞台に話は展開する。これに絡む人物がこれまた多士多彩!
粘菌の採集に現われた若き南方熊楠(「食べたものを胃から戻して反芻し、吐く」という特技が効果的に使われる)、自由民権運動の大立者大井憲太郎、それに従う大矢正夫、景山(福田)英子、そして無名だが三多摩自由民権運動の畸人秋山国三郎などが続々登場してくる。
公歴は石坂家に現われた英子に恋をする。しかし、大井憲太郎を中心とした一派は、朝鮮で一旗あげようと画策し、爆裂弾を準備し大阪・長崎に集まるのだが、軍資金を持ち逃げされて立往生しているところを官憲に一網打尽にされる。いわゆる「大阪事件」である。この事件に巻き込まれそうになりながら、危うく難を逃れた公歴は、警視庁からの追求をかわそうとして、アメリカに渡ることを決意する。公歴の事実上の「家庭教師」として、受験をはじめいろいろと相談に乗ってきた門太郎(透谷)は、次第に姉ミナと激しい恋に落ちる。そして、公歴のアメリカ行きを手伝わんとして、官憲の警戒の中、熊楠と同じ大学予備門の同級生である金之助(漱石)、升(子規)の助力を得て、奇策を用いて何とかアメリカ行きの船に乗せることに成功する。
しかし、この物語の後日談である彼らの後半生は悲惨である。ミナと結婚した透谷は自殺、アメリカへ渡った公歴は、流浪の末一度も日本に戻ることなく、太平洋戦争下の日本人収容所でひっそりと息を引き取ったという。
知られざる明治の青春物語は哀しいが、しかしまた事実そのままなのである。山田風太郎は、史実を基に、このような哀しい青春物語を紡ぎ出した。ちなみに、この物語の舞台になった三多摩地方は、実は小生が住まいする今の東京都町田市であり、民権の森として整備された公園には、透谷・ミナの出会いの碑や石坂昌孝の墓もある。その傍に佇み、この物語に思いを馳せれば、遠い明治の物語も近く感じられ、懐かしい気さえする。
他に小説を書き出した夏子(一葉)が、人買いで有名な伊平次に南洋に売り飛ばされて「からゆきさん」にされそうになるかっての主家の娘美登里を救おうとする物語、『からゆき草紙』
唯一パリを舞台に、日本人たちにゴーギャン、ヴェルレーヌ、ユーゴーなどの綺羅星のごとき芸術家たちを絡ませながら、そこで起きた芸者仇吉の殺人事件を川路利良と名探偵ルコック、アブサンが競って謎に迫る、という奇想天外な物語、『巴里に雪のふるごとく』
『横浜オッペケペ』
かのオッペケペ節で有名な川上音次郎・貞奴夫妻が、興行の失敗から借金に追われながらも、アメリカに渡るまでの物語。二人を助けるのが野口英世。だが、ここに描かれる英世は、偉人物語で描かれるのとは大違いの、押しの強い、ハッタリ屋であるところが面白い。その他にも多彩な人物が登場するが、極めつけは三遊亭夢之助。英世とともに二人を助ける男の正体は実は・・・。
『舞姫』の後の鴎外と、日本にやってきたエリスを描く『築地西洋軒』、日本人初の太平洋横断で有名な咸臨丸のその後の運命を描く『それからの咸臨丸』も、やはり知られざる明治日本の一つの青春物語なのかもしれない。
これら6編のどれを取っても、史実に拠りながら、明治日本の海と船が痛快に、しかしもの哀しく描かれ、風太郎ワールド一杯である。しかし、風太郎の眼の何と温かなことか!そして、一つの作品で6つの異なった物語を堪能できるとは、これまた何と贅沢なことではないか! |
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山田風太郎明治小説全集の一編である。私は以前単行本で読んだまま、この全集(蔵書は全七巻の愛蔵版である)に収められてからは再読していなかったから、まったく新鮮な興奮を覚えながら、読み終えた。『警視庁草紙』など短篇連作が多い作者にしては珍しい長編小説である。
雑誌掲載当時の原題は『明治化物草紙』だったとか。ロシア革命で倒れたロマノフ王朝の末期にニコライ二世の宮廷に跋扈した怪僧ラスプーチンが、明治二十年代の日本に来ていたという架空の設定であるが、全編の主人公に日露戦争の諜報戦に暗躍した明石元二郎を配するにおよんで、明治憲法発布からロシア皇太子遭難事件(いわゆる「大津事件」)までの二年間、虚実取り混ぜた明治の化物たちが交錯して、手に汗握る面白さである。
冒頭森有礼暗殺事件からはじまり、明石元二郎が建築中の御茶ノ水ニコライ大聖堂のてっぺんで、ニコライ大主教と乃木希典が大聖堂の高さをめぐって論争している場に行く。ところがそこにいるのが長谷川辰之助(二葉亭四迷)と彼に抱かれている幼い谷崎潤一郎と、出だしから明治の歴史上のつわものが顔を揃えるから、壮観である。勿論これは虚構である。しかし、他の作品でもそうなのだが、これは風太郎の綿密な史料の読み込みから紡ぎ出された歴史のifなのである。
明石が風太郎好みの「永遠の処女」竜岡雪香を胡散臭い占い師稲城黄天から護る活躍が前半で、そこには森鴎外も関係する。ところが話はいきなりサハリン島へ来た文豪チェーホフに飛び、そこに得体に知れない乞食僧ラスプーチンが登場して、死ぬ間際の雪香の母から預かった手紙をチェーホフに代わって日本へ届けることになる。彼に狙いはロシア皇太子に接触することにあり、当時の東京の貧民街に住み付く。ラスプーチンが血友病の治療など不思議な力を持っていたことが、ここでもうまく使われている。ラスプーチンの通訳に長谷川辰之助(二葉亭四迷)がなったり、勅語不敬事件を起こした内村鑑三も重要な役回りで登場し、やがて津田三蔵とその双子の弟七蔵による驚くべき大津事件の真相に向って話は急展開してゆく。これ以上詳しく書くとこれから読まれる方にはネタバレになるので略すけれども、この作品は風太郎の明治もののなかでも群を抜く傑作だと認識をあらたにした。 |
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山田風太郎の明治小説全集の最後の長編。『幻燈辻馬車』と同じ明治十六年前後を扱っていて、そこにも少し登場し、また『地の果ての獄』でも監獄教誨師として重要な役割をになっていた実在の人物、原胤昭の若き時代の波乱万丈の物語である。したがって、登場人物は『幻燈辻馬車』と重なり合う部分もあるが、まったく別の話となっているのが心憎い。
もちろん、原胤昭の伝記に基づいているとはいえ、作者お得意の虚と実とを巧みに組み合わせているから、ドクトル・ヘボンや岸田吟香、スリの仕立屋銀次など実在の人物が随所に登場し、主役たちの周囲を彩っている。作者好みの子規、漱石、一葉も登場する。原胤昭は、元八丁堀の与力。二つの十手を使っていたが、それが一部欠けてあたかも十字架に見えることから、「十手架」とは見事なタイトルであり、しかも彼が女主人公の聖女お夕の感化を受けて、キリスト教慈善事業家になるまでを暗示しているのだから、作者の腕にはうならざるを得ない。
しかし、ここに展開する物語のメインは、自由民権運動にからむ筆禍事件を起こして、以前いた石川島監獄に収容された主人公原胤昭と、彼を助ける悪党五人と官憲たちとの凄まじくも奇抜な闘いである。「けだもの勝負」として第一番から第五番まであるのは、ちょうど風太郎忍法帖で忍者同士が秘術を尽くして闘うさまを思い出させる。しかも、悪党たちは圧倒的に不利な状況でいかに官憲たちを倒すかが、大変スリリングに描かれている。
あたかも円朝の高座のような語り口で、原胤昭の座談ではじまり、途中は普通の第三者の小説叙述となるが、また最後は座談で終わり、主人公の妻の死が淡々と語られる。その妻が誰だったかは自ずと分かるが、一生を慈善事業にささげた主人公を支えたお夕の妹おひろの死を持って終わるこの結末は余韻を残す。 |
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平成5年12月初版の河出文庫版「山田風太郎コレクション」の明治編である。既に絶版のようである。ちくま文庫版の山田風太郎明治小説全集ではこの収録作品を断片的に読める。
以前読んだことがあったはずであるが、今回再読して、あらためて明治政界の巨魁星亨の数奇な生き方を思った。名付けて「明治暗黒星」。とにかく一介の庶民から成り上がり、日本最初の弁護士から政界に転じ、衆議院議長や米国公使などの要職を務めるけれども、常に悪名が付きまとい、押し通ると言われたという。この「明治暗黒星」は、その星と幕末の剣客伊庭八郎の弟想太郎の維新後の転変する人生を交差させながら、星亨暗殺の凶行までを描く。しかも、死後その悪評とは裏腹に、星の残した財産は一万三千冊の書物と借金だけだったというのも意外で、不思議な余韻を残す。
このコレクションの表題となっている「明治忠臣蔵」も、明治期には有名だった旧相馬藩主をめぐるいわばお家騒動である。正義の味方風の壮士の弁護士に星亨がついたのも面白い。しかし、この作品の隠された面白さは、悪家老とも言われたが、実は忠勤の家政の一族に有名な作家が登場することであろう。よく思い出してみれば、彼の初期作品にはこの事件が陰を落としていた |
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廣済堂文庫から山田風太郎の傑作伝奇小説『八犬傳』【上下】の新装版が出たので、久しぶりに読み返してみた。滝沢(曲亭)馬琴の大作『南総里見八犬伝』を題材に、風太郎流に仕立て直したものである。仕立て直しのミソは、八犬伝の「虚の世界」と作者の馬琴の生活である「実の世界」を交互に行き来して、一篇の長編小説としたことである。
『南総里見八犬伝』は、言うまでもなく馬琴が後半生の二七年間を費やして書き続けた因果応報・勧善懲悪の読本の大作で、江戸文学の代表作の一つとして著名な古典である。しかし、古典の常のみならずその異様な長さと博引旁証の漢文で、現代人がとても容易く読み通せるものではない。だから、有名な里見氏の伏姫物語から八犬士の発見と流転の物語は、原典を読まずに、少年少女向けの抄訳本、映画や芝居などで知っている人も多いであろう。かく言う私もその一人であるが、そのロマン溢れる伝奇的な物語には常に惹かれてきた。
何しろ漢語が多いうえ、美辞麗句、和漢の古書からの無数の引用、そして説教調がまじる原文よりはよほど風太郎の八犬傳の世界の方が分り易く、面白い。しかも、風太郎は『曲亭馬琴日記』によりつつ、物語を紡ぎ出す八犬傳の作者である曲亭馬琴の実生活を抉り出す。ちなみに筆名の曲亭馬琴とは「くるわでまこと」、つまり廓まで真面目に遊女に尽くす野暮な男の意味という指摘がある。
たしかに、ここに描き出されている馬琴は完全主義者で、執拗性・粘着性が強く、周囲とも調和できない、言わばへそ曲がり気味の扱い難い男である。それがどこからあのようなスケールの大きいロマンが生まれるのか不思議である。「実の世界」で馬琴から梗概を聞かされる役回りの、あの天才絵師葛飾北斎も、ただただ感心しているのである。
しかし、中村座で北斎とともに『仮名手本忠臣蔵』と『東海道四谷怪談』の通しを二日間にわたり観た馬琴は、奈落で鶴屋南北と対話をする場面で馬琴の世界はつじつま合わせであると批判される。南北は虚構の世界を通して現実の暗闇をあぶり出すのだと主張していると読める。風太郎は江戸歌舞伎にも詳しく、先日観劇した花形歌舞伎『東海道四谷怪談』を思い出しながら、読むとより興趣がわく。このあたりは木戸番の鼠小僧次郎吉も登場させて、「史実に従ってうそをつく」風太郎ワールド全開である。
繰り返すようであるが、この山田風太郎版『八犬傳』は「虚の世界」として『南総里見八犬伝』の八犬士の活躍と、それを執筆する滝沢(曲亭)馬琴の実生活を「実の世界」として交互にを描いている。これは、作中で馬琴も北斎とともに芝居見物した中村座の舞台の狂言作者鶴屋南北が編み出した綯い交ぜの手法を借りていることは明らかであろう。時代物と生世話物の綯い交ぜは、南北ならではの突飛とも思える話の飛躍が不思議な世界を生み出し、現代に残る数々の歌舞伎狂言の名作となった。しかも南北は、馬琴の自分の思うがままにならない現実を、虚構の世界で正義を貫くという創作手法を批判し、虚構の世界から現実の人間の闇と業を見つめる自らの立場を明確にしている。
これはある意味では山田風太郎の馬琴への強烈な批判でもある。しかも馬琴が書いた詳細な日記から、その倣岸で、執着性の強い性格は絶えず周囲と摩擦を惹き起こすし、その家庭は執筆にふさわしい穏やかな日々どころか、馬琴の書いたものに理解を示さない妻、馬琴のアクの強さに圧迫されたようなひ弱な息子など、馬琴が生活のために粒粒辛苦して生活のために旺盛な執筆生活を続ければ続けるほど、地獄の生活のようにも見えることを山田風太郎は容赦なく抉り出す。
しかも肝心の八犬伝の創作も馬琴の完全主義が災いして、几帳面さが逆に煩わしく、また善悪の登場人物の辻褄をあわせるために、面白さを犠牲にしてまでも、極端に精細で膨大な読本を延々と書き継いで行く。馬琴の老齢化もあろうが、「脳髄の変質を自覚していない」と断じる。
しかし、そんな馬琴に風太郎がなぜ共感したかと言えば、「ただおのれの内部からあふれてくる物語自体のため」に書き続ける姿であろう。75歳の馬琴はそれ以前から白内障で右目の視力を失っていたが、とうとう両岸を失明して、自らは一行も書けない事態に陥った。その馬琴の苦難を病で失った息子の嫁お路、それもはじめは漢字も書けない嫁を相手に口述筆記をしてゆくのである。それはあたかも杉田玄白らが一冊の辞書もなくして「解体新書」を翻訳した奇跡になぞらえているが、漢字一字づつ教えながら根気よく続けてゆく。
そして前触れもなく訪れた北斎は、「ものに憑かれたように語りつづける盲目の馬琴と、それを一心不乱に筆記しているお路の姿に、この世にあり得ない苦闘と法悦の溶け合った世界を見て、いいようもなく心打たれたのであった」。北斎は一礼して何も言わずに立ち去った。まさに「虚」と「実」の瞑合した世界が現出して、壮大な八犬傳の世界は大団円を迎えたのである。このような感動的なラストシーンを書きたくて山田風太郎がこの長編小説を創ったのであろう。この時滝沢馬琴はまさしく山田風太郎と一体化していたのである。
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NHKの大河ドラマ『天地人』で、直江兼続が全国的に有名になったお蔭で、山田風太郎の隠れたる傑作が徳間文庫で久しぶりに市場に出たのはまことにご同慶の至りである。この「読書手帖」でも山田風太郎の作品を多く取り上げているが、主として明治物であるので、この機会にこの作品について取り上げてみたい。山田風太郎のような天才・奇才となると、その膨大な作品群は多岐にわたっているけれども、強いて分けると初期の多様なミステリー、爆発的な人気となった忍法帖シリーズ、幕末妖人伝から明治物、そして室町もの、の四つになるというのが定説である。
ところが、この『叛旗兵』もそうであるが、少なからず戦国時代を舞台にした作品もあるわけで、そのなかにはキリシタンものという日本の時代小説の鬼門になっている題材も含まれている。ただ、長編小説としては、『妖説太閤記』と本作品くらいしか思い浮かばない。だから、風太郎の作品の中でも特異な位置を占めるものだと思う。今回の文庫では「妖説直江兼続」と副題されているが、もちろん原作にはないもので、直江兼続の名前で本文庫を売り込もうとする出版社の意図であろう。しかし、結果としてこの副題は意味深長なものになっている。何にせよまだ直江兼続が世間的にも知られていない昭和40年代に登場人物にして、このような作品を書いた作者の慧眼たるや敬服するほかはない。
時は関ヶ原合戦後、上杉家が石高を減らさたうえで兼続のいた米沢へ移封された頃。上杉家は徳川家をはばかってひっそりとしている。その時直江家の養女伽羅のところへ、家康の謀臣本多佐渡守正信から次男の長五郎正重を養子にとの縁談が持ち込まれた。前田慶次郎(ヒョット斎)ほか、女性恐怖症の剣豪上泉主水、吝嗇家でしかも賭け事(とくに麻雀)が大好きでしかもクリスチャンである岡野左内、大の恐妻家にして豪傑の車丹波という個性豊かな直江四天王は大反対。伽羅本人もそれを嫌い、兼続は意外にも関ヶ原で西軍の武将として奮戦し戦死した大谷刑部の子息が、遠島から帰るのを待って伽羅に娶わせる決断をする。しかし、その婚礼前後から直江家と四天王の周囲にはの怪しい影と事件が続く。
しかも肝心の婿になった左兵衛がはなはだ頼りない。四天王は左兵衛を鍛えて欲しいという伽羅の願いを入れて、直江家に対して婚礼の席で非礼の振る舞いがあったかっての豊臣家恩顧の大名たちに入れ替わり立ち替わり仕返し(これがなんとも滑稽ないたずらとも言えるものであるが)をするという、言わば忍法帳の対戦ゲームのような奇想天外なドタバタが続く。しかも、計ったようにこれぞという場面で登場する本多長五郎正重は謎の覆面の人物で、しかもその傍の護衛には宮本武蔵と佐々木小次郎がいるという設定もありえないようでいて、妙にもっとらしいのが作者の腕である。さらには伽羅が佐助と呼ぶ一癖もある草履取りも登場して、ますます奇怪な様相を呈してくる。このあたりはミステリーの要素を併せ持つ。
家康の上洛と二條城での秀頼との対面に随行して京へ上った兼続一行は、そこで二條城松の廊下事件に遭遇する。これは殿中で浅野長政が吉良上野介に鮒侍と罵って斬られてしまう事件であり、言わば忠臣蔵の先祖たちが起こした反世界の忠臣蔵。それに慌てふためく撞木町で遊び呆ける大石内蔵助など、慶長の忠臣蔵はパロディとしての面白さもさることながら、これをきっかけに上杉家と吉良家が親密になったとは、フィクションにしても説得性のある物語設定でもある。
しかし、作者の真骨頂はラストに近づくほど明らかになる。左兵衛の正体は?伽羅の実父は?また長五郎正重は何者なのか?など今まで周到にはりめぐらされた伏線が一点に集約されて意外な真相が明らかになる。そしてその時、兼続と秘めたる思いと、四天王の慟哭。そして、その後のラストで本書のタイトルである『叛旗兵』の意味が提示されて、主人公たちの命をかけた「叛』が読むものの胸をうつ。ネタバレとなるので、これ以上は本書をお読みいただくとして、ちょうど明治ものが執筆されていた時期に並行して書かれたこの作品も上記以外の歴史上の人物があちらこちらに登場し、歴史上のifの醍醐味を満喫させる。本書は直江兼続を隠れた、いやもしかしたら真の主人公にしながら、多彩な人物を自在に躍動させつつ、伝奇小説とミステリーを融合した稀に見る傑作であると思う。
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