岡本綺堂


『半七捕物帳』(光文社文庫 全六巻)
時代小説の一つのジャンルとして、捕物帳があることは周知のことである。野村胡堂の『銭形平次捕物控』がテレビ放送での大川橋蔵の平次がはまり役だったので、あまりにも有名だが、原作を読んでみて意外に面白くなかった記憶がある。これなら余程テレビを見ている方が楽しめると思ったほどである。

だから、『捕物帳』小説の嚆矢たる『半七捕物帳』も、最初はたいして期待をしてはいなかった。ただ、歌舞伎の劇作家としても有名で、『修禅寺物語』などの傑作もあるので、一度読んでみようと興味が湧いたというのが本音のところだった。

だが、実際に読んでみて自分の不明を恥じた。実に面白いのである。大正六年(1917年)から一時の中断をはさみ二十年の間順次発表された合計六十八編の小説群は、今読んでも実に生きが良く、最新のものでもこれを凌駕するものは少ないと思えるほどの出来である。まさに時代小説の古典である。

・『捕物帳』ジャンルの創始

魅力の第一はまず『捕物帳』という時代小説のジャンルを創始したことにある。御用聞きや目明しと言われた彼らは、同心などの手先となって、江戸に起きた難事件の解決に当たる。半七は日本版シャーロック・ホームズである。以降発表された時代小説で、この半七捕物帳に影響されないものはないと言えよう。

・背景にある江戸時代の風俗

各編の背景に色濃く江戸時代の風俗が描きこまれているのも魅力的である。菊人形、幽霊の見世物など最近まで見ることの出来たものもあるが、唐人飴や三河万歳などはもう写真でしか見られない。各編を読んでいると、それらを眼前にするようで、あたかも江戸時代にタイムスリップした感覚を味わう。

・語り口のうまさ

綺堂らしき若い新聞記者が、引退した半七老人を訪ねて昔の手柄話を聞くという構成になっているが、江戸時代の町人はこういうしゃべりをしたであろう歯切れの良さで半七老人は語る。それが導入部に置かれているので、思わず知らず引き込まれてしまう。後はただその語りと推理に身を任せていれば良い。

・歌舞伎趣味

綺堂自身が歌舞伎の台本を書いただけに、半七老人も大の歌舞伎好き。随所に歌舞伎の狂言や科白を思い出させる会話が出て来る。これは何を指しているか考えるのも楽しい。

・怪異・怪談趣味

半七は信じていないが、当時の人は本当に怪異や幽霊を信じていたようである。だから、題材として、狐や狸は当然にして、かわうそかっぱなどを取り上げた話もある。また幽霊話もかなり多い。最後は半七の推理で解き明かされるが、いかにもありそうな怪異・怪談話がまた魅力溢れるものである。

・年表としての見事な整合性

一番驚くべきことは、綺堂はこの小説を半七の年齢に関係なく、まだ修行時代からいろいろな年代を順不同で書いているのだが、それを年表にしても綺麗に半七の事件解決史として並ぶのである。いかに用意周到な書き方をしたかが分かる。

何点か魅力のポイントを上げても、とてもその全貌を語り尽くしたとは言えないだろう。願わくば一編でも試しに読んでもらえば、半七の語る江戸の時代と推理に酔うであろう。
『江戸情話集』(光文社時代小説文庫)
巻末の解説の冒頭で「情話ということばが古めかしいとみえて、近来は耳遠くなってしまった」と綺堂の養嗣子岡本経一氏が書いているが、たしかにその通りであろう。「情話」とは「男女の情愛の物語」と辞書にあるが、どちらかといえば、遊廓があった頃の男女の哀しい恋の物語という語感がある。

作者の岡本綺堂は言うまでもなく『半七捕物帳』で捕物帳という一ジャンルを創始した人として名高いが、新歌舞伎の作者としても名作を残している。この『江戸情話集』は、『鳥辺山心中』や『箕輪の心中』などを小説化した作品など五篇が収録されている。

いずれも武家や町人の男と遊廓の女たちのさまざまな愛を描く。情死と言われた心中で終わる結末は救いがない。しかし、廓の風俗やしきたりなどが季節の移ろいとともに精緻に書き込まれているから、主人公たちの心理や行動には矛盾だらけであるものの、江戸時代にタイムスリップしたような錯覚を覚えつつ、感情移入してしまう。

本作品集のなかでも異色は『籠釣瓶』である。河竹新七作の『籠釣瓶花街酔醒』が歌舞伎ではしばしば上演される名作であるが、この『籠釣瓶』は事件の大枠は同じでも主人公の人物・性格や環境など細部の設定が異なり、作者岡本綺堂独自の解釈が随所に読み取れて、また味わい深い。舞台と比較しながら読むのも一興である。



トップへ
トップへ
戻る
戻る