徒然なる日条(平成16年2月〜3月分)

2004年02月01日
今日は珍しく家人が具合が悪いと寝ているので、午前中は家事に勤しむ。普段は滅多にやらないから、時間がかかること夥しい。それでも午後にはやっと時間が空いたので、なかなか手を付けられなかったビデオのダビングにとりかかれた。しかし、どうもこちらの機械の設定が悪いのか、画質が今一つ芳しくない。でも貴重なもの、何とか一気に無事完了した。これも家人が具合が悪いから出来たようなもので、怪我の功名である。

本当は今日開通したみなとみらい線の初乗りに行きたかったが、それは無理というもの。また機会を見て、行って見よう。
2004年02月02日
本当に最近はPCや歌舞伎にかまけてしまって、読書が進んでいない。直木賞受賞作の『後巷説物語』を楽しみながら少しずつ読んでいるが、心なしか以前より読む速度が落ちている気がしてならない。やはり一種の老化現象か?

だが、並行して平岩弓枝の傑作時代劇シリーズ「御宿かわせみ」の傑作選『初春の客』も読んでいるが、これは選り抜きの短編集ということもあるだろう、読み出すと1編が止まらない面白さだ。まだ若い東吾とるいの恋、親友畝源三郎の祝言の意外な展開、後に麻生家の婿になる親友天野宗太郎の登場から活躍など、このシリーズを読む者には欠かせない傑作ばかりだ。秘められた愛を描く『白萩屋敷の月』、大名の姫君の可愛い冒険物語『岸和田の姫』なども何回読んでも、心洗われる。

また蓬田やすひろの挿画も、独立しても鑑賞に堪える優れた画である。この本の価値をなお一層高めている。ここに収録された各編はたしか読者アンケートで上位にランクされたものだったはずだから、この後の続編も期待したい。
2004年02月03日
今日3日は、言うまでも無く節分。冬と春との境目だが、明日が立春と言われても、春はまだはるかかなたである。だが、やはり節分となると、豆まきがつきもの。夜帰宅してから、家人に豆まきはいつやるんだ?と聞いたら、今年はやらないと言う。暦にうるさい人間だからどうしたのかと思ったら、午後に豆を買いに行ったら、もう売り切れでなかった、とのこと。

どうも最近はあまり豆まきはやらなくなっているようだから、スーパーでも数を仕入れていないらしい。春を呼ぶいい行事だと思うのだが、段々廃れているのか!幼い頃は、あちこちの家で「鬼は外、福は内」という声が聞こえたものだが。

たまたま今月の歌舞伎座は、黙阿弥の有名な『三人吉三巴白浪』の通し上演。あの「月も朧に白魚の…」というお嬢吉三の名せりふでお馴染みの大川端庚申塚の場は、ちょうど節分の日。「ほんに今夜は節分か」とお嬢が言う。七五調の耳に快いせりふだ。

今日いつもの掲示板のお仲間がその夜の部を観劇されるとのこと。しかも歌舞伎座では、毎年この日に役者が豆まきをするという。果たして今年はどのような豆まきだったのか?興味津々である。
2004年02月04日
仕事で横浜に行くついでに、と言うかその交通手段として、待望のみなとみらい線に乗って、「元町・中華街」まで行った。本当はどうしても行かなければならない訳でもなかったから、やや公私混同気味(^^ゞ。

全線、東急東横線から直通しているので、始発の渋谷駅には「元町・中華街」行きの表示を出した電車が止まっているのも新鮮である。早くも横浜の匂いが漂ってくる雰囲気。特急は停車駅が少なくて、快調に飛ばす。あの田園調布も止まらないから、時代は変わったものだ。どうもJRの湘南新宿ラインの出現の影響らしいが、こちらの方が本数も多いし、運賃も安いから、今度の開通でなお一層便利になると、益々利用者が増えそうだ。

横浜駅手前の東白楽から地下線に入る。新しい横浜駅も地下駅。かなり乗客も入れ替わるが混雑している。特急は横浜駅を出ると、みなとみらい駅しか止まらず、渋谷駅から約36分で終点の「元町・中華街」に着く。駅も清潔で広々としている。だが、地下5階の駅にはびっくり。上がってみれば、たしかにそこは元町。この所要時間でミナトヨコハマに立つことが出来るのは、本当に便利である。中華街は、ちょうど春節。平日でも訪れる人で賑わっていた。
2004年02月05日
このサイトも、立ち上げた時にはまったく予想も付かなかったことなのだが、始終出没している大和屋さんのファンサイトの掲示板『夢の女・玉三郎』の方々との交流もかなり増えて来ている。また、そのお蔭で、こちらにも遊びに来てくれる方々も多くなってきているようである。昨日六千番に到達したが、これも思いもかけず早かった。有難いことである。

『夢の女・玉三郎』のオフ会をやった効果も大きい。皆さまもお互いにお知り合いになって、ご一緒に観劇の機会も多くなっているようで、思わぬ情報交換も出来ている。

だが、その分メールでのやり取りも多い。最近は携帯でのメール交換も頻繁になっていて、かなり重宝しているが、どうも携帯のメールを使うと電池の消耗が激しく、下手をすると1日も持たないことがある。昨日なぞ、結局10本以上のメールをうったためか、帰りの電車のなかで、あっ〜、電池が〜(>_<)、と切れる寸前にまで行ってしまい、危うく電話帳や過去メールが飛びそうになった。危ない、アブナイ!これはやはりもっと最新型にして、常にバックアップを取って置かないとまずいのだろうが、そんな余裕もないし…(-_-;)。これは当分悩みそう。
2004年02月06日
我々の処遇に大きな影響を与える出向元の某社の来年度の組織が明らかになった。

もう何をか況や…一体何を×××××××××…(怒)。
2004年02月07日
正確には昨夜かもしれないが、NHKの衛星第二で、ヴェルディ没後100周年記念ガラコンサートの放送があった。3時間6分の放送とあったが、恐らくいつものように2〜3分くらいの休憩時間があるであろうと思って、180分テープを準備したら、大正解でぴったり収まった。全183分の長丁場である。

これは以前、どういう訳か一部カットされて放送され、ファンから非難轟々であったもの。幸い、東南アジア向けのDVDを購入していたので、一部ではあるものの、視聴できていた。しかし、やはり全編放送は貴重であるし、その魅力をあますことなく楽しめることが出来る。ドミンゴ・カレラス・クーラ・デッシー・フリットーリ・ヌッチ・ライモンディなどの錚々たる有名歌手をはじめとした現代の名歌手が一同にうち揃った奇跡的なコンサートでもある。

今度の放送で驚いたのが、歌と歌とのつなぎに歌手がヴェルディの生涯を語り、その魅力を語ることだ。これがまた何とも味わい深い。

ナンバーは、ほぼヴェルディの生涯の作曲順に並べられ、主要作品の有名なアリア、合唱やシーンが網羅されている。バックをつけるのが、メータ指揮フィレンツェ五月祭管弦楽団とパルマ合唱団。2001年3月のパルマでのライブ。名歌手の声の競演に酔い痴れているうちに、あっと言う間に180分が立ってしまう。これは繰り返し視聴するビデオの一つになりそうである。
2004年02月08日
歌舞伎の観劇は東京を離れて遠征をしたことがないのだが、ネットのお仲間は結構地方遠征をしている。今年の三月は京都南座で坂東玉三郎の舞踊公演があり、応援しているメル友さんがたまたまその千穐楽に京都に出て来る用事があり、出来れば一緒に観劇しようという話しになった。そこで確実を期して、お仲間の方に無理にお願いして、一般発売前に後援会ルートで押さえてもらった。有難い!これで南座に初遠征できるうえに、七ヶ月振りに会っていろいろな話が出来る。

それで早速時刻表などを当たっているが、どうも新幹線の料金が高く感じられる。今まで出張ばかりで身銭を切ったことが少ないので、そう感じるのかもしれない。そんな話をしていたら、家人がJRの会員制ツアーのパンフを見せてくれた。それを見て、ガックリ来てしまった。京都日帰りのツアーでも、昼食・拝観料込みでも、七割弱の値段である。これでは、まともに正規料金を払うのが馬鹿らしくなる。しかも繁忙期だから、指定券を取るのに難渋しそうである。あ〜ぁ。
2004年02月09日
毎日だらだらと日記らしきもの書き綴っているが、よく続けているなと我ながら感心している(やや手前味噌(^_^;)。何故かと言うと、子供時代に先生や親から勧められて、何度も日記を書き始めたのだが、その都度挫折していたからだ。大体根気が無かったうえに、無精だったからすぐ放り投げていたと思う。

だから日記と言うものは自分とはまったく縁が無いものと決め付けていた。最近は、年末になると市販されている日記も見向きもしなかったのだが…。

こうやって続けていられるのも、どうも習慣になってきたことにあるようだ。まぁ、例えてみれば、毎朝歯を磨く、顔を洗うとか、と同じである。どうも毎日書かないと忘れ物をしたような気がしてならない。

日記の効用は、今さら言うまでも無い。毎日の自分を振り返る、そして生活にメリハリが出来る、これに尽きる。これが続いていけば、何年後かに読み返したら、あの頃の自分はこうだった、と懐かしく思い出すにちがいない。

などと言っている側から、中断する危険性はいつ何時襲ってくるか分からないのだが…(~o~)。
2004年02月10日
今日仕事他の所用があったので、はじめて六本木ヒルズをじっくりと見た。今までは通過する程度であまり中をよく見られなかったのだが、やっとその全貌らしきものが分かった。たしかに類を見ない一大街づくりのプロジェクトである。オフィスやファッション・雑貨の店が集まっているのは珍しくもないが、そこにホテル、映画館、テレビ局、庭園、美術館なども含んでいて、全体として一つの調和のとれた街に作り上げられている。ここだけで快適な生活が完結するよう考えられていて、至極便利である。通路も緩やかな曲線が多く、ビル内を歩いているとは思えない。

ただし、有名店も多く、物価は高そうで必ずしも住み易いとも思えない。また凝った作りからか、案内マップを持ってないと、道に迷いそうである。一つの観光名所としての集客力はあるのだろうが、どれだけ長続きするものなのか、我々年配者にはよく分からない。どうもこの前行った浅草のような町がしっくり合うというのも、年寄りの単純な懐古趣味なのだろうか?
2004年02月11日
毎年思うがこの建国記念の日というのがよく分からない休日だ。元々歴史的根拠の無い日だから、釈然としない。しかし、理屈っぽくケチをつけなければ、勤め人にとっては有難い休日。まして今年のように週中の水曜日は最高である。一番時間的にゆっくり出来る。

ただ、勤めの生活を長くやっていると、体が自然と一週間のリズムを覚えているようで、大体水曜日あたりがもっともピークで快調な頃だ。後は週末に向かってなだらかに下降して行って、金曜日には一杯やって一週間の疲れを癒す。この繰り返し。だから一旦緩んだ後の明日は、きっとブルーマンデーよろしく気が乗らないだろうな〜(^^ゞ。
2004年02月12日
案の定のブルーな休み明け、こういう時は事務所に居ても能率が上がらないこと夥しいから、さっさと外へ。で、せっせと歩く。幸い今日の昼は3月並の暖かさ。軽く歩くだけでもうっすらと汗ばむほど。コート無しの人も多かった。

もう梅も三分から二分咲きのようで、木の下を通ると、ほんのりと梅の香が漂う。やはり春は確実に近づいているようだ。

招かれざるお客さまのために自主的に中断されていた我がイントラ日記部のMLも、お帰りいただいたようで無事復活!これでまた御大の花言葉も毎日楽しめるというもの。でも、思いもかけないメールもあったりして…。(この話は、ごく限られたネタで分かり難くて、すみません)。
2004年02月13日
今日は遅まきながら今の出向先の仲間での新年会。2月1日から新しく来られた方もいるので、その歓迎会も兼ねている。残念ながら(?)男性ばかりだが、行きつけのちゃんこ料理の店で久し振りに舌鼓を打つ。

この店は以前出向元に勤務していた時に、若い仲間達とよく通った懐かしい店である。もうその当時の仲間の多くは転勤したか退社したかで、近くには殆どいないから、ここへも本当に久し振りである。偶然とは恐ろしいもので、今の出向先の同僚が同様に贔屓にしていたという。殆ど同時期に通っていたようだから、お互いに知らずに鉢合わせしていた可能性が高い。それでは是非ここでやりましょうという話になったもの。久し振りに行っても、店の佇まいも味もまったく変わらず、料理も酒もどんどん進んだ。連れて行った方々も満足してもらえたようだ。

これをきっかけに、またこの店に通う機会が増えそうだ。
2004年02月14日
所属している史考会の講演会に行って来た。演題は、「江戸時代の入寺慣行について」−寺に駆込む人々−である。神奈川大学の川鍋定男氏が講師。江戸時代の古文書を中心に実証的な歴史研究をされている方である。

駆込み寺と言えば、鎌倉の東慶時が女性の駆込み寺として著名だが、当時は村々の寺に多くの駆込みが見られたという。しかもそれは離縁だけではなく、結婚のためや揉め事のお詫び、また火事の火元の謹慎のための入寺など多様な駆込みがあって、トラブル解決の一つの手段だったようである。

そこには、中世・戦国期を通じて権力の介入を許さない不入の地−アジール(避難所)であった寺が江戸時代にもその機能を持ち続けていて、庶民の間では僧侶が大きな役割を果たしていたことが窺われる。また現代でもよくあるが、事件を起こした人が寺に籠って謹慎することは、日本人が嫌う穢れの清浄化、禊ぎの意味も大きかったのであろう。

さらには、「縁」という問題もある。民俗学的には寺に入ることは縁切りを意味するが、江戸時代も後半になると、寺に入らずとも親に「捨て」て(縁切りをして)もらい、あらためて他の人に「拾って」もらうことにより、思い通りの嫁入りを果たした例も紹介があった。日本人の「縁」を重要視する国民性がよく表れている。

このような実証的な研究が進めば、民衆の歴史がますます明らかとなり、過去の既成概念が次々と塗り替えられてくる。意外にも江戸時代の民衆はしたたかだったようだ。今後もこの時代の歴史研究には、目が離せない。
2004年02月15日
先月の国立劇場の観劇記を追加していないですね、とその日の同行者から督促を受けた。そう、何故かまだアップしていなかったのである(汗)。いつもなら大体数日でするのだが、今回は遅れていた。でも、督促されるのは有難いことである。お蔭で中身は別として、何とか大いなる小屋に追加更新出来た。ふ〜っ(^^ゞ。

今日は休みの日には珍しく家人が外出したので、お留守番。その間、この更新やビデオの整理に集中できた。たまには、こういう休日も悪くない。

家人が帰宅すると、大荷物。旅行会社のフェアーに行って来て、いろいろ景品等が当たったらしい。どうも懸賞やクイズなどには強い。少しそのお零れに預かりたいくらいだ。
2004年02月16日
どうでもいいことなのだろうが、今日外で見かけて気になったことを二つ。

一つは、いい年のオジサンが駅の雑踏の中で、大声を上げながら泣いていたこと。ビール缶を手に持っていたから、酔っ払いの泣き上戸なのだろうが、真昼間だから目立つ。本当に涙を流しながら泣いている。乗降客がみんな見ていても平気だから、余程のことがあったのか?まぁ、それをしげしげと見ていたこちらも変人と思われたかもしれないが。

もう一つは、同じ駅で日本髪を結った和服姿の若い女性二人を見たこと。若い女性の和服姿も少ないとはいえ珍しくもないが、こと日本髪もとなると話は別である。振袖ではないから、結婚式でもないだろう。一体何故あの格好をしているんだろうと気になって、これまたしげしげと見てしまった。相手が気が付かなかったからいいようなものだが、やはり変なオジサンと思われたに違いない。でも久し振りの眼福!
2004年02月17日
カネボウの事業統合の迷走振りは、老舗企業の限界を見るようで他所事ではない感じがする。勿論、社内をまとめ切れない会社上層部に問題があることは事実だが、一旦決定した花王との統合を推し進められないほど社内の抵抗が強かったということか。そこには長い会社の歴史と会社に対する強い思いがあるのだろうか?

まさに渦中の化粧品事業に携わっている高校の同級生もいる。年賀状ではいろいろ大変だと言っていたが、果たして今はどうなっているのだろうか?
2004年02月18日
出向元の入社同期会は、昨年12月から任意参加で毎月第三水曜日に開催することにしたが、今日はその第三回目。幹事役がメールで連絡してくれたこともあるのだろうが、全部で14人も集まった。盛況である。たしかに年齢的に飲む仲間が限られてきたことも事実だが、いろいろなしがらみを離れて気安く飲みたいという思いは共通のようだ。だからこのような会は細く長く続けて行くことが大事である。早速来月の開催も決まった。

それにしても、何故か現場の営業を長く経験してきた人間が多く出席している。やはり人のつながりの大事さをよく理解しているからだろうか?
2004年02月19日
今日の東京も暖かく、春の到来を思わせる陽気。日差しにも心なしか強さを感じる。

先日の六本木ヒルズに続いて、仕事で品川の再開発のビル街に行ったが、これまた新幹線の新駅の開設に伴う品川駅とその周辺の変貌振りには驚かされた(まるでおのぼりさんだが)。そして、ビル街は共通のコンセプトで設計されているから、すべてデッキでつながっていて、一体として一つの街になっている。人工的とはいえ、快適な空間が形作られている。まだまだ再開発の構想があるようだから、東京の街はさらに変貌しそうだ。

書店の新刊の平積みに幸田真音『代行返上』があり、ドッキリ。最近経済小説の分野で活躍する女流作者が、こんなテーマを取り上げていた。以前仕事で携わっていた分野だから、こんな年金の、さらには限られた事象が小説の主題になるのかと思うのだが、それを受け入れる読者がいるのだから、刊行されるのだろう。いずれにしても、どんな小説に仕上がっているか、読むべき本にリストアップ。

しかし、最近は今読んでいる『連鎖破綻』も含めて、経済小説の分野の広がりは一体どういう現象なのだろうか?これも同じように生保を取り上げた『卑劣』も売れ行きがいいらしく、平積みも少なかった。
2004年02月20日
今日の日経新聞朝刊に「役員退職金が廃止の傾向」との記事が載っていた。以前担当していた仕事で、その資金準備の設計を担当していたが、役員退職金のあまりの高額に驚いた記憶がある。さすがに最終在職時の役職で決まるものは少なくなっていたが、それでも平の役員から順次累進すると結構な高額になっていて、企業の一時の資金負担は大変なものであった。

しかも従業員の方は成果主義が浸透してきているのに、役員だけ従来通りは矛盾していると思うから、遅きに失した感もあるが当然か。役員任期も1年が多くなっているから、成果があがれば役員報酬で多く報いるのが順当であろう。まぁ、我々落ちこぼれサラリーマンには無縁の話だが、そのくらいにしないと役員代表訴訟などのリスクが大きくなっているから、だんだん役員のなり手がなくなってしまうだろう。
2004年02月21日
今日は二月歌舞伎座を昼夜通しで観劇。今までに無い体験だったから、いささか疲れたが、それを補って余りある感動をして帰って来た。

勿論注目は、坂東玉三郎が演じる二つの初役−『三人吉三』のお嬢と『茨木』の老女真柴実は茨木童子である。どちらも新鮮な役作りで、今までにないもの。一体この役者は、どこまで芸域を広げて行くのだろうか?恐ろしいばかりである。

その他の舞台では、やはり期待通り吉右衛門と時蔵の『毛谷村』が楽しめた。人が良くて、親孝行の六助と、女武道のお園の夫婦愛には思わず頬が緩む。芸達者が演じるとこうも面白いものか!

夜の部は、25日の千穐楽に再見するので、また違った見方ができるかもしれない。その日は、『夢の女・玉三郎』掲示板のメンバーがかなり集合して、ちょっとしたプチオフ会のようになりそうである。

観劇記は、頑張って書かなくては…(^-^;。
2004年02月22日
昨日は一日劇場内にいたわけだが、異常に暑かった。帰宅して新聞を見たら、春のような暖かさだったとあった。今日の朝刊にも河津桜の写真が載っていて、まさに春の訪れを実感する。

ところが今日はまたそれを上回る高温!四月下旬〜五月上旬並の暖かさのようである。着るものが無くて困った。歩いていても薄着にしないと、すぐ汗をかく。もう紛れも無く春は真近だ。
2004年02月23日
ついにと言うか、またもやと言うか、携帯を機種変してしまった!昨年買った時はまさか1年も経たずに買い替えするとは思わなかったし、機種もあまり深く考えずに結構適当に見繕って買った。だが、前にも書いたようにメールの頻繁な使用で、容量ぎりぎりでしのいできたが、さすがにしんどくなってきて、かなり衝動的に買った。

ところがメールの送受信件数や一応デザインをポイントにして購入することになったら、どうもメーカーは別の選択になってしまった。案の定、大分操作が異なる。キーのファンクション一つ取っても違うから、戸惑う。しかも今度はカメラ付き。当分厚いマニュアルと首っ引きで格闘することになりそうである。しかし、そろそろ本格的に資格試験の勉強に取り掛からねばならないのだが…。まぁ、とりあえずはメールだけでも無事に送受信出来たので、一安心である。
2004年02月24日
引き続き春めいた毎日。外を歩くにもコートを着る必要が無いほどだが、さすがにコートを持たずに歩く自信も無い。朝夕はまだまだ風が冷たいから、どうしても持ち歩かざるを得ない。ところがコートを手に持って歩くのも大いに邪魔で荷物になる。おまけにカバンを持っているから、余計うっとうしい。早くコート無しで歩ける季節が待ち遠しい。

そのカバンだが、どうも悪い癖で一通りのものを入れておかないと安心出来ない性分だから、勢い重くなる。人に言わせるとよくそんな重い荷物を毎日持っているね、ということになるが、そうしないと落ち着かないのだから、貧乏性とでも言うのだろう。

ところが、そのカバンが重みで取っ手のところが壊れてしまった!痛い!これはやはり荷物を抑えるようにしないといけない。だが何を外すか?人はどうでもいいことだろうが、結構悩ましい。
2004年02月25日
今日は多くの国立大学で前期試験!応援している遠音さまも受験。手応えはあったようだが、結果が待ち遠しい。それにしても試験というのは受験する本人が大変なのは当たり前だが、周りも随分気が揉めるものである。個人的には自分が受けた方が結果が大体分かるから楽な気がするが…。

最後まで盛り上がった二月の歌舞伎座の舞台も今日が千穐楽!大顔合わせの夜の部『三人吉三巴白浪』を再見。やはり滅多に観られない素晴しい通し狂言であった。何よりも贔屓の玉三郎のお嬢が期待をはるかに上回る出来。最初は普段の女形の役とは違って随分戸惑ってもいたように見受けられたようだが、当方が観た頃は完全に確固とした自信に満ち溢れた役作り。今日はいい意味で安心して黙阿弥の世界に浸ることが出来た。

いつも出没している「夢の女・玉三郎」掲示板のメンバー中、自分も含めて七名が今日集まった。多くの方が初対面だったから、幕間に短い時間だったが挨拶を出来たので、今後も交流を深めていくことが出来るであろう。殆どが二回目以上観劇している方ばかり。やはり贔屓の役者の舞台は何回も観て、いろいろな面を知りたくなるようである。自分もだんだん感化されてきた。
2004年02月26日
ついに今日は昼間の外出時にコート無しで通す。それだけ二月にしては暖かいのだが、そこはまだ三寒四温、あまり軽々に薄着をすると風邪を引きかねない。要注意である。

今日は有名な二・二六事件のあった日だが、その時東京は大雪だったという。かすかな記憶でも幼児の時は戦後でも東京の二月は随分雪が降ったように覚えている。たしかに地球温暖化現象とやら、都会はヒートアイランド化していて、降雪が少なくなっているのだろう。たまにはどんと大雪も降って欲しいが、雪に弱い東京の交通機関はすぐ麻痺するから、かえって有難迷惑か?
2004年02月27日
あちらこちらで書かれるだろうからわざわざ書くほどでもないのだろうが、やはりオウム真理教の松本被告の死刑判決のことは記録に値するであろう。宗教に名を借りた無差別大量殺人は、いくら断罪しても足りないものがある。しかも当の被告がまったく罪の意識も無く、自分の殻に閉じ籠ったままというのも、遺族の気持ちを思えば暗澹たる思いだ。

いつも思うのだが、あのような知性も品性もない被告の姿を見るにつけても、一体どうして最高学府を出て高度の学問を学んだ者たちが、唯々諾々と教祖として崇め従って、大量殺人まで犯してしまったのか?人間という動物の弱さ・悲しさを思う。
2004年02月29日
4年に一度のうるう年の日。損をしたような得をしたような気分の日である。

今日は前から約束していた横浜を巡るミニツアー。同行者と愛読する『龍臥亭事件』が共通していたから、その舞台に一つになっている横浜の地を案内する旅である。ちょうどみなとみらい線が開通したから、足の便もいい。

みなとみらい駅にははじめて降り立った。まさにみなとみらい地区の高層ビルの真ん中。便利である。そこから徒歩でミニツアーの開始。スタートが早かったから、店が開いていないところが多く、赤レンガは回りを見るだけ。一番の眼目の馬車道十番館はやはりアンチークな雰囲気一杯の喫茶店。この街を御手洗や石岡が歩いていると思うだけでも楽しい。美味しくお茶を飲んでから、中華街へ。裏通りの中華バイキングの店に行ったが、12時前なのに30分待ち。でも待って入って正解。廉く腹一杯平らげる。

今度は腹ごなしに山下公園から、港の見える丘公園、外人墓地、山の手周辺を回って、元町に下りた。ここも大混雑。やはりみなとみらい線の恩恵に与っているようだ。安売りでバッグを見付けて、得をした気分になった。帰りも始発だから、ちょうど入線していた特急に乗って35分で渋谷に帰り着く。同行者も満足した1日であったようである。
2004年03月01日
どうも暖かい日が続くと思っていたら、この2月は25年振りに暖かい冬だったという新聞報道があった。雪もゼロ、気温零度以下の冬日もゼロ。昨年の夏の冷夏といい、どうも異常気象と言えそうである。それにしても、夏におでんが売れ、冬にアイスが売れるのはどこか変。

さぁ、三月になっていよいよ春本番かと思ったら、今日は冬を思わせる(と言っても、これが当たり前なのだろうが)寒さに逆戻り。霙や雪もちらほら舞った。事前に天気予報で重装備していったから大丈夫だったが、それでも危うく風邪を引きそうになった。

だが、何故かこういう日に限って、花粉症がひどく出てきて、クシャミが止まらず…(>_<)。
2004年03月02日
引き続き花粉症に悩まされた一日。それほど重症の部類ではないと思うが、やはり毎年しっかりとやって来る。

まだ花粉症がそれほど流行していない頃、他人様が鼻水をグズグズやっていた時には、何でそんなに鼻ばかりかむのかよく分からなかったが、ある日突然自分にやってきてからは、そのつらさがよく分かった。何しろ鼻水が一旦出だしたら、止まらない。ティッシュはすぐ無くなる。目はかゆいし、いくら洗ってもかゆみは取れない。とまぁ、並一通りのつらさは経験したが、最近は早目に外用薬を使用するからか、何とか軽症で済んでいるようだ。

街を歩いていると、大きなマスクをしている人が多い。いかに花粉症に悩んでいる人が沢山いるかが分かる。だがこれも一種の文明病。特効薬はなかなか無いのかもしれない。
2004年03月03日
三月に入っての厳しい寒さが今日も続く。明日は雪も降るところがあるとか。一体どうなっているのか?

娘がいないから、雛祭りなどとんと縁が無いまま、もう何年経ったのだろうか?小学生の頃は、幼馴染の女の子もいたから、女の子のお祭にも呼んでもらった記憶がある。やはり端午の節句とはまた違って、何とも華やかで楽しかった印象が強い。

元々魔除けで、形代の人形を祓えで流したことに発しているようだが、江戸時代に娘の健康と幸せを願う行事として定着したらしい。よくテレビなどで見るような豪華な雛壇を飾る家は現代の都会の家では難しいと思うが、そこはマイホームパパ、頑張って立派な飾り付けをしてお祝いをしているのだろうか?
2004年03月04日
幸い降雪は無かったものの、寒さは続く。しかも、今日は午後急に時雨れてきて、冷たい雨に濡れそぼつ。傘を用意してない方がいけないのだが、まさか降るとは…。

花粉症の影響か、どうも体がだるく眠い。内服薬を飲んでいなくてもこれだから、飲んでいたらどんなになっていることか?それにしても集中力が無くなるのは、毎年のこととはいえ、つらい。これが後2カ月強続くと思うと、うんざりである。

しかし、お酒を飲むと、いくらか軽くなる。恐らくアルコールで神経が麻痺するのだろうが、それでも大分助かる。今日も悪友に誘われて飲みに行ったが、飲んでいる間はころっと忘れことが出来た。これをちょうど良い言い訳にして、飲みすぎても困るが、でも…(^^ゞ。
2004年03月05日
今日は風邪は冷たいものの、日差しは随分春めいてきた。今年の東京の桜の開花予想も、例年に無く早いようで、三月中には満開を迎えることもありそうだ。この年齢になると、だんだん桜の咲くのが待ち遠しくなってきた。恐らく一年に一度艶やかに咲き揃う桜におのれの人生を見るのかもしれない。今年の桜はどんな風情を見せてくれるか?

だが現実のおのれには、まず一つの春は来ず…。
2004年03月06日
心配された雨も朝のうちに上がって、晴天。これなら大丈夫と家人の作ってくれた弁当を片手に、市民大学OB会の主催する早春の市内ウオーキングに出かける。ところが集合場所に行っても、人の影も見えず、はて時間を間違えたか?と思ったら、係りの方が申訳けなさそうに「実は雨で山歩きが滑りそうなので、今日は中止にしました」と言う。あれ〜、それは無いよ、と思ったが、出欠を取らない自由参加だから、連絡も出来ないので、安全のためにもそれも止むを得ない。

しかし、まだ時間も早いし、弁当もある。そこで4駅戻って、遊歩道沿いにひたすら歩く。途中に小さな梅林があるのを思い出し、そこを目指す。梅はもうかなり咲いていて、芳しい香がただよう。紅梅と白梅のアンサンブルもいい。まだ使い方がよく分からない携帯のカメラを使って、撮影。まあまあだったので、早速メル友さんにメールで送る。雪国にはちょうど良い春の訪れだったようだ。川の側で昼食を取ってからまた歩き、結局2時間くらい歩いて町中に入った。快い疲れを感じたから、適度な運動だったようだ。後は図書館に寄り、重い荷物となった本をを持って帰宅した。
2004年03月07日
今日は受験の応援をしていたメル友の遠音さまの前期試験の発表日。どうも自分の試験の発表日の時よりドキドキ・ソワソワ。結局、家に居ても落ち着かないので、また昨日に続いてウオーキングに出かける。ところが晴天のはずが、途中でにわかに曇って来て、チラチラ白いものまで舞ってくる始末。異常に寒い。慌てて帰宅途中に、「無事合格しました!」という吉報が入る。早速おめでとうメールを入れたが、肩の荷を下ろした感じでほっと一安心(*^-^*)。

これでいつもの掲示板への復帰もあるだろうし、節制していた好きな歌舞伎に思う存分浸れることは、何より嬉しいことである。
2004年03月08日
京都の鳥インフルエンザが大騒動になっていて、今度は烏まで感染を確認されて益々大変らしい。牛肉の次に鶏肉や卵まで危険と言われると食べるものが無くなってしまう。

ところが、その発生元として調べを受けている農場の会長夫婦が自殺したとのニュースがあった。またもや悲惨なことだが、前日に「世間に謝罪したい」と発言していたようである。ここでも日本人固有の世間に気兼ねするという行動・思考パターンが見られる。今日記部の御大に刺激されて、『日本人の歴史意識』(阿部謹也)を読みはじめたばかり。日本人の考えている世間は狭い概念のようである。謝罪が自殺しかなかったのか?生きて、真相解明に協力することが本当の謝罪と思うのだが、それは世間という枠の中では無理なのか?
2004年03月09日
帰宅したら、先日『放浪記』で上演1700回の前人未踏の記録を打ち立てた女優森光子の特集番組を丁度テレビ放送していて、思わず見入ってしまった。

今年84歳を迎える森光子の若さにまず驚くが、その裏には並大抵ではない体の鍛え方があることがよく分かる。売れない女優だった彼女が遅咲きの花を咲かせるのがこの『放浪記』の主役だ。初演から42年、常に体当たりでこの役に挑戦する姿勢には、頭が下がる。そして、負けず嫌いと周りへの気配り。これが観客とスタッフを惹き付けるのであろう。今も、そして今後も幸せと言い切る森光子は、恐らく死ぬまで舞台を勤めるのであろう。たとえ、舞台で倒れたとしても、それは本望であろう。恐るべき役者・女優魂である。

番組で出てきた、本人が売れない時代に詠んだという川柳が印象的。

「あいつよりうまいはずだがなぜうれぬ」
2004年03月10日
やっと寒さも和らぎ、今日は春めいた1日だった。今日くらいの暖かさだったら、もうコート無しでも済ませられる。

ここのところ、読書が進まないのだが、珍しく1冊読み上げた。丸谷才一『恋と女の日本文学』である。この人の日本文学論は卓抜なものが多い。読書手帖に書いた『忠臣蔵とは何か』や『日本文学史早わかり』は、既成の学者では思い付かないような視点がちりばめられていて、いつ読んでも新鮮である。この書でも、中国文学と異なって恋愛を中心とした日本文学の特性を、いつもながらのうまい語り口で解き明かしていて、読ませる。また、日本文学には、女人崇拝または少なくとも女人重視の特性があるという指摘もなるほどと肯かせるものがある主張だ。やはり、『源氏物語』という世界に誇る大文学を持った日本の文学は、普通の物指しでは測れない多様かつ豊饒なものであることを、この書を読んで認識を新たにした。
2004年03月11日
今日は暑いなんてものじゃなくて、コートを脱いでいても暑い〜。もうちょっと調整してくれないと、いきなりの暑さは参ります。しかも強風だったから、花粉もたくさん飛んでいて、眼が…(>_<)。

昨日1冊読んだら、調子に乗ってまた丸谷才一氏の、山崎正和氏との対談集『日本史を読む』を読み始める。この二人の対談集は他にも数冊出ていて、どれも熱い議論で読み応えがある。しかし、なかでもこの書は出色。一応古代から順に歴史の流れを辿ってはいるが、どこから読んでも面白いし、まさに縦横無尽の語り合いだから、読み出したら止まらない。

とくに先日亡くなった網野善彦氏の『異形の王権』に沿いながら、後醍醐天皇や楠木正成の新しさに触れたくだりや、原勝郎『東山時代に於ける一縉紳の生活』を中心に、足利時代が今の生活の基になった一種のルネッサンスであるとの指摘は十分納得できるもの。

さらには、家康影武者論から、戦国・安土桃山期が東西軌を一にしてのバロック的な時代というのも肯綮に当たっている。「世界は舞台であって、われわれはみんな一人一人が役者なんだ」という考え方は今一番共感できる。その流れで、歌舞伎の起源の一つをイエズス会劇に求める発想は、専門の学者顔負けの鋭さ!全てを読み終わるのが勿体無いような新鮮さである。
2004年03月12日
そろそろあちらこちらで花の便りが聞こえてきた。今年は桜の開花予想が例年に無く早いから、梅ももう見頃を過ぎているかもしれない。花好きな家人が本を買ってきて、あそこがいい、ここがいいと言っているが、意外と近場に花見が出来る場所が多いから、いよいよシーズン到来、また花を見に出かけることが増えそうだ。昔は花見などど馬鹿にしていたが、季節にあった花を見るのはこのうえもない喜び。今年はどんな美しい花と出会えるか?
2004年03月13日
今日はPCに振り回された一日だった。

まず10時から来月の歌舞伎公演の廉価な先行予約があるというので、いつものように軽い気持ちでネット予約に取り掛かった。ところがどうも様子がおかしい。URLをクリックしても、公演画面が開かない。何回やっても同じである。やっと開けたと思ったら、今度は申し込み画面に行かず、サーバーエラーが出る。少し時間を置いても変わらない。そこでふと気が付いたのは、この業者が先日サーバーが不調で、メンテをしていたことだ。これはまだ回復していないらしい、検討をつけて後は何回も試みた(こういうことになると、意外としつこい!)。

結局2時間近く経ってから、やっとつながり無事予約完了。やれやれ。申し込み番号が34番だったから、同じ目にあった人はまだ沢山いたはず。頑張った甲斐あって、やや上手寄りだがいわゆる「とちり」を押さえることが出来た。良い席を取るからと豪語(?)して、同行者を募った手前いささかはらはらしたが、これで一安心。これが一等席初デビューとなる同行者にも喜んでもらえたようで、面目を保てた。

ところが…!予約完了の確認メールとともに受信したメールに不審なものが!?一瞬迷って開けなかったところ、プロパイーダーからもメールが来てる。これはウィルスか?と思い、早速これを開封すると案の定ウィルス警告メールで、一応削除したとある。念のため未開封のまま削除したが、安全のためその後ウィルスチェックをかけた。時間がかかったが、まったく感染は認められず事なきを得た。しかし疲れた。
2004年03月14日
今日は三月歌舞伎の夜の部の観劇。夢玉のお仲間とご一緒に三階席で。前から二列目だから、花道は少し苦しいが、本舞台は良く見える。これからはもう少し三階席を利用しないと、懐具合が…(^^ゞ。

珍しく開演時間が4時15分だったから、出発前に気が付いて慌てて出かけたが、何とか滑り込んだ。いつもは4時30分だから、どうも決め付けていけない。

演目は、新歌舞伎の『大石最後の一日』、二月堂のお水取りに題材を得た舞踊『達陀』(だったん)、そして『義経千本桜』からすし屋など。どれも力の入ったいい舞台だった。真山青果の『大石最後の一日』は、切腹直前の大石に、浪士の一人と娘の哀しい恋を絡ませて描き、秀逸であった。泣かせる場面も多かった。幸四郎はじめ役者も充実している。

『達陀』は、足拍子鋭いリズムが印象的な群舞と、僧の過去の恋を対照的な艶やかで静かな踊りで見せる。

『義経千本桜』は、上方風演出ということでいつもと違って上方訛りのいがみの権太である。どこか小ずるい小悪党を仁左衛門がある時はユーモラスに、またある時は凄みを見せて、小気味良い。最後の改心してからの演技も、これまた見せ場一杯。心地よい感動を得て、外へ出ると風も爽やかであった。終演時間も遅かったので、帰りにお仲間とゆっくり感想を話す時間が無かったのは少々残念だった。
2004年03月15日
今週から、ある物件の営業で親会社の取引先をローラーで回ることになった。最近いくらか仕事がマンネリ気味だから、活性化にはちょうど良い。早速担当分けをして、活動開始。今日は遠方からと思い、浅草周辺を回る。地図と電車路線図とにらめっこをして、得意の早回りルートを見つけたら、後は比較的余裕を持って回ることが出来た。成果は少ないが明日にはずみがついた。

浅草周辺は、主に隅田川の右岸、つまり墨堤あたりだから、いわゆる向島界隈から本所を回った。墨堤は桜が満開だったら、さぞや綺麗だと思わせた。小屋掛けをしていたから、花見客に備えているのであろう。しかし、ここでも青いシートの不法占拠者が大勢いる。行政でも対応は考えているようだが、いたちごっこらしい。

帰社して、PCを見たらまたぞろウィルスメールが多数襲来していた。一昨日来て以来急に増えた。今まではとんと無かったことなのだが…。プロバイダーが警告を発してくれるからいいようなものだが、一体どういう訳で急増したのか?しかも、ドメインだけを見ると、一流企業や大学のようだが、何故にそんなにウィルスメールを垂れ流すのか?不思議としか言いようが無い。

不思議と言えば、実はこのサイトがロボット型検索エンジンから一時的に消えていたことがある。以前にはちゃんと検索できたのだが、ある時期から忽然と消えた。どれだけ続いたかは分からないが、最近また検索にひっかかるようになった。これまた奇妙!まぁ、こちらがよく分かっていないだけなのかもしれないが。
2004年03月16日
昨日に引き続き、ローラー営業の二日目。1日に10軒以上の訪問を、と張り切って、岩本町からスタートして、日本橋→京橋→八丁堀とひたすら歩き回った。だが、思いの外時間がかかった。やはり下調べしていても、ビルの中の事務所は分かり難い。狭い一画でも見付からないものだ。お蔭で大分汗をかかされた。とりあえず10軒は達成したが、正直足が痛くなった。

帰宅すると、いつもの掲示板で六月の海老蔵襲名時の公演情報が書き込まれていた。親しいお仲間の情報で、待ちに待っていたもの。これで待望の『助六』で新海老蔵とともに玉三郎の揚巻が観られる。加えて、昼の部で『寺子屋』で、仁左衛門の松王丸、玉三郎の千代、勘九郎の源蔵、福助の戸浪という豪華顔合わせも観られるという。思っても見なかったから、これも必見!
2004年03月17日
今日も夏日を思わせる暑さに加えて、突風が吹き荒れて、外を歩いていると埃にまみれたような感じになったほどだ。さすがに1日歩いたら、疲れた。

主に東京のウォーターフロントと言われる地域のビル街を歩いたが、ここら当たりも結構高層ビルが多く建っているから、まったく面目を一新している。しかし、ちょうど昼休みにかかった時間に居たが、1階のホールでは人々が昼食を買い求めようと、お弁当屋に群がっている。考えたら、食事する場所とて近隣に無いのだ。見ていると値段も廉くないし、毎日これではイヤにならないかと他人事ながら心配してしまった。

その点、外歩きは好きなものを自由に選んで食べられるから、贅沢なものである。
2004年03月18日
お昼過ぎから雨になったと思ったら、冷たい雨!予想通り東京の桜が開花したのに、昨日の暑さが嘘のようにまた冷え込む。まったく気まぐれな天気である。

いつも日経新聞の朝刊は今の事務所の近くで購入する。自宅最寄り駅より版が新しいからである。どこの新聞でもそうだろうが、他社を出し抜くために最終版近くでスプークを抜く。今日も買ったら、「三菱東京FGがアコムを傘下に」の記事が。メガバンクもなりふりかまわずというか、消費者金融の地位が上がったというか。次の台風の眼は不祥事で味噌をつけた○富士か?

サッカーオンチが言うのもおこがましいが、三大会連続の五輪出場はめでたい。普段はまったく関心がないくせに、五輪となると話は別である。俄サッカーファンでは本物のファンの顰蹙を買いそうだが…。
2004年03月19日
今日も朝のうち気温が低く、肌寒さを感じるくらいだったが、午後からようやく平年並みに戻った。それでも折角開花した桜もやや足踏みかもしれない。

長い一週間が終わった。かなり忙しかったから、どっと疲れた。

しかし、明日は彼岸の中日。墓参りに行かなければならないが、雨のようだから、寒かったら困る。それでも明後日は楽しみが待っているから、精々張り切って墓参りに行こう。
2004年03月20日
天気予報で雨とは分かっていたが、お彼岸の中日だからと予定通り、朝早くから墓参りに出かけた。ところが雨は益々強くなってくるうえ、温度も下がってきたので、寒さに震えながら、早々に墓前に花と線香を手向け、帰途に着いた。ところが、墓地の途中で、枝垂桜を見付けた。既に満開の木もある。はて、そんな場所に枝垂れ桜が?と思ったが、よく考えてみれば、お彼岸に咲いていたことが無かったから、今まで気が付かなかったのだ。ソメイヨシノが多い東京では、こんな大きく綺麗な枝垂桜は珍しいように思う。思わぬ眼福、立ち止まって、眺める墓参の人も多かった。

どうも寒いと思ったら、帰りの電車の中で、雪がチラチラ舞っているのに気付いた。桜に雪!何とも予期しない組み合わせに驚いた日だった。
2004年03月21日
京都の南座に初遠征してきた。坂東玉三郎の舞踊公演である。今日がその千穐楽。幸いお仲間のご好意で切符を取っていただけたので、期せずして地方在住のメル友遠音さまの大学合格祝いともなった。

あちらは深夜の夜行バスだが、こちらは楽をして新幹線ののぞみを利用。最寄り駅から京都まで僅か二時間半の旅だから、近いものである。ところが往々にして突発事が起こる。最寄り駅に入ったら、電車が止まっている!隣の駅で事故があり、動かないのである。このまま止まっていたら新幹線に間に合わない!と焦ったが、幸い10分程度で動いてくれたから、ほっと胸をなでおろした。やはりこういう時は少しで時間的な余裕を見て、早く出るべきであると痛感した。

新幹線に乗ってしまえば後は順調で、あっと言う間に京都着。本を読んでいる暇も無いくらいだ。地下鉄と阪急を乗り継いで、河原町で合流。ネットで見付けておいた懐石料理のお店で、ゆっくりと昼食を取った。お料理も上品で、はじめは量が少ないかと思ったが、食べてみるとなかなか食べきれないほどで、味も満足できるものだった。7ヵ月振りなので、積もる話もあって、あっという間に時間が経って、まず今日の第一目的の南座に入る。

南座は、テレビなどで見るより小さい劇場で、普段見慣れた歌舞伎座に比べると半分程度の観客しか入らないようであるが、今回のような舞踊公演には相応しいかもしれない。どこからでも見易いのは良いことである。

肝心の舞台の観劇記は別途書くが、道成寺もの由縁の二題の演目も珍しく、また片や人形振り、こなた能がかりという滅多に観られないもの。たっぷり楽しんだが、これまた時間の経過も早く、すぐ終演になってしまって、物足りないくらいだった。

また今日は、いつもの掲示板メンバーが計四人集まり、はじめての方ともご挨拶が出来たのは嬉しいことだった。

終演後、周辺のお店のショッピングにお付き合いする。さすがに古都京都、和風のお店に事欠かず、美しいものばかりで男性でも見飽きない。

午後六時を過ぎて、第二目的の東山を散策。これも今日が最終日だが、道の両端に小さな行灯を灯していて、花灯路と称していた。これが夕闇に映えて、何とも言えない風情を醸し出している。休日だから、人出が多いのは止むを得ないが、これでもっと人が少なければ、さらに良かっただろうに…。途中の広場では、筝の生演奏もあって、楽しめた。時間があればもっとゆっくり見て回りたかったが、新幹線の時間も気になり、途中で散策をやめて、駅までタクシーで戻る。わざわざ見送ってもらい、改札口に入った。次は五月の上京してくるそうだから、また二ヵ月後の再会を約した。

幸い入線してきた列車の自由席に空きがあったから、飛び乗った。これで予定より20分程度早く帰ることが出来た。年齢的には日帰りは少々きついだが、それを補ってあまりある楽しい初遠征であった。だが、これに味を占めてたびたび遠征しないようにしないと…。
2004年03月22日
昨日の遠征の余韻が後を引き、なかなか仕事モードに戻れない一日。決して疲れたというのではなく、やはり日常生活を離れて、遠出するというのは心地よい疲れを感じるものである。

ところが昨日はそれほど寒くは無かったが、今日は前線の通過とか、またもや寒い雨が降り続く。幸い予報の出た雪は日中は無かったが、出歩くととにかく寒い。結局、這う這うの体で帰社した。
2004年03月23日
今日も寒い一日。昨日珍しく同僚が風邪を引いたと早引けしたが、とうとう今日は休んでしまった。これは自分も気をつけないと。

ドリフターズのいかりや長介さんが亡くなったことが随分新聞やテレビに取り上げられている。考えてみれば、我々の世代も彼および他のメンバーのテレビ番組をよく観た同世代である。とくにあの「八時だよ、全員集合」は、俗悪番組と名指されながらも高視聴率をあげたお化け番組だった。しかし、とにかく理屈ぬきで笑い転げ、面白かったのは事実。久世光彦氏の追悼記事によれば、あの番組の成功の陰には長さんの長考があったという。納得するまでは進まなかったらしい。今のバラエティ中心のテレビから見れば、あの番組の復刻DVDが売れているのも、ただ懐かしいからだけではなく、飛びぬけて面白いから受けるのであろう。

最近では、『踊る大捜査線』シリーズでの老刑事の渋い演技が忘れ難い。得難い脇役をまた一人失った思いである。
2004年03月24日
最近は歌舞伎関係のビデオやDVDを観ることも多くなったが、やはりこのPCを買った時の最大の狙いは、クラシック音楽のDVDの視聴だった。だから、視聴記はなかなか書けないものの、結構新譜のDVDは購入し視聴している。だが、悩みはまだまだお値段が張ることだ。四月にはお気に入りの指揮者の一人であるアバドの待望のDVDのベートーベン全集がリリースされる。全5巻のうち、合唱は以前に購入してあるので、残りの4巻が対象になるが、全部だといい金額になる。う〜ん、と悩ましい。

しかし、他方旧譜の名作映画のDVDはどんどん低価格化が進行しているようで、先日かの『アマデウス』が廉価なので購入したが、一旦見始めると止まらなかった。例のサリエリのモーツアルト暗殺説を戯曲から映画化したもので、アカデミー賞を多く受賞した話題作だった。何より、サウンドトラックがN・マリナー指揮で非常に精彩溢れる音楽で、あたかもモーツアルトの音楽のさわり集の感があった。そしてまたそれがよく映像にマッチしていた。これはくりかえしの視聴に耐えるDVDであった。

今日も『タイタニック』に、『インデペンデンス・デイ』がセットになっての超お買い得のDVD発見。この調子で行くと、今度は過去の名画のDVDのはまりそう。いろんな面で、そんな余裕はないはずだが…。
2004年03月25日
ここのところ、芸能方面で著名人が相次いで亡くなっている。京舞の井上八千代さんは別格として、いかりや長介さんに続いて、『太陽にほえろ』の長さんでお馴染みだった下川辰平さんも亡くなっている。これまた渋い、いぶし銀のような脇役。そういえば同じ番組の中堅俳優も自殺とか。こういう偶然もあるのである。

また三矢歌子さんも同時に亡くなっている。今は懐かしい新東宝からデビューして清純派で随分多くの映画に出ていたと思う。活躍の場をテレビに移しても、相変わらずの美しさで魅了されたものである。年齢を見たら、10歳しか上でなかった。若い時から出ていたから、隋分お年だと思っていたが。なんだか寂しさを感じる日だった。
2004年03月26日
これは本当は27日のことだが、深夜なので26日として書く。昨年12月の放送されて、あまりの凄い演奏の連続で声を失った『華麗なピアニストの競演』が衛星第二で深夜放送されたので、再度録画した。やはり衛星放送は地上波とは音が違うので、録り直した訳である。

週末でやや疲れ気味だったから、この日記の更新もしないで、早々と寝ようと録画予約をセットしたのだが、一応チェックだけしようとテレビをつけたら、まだビデオデッキが作動していない!どうもタイマーの時間が遅くなっていたらしい。慌てて手動でスイッチを入れて事なきを得たが、後続の番組も予約しているから、終了まで寝るわけにも行かず、見ることにした。途中地震があったようで、地震情報のテロップが流れて、少し目障りだたが、とにかくピアノ演奏がスリリングな上に、競演者が豪華版だから、何度観ても飽きない。結局最後まで楽しんだが、最後の最後になって、驚いて席を立ちそうになった。

何と先般の放送ではカットされていたラストがあったのだ!黒人ソプラノ歌手バーバラ・ヘンドリックスが登場して、この音楽祭の10周年をお祝いして、「ハッピー・バースデイ」を歌っていた。ほんの30秒ほどの短い場面だが、これまたこの番組の価値をより高めていた。これを地上波でカットしていたNHKの見識を疑う。偶然再度録画したからいいようなものの、危ないところだった。

番組終了後、今度は時間セットをし直して、予約録画をし、ようやく安心して寝られた。これもお気に入りの指揮者アバドのシューベルトプログラムの演奏会で、昨年デッキの故障で録画に失敗していたもの。翌朝確認したら、無事完了していた。この二つの番組を録画したこのテープは要保存だ。それにしても、衛星放送をDVDで録画できるように配線を変えなければ…。
2004年03月27日
昨年システムを変えてから、地元の図書館が貸し出し期間を過ぎると、返却遅れの督促をすぐして来るようななった。遅れている方が悪いのだが、あまり気分が良くない。早くネット予約や貸し出し期間延長などが出来るようになると便利なのだが。

家人から最近あまり本を読む時間が無いのだから、借りて来なければいいのに、と言われてしまった。たしかにごもっとも。でも、読みたい本が手許にあるだけで読んだような気分になる悪い癖があるから、借りてくるのは止められないんですね〜(^^ゞ。
2004年03月28日
昨夜家人が明日お天気だから、隅田川の櫻を観に行きたいと言う。はじめは一人でもいいようなことを言っていたのだが、どうも一緒じゃないとまずそうだから、久し振りに家でゆっくりしようと思っていたが、そうも行かず早起きして出かけることに。まぁ、普段の罪滅ぼしである。

乗り継ぎよく一時間強で浅草に到着。吾妻橋を渡って墨堤に入る。まだ人出はさほどでは無い。東京の櫻の色は今一つ冴えないが、それでも晴天に咲き揃う櫻はやはり見事である。今まで携帯のカメラの使いこなしがあまりうまく出来なかったのだが、先輩(?)に教えられたやり方の通りに撮ったらまずまずの写真が撮れたので、貼り付けておく。

             

花見の後は、当然団子。まず長命寺の桜餅を購入してから、次に近くの言問団子の店に入る。三つの異なった団子が味わえる。この団子は絶品。さすがという味である。ついついお土産まで買ってしまう。

桜橋を渡って、反対側の堤を歩いてから、今度は浅草寺に行く。時間もちょうどよいせいか大混雑!浅草神社の神事もあって、今日は見所も多かった。遅い昼食にまたまた甘味の店に入る。今日は花より団子の日だったようである。
2004年03月29日
昨日いい気分で花見をしたはいいけれど、どうも長時間外の居たためか、昨夜から花粉症が悪化!鼻は大丈夫だが、目のかゆみがひどい。それに加えて体までだるくなってきた。櫻は今日満開宣言が出たようだから、今週中にいろいろな場所の花見をしようと目論んでいたのに、これではきつい。

疲れた体のままで家に帰ってきてPCを開けたら、またぞろウィルスメールの嵐。前回と同様とりあえずはプロバイダーが削除してくれたが、一体全体どうなっているのだろう?またもや疲れがどっと出た。
2004年03月30日
                            

一度味をしめたら、すぐ調子に乗って悪乗りする悪い癖がある。今日も仕事(?)で近くを通ったので、櫻の名所である千鳥が渕に行ってきた。もう完全に満開で、花見見物の人々でごった返していた。またもやそこで撮った携帯のカメラの写真。曇りで今にも雨が降りそうだったから、あまり出来はよくないが、貼り付ける。この後、すぐに雨が降り始め、夜半にはかなり強くなったから、果たして満開の櫻は大丈夫だったか?

夜、出向元の同期の送別の飲み会。昨年希望退職しているが、嘱託で残っていたから今回が実質の退職。一番仲良く付き合ってきた仲間だから寂しいのは事実だが、年齢が年齢だから、明るくこれからの人生設計を話して遅くまで楽しく飲んでいた。今後も変わらぬ良き友である。
2004年03月31日
3月31日というのは、勤め人にとって一つの節目の日である。会社決算日であることは言うを俟たないが、人事異動や退職者が多い日でもある。会社のお仲間も今日で退職される方々もいる。それぞれ新しい人生に向かって歩いて行く。それを見ると自分も今のままでよいのだろうか?という疑問がふっと頭をもたげる。とりあえず後1年は頑張るつもりだが、果たして来年の3月31日の自分はどうなっているのだろうか?

先日来のウィルスメールの到来が今日はまたもっとも甚だしかった。加入しているMLの一つで大量の怪しげなメールが流れてきた。偽名で流れてくる中に自分のアドレスもあったのには驚いた。だが経験上分かっていたから、慎重に削除したうえで、メールの設定をも変えた。念には念を入れて、再度ウィルスチェックをかけて無事であることを確認できた。またもやお疲れ。


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