隆慶一郎


『吉原御免状』(新潮社)
時代小説の世界に彗星の如く現われ、堰を切ったように次々と注目すべき作品を発表して、一躍時代小説の旗手となりながら、デビュー後僅か5年でこの世を去った隆慶一郎の記念すべき第1作である。次作の『かくれさと苦界行』とともに、一つのシリーズをなして、全部で3作から5作の連作の構想もあったようだが、作者の急逝によってそれも叶わなかったことは、返す返すも残念なことであった。

この作品は、後水尾院の隠し子で、裏柳生に命を狙われながらも宮本武蔵に助けられ、肥後の山中で12年間育てられた主人公松永誠一郎が、はじめて江戸へ出てちょうど開業したばかりの新吉原へ姿を現したところから、物語は始まる。

彼は幻斎なる老人から吉原のことを教えられながら、次第にこの吉原が容易ならぬ地であることに気付く。

この小説の面白さの一つに、吉原を巡っての誠一郎対裏柳生との壮絶な闘いがあるのだが、実は一番驚き、目を見張らされたことは、吉原そのものの成り立ちとその隠された秘密にある。吉原と言えば廓=色街であり、男たちの桃源郷とはいえ、遊女に身を沈めた女たちにとっては、苦界というのが今までの常識である。ところが、ここではその常識が180度覆される。吉原とは、傀儡子(くぐつ)等の諸国往来勝手の特権を持っていた『無縁の徒』『道々の輩』−漂泊者たちの自由を守る砦であるというのである。中世には、あらゆる世俗の権力が介入できない「不入の地」−公界があって、多くの漂泊者や無縁の者がそこで自由を獲得していた。それが戦国の世が平定されるとともに、徐々に時の権力者に目の敵にされて、潰されて行く。そこで、遊里を作り、それを公界⇒苦界と偽装して吉原という砦にしたという。しかも、砦を守ることが可能となる神君徳川家康直々の御免状があるのである。さらには、その御免状には家康本人の重大な秘密が隠されている。

この作者の考えは、概ね優れた歴史学者網野善彦氏の中世日本史の諸業績に負っているものが大きいと思われるが、従来の常識と全く異なった視点の物語の展開が非常に新鮮である。しかも、小説的な肉付けが豊かであるので、読む者を納得させる強い力を持つ。また、ここに語られる吉原独自のしきたりー里の諸訳(しょわけ)は、時代小説でも珍しい巨細かつ豊穣なものであろう。誠一郎と高尾、勝山の二人の遊女とのおしげりー交情なぞは、並みの恋愛小説より色っぽい。

家康の秘密とは、実は家康は関が原の合戦で死に、後は影武者の世良田二郎三郎が身代わりになっていた、という驚くべき話で、後に『影武者徳川家康』という長編小説になって結実する。また後水尾院自体についても、作者は未完に終わったけれども『花と火の帝』という作品を書いたように、この『吉原御免状』はまさに隆慶一郎ワールドとも言うべき作者独自の世界がふんだんに盛り込まれていて、けだし壮観である。

最後は裏柳生との闘いに勝利をおさめた誠一郎が、吉原の惣名主につくことを決心するところで話は終わるが、吉原を象徴するものとして「みせすががき」が流れる。人を浮き立たせるがどこか物哀しいこの調べは、冒頭にも現われて、以降この時代小説のあたかも通奏低音のように全編に流れていて、印象深い。

この小説は、誠一郎を主とした吉原と裏柳生との全面抗争を描く『かくれさと苦界行』に続いて行く。
『かくれさと苦界行』(新潮文庫)
『吉原御免状』は、宮本武蔵によって育てられ、剣の奥義を教えられた後水尾天皇の落胤・松永誠一郎が、神君徳川家康から下された吉原御免状を裏柳生の手から守るため死闘を繰り返しなから、成長してゆく伝奇小説である。花街吉原が実は傀儡によって営まれた自由の砦であり、また御免状には徳川家康の大きな秘密が隠されているとう設定が秀抜であり、その後の作者の作品群の原点となった記念すべきものである。

この作品は、父後水尾天皇との再会を果たした誠一郎が、吉原の惣名主となって、御免状争奪を裏柳生を使って執拗に仕掛けてくる老中酒井忠清とのさらなる戦いを描いたまさに続編であるが、作者の筆はさらに奔放かつ自在になっており、後水尾天皇をはじめ「お館さま」実は荒木又右衛門まで登場するなど壮大なスケールで描かれる。しかも、伝奇小説と言えどもその登場人物の人間はしっかりと書き込まれており、濃密な物語の世界になっているから、相次ぐ死闘をも含めて、息をもつかせぬ展開に時間を忘れて読み耽ってしまう面白さに溢れている。これは『吉原御免状』から続けて読むならば、その魅力は倍増するであろう。それにしても、このような一大伝奇小説を書いた作者が短期間に全力疾走して燃え尽きたように亡くなってしまったのは、かえすがえすも残念である。


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