徒然なる日条(平成16年6月〜7月分)

2004年06月01日
思いもかけず、六月歌舞伎座初日の夜の部を幕見出来た。今日も横浜で仕事だったが、夕方東京の事務所に戻って来ると、夢玉の書き込みから、若いお仲間が初日の幕見に行くという情報が入ってきた。きっと混雑で入場は無理かと思ったが、駄目で元々早速駆け付けると、意外や意外、思ったほど混んでいず、早く並んでいてもらったお蔭で前の方の順番に並ぶことが出来た。時間になって入場してみると、上手側の花道も見える最前列に座ることが出来た。

お蔭でたっぷり二時間、『助六』を堪能できた。以下、「夢の女・玉三郎』掲示板に書き込んだものを再掲。

☆ 気力・体力ともに充実した最高の揚巻

玉三郎さんの揚巻は、この海老蔵襲名興行に備えてたっぷりと休養し満を持してのものと見受けられました。初日からパワー全開です。花道の花魁道中からその美しさは言うの及ばず、まさに吉原一の太夫の貫禄十分で、その存在感の大きさには圧倒されました。ご存知の通り白玉や他の遊女、新造・禿などとにかく出演者が多く、華やかな舞台なのですが、玉三郎さんの発する強烈なオーラのせいか、前半は揚巻の一人舞台のような錯覚を覚えました。とりわけ、見せ場の髭の意休への悪態など、耳に快いを通り越して快感にすらなっていました。今回この『助六』という狂言において、揚巻の大きさがいかに大切かをあらためて感じました。

後半は紙衣姿の助六を意休から守り、内掛けに隠す見得、そして諍いを止めに入り、三人の真ん中で決まる立ち姿の美しさなど筆舌に尽くしがたいものがありました。またこれはゆうさまが書いているように、助六が花道に引っ込むところを見送る揚巻の姿も素晴らしいものですが、無情にも早々と幕が引かれてしまいました。ここは是非再見したいところです。

☆ 若々しい海老蔵の助六

海老蔵はまだいささか固く科白も荒削りで十分にこなれていない印象はありましたが、とにかく実年齢に近い若々しく覇気溢れた助六で、幕見席から観ていると、本当に祖父の十一代目の姿とダブってしょうがありませんでした。彼のことですから、きっと日を追って良くなると思いますから、新しい海老・玉コンビの誕生は間違い無しです。

☆ 豪華な助演陣

今回はさすがのめでたい襲名興行、この助六の舞台を豪華な助演陣が支えます。勘九郎の柔らか味、左團次の大きさ、吉右衛門の洒脱さ、松緑の爽やかさなど数え上げたら切りがありません。ここではこの人を置いて他にないとも言うべき松助の通人を上げておくに止めます。なお、助六は当時のCMばかりですが、ここでも松助はある有名なCMで笑わせますが、それは見てのお楽しみです。

初日の幕見は意外に混んでいませんでしたから、上手の最善列で観ることが出来ました。恐らく前売りの人気沸騰振りから敬遠されたのかもしれません。早い時期の平日の幕見は狙い目でしょう。
2004年06月02日
二週間以上続いた横浜での営業活動も今日でとりあえず終了!目に見える成果は出ていないが、今回は市場調査も兼ねて、ローラーをかけたのだから、その結果の分析をして、次のターゲットを絞る基礎資料になれば良いが。

それにしても地道なしんどい仕事であったから、活動に携わった人たちは一様に疲れた〜!を連発。成果があればいくらか疲労度は違うのだろうが、出ていないだけに疲れは簡単に取れない。ましてや、この年齢、回復力の低下していること夥しい。

個人的には昨夜の歌舞伎観劇で随分癒された。思い切って行って良かったと思う。これに味を占めて、今月はまた幕見に通いそうである。
2004年06月03日
今日から以前の仕事のペースに戻る。たまたま同業に再就職した出向元の同期と前から約束していたランチをやっと実現できた。かなり幸運に恵まれた再就職だったようだが、溌剌として仕事に打ち込んでいるのを見ると、刺激を受けて、少々マンネリ化している今の自分の仕事振りを反省した。

その後、これまた近くの会社の出向した同僚に偶然会い、一緒にいる先輩も含め、雑談に花を咲かせた。こういうところは元の会社のいいところである。あまりにも家族的過ぎるのかもしれないが、長年育った水は暖かく、居心地の良かったのも事実。それに安住してしまった従業員にも問題はあった。だが、40年代入社の先輩・同期・後輩はやはり多士済々、人材が豊富だったと思う。それを十分生かしきれなかった会社にも随分責任があったであろう。今、多くの有為の人たちが会社を去って、入社した時には想像もしなかった新しい人生を送っている。人生、有為転変と言おうか?
2004年06月04日
今日も歌舞伎座近くに行ったので、恒例になっているチケット売り場を覗いてみた。今月は超のつく人気振りで昼夜ともにチケットは完売だが、キャンセルなど出る場合があるので、こまめに覗いている。ところが、昼の部でそのキャンセル分が三階席の2列目に1枚出たと言う。早速購入して、これまた思いもかけずかなり良い席で昼の部を観劇と相成った。

先日の初日の観劇と同様、以下、「夢の女・玉三郎』掲示板に書き込んだものをそのまま載せる。

☆ 『寺子屋』

最近多いのですが、今回の上演も残念ながら寺入りと言われる、千代が一子小太郎を弟子入りの挨拶に寺子屋に連れて来て、そのまま置いて帰る場面が省略されています。このため、後に続く伏線が無いので、その悲劇性を際立たせるには今一つ物足りない憾みが残ります。しかし、忠義のためには我が子を菅秀才の身代わりにすることを頭では納得して気丈にはしているものの、実際その死に出会って、やはり嘆き悲しむ母親の哀れさをを玉三郎さんの千代は、ちょっとした仕草・科白で表し、観客に深い感動を与えていました。小太郎に着せようと準備してきた経帷子を我が子とも思い、撫でいつくしみ、泣く姿はとりわけ多くの涙を誘っていました。本当にここはいつ観ても泣けるところですが、玉三郎さんの千代はやはり今一番でしょう。

☆ 『口上』

海老蔵を真ん中にして、幹部17名が勢揃いしての口上は、さすがに江戸歌舞伎の宗家市川家の由緒ある名跡襲名と思わせる豪華なものでした。代表はご親戚でもある雀右衛門さんですが、上手から下手へ回っての口上のとりは紫帽子にオレンジ色の裃で正装の玉三郎さんで、海老蔵の左隣。ご自分の玉三郎襲名が祖父十一代目團十郎さんとご一緒の舞台だったこと、そして三代に渡っての共演を続けていることを述べて、新しく誕生した海老蔵を贔屓・叱咤・鞭撻して欲しいとの口上は、病気休演している父親團十郎に代わってのお願いとも受取れる真摯なご挨拶でした。また、その位置はまさしく立女形に相応しいものだったと思います。
2004年06月05日
久し振りの土曜休日、しかも家人が所用で留守のため、家でゆっくりと1日を過ごす。しかし、やること、またはやらなければいけないことはたくさんあるのだが、不思議なもので時間が空くと、逆にのんびりとしてしまい、のんべんだらりんとテレビとビデオを見て、しかも途中居眠りもしつつ終わる。

本当なら今日のような爽やかな日は、あまり汗もかかないから、どんどん歩くべきなのだが、約2週間以上にわたるローラー営業で疲れ果ててしまったから、それをいいことにズルを決め込んだ。六月はいよいよ梅雨入り。汗かきには苦手な季節到来である。ましてや湿気の多い東京の梅雨は、毎年のことながら泣かされる。

しかし、今月は関係しているオフ会が偶然にも二つ重なり、歌舞伎観劇とともに大忙しの月になりそうである。今から体力を取り戻しておかなければいけない。

他所さまのサイトを見て、バス歌手のニコライ・ギャウロフが亡くなったことを知る。慌てて新聞を探したら、訃報が昨日の夕刊に載っていたので見逃したらしい。

若いうちから世界的な名声を得た人だから、もっと年齢が行っていたと思ったら、まだ亡くなるには早い年齢だった。この人によって、ヴェルディのオペラ等のバスパートの素晴らしさを知った。そのよく通る深々としたバスは、余人を持って代え難いものであった。ソプラノのミレッラ・フレーニとのおしどり夫婦としても有名だった。また一人すぐれた大歌手がいなくなってしまった。合掌。
2004年06月06日
今日は朝から1日雨。夕方のニュースでは近畿・東海・関東甲信地方は早くも梅雨入りしたとのこと。鬱陶しいことである。

地元図書館に返却を溜めていた図書を返しに久方ぶりに出かけた。行ってみると、近々恒例の館内整理で2週間ほど休館するらしい。それならばと、早速あれこれ物色して、余計なものまで借りてしまい、帰りには行きより重い荷物になってしまった。

その中に、先日の芸能花舞台にゲスト出演していた国立劇場の織田紘二氏の『歌舞伎モノがたり』(淡交社)がある。長く歌舞伎の制作・演出などに携わってきた著者の薀蓄を傾けた書である。歌舞伎は、やたらと使う小物が多い。小道具・大道具・衣裳・鬘などの記述は、実際に舞台の裏側を知らなければ書けないようなものも多く、あっ、そうだったんだ、と刮目することも多い。今回の『助六』の舞台のように、揚巻のあの豪華絢爛たる衣裳の意味などもこの書の解説でよく理解できる。観劇のサイドブックとして座右に置きたい。
2004年06月07日
梅雨入りした途端に、早速じめじめと高温多湿、雨も降ったり止んだりの嫌な天気になった。今週はずっとこんな天気のようだ。週末久し振りに泊りがけで遠出をするが、これでは雨中の旅行になりそうである。

六月の歌舞伎座興行も劇評家や新聞社の担当者などの総見が終わったようで、ぼつぼつ批評が新聞等に載り出した。概して海老蔵に好意的な記事が多いが、どうも劇評家たちは相変わらずの書き振りである。褒めているかと思えばけなしているし、一体を何を言いたいかよく分からないことが多い。あまり褒めてばかりでは、自分たち批評家としての沽券にかかわるとでも思っているのだろうか?良いものは良いと素直に書けばいいと思うが。

それに人によっては、特定の役者にやや偏向した見方で書いているような気がしてならない。批評家も人間だから好き嫌いがあるのは止むを得ないが、もう少し公正な書き方が出来ないものだろうか?
2004年06月08日
六月歌舞伎座海老蔵襲名興行の夜の部、お仲間と一緒に二回目の幕見。やはり新聞の劇評などが出たせいか、少しずつ混み始めたようで、今日はお目当ての『助六』の前の『吉野山』から入る。幸い作戦が成功したのか、今回も上手の最前列に座ることが出来、花道も見えた。

詳しい観劇記はまもなく「大いなる小屋」に書くが、『助六』については海老蔵が初日より台詞回しが安定して、まことに江戸の助六はこうであったろうと思わせるような気風の良い颯爽とした男振り。しかも見得も綺麗に決まっている。顔、声、姿の三拍子揃った当代一の惚れ惚れするような助六の誕生である。これは後世に残る記念すべき襲名興行になるかもしれない。

また『吉野山』は、菊之助が普段とは違った衣裳(以前に玉三郎が着た衣裳とか)もあり、また格段と美しい静御前である。化粧も心なしか玉三郎に似せているように見受けられて、ちょっとした表情が玉三郎を髣髴とさせた。
2004年06月09日
相変わらずの梅雨空だが、今朝はいくらかしのぎやすい。以前の都内中心の仕事に戻ったものの、なかなかペースがつかめないうえ、目に見える成果は出ないから、疲れることは同じ。やはり仕事をする以上、手応えのある、またやりがいのある仕事をしたい。今の仕事が果たして自分に向いているのだろうか?とふっと思うこともある。仕事がうまくいかない時には過去にもそういう時期があったが、やはり若い頃とは置かれている環境が違う。年齢的にもうあまり自分を抑えてまで仕事はしたくない。勿論、まだ経済的な問題は根底にあるから、簡単に仕事を辞められないことも事実だが、正直なところはもう自分の好きなことをいの一番にやりたい。

出向してから既に9ヶ月目、そろそろ先のことを考え直す時期に来ているのかもしれない。
2004年06月10日
厚生労働省の発表した出生率を読んで、あ〜やっぱり、と思った。それは二つある。

一つは想像以上に少子高齢化が進展していることに対する驚きである。1.29という数字は恐るべきもので、夫婦二人が一生の間1.29人しか子供を作らないことだから、人口は当然急速に減少する。勢い働き手は減り、社会は停滞する危険がある。やはり夫婦共働きの場合の子育ての環境などを整えないと容易にはこの問題は解決できないであろう。

もう一つは、今度の年金改正法案を通してからこの数値を発表したことだ。この数値では今回の改正の根本が崩れる。年収の50%確保という大前提が砂上の楼閣になってしまうことは明らかである。これはどう考えても意図的に発表を遅らせたとしか思えない。年金に対する不信が増幅するばかりだ。
2004年06月12日
久し振りに一泊の旅行に出かけた。普段放っておいている家人へのサービスのつもりだが、当の本人は私が行きたがっているから、と渋々一緒に行く態である。

新幹線とバスを組み合わせたツアーで、日本三景の一つ、天橋立などを見て、城崎温泉の外湯めぐりを楽しむという日程である。費用も驚くほど廉価である。ただし、そのために新幹線も「こだま」であるし、出発時間も早い。

朝5時起きで、支度もそこそこに集合場所の新横浜駅へ。7時15分出発、小田原で乗り込んだ参加者も加えて、計29名の参加。ちょうど良い人数である。3時間のこだまの旅に飽きた頃ようやく米原到着。ここからバスで北陸自動車道を通って、敦賀を経由して三方五湖へ。だが生憎の天気で梅丈岳からの展望は霧で何も見えず(>_<)。後はえんえんとバスに揺られて、殆どの客は夢の中。

それでもスムーズにバスは進んで、16時半には城崎温泉に着いた。やはりところどころ開通している高速道路のお蔭である。この温泉は1300年以上の歴史のあるところで、志賀直哉の短編小説であまりにも有名である。街も宿も小振りで、昔の温泉街の面影を残している。ツアー客は3つの宿に分かれて泊まったが、二人が割り当てられた宿は中心街にあり、比較的いい宿であった。この温泉の特徴は、七つの外湯があって、自由に外湯めぐりを楽しむことが出来ることである。また各宿独自の浴衣を着て、下駄を鳴らしながらの外湯めぐりも風情があって楽しい。

早速挑戦したが、意外に温度高く、一つ入湯しただけでうだってしまった。これではならじと、二つ目に入り、夕食で時間切れ。夕食も思ったより種類豊富で、ビールがうまかった。湯疲れと2本飲んだビールがきき、夕食後はしばしまどろむ。家人に言わせると、いびきがうるさかったらしい。気持ちよく目覚めて、また外湯巡りを再開。結局今日は四つを征服!
2004年06月13日
朝気持ちよく目覚め、張り切って朝湯に向かう。残りの三つは無理だが、出来るだけ回ろうと張り切る。駅の近くの外湯「さとの湯」は一番大きく、また露天風呂もあり、もっとも楽しめた。朝食が早いから、駆け足で宿の側の外湯に入り、これで六つ征服。だが、これでタイムアウト。

今日は昨日とはうって変わり快晴で、爽やか。まず最初に丹後半島の伊根の船屋を舟で遊覧する。かもめが餌をねだって船の周りを群れ飛ぶ。湾内にずらっと並ぶ船屋はやはり壮観である。

次に有名な天橋立。公園にケーブルで上がって、股覗き。これで空にかかかる橋に見える。天気がいいから、絶好の眺め。その一端を携帯写真で。

             

観光が終われば、後はまたひたすらバスで昨日来た道を戻る。途中敦賀のさかな市場で豊富な魚介類に驚く。美味しい魚を食べさせるうまい商法につい釣られて、買ってしまったがとにかく廉い。

19時15分岐阜羽島発の「こだま」で帰途につく。帰宅は22時半。2日間長い旅行だったが、とても充実感があった。
2004年06月14日
久し振りにプロ野球の話題。と言うより世間を騒がせている近鉄・オリックスの合併問題である。近鉄が球団の命名権の売却を反対されてから、何かあると思っていたら、合併で対処しようとしていたのである。それだけ親会社の経営問題として、球団の赤字を看過できない状態であった訳だ。

昔からプロ野球の球団を持つことは広告宣伝効果があるから、赤字は止むを得ないと言われていたのだが、もうそれは通用しない時代になったのであろう。連結決算の普及は球団の赤字が決算に大きく影響することを如実に示している。

しかし、これで一挙に10球団・1リーグ制がクローズアップされてきた。元々パ・リーグは人気の点でセ・リーグに劣り、経営も苦しい。衰えたりとはいえ、観客動員数ではドル箱の対巨人戦を喉から手が出るほど欲しいようだ。だが、巨人が強いのは不思議でも何でもない。あれだけ金にあかせて各チームの4番バッターを集めれば強いのは当たり前。だから、1リーグ制は益々巨人に選手が集まってしまう弊害を生む危険性が高い。どうせなら、分割したらどうだ、というマスコミの声の方が肯綮に当たっている。
2004年06月15日
今日は七月歌舞伎の一般発売日。毎年恒例になっていた猿之助奮闘公演が彼の病気休養のため、坂東玉三郎が座長となって、あの伝説の『桜姫東文章』(鶴屋南北作)を昼夜で通しで上演する。以前から再演の噂があったが、まさかこのような形で舞台に乗せるとは思ってもいなかった。個人的にはかねてから是非とも観たいと渇望していたものだが、共演が澤瀉屋一門であることから、ファンの間ではこの舞台に期待と不安が相半ばしていた。

しかし、さすがにあの桜姫が観られるとあって、徐々に人気が高まったようで、先行販売や歌舞伎会の発売状況から、かなり売れ行きがいいことは、お仲間の方から情報が入っていた。先月の失敗に懲りて、今回は自力で確保しようと、まずネットの先行販売で後半の土日を押さえたので、まず一安心。しかし、今回は是非複数回観たく、今日はネット予約と電話予約を併用して挑戦した。ネット予約はわずか数分で前半の日曜日を確保。次に電話。通常かかるまでに相当な時間を要するので、覚悟していたら、幸運にも僅か40分弱でつながり、無事千穐楽の昼夜を押さえることが出来た。今回は珍しくついている。でもこれで、1公演3回の観劇!いくら何でもやり過ぎか?益々歌舞伎貧乏になりそうである(^^ゞ。
2004年06月16日
珍しく連夜の飲み会。昨夜の出向元の先輩・同期・後輩での会は、たまたま同じような仕事をしている同士が集まって飲んだものだが、先輩の元気の良さ・記憶力の良さには圧倒された。自分も見習わなくてはいけない。こういう会はフランクでいい。またやろうということでお開きになった。

今日は3ヶ月振りに同期会に出席。気楽に杯を交わす。最近仕事等で疲れ気味だから、こういう会は、絶好のストレス解消である。今後も何とか都合をつけて毎月参加したいものである。
2004年06月17日
夜帰宅してみれば、珍しく別に住んでいる愚息が帰って来ている。そうなると、家人は大忙し。普段出来ない世話をあれこれ焼くから、めまぐるしい。その分こちらは放られているから、空いた時間をせっせと海老蔵襲名の助六の観劇記を「大いなる小屋」を書いて、ようやく暫定稿を完成する。

今回は後半もまた再見予定であるうえ、初日に比べて海老蔵が日々変化しているのが手に取るように分かるから、あえて暫定とし、再見後に完成稿としたい。

ところで、間もなくアクセス数が一万に達する。最近何故か急にアクセス数が増えてきて、予想以上の速さで到達見込みである。一体どのようなルートで、どうような方々に見ていただいているのだろうか?不思議でならない。
2004年06月19日
今日はかねてから有志の方々と準備を進めていた『夢の女・玉三郎』掲示板の第二回オフ会の当日。合計17名のご参加者を得て、賑やかに開催できた。会場も歌舞伎のオフ会らしく銀座で、かつ休日の昼間でも時間が自由。また二時間の飲み放題付きで、言うことなし。よくぞこういう会場があったものだと感心した。

予定していた以外に、飛び入りでお仲間の方の先輩が参加され、貴重なポスターなど提供いただいて、またさらに盛り上がったようである。

結局会場に5時間、またお茶の飲みながら2時間強、と気がついたら、あっという間に時間が経過していた。まだ先だが、これでまた次回の開催も企画しなければ…。
2004年06月20日
今日は昨日の疲れが出たところへきて、何とも暑い一日。結局日中はゴロゴロして終わってしまった。年々暑さがこたえる。来週は怒濤(?)の観劇週間に加えて、イントラ日記部のオフ会もある。体調を整えて過ごさねば。

一昨日、または昨日アクセス数が一万番を越えた。残念ながら切り番をふんだ方は分からない。だが、意外に多くの方々にご覧いただいており、有難い。今後の励みにもなる。

また昨日のオフ会でさらに交流が広がって、ますます掲示板の輪を感じる。だが、他方で途絶えた交流もある。その責めはすべて自分にあるが、相手の心情を思うと胸が痛む。今はただ待つしかない。
2004年06月21日
昨夜久し振りに従弟から電話がかかってきた。珍しいので何事だろうと思ったら、結婚式に出てくれと言う。「えっ?誰の?」思わず言ってしまった。そんな心当たりが無かったからである。「内の長女がこの9月に結婚するので…」「えっ?いくつよ?」と聞いたら、もう23歳になったということだった。つい先日二人の結婚式に出たばかりのような感じがしていたが、もうそんな年齢になっていたのだ。こちらが年を取る訳である。

以前若いお嬢さん方と仕事を一緒にした関係で、一時は年に何回も結婚式に呼ばれて、嬉しいような寂しいような、そしてもっと懐が寂しい時期が続いたが、最近は結婚式にはとんとご無沙汰である。おめでたいことなので、喜んで出席することにした。

今日は大型台風の上陸の影響で、横浜での仕事も強い風雨のため開店休業状態。幸い高校の同級生の会社を見付けて、仕事中ながらお邪魔して情報交換。今度また同窓会を開催するという情報を入手。やはり毎年開催の要望が強いようだ。苦心の労作の同窓会HPの活性化に頭を悩ましているようだから、何か出来ることがあれば協力しなければいけない。
2004年06月22日
まさに台風一過、今日は朝から抜けるような青天になった。しかし、水銀柱もグングン上がり、各地で軒並み30度を越える真夏日になったようである。

そんな中、外を歩いていると、吹き出る汗で水分が欠乏し、やたらと喉が渇く。だから、今日1日でどれだけ水分を補給したか分からない。まぁ、アルコールだけは我慢したが。

今日から後半の連続歌舞伎観劇。勿論贅沢は出来ないから、三階席ばかりである。人気最高潮で、当日券も含めてチケットは完売のようで、幕見席も早くから多くの人が並んでいて、立見の方も多かった。今日の席は西だから花道がよく見えないが、その分他とは違う角度の舞台を観ることが出来て、新鮮な発見もあった。

海老蔵と玉三郎のコンビによる助六も、ますます乗っていて磨きもかかり、劇場内が沸く場面も多い。明日は花道をたっぷり堪能したい。
2004年06月23日
六月歌舞伎の連続観劇第二日目。夜の部の最終である。ようやく全ての出し物を観ることが出来た。

『傾城反魂香』(通称『吃又』)は、吉右衛門と雀右衛門の夫婦役が好ましかった。絵師として不遇の吃りの又平が死のうと決意して書いた絵が手水鉢を抜けるという奇蹟だが、その後の喜びようと吃らなくなる様子の対比がきちんと描き分けられていて、さすがヴェテランの味であった。今の雀右衛門にはこの女房おとくが一番あっているようだ。

『吉野山』の菊之助は、ますます美しい静御前。

『助六』は海老蔵が日々進化しているようだ。台詞回しも随分安定していて、メリハリもしっかりしている。玉三郎の揚巻とのコンビもまさに江戸一の美男美女振り。こういう助六も滅多に観られないだろう。
2004年06月24日
連続観劇の最終日。昼の部だから休暇を取って、出かける。これは二回目。三階席の花道の上だが比較的良く見える。

『外郎売』は病気休演の團十郎に代わって、松緑が務めた。歌舞伎十八番の一つで早口の売り立てが一つの見所、聞き所。今月の松緑は『助六』の福山のかつぎもそうだが、口跡が非常によく、聞き易い。思えば彼がまだ左近時代に祖父の二代目松縁が工藤祐経で付き合い、孫の舞台を慈愛深く見守っていたことを思い出す。まだ声変わりの頃だったからいささか苦しそうだったが、あれから随分成長した。祖父の松緑は間もなく亡くなったから、あれが最後の共演だったか?

『寺子屋』は今回も寺入りという前半の場面が無いのが、大顔合わせだけに惜しまれる。これを出すことにより、より悲劇性が際立つと思うのだが、見取り狂言では止むを得ないのか?

『口上』は、やはり市川家の襲名の特徴である「にらみ」がある。これは「ひとつにらんでごらんにいれます」と、お正月に邪気退散のために吉例として行われたもの。市川家がいかに江戸歌舞伎の中心で、また呪術性をもっていたのかがよく分かる。今回の海老蔵も立派なにらみで、完全に将来の歌舞伎を背負って立つことを証明した。

『鏡獅子』。立ち役の海老蔵が前ジテで弥生を踊るのはいかにと観ていたが、初見よりより可愛らしくなってきたように思うが、体が女形ではないから、まだ踊りが硬く苦しい。後ジテはその憂さを吹き飛ばすような勢いのある毛の振り。これはこれで立派であった。
2004年06月25日
今日は出向元のネットのお仲間−イントラ日記部の第四回(?)オフ会。計12名と少々参加者は少なかったが、1年以上振りだったうえ、今回は遠方よりの参加者2名−K川さん(鷹に楓さん)、U飼さんがいたから、大いに盛り上がる。大部分の方はお二人と初対面だったはずだが、昔から既知のように話がはずむ。酒の持ち込みが自由だったから、持参いただいた珍しいお酒も玩味して、やや飲み過ぎ。酒豪に付き合っていると、自分のペースが狂う。

あっという間に会場はタイムアウト。結局ほぼ全員が二次会に参加して、また飲む、歌う。気が付いたら、自分の終電の時間を過ぎていたから、途中からTaxiに乗る羽目に…(^^ゞ。

日記部長、いろいろお手配有難うございましたm(__)m。
2004年06月26日
月一度の土曜出勤日。今日は六月歌舞伎の千穐楽だが、チケットも手配出来ていないから、行けない。若いお仲間が始発電車の乗って並び、良い席を確保できたようだ。さすがに若さには脱帽である。こちらは昨夜の深酒と寝不足で、少々二日酔い気味だから、仕事どころか午後は眠気が間断なく襲ってきて困った。

定時で早々に退社して、久し振りに行きつけのCDショップを覗く。歌舞伎観劇でコンサートまでなかなか手が回らないから、クラシック音楽はDVDで鑑賞することが多い。しかも最近はスタンダードなレパートリーだけではなく、結構珍しいものも続々出てくるから、これまた購入が追いつかない。今日は以前から欲しかったガーディナーの『クリスマスオラトリオ』が廉価盤で出たので、ようやく手に入れることが出来た。2000年のバッハカンタータ巡礼の皮切りとなった教会での全曲ライブ。早速視聴したが、やはりビデオとは映像も音も格段に差がある。この曲はバッハの宗教作品の中でもとりわけ親しみやすいものだから、全六部、少しずつ楽しめそうである。

またラモーの歌劇『レ・ボレアド(北風の神)』のDVDの新譜も発見。フランスバロックの巨匠ラモーは近年その復活が目ざましいが、この作品も最後の大作で、いまだあまりCD盤にも恵まれていない。それをW・クリスティー指揮レザール・フロリサンの演奏でDVDで視聴できるとは思いもかけなかった。じっくり鑑賞したい。
2004年06月27日
先日来拙宅に子供が同居するようになった。子供と言っても本物の子供ではなく、人形なのだが、お喋りする人形である。その名もプリモプエル。1999年から発売されて、当初の狙いとは少々異なって、中高年の癒しに人気が出ているらしい。愚息が母親に買ってくれたものである。

センサーを内蔵していて触ると反応してお喋りする。これが言葉の数も多く、また何とも可愛らしい。しかも時計を内蔵しているから、夜はおやすみと言って寝るし、朝はおはようと起こす。気分がいいと歌まで唄い出す。またお相手をしないと元気〜?と遊びを催促する。まるでペットと同じである。マンションでペットを買えない身にとって、ちょうど良いペット替わりであるから、家人は最近夢中である。だんだん自分も洗脳されて、かまったりしている。
2004年06月28日
昨夜HNK教育テレビで放送された第33回俳優祭の放送は、140分放送でどのように当日の舞台と模擬店風景を収めているか興味があったが、さすがに手際よくほぼすべてを網羅していた。

とくに連鎖劇『奈落〜歌舞伎座の怪人』は枝葉を削ぎ落として、中心分だけをうまくまとめていたから、実際の舞台を観ていない方々も十分楽しめたと思う。ただ、この連鎖劇は歌舞伎を愛する人のために、と副題されているように、歌舞伎を長年支えてきた名優たちへのオマージュにもなっているから、ラストの部分にあった過去の名優の舞台や素顔のシーンがカットされていたのは、時間の関係とは言え、残念なことであった。やはりこれは是非手を入れた上で、メイキングも含めて全編をDVDでリリースして欲しいものである。
2004年06月30日
六月は歌舞伎の連続観劇と、関係している二つのオフ会がほぼ同時期に開催されるという、言わば盆と正月が一緒に来たような忙しさであったためか、今週は気が抜けたような状態で、仕事にもなかなか身が入らない。

おまけに今日は天気予報とは異なり、一日雨。しかも時々強く降る。静岡は集中豪雨のような降りで、新幹線まで止まってしまった。こういう日は目に見えた成果も出ないから、早めに仕事を切り上げ、新宿へ出て仲の良い会社の同期と恒例の飲み会。最近飲む量も減ってきたが、こういう時は結構飲む。またもや酔っ払いで帰宅。

今日工事をした玄関のドアフォンを見て、ビックリ(@_@;)。公団からは事前に何も聞いていなかったが、随分大掛かりな工事をしていた。住居者負担は無いというものの、同意無しで勝手に施工するとはいかにもお役所仕事。やってやるという体質が抜けないのか?
2004年07月01日
7月と聞くと、出向元の会社では販売強化月間だから特別な月に思う習慣が付いているが、もうそれが無いのは気分的に楽な反面、何か物足りないような気もする。自分が貧乏性だなと苦笑する。だが、営業第一線はとにかく休日も返上して頑張る月、気持ちの上だけでも応援したい。

また愚息が休みに帰ってきた。どうやら結婚したい相手がいる様子。年齢的には不足は無いが、話を聞くと親としては心配な点も多い。これからまたいろいろ話し合っていく必要がありそうである。
2004年07月02日
今日書店で辻邦生の全集が新に出版されているのに気付く(新潮社)。全20巻、彼の全集らしい瀟洒な装丁で、思わず買いたくなる衝動に駆られる。だが、とても手を出せる値段では無い!

第1巻は出世作である『夏の砦』や『安土往還記』等が収録されている。『夏の砦』は昭和41年に書き下ろしで出版された時に購入し、既成の作家らしからぬ抒情的かつ清冽な印象を受けた忘れられない作品である。だが、彼はその後急に歴史小説を書き始めて、この『安土往還記』という傑作を書き、さらに『天草の雅歌』『嵯峨野明月記』と立て続けに戦国から江戸初期を題材にした作品を次々に発表し、熱狂して読んだ記憶がある。そして、決定打は何と言っても『背教者ユリアヌス』であった。これで完全に参り、以後その作品の全てを読むことになった。

彼の作品の主題は明らかで、人間としての生きる喜びを主に歴史的人物を借りて高らかに歌い上げる。時にはそれが見え過ぎる時もあったが、その圧倒的な筆致で、精緻に、また香気豊かに描かれる世界は、何ものにもまして魅力的で、一旦読み出したら引き込まれることがしばしばだった。その最後の成果が、『西行花伝』。これは繰り返し熟読した。構想として、藤原定家を主人公にしたものがあったようだが、その死によって実現されなかったのは返す返すも残念であった。全集の出版を機会にまた作品を再読しそうである。
2004年07月03日
昨日来、いくらか湿気がなくしのぎやすいせいか、昨夜からよく寝てばかりいて、1日を過ごす。ここのところの疲れを取るいい機会であったから、気持ちよく寝て、夜になってようやく目覚めたというところ。

それでも図書館から借りていたものがまたもや溜まってしまって、慌てて返却に行った。幸いリクエストしていた宮尾登美子の『宮尾本平家物語』の最終巻も来ていたので、他に数冊再借り出しをし、帰ろうとして何気なく新刊の棚を見たら、昨日見付けた辻邦生全集の第1巻がもう入荷している!当然即借り出し。発売日からかなり遅れて入ることが多いのだから、これは何とも珍しく、幸運であった。これで当分読む本には困らないが、相変わらず読む時間を作るのが問題である。
2004年07月04日
近鉄・オリックスの合併問題から、プロ野球の1リーグ制の議論が喧しい。もう10チームで1リーグが既定事実のように語る人もいるようである。だが、長年続いた2リーグ制がプロ野球の発展に多大な貢献をしてきたことは論を俟たない。それぞれのリーグで勝ち上がって優勝したチーム同士の日本シリーズが、どれだけの名勝負を残してきたか、またファンの夢をかなえてきたことか!

幸いライブドアという異業種企業が近鉄買収の名乗りを上げた。実現するかどうかは関係者の反応を見ても疑問符が付くが、2リーグ制存続の一つの声になろう。また今年のセリーグは中日ドラゴンズが落合監督の指導よろしきを得て、混戦から一つ抜け出してトップを走っている。まだまだペナントの行方は分からないが、戦いを面白くしているし、タイガースとジャイアンツの追い上げも見ものである。パリーグも熱い戦いが続く。このような試合を見せてゆけば、ファンも熱心に応援して、2リーグ制存続の声もより高まると思うが…。
2004年07月05日
土日の休養が功を奏したのか、珍しく読書が進み、辻邦生『安土往還記』を読書手帖に追加出来た。また『宮尾本平家物語』最終巻も快調に進んでいる。これも読書手帖を書ければいいが、何しろ前の3巻を忘れているから、困ったものである。

並行して、今月の歌舞伎座『桜姫東文章』の台本を少しずつ読み進める。今まであまりないことだが、今回は19年振りの再演でしかも初見だからよく話を理解しておく必要があると思った訳だが、読めば読むほど、鶴屋南北の奇才・鬼才には驚愕する。公卿のお姫様が下司な男に惚れて、遊女にまで堕ちるというお話。坂東玉三郎がこの難役をどう見せてくれるか?期待は高まるばかりだが、初の通し観劇は今度の11日(日)。それまではお仲間のレポを楽しんで待とう。
2004年07月06日
深夜一時驟雨が通り抜けたので、これは涼しくなるだろうと夢うつつに考えていたら、とんでもない、朝から水銀柱はどんどん上がり、東京は33度くらいにまでなったらしい。歩いているとくらくらと眩暈が来そうな暑さだった。一体今年の梅雨はどこへ行ったのだろう?

早速毎年恒例の暑さ負けにやられたようで、今日は食欲減退。こういう時は冷たい物は飲まないようにしなければいけないが、水分の補給でそうも行かず…。

それにしても、梅雨同様、参議院選挙はどこへ行ったのだろう?東京はどこへ行っても選挙カーなるもにぶつかった例が無い。こちらが歩いている場所が繁華街であってもである。新聞各紙の調査で自民党の苦戦が伝えられているが、これで勝とうとしているのか?はなはだ疑問である。

だが一方、曽我ひとみさん一家の再会を急いだり、今日はまた社会保険庁長官を民間から選んだりして、選挙目当ての動きが見え見え。肝心の年金問題を棚上げにしておいて、小手先の対応策では勝てないと思うのだが…。
2004年07月07日
今日は七夕。珍しく好天で天の川も良く見えただろうが、生憎夜空を眺める習慣が無いから、確認は出来なかった。昨年とうって変わった猛暑の到来で、空梅雨。今日も全国的に暑く、東京地方は34度を超えたらしい。

昨日よりさらに夏負け悪化で、食欲不振に加えて、胃痛まである。こういう時はとにかく水分の補給はひたすらお湯やお茶で、冷たいもの、とくに泡の出るものはご法度。帰りがけに一杯どうですか?と同僚に誘われた。いつもならば喜んでホイホイ付いて行くのだが、さすがに今日は自粛して(というより飲む元気なし)、帰宅。ひたすら休養に努める。

毎年そうだが、体が急な暑さに順応できないと起きるようだ。だから最初をじっと我慢していれば、すぐに治る。当分我慢、ガマン。でもこの暑さ、早く冷たい生ビールをきゅーっと飲みたいものだ。
2004年07月08日
猛暑の続く毎日。日記を見ても冷夏で不順な昨年といかに違うか分かる。眠りも浅いから、いきおい電車の中でも居眠りばかり。果ては家に帰って来ても、疲れから一眠りしてしまい、今起き出してこれを書いている。

だが読書だけは意外に進んでいて、宮尾登美子の『宮尾本平家物語』の最終巻を読了した。これで全4巻を読み終えた訳だが、作者の多くの作品の中でもこれは最大の長編であるとともに、代表作に数えられるものであろう。

作者の作品は、大まかに三つに分けられる。

@『櫂』『春燈』などの自伝的作品
A『一絃の琴』『序の舞』『きのね』などの芸道もの
B『天璋院篤姫』などの歴史もの

どれも独自の優れた文体で書かれた傑作が目白押しだが、今回の『宮尾本平家物語』はとりわけ他を抜きん出たものだと思う。何故かと言えば、『平家物語』を題材に、最近の研究成果をうまく作品に取り込んで、雅やかな文体で一大王朝絵巻を歌い上げたと言えるからだ。数多くの登場人物を捌きながら、平家の武将たちや周辺の武士たちを活写している。だが、圧巻はやはり女性たちであろう。中心は清盛の妻時子であることは言うまでもないが、子供や嫁たち、さらには婢などまでを生き生きと描き分けていて、さながら女性平家物語の感すらある。

作者は長過ぎるとの読者の批判があったと言っているが、そんな印象は全く無く、読了した時まだまだ読み続けたいと寂しい気がしたものである。
2004年07月09日
連日の猛暑を何とかしのぎながら、仕事もそこそこにひたすら体力の回復に努めた甲斐あってか、ようよう元気が出てきた。もっともやっと仕事から解放される週末、しかも念願の桜姫の観劇が明後日に近づいてきたと思うからかもしれない。現金なものである。

だが冷たい物をガマン、そして食べ物も注意した結果であると思う。とにかく消化のいいものを心がけた。また今日は夏バテ防止に最適の食べ物−鰻の食べた。やはり自分には合っているようで、精力が付くうえ、消化もいい。ひょっとしてこれが一番きいたか?明日も食べたくなってきたぞ。
2004年07月10日
さすがの暑さも今日は一服、曇りがちの天気に加えて、夕立もあり、傘無しの頬には久しぶりの雨が心地よいくらいだった。

それにしても曽我ひとみさん一家の再会は、国と政治のエゴに振り回され、引き裂かれた家族の悲劇を見るようで、辛い。今一時の再会をそっと見守ってあげることが第一だが、その後のことを考えると…。

いよいよ明日は参議院選挙。あらためて立候補者名簿を見ても、この人には是非一票をと思う人はいず、と言って棄権も一つの有権者の意思とは言え、気が咎める。明日の朝まで悩みそうである。
2004年07月11日
朝早く目覚める。暑さでよく寝られないこともあったが、やはりはじめて坂東玉三郎の『桜姫東文章』を観られると思って気が高ぶっていたのか(苦笑)。国民の義務として一応投票を済ませて出かけたが、有権者の投票行動としてはかなりいい加減な気もして反省する。

さて最初は岡本綺堂の名作『修禅寺物語』。一門の中での適役で演じられたこの舞台、それなりに手堅くまとまっていたが、あと一つコクが欲しい。夜叉王にもう少し大きさ・深さがあれば良かったのかもしれない。

さてお目当ての初桜姫、上下の巻として昼夜に分けての上演である。今の興行形態では止むを得ないのは承知しているが、この狂言は是非とも一回で通して観たい。今回も工夫の跡は見えるが、やはり大詰めの後は、本日はこれ切りとして、余韻を持って終わって欲しかった。四の切を演じる役者には悪いが、今日は観ないで帰って来た。

観劇の感想は、自分の頭の中にいろいろ渦巻いていて、今簡単に整理できない状態にある。少し日を置いて冷静になってからでないと観劇記は書けそうに無い。ただ、鶴屋南北の造形した歌舞伎の女形としては破格のこの公卿のお姫様は、釣鐘権助という悪党の色に迷い、高僧清玄を堕落させ、小塚原の遊女にまで身を落としながらも、再び高貴な姫に戻る、という多面的・多層的、かつ矛盾に満ちた主人公であり、坂東玉三郎という立女形の肉体を通じてのみ、はじめてその全貌が明らかにされたと言っていい。やはり今彼を置いてこの役を十全に演じられる役者は他に見当たらない。当り役というのはこういう役を言うのだろう。過去の舞台を観られなかった飢えが今満たされた思いである。通し観劇はこれから二回を予定している。今日見落したところなどたっぷり観たい。

今日も夢玉のお仲間に多くお会いした。やはりこの桜姫はファンにとっては特別であるようだ。
2004年07月12日
昨日の参議院選挙は大方の予想通り、自民党の敗北だが、小泉首相は責任を取ることはしないらしい。既成勢力の破壊を標榜した彼が、自ら既成勢力になっていることに気が付かないらしい。やはり権力を握ったものは、裸の王様になるようである。

これも同じか?某悪名高いプロ野球オーナー「失礼な?たかが選手が」と選手会会長を批判。一体誰がプロ野球のやっているのか?そこには選手とファンに対する視点が無い。

さて、まだ昨日の歌舞伎観劇の興奮が冷めやらぬ状態だが、鉄は熱いうちに打て、とばかりに雑駁だが観劇記をまたもや暫定で追加した。後半の二回の観劇で手を加えたい。大方のご意見をいただければ有難い。
2004年07月13日
今日も朝のうちから温度が高く、1日中蒸し暑かったと思ったら、都心の最高気温が36度を越えたようである。仕事で外を歩いている身にとっては、体感温度はもっと高いように感じられた。

それでやはり早くも梅雨明け宣言が出た。今年は空梅雨、例年の50%も雨が降らなかったらしい。夏の水の確保や米の生育状況に影響がなければよいが…。

昨夜あまりの寝苦しさに、もっと窓を開けようと起きていったら、右足が何かを踏んでしまい痛い!何故かそこにあった時計のバンドの金具が土踏まずに刺さっていた!寝ぼけ眼ではろくなことは無い。幸い出血はなかったものの、なかなか痛みは取れず、またもや睡眠不足に。
2004年07月14日
今朝の新聞報道には正直驚いた。UFJ銀行が自力再建を断念して、事実上東京三菱銀行に吸収される統合計画の特ダネ記事である。予定していた傘下の信託銀行の売却をも白紙撤回しての統合という。そこまで追い込まれていたのか?という驚きもさることながら、統合によって影響を受ける取引企業の動向の方が気にかかった。世界一の巨大銀行の誕生が日本経済の与えるインパクトは大きい。

かたや選手やファンの声を無視して進んでいたプロ野球の1リーグ制に阪神のオーナーから反対の待ったがかかった。何故今頃?とも思うものの、流れを止める効果はある。これをきっかけにもっと広く意見を聞いて、議論を尽くして欲しいものである。
2004年07月15日
先日の夢玉オフ会の参加メンバーのお一人が、今月研修で上京されているので、その激励やら、若いお仲間の誕生日祝いやらを兼ねて、今日はメンバーの有志で食事会。幸い個室を取れたので、ゆっくりと歌舞伎や好きな役者さん談義に花を咲かせる。

今回はじめましての方もいたが、以前からの知り合いのように親しく話し、食べ、飲むことが出来たのは、やはり共通点が多いせいだろうか?あっと言う間に時間が経ち、またの歌舞伎座での再会を約して別れる。帰宅したら、ほぼ12時だった(^^ゞ。
2004年07月16日
お盆と言うのに、まだ実家に行ってお参りしていなかった不信心者、慌てて今日は形ばかりお参りして来る。それにしても夜になっても暑い!

今日は日中雷が鳴り、にわか雨も降ったが、少しも涼しくならなかった。一体この猛暑はずっと続くのだろうか?季節的には暑い方が経済にいい影響を与えるから悪いことでは無いが、これほど暑く、室内と外との温度差があると著しく体力を消耗する。やれやれ、やっと1週間が終わった感じである。さぁ、待望の3連休、と言っても特段の予定は無いが…。あっ、そうそう中華料理を食べる約束があった。夏負け防止にちょうど良い(^_^)v。楽しみ(*^_^*)。
2004年07月17日
今日は、K川さん(鷹に楓さん)が最後の勉強に上京してきた機会に、立川中華街を見学方々、食事兼杏仁友の会の活動。7階のワン・フロワーに多くの店があり、本場の横浜に比べれば、規模は小さいものの、一通りの店が揃っている。値段もなかなかリーゾナルブル。食材を物色した後、一軒の店でいろいろ食べ、デザートは勿論特製杏仁とマンゴープリン。そして、さらにもう一軒、四川坦坦麺を味わう。ここでも手作り杏仁とマンゴープリン。こちらは十分満足したが、舌の肥えたK川さんには満足できなかったのでは?自分ならもっとうまく出来る!?

それにしても辛いものには自信があったが、この四川は辛い。暑さ負けにちょうどよい刺激だが、辛い!その辛い坦坦麺を平気な顔をして、汗一つ流さず食べたK川さんには脱帽。
2004年07月18日
あまりの猛暑に辟易して、今日は一日自宅から一歩も出なかった。と言っても家人がクーラーを嫌うから、冷房無し。だが、暑い暑いと汗をかきつつもこの方が体は楽である。午前中は家の手伝い、午後からはDVDの整理やら読書で過ごす。こういう一日も悪くない。

読書も小説は読む気は起きず、珍しく大作曲家ウェルディの新しい伝記を読んだ。小畑恒夫『ヴェルディ』(音楽之友社)である。生涯に28ものオペラを作曲し、そのどれもが今でも世界中のオペラハウスで人気曲として常に演奏されるこのイタリアの大作曲家の作品は、自分でもモーツアルトと並んで一番愛好している。今回この伝記を読んでみても、その創作の秘密の全てを理解できたとは言えないが、やはり職業としての作曲家に徹したすごさ、そしてそのオペラに賭ける情熱を垣間見られた。また一旦作曲した作品をのうち愛着のあるものは、さらに改訂をくわえて、よりレベルの高い作品になった経過が分かった。作品解説とともに今後も座右に置いて読むべき本になりそうである。
2004年07月19日
3連休を家にばかりゴロゴロしている訳にも行かず、運動を兼ねて歩いて、市の国際版画美術館へ企画展を観に行った。題して『広重 東海道五十三次〜保永堂版と双筆五十三次〜』の展示である。歌川広重の東海道五十三次の風景版画はあまりにも有名であり、どれを見ても当時の宿場と旅の風景が味わえる。小学生当時マッチ箱にこのシリーズがあり、夏休みの宿題に苦労して全部集めた記憶がある。

今回はその全55枚の摺り(一部は新旧の摺りも)を日本橋から順に展示していて見応えがあるが、実はそれだけでなく、もう一つの五十三次が隣り合わせで展示されているのが目玉である。双筆五十三次とは耳慣れないシリーズだが、これが三代歌川豊国と広重の合作なのである。豊国、はじめ国貞と名乗り、美人画や役者絵で有名である。当時は広重より高名な人気絵師だったようである。

広重が描く宿場の風景を背景にして、その宿場にちなんだ人物を描いている。しかもこれが歌舞伎を題材にした人物が多いのが興味をそそられた。『沼津』、『ひらがな盛衰記』、『生写朝顔日記』等々で、それ以外にも当時の風俗を生き生きと描いた人物画は見ていて飽きなかった。
2004年07月20日
昨日は美術館の往き帰りを暑い中歩いたせいか、帰宅したらまたもや暑さ負けのようになり、食事もろくに取らず早々と寝る。ところが熱帯夜で寝苦しく、浅い眠りのまま夜が明ける。朦朧として出社したら、もう暑くてかなわない。堪らずノーネクタイで。

日中さらに温度が上がり、午後1時前に東京では観測史上最高の39.5度を記録したという。観測地点の大手町の近くに居たから分かるが、風が熱風となって吹き付けて来て、とてもまともには外を歩いてはいられなかった。スタミナ回復に鰻を食べたから何とか持ち直したが、いや〜、外歩きには受難の暑さである。

伝説の指揮者カルロス・クライバーが死去した。最近めっきり消息が聞こえてこなかったが、病気だったのか?しかし74歳とは何とも指揮者としては若い年齢である。まだまだあの溌剌とした音楽を聴きたかったのだが、それもかなわない。だが、彼が発売を許可しなかった音源が多数ありそうで、これがかの幻の指揮者チェリビダッケと同じように、今後市場に出て来るのだろうか。期待と不安が相半ばする。
2004年07月21日
さすがの暑さに冷房嫌いの家人も昨夜から冷房を入れだしたので、久し振りに気持ちよく寝られた\(^0^)/。ところがタイマーを入れてあるから、切れた後の暑いこと暑いこと!かえって朝早く目覚めてしまって、睡眠不足(>_<)。後でニュースを見たら、これまた観測史上初の30度を超えた一夜だったようだ。「超熱帯夜」?

昨日指揮者クライバーについて書いた日記は今日読み返してみたら、何か支離滅裂なことを書いているので、若干の補足。やはりは暑さとショックの大きさ故か。新聞などの追悼記事を読んでも、異口同音に生きながらの伝説の指揮者、そして限られたレパートリーについて精妙な音楽を聞かせた、という点でほぼ一致している。そして気難しいキャンセル魔ともある。だが、彼の音楽に一度でも接した人間にとって、クラーバーは非常に優しく、素晴らしい指揮者だった。とにかくライブがよくて、CDやDVDに収まりきらない、新鮮な魅力溢れる音楽を聞かせた。

自分の音楽体験は、何と言っても1981年のミラノ・スカラ座の引越し公演の『オテロ』と『ラ・ボエーム』に尽きる。これで完全にノックアウト。以降数少ない録音の収集とCD・DVDの購入に走ることになる。

珍しいことに正規録音盤が少ない割には、映像作品が多いことが有難い。その踊るような流麗な指揮振りは何度観ても飽きない。そのタクトは魔法の杖とも呼ばれ、紡ぎ出される音楽の魅力には抗し難いものがあった。その音楽をもう聴けないとは寂しいことである。しかも、オペラの映像は『こうもり』と『ばらの騎士』だけで、上記日本公演のものは無い。NHKにある映像を出すことは難しいのだろうか?
2004年07月22日
珍しく連日クラッシック音楽の話題。1981年のミラノ・スカラ座の引越し公演でカルロス・クライバーにぞっこん参ったのと同様、その時同時に来日して二つのオペラ(『シモン・ボッカネグラ』と『セビリアの理髪師』)とヴェルディ『レクィエム』で超絶的な名演を聴かせたクラウディオ・アバドも、以降一番のお気に入り指揮者になった。

その引越し公演で演奏した二つのオペラは、残念ながら当時の懐具合から生を聴けなかったが、幸いFM放送の録音はしっかりと録って、随分愛聴したものである。だが、やはりオペラは舞台を観、聴くもの。当時NHKで放送したものも観て、音だけでなく映像もあわせて視聴して、はじめてこの二つのオペラの本当の素晴らしさが理解できたと思った。だが当時はビデオデッキも無く、録画として記録には残せなかったのは返す返すも悔しいことであった。とくにアバドが得意とする『シモン・ボッカネグラ』は舞台の美しさと相俟って、是非映像で観たいと切望していた。

今回幸いそれが果たされた。正式には今日発売されたアバドが2002年にフィレンツェで指揮したDVDの『シモン・ボッカネグラ』全曲盤である(TDKコア TDBA−0049)。昨日入手して、二夜に分けてじっくり鑑賞したが、長年の満たされない思いが一挙に解消した素晴らしい演奏だった。このオペラはヴェルディ中期の作品であるが、晩年有名な『アイーダ』の後に改定されて、後期の諸作に優に伍する傑作になっている。アバドは若い時からこの作品を偏愛とも言っていいほどしばしば演奏する、言わば十八番とも言うべきもの。

オーケストラの雄弁に鳴らし、密度の濃い緊迫した音楽を聴かせて、聴き手をぐいぐい引っ張って行く。一度聴き始めたら、最後まで止めることが出来ないし、終わった後もまた聴きたい、観たいと思わせた。主演の歌手陣も引越し公演時のカップッチルリ、ギャウロフ、フレーニには及ばないものの、それぞれ好演で十分満足すべきものであった。また光と影をうまく使った簡素な舞台装置と衣裳も地味なこの作品にあっていて好ましい。これは当分繰り返し鑑賞するDVDになることは間違いない。クライバー亡き後、アバドがこのような素晴らしいオペラを我々ファンにプレゼントしてくれたことを心から感謝したい。
2004年07月23日
どうも暑さボケなのか、それともPCの使い過ぎで目が悪くなったのか、最近日記などの誤植や変換ミスが多い。昨日もクライバーをクラーバーとうったまま気が付かなかった。見直しているつもりでも、見落しているようだ(修正済)。

大体若い時から自分の書いたものの間違いは、人から指摘されてはじめて気が付く場合が多かった。別に自分の書いた文章に酔っている訳では無いが、どうもチェックが甘くなる傾向があった。ところが、これが他人さまの書いたものだと、すぐ見付けられる。これはやはり性分で、誤字や文章のおかしいところは気になるようだ。仕事でよくそういうことがあって、粗探しと思われて随分嫌がられたものだ。だから自分の文章でも他人の書いたものと思って、それくらい探せばミスは簡単に分かるはず、とあらためて自戒。

しかし、目が悪くなってきたのは、老年性だからもうどうしようもないか!
2004年07月24日
出勤の土曜日(>_<)。しかもこの暑くて休養を取りたい時に限って、ご丁寧にも来週の土曜日も月末で出勤。毎度ながら、さしてする仕事も無く、今日はPCやら荷物の移動で、もっぱら肉体労働でご奉仕。幸い今日は午後半休をお願いしていたから、正午になったらそそくさと退社して、歌舞伎座へ向う。

そう、今日は二度目の『桜姫東文章』の昼の部を観劇。開演ぎりぎりに滑り込んで、二時間半の上の巻を味わう。やはり後半ともなると、役者も随分余裕が出て来ているようで、とりわけ段治郎の前半の清玄がぐっと良くなっている。だが、週末の疲れか、玉三郎と段治郎の出る場面以外は少々退屈して、思わず睡魔に襲われてしまった。

今日は右近と猿弥の舞踊『三社祭』も観た。達者な踊りとは思うが、何か心に残るものが無い。昼夜入れ替え時に、昼の部をご一緒した方やこれから夜の部を観るお仲間の方とひと時の楽しいお茶をする。最近は同じ日の観劇が多くなった。明日はどなたもいらっしゃらないようだが、28日の楽日は多くの方々が集まる予定で、さながらオフ会状態になりそうである。

ところで、昨日発売になった『歌舞伎名作撰』(DVD)が、さすがに歌舞伎座、大量に置いてあった。今日は迷った結果、とりあえず勘九郎主演の『野田版 研辰の討たれ』を購入。過去の映像を観た事があるから、これは是非ともDVDで観たかったもの。今後も過去の名優たちの貴重な舞台も含めて、続々と出るようだから、歌舞伎ファンには堪らない。だが、これではお財布が持たない!
2004年07月25日
昨日に引き続き、『桜姫東文章』の夜の部の再見。今回の舞台は、下の巻が上の巻より密度が濃い印象があり、リピーターも多いようだ。この桜姫は釣鐘権助というごろつきに惚れてから遍歴が始まるのだが、どん底まで落ちても公卿の吉田家の姫の性根を根本に持っていることがよく分かる。それをしっかりと見せてくれる玉三郎の演技力は、やはり並大抵ではない。このような桜姫を観てしまうと、後に続く人がいるか心配である。

今日は『義経千本桜』の通称四の切も観劇。右近は熱演。しかし、昨日の『三社祭』同様、訴えてくるものが無い。あまりにも師匠猿之助の真似をし過ぎるのではないか?自分の個性を出して欲しい。笑也の静御前。この人にしては上出来だろうが、それでも平凡。やはり個性が無い。もっと古典を勉強しないと、個性が出ないのではないか?

さて記録的な猛暑のなかで熱い舞台を見せ続けてくれたこの七月大歌舞伎も後三日で千穐楽。一体どんなフィナーレが待っているのか?
2004年07月26日
朝久し振りの雨にあう。お蔭でさしもの猛暑も今日は一服である。

今日上司から当分また横浜での営業活動を命ぜられる。先週から予兆はあったが、戦術なくして云々と言いたいところだが、今はしがない出向の身分、従わざるを得ない。だが、また疲れそうである。

先週からDVDの話ばかりだが、今日は『シモン・ボッカネグラ』と同時に発売された同じアバド指揮ベルリンフィルの『ヨーロッパ・コンサート2002』のDVD(TDKコア TDBA−0051)を鑑賞する。これはアバドがベルリンフィルの芸術監督最後の年に、シチリアの首都パレルモのマッシモ劇場で行ったコンサートのライブである。

まず再建なったマッシモ劇場の美しさに目を見張る。オペラ文化の裾野の広さを見る思いである。ぎっしりと詰め掛けた聴衆を前に演奏された曲は、ブラームス「ヴァイオリン協奏曲」(独奏 ギル・シャハム)やドヴォルザーク「交響曲第9番新世界」などである。

どれもアバドとベルリンフィルのお得意の曲ばかりだから、熱い演奏が繰り広げられて、聴衆も沸きに沸く。相性がいいのか、ヴァイオリン独奏のギル・シャハムも乗っている。アバドのこういう協奏曲の伴奏も出色である。そして、珍しくアンコールがあって、曲目はヴェルディ『シチリアの晩鐘(夕べの祈り)』序曲。やはりご当地物のこれは外せないのであろう。イタリア人のアバドの熱い血が迸るような演奏で終わる。しかし、観客席から花が飛んでくるのはさすがにオペラ劇場であるとあらためて感心した。
2004年07月28日
二日連続午前さまに近かったため、日記は一日飛ばし。

昨日は勤め先が近いイントラ日記部の若い方々と情報交換会という名目の飲み会。気が付いたらかなり遅い時間まで飲んでいた。

今日はついに坂東玉三郎主演の七月大歌舞伎『桜姫東文章』の千穐楽。ファンとしては何が何でも行かねば、次はいつ観られるか分からない。今日も半日休暇をもらって駆け付ける。

澤瀉屋一門もこの一ヶ月の舞台で随分成長したと思う。とりわけ段治郎の素晴らしさは特筆物。本当に集中した迫真の演技を見せていた。今後一層の飛躍を期待したい。その他笑三郎、春猿なども実力を十分発揮していた。

今日は楽ということもあろうか、玉三郎の演技も乗っていたように思う。元々決まった見得の美しさには定評のある人だが、今日はことの外綺麗にぴっちりと決めていた。大詰めの口上で、ご来場の皆さまのお蔭で一ヶ月無事舞台を勤めることが出来たことを感謝する旨挨拶して、観客から大喝采だった。本当にお疲れさまでした、と申し上げたい。当初懸念したこの公演も大成功裡に終わったのもご本人の演技は言うまでもなく、若い役者に対する指導の賜物であろう。

終演後夢玉掲示板の方々が14人も来られたので、一同に会して簡単にご挨拶。その後有志で勝手に打ち上げ。今月の舞台の話題で話は尽きず、結局帰宅は12時前だった。
2004年07月29日
昨夜と言おうか、この七月の熱中振りの反動と言おうか、今日はかなり抜け殻状態。10数年待望していた舞台を、しかも期待以上の素晴らしい出来で観られた興奮のうちに過ぎたあっという間の一ヶ月だった。

それに加えて、DVDとは言え、これまた待ち望んだアバドの歌劇『シモン・ボッカネグラ』も観ることが出来た。これだけ良いことずくめの次は…、そう、当然今度は天国から地獄への言葉通り、これから秋に向けて真面目にある資格試験の勉強をしなければならない。今までやってなければいけなかったのだが、どうも昔から試験に関しては泥縄ばかりだったから、きっと今回もまた…。
2004年07月30日
UFJの統合問題が揺れている。住友信託の差し止め請求が通って、統合に暗雲が垂れ込めたと思ったら、今度は三井住友FGが統合に名乗りを上げた。住友信託との親しい関係から、自グループとの統合の方が成算があると読んでのことだろうが、そこには東京三菱FGとの統合が進めば、規模の点で遅れを取る、との判断がある。かってないメガバンクの対立が生まれた。

このメガバンクの生き残りを賭けた熾烈な争いは、一体どこへ行くのであろう。そこに資本の論理が優先するのは止むを得ないが、みずほFGの例にもあったように、統合はコンピューターや店舗網で必ずしも利用者のためになっているとは言えない。サービスの低下が無いことを願う。
2004年07月31日
月末の土曜日のため出勤。土曜日に出勤するのにようやく体も慣れつつあるが、この猛暑ではやはりきつい。

しかしよく考えると、35年前の新社会人の時は、まだ週休二日制など無かったから、ちゃんと土曜日も残業までして仕事をしていた訳で、まぁよく働いたものである。それが入社数年で月二回の土曜休日になり、やがて今の完全週休二日制になった。だから土曜日は休むのが当たり前のようになっていたが、こうやって出勤をしてみると、電車も混んでいて、世の中まだまだ土曜日に働く人も多いのだと、あらてめて感心。今までが恵まれ過ぎていたのか?


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