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昭和43年に刊行された作者初の歴史小説で、その名を世に知らしめた出世作。フランスで発見された16世紀当時の日本について書かれた古文書を訳した形式を取った長編小説。その古文書の筆者は、書簡が多く残っているイエズス会聖職者ではなく、一航海冒険者に設定していることが興味深い。それにより、キリスト教にはある距離を置いた批判的かつ客観的な目で書かれているという効果を生んでいる。
この航海者がイエズス会聖職者とともに接し、深く関わった人物−尾張の大殿(シニヨーレ)こそこの小説の主人公である。その名は織田信長。このような視点から描かれた信長像はまことに新鮮な合理主義者である。理に適わなければ、何事も成らないのだからと、自分のすべてを犠牲にし、不断の克己、緊張の連続で、極限に向かって自分を駆り立て生命を燃焼させる。その結果として、次第に周囲の家臣から畏怖の目で見られ、孤独の影を宿す。その彼が聖職者たちに見せる過分なばかりの信頼と好意は、孤独の裏返しではなかったか?
作者の主題をこう書くといかにも理屈っぽいが、細部の描写は巨細かつ生き生きとしていて、あたかも我々読者がその場に居合わせたような錯覚を覚えるほどである。長島一向一揆、石山寺の攻防等の戦闘、京の雑踏と喧騒、壮麗な安土城、そして騎馬パレードや松明の輝きなど魅力的で引き込まれる描写の連続である。
歴史小説に清新で新しい息吹を吹き込んだ作者は、『天草の雅歌』『嵯峨野明月記』の二つの長編を書いた後、今度は主人公を西欧に求めて、ユリアヌスやボッチィチェリを書くことになる。 |
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