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人気推理作家宮部みゆきの直木賞受賞作にして、間違いなく現時点での彼女の最高傑作。バブル期の東京下町の超高層高級マンションで起きた一家四人殺しの事件を追う。しかも、「誰が」殺したのか?だけではなく、「誰が」殺されたのか?という謎も大きな比重を占める。
だが、ただの推理小説ではない。住宅ローンの返済不能にともなう差し押さえ、競売、そしてそれに対抗するための「占有屋」という知られざる実態を描いていて、カード破産を取り上げた『火車』に続いて、社会問題としても大きな関心を呼ぶテーマを取り上げている。
そのような固い話を小説として一気に面白く読ませるのは、工夫された独自の語り口である。すなわち、無人称の語りと事件関係者へのインタビューを交えた形式は、この小説に相応しくとても新鮮で素晴らしい。無人称の語りは、新聞や雑誌のルポルタージュを思わせるし、インタビュー形式は一つの事象について多面的な解釈を可能にして、物語の立体感と事件の奥深さを感じさせる。またテレビのすぐれたドキュメンタリーを見ているような錯覚さえ覚える。作者の狙いもそこにあったのであろう。大成功である。
この小説のもう一つの素晴らしさは、現代の多様な家族像を描き出していることであろう。ここには擬似家族も含めて、五組の家族が登場する。夫婦、親子、嫁姑、兄弟姉妹がさまざまにお互いを思い、語る。そこにあるのはどこにでもいる人々であり、また一人を除いて本当に悪人はいない。しかし、これらの家族はみな運命とも言うべきこの大事件でに巻き込まれて、変わって行く。だが、救いは作者の暖かい目である。壊れかけた家族もいずれきっと元に戻るであろうと信じさせるものがある。また、いつもながら少年少女の微妙な心理の綾を巧みに描きだしていて、そのうまさには感心してしまう。 |
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職務中の怪我で休職・リハビリ中の刑事のところに、親戚の銀行員から婚約者が急に姿を消したので、探して欲しいと相談を持ち込まれてきたことから、この傑作ミステリーがはじまる。まだ膝が完治していないから、最初は渋々だった本間刑事も、この奇妙な失踪劇の奥に消費者信用(クレジット)問題が根深く横たわっていることに気づき、徐々に調査の網の目を宇都宮から名古屋、伊勢、大阪まで広げてゆく。
そこに浮かび上がってきたのは債権の取立屋から家庭を、結婚を壊された女性が、自分を生まれ変らせるために、同世代の同性になりすまそうという巧みな計画であり、そのために一人の女性が犠牲になった(ただし、小説のなかではその可能性が高いと示唆されているのみであって、死体が発見された場面は描かれていないから、悲惨な描写はない)という真相である。しかし、その入れ替わられた女性もクレジット漬けで自己破産した過去があったことが判明し、またもや本人が逃亡したのは何とも皮肉である。逃亡に次ぐ逃亡を重ねながら、新しいターゲットに接触しようとした本人をようやく見つけたところでこの追跡劇は終る。この小説には悪人はいない。だが、クレジットゆえに悲劇は起きた。
主人公は休職中であるから、あくまで一私人として調べる真摯で地に足の着いた調査方法や、的確な推理と迅速な行動、そして周囲の温かい協力も、宮部みゆきの多くの作品と同様に読んでいて大変気持ちのよいものである。真相の周辺を迂回しながらも次第に核心へ到達して行くまで一気に読ませる展開は作者の腕のさえの見せ所である。
しかし、この小説のすぐれたところは、以上のような点に加えて、クレジット社会の怖さを小説として昇華させたことであろう。そういう意味ではこの小説が経済小説としても高く評価されているのも当然だと思う。 |
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ベストセラーになった最新現代ミステリー。と言っても、これがミステリーかと言えば、必ずしもその範疇で割り切れないような多くの主題を孕んでいて、社会派ミステリーとでも呼ぶべきものであるように思う。
私は未読であるが、『誰か』の主要登場人物がそのまま登場している。ただ、物語はとくに前作を読んでいなくとも、支障はないようである。ただ、今多コンツェルンの社内報の編集者である杉村三郎は、グループの総帥である会長の妾腹とはいえ、その娘と結婚しているので、会長の婿にあたり、俗に言う逆玉である。しかも、その主人公たるや、まことに優しく、人の良い人物である。経済的にも、家庭的にも恵まれて、何の苦労もいらないこのような好人物が、主人公たりうるのか?と最初はその設定に首をかしげたことも事実である。その杉村が探偵のような狂言回しで、二つのストーリーが並行して進む。
一つは編集部で雇ったパート社員がトラブルメーカーで、常に何かに対して怒っていて、次第に主人公とその家族およびその周囲の人たちに対して、思いもかけない危険が迫ってくる。その怒りは不条理ですらあるけれども、作者はそれが特別であると否定していない。もう一つは青酸カリによる無差別連続殺人事件である。
それはタイトル通り、現代社会の「毒」(悪意)かもしれない。それもどこでも、誰でも遭遇する「危険」である。だから、名もなき毒である。「土壌汚染」と「薬物」の二つの毒は、我々も知らず知らずのうちに、その毒にやられる可能性があるという怖さがある。だが、一番怖いのがその基になる人間の毒である。原田いずみという登場人物は、常に周囲に怒りをぶつけ、迷惑をかける。それが何故なのか?自分の理想が高く、そこへ到達できない苛立ちなのか?彼女の執拗ないやがらせが、もう一つの青酸カリ混入による無差別連続殺人事件の犯人探しとつながって、一気に解決へ向うラストは作者のストーリー・テラーとしての才能が発揮された見事な展開である。
義父の会長が次のようにいう。
「どこにいたって、怖いものや汚いものには遭遇する。完全に遮断することはできん」
だが、読む者の救いは宮部作品の多くに共通している根本的な人間に対する信頼であり、その信頼がこの重いストーリーの根底に横たわっている。だからこそ、作者は杉村のような人物を主人公に設定したのかもしれない。また、祖父を殺された古屋美知香、探偵稼業の北見一郎、萩原運送の社長、喫茶店のマスターなど作者好みの好人物たちも、ともすれば暗くなりがちな主題のこの作品を明るくしてくれていて、救いがある。 |
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讃岐丸亀藩をモデルにした丸海藩が、鬼・悪霊と恐れられる江戸幕府の要人加賀さまを流刑者として預かることになったことから、藩の内紛、流行病、大雷害、騒乱、大火事そして多くの人の死など丸海に降りかかるさまざまな災厄を、「ほう」と呼ばれる純真無垢な少女を通して主に描く長編時代小説。従来の江戸深川を舞台にした時代小説とはまったく異なり、丸海藩のさまざまな階層―武士、医師、町人(職人や引手と言われる岡っ引き)、漁師など多くの人々が登場する。とりわけ、うさぎを思わせる「宇佐」というもう一人の主人公は狂言回しのように活躍して、従来の作者の小説の登場人物のような心温かい人物に造形されている。
「ほう」は阿呆のほうからつけられた少し智恵の足りない十歳の女の子、江戸の生家から厄介者扱いされて、金比羅参りの名目で体よく追い払われ、この丸海に流れてきた。この地では、その境遇を憐れんだ人々が救いの手を差し伸べるが、転々としているうちに結局恐れて誰も成り手がいない加賀さまの幽閉されている屋敷の下働きとして働くことになる。しかし、偶然のことから「ほう」は加賀さまに直接習字、暦、算盤などの教えを受ける。「ほう」を加賀さまの屋敷に推挙したお匙(医師)の井上舷洲が、その理由を「この子のように無垢な者こそが、大人たちがこぞって踏み迷っている闇を晴らしてくれるのではないかと期待しているからです」と語っていることこそが、この小説の基本テーマであろう。
事実青い海、青い空の平和な丸海も、加賀さまのせいにして、人々は恐れ惑い、噂に怯え、騒乱まで起こしてしまい、さらに大雷害まで加わる。加賀さまの屋敷も焼失し、ご本人も命を落とす。丸海藩の事情からそれを察知して覚悟をしていた加賀さまは、「ほう」の奉公を解き、あらかじめ逃がす。この事件によって、加賀さまは雷獣から救った丸海の地の守護者となり、藩の内紛と危機は無事収まった。
こう見て来ると、人間は何と愚かで、哀れで不条理な存在かと思う。みな普通の人間だが、やはりどこかに心の闇を抱えていて、人殺しの真相を糊塗し、藩の救おうと謀ごとをめぐらし、諍いを起こす。登場人物のそれぞれ個人は、その置かれている境遇のなかで一生懸命に生きているが、運命の波に翻弄される。加賀さまもしかり。しかし、その加賀さまも、「ほう」を見て、心洗われたのであろう。加賀さまと「ほう」との間の交流が、この小説で一番癒される部分であり、最後に「ほう」の名前は「宝」の〔ほう〕だと書き残していたところはもっとも感動的な部分である。読後、ドストエフスキーの『白痴』をふっと思い浮かべたのも、あながち唐突ではないかもしれない、と思った。 |
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最近また長編小説を集中して読んでいる(もっとも再読が多いが)ため、なかなかレビューが書けない。そこで気分転換に、と言っては申し訳ないが、宮部みゆきの初期の長編ミステリー『長い長い殺人』を読んだ。これは大正解。今までなぜこの作品を読んでいなかったか我ながら驚くくらい面白く一気に読んでしまった。
形は短編連作であるが、全体としては保険金交換殺人事件をめぐるミステリーになっている。しかし、一番驚くのがその語り口の手法で、なんと事件関係者−刑事、強請屋、被害者の甥の少年、私立探偵、目撃者、容疑者の旧友、証人などの持っている財布がそれぞれ持ち主を通して事件を多面的に語るという手の込んだものである。一見あざといようにも見えるが、本作品ではそれがとても効果的で、しかも財布と持ち主の個性まで鮮やかに描き分けている。
しかも、この語りが事件の複雑さを浮き彫りにして、明らかに容疑の濃い男女二人をマスコミが追いかける展開も有名な保険金をめぐる疑惑事件も想起させる。そして一度は捜査が暗礁に乗り上げかけるが、意外な登場人物が現れて事件は急転直下解決に向かう。このストーリーもミステリーとして極上の面白さである。事件で傷ついて家出した少年を刑事と私立探偵が発見していたわりながら立ち直らせるエピローグも、いつもながらの宮部作品の温かさで締めくくられる。 |
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お彼岸の中日に墓参に行ったら、ちょうど曼珠沙華が花を咲かせていた。彼岸花とはよく言ったものである。この宮部みゆきの新作、表紙にもデザインされているように曼珠沙華にまつわる話から、新しい百物語がはじまる。変調とあるように普通の怪談噺ではない。袋物の店三島屋に引き取られた女主人公おちかは、ある不幸な事件で傷ついている。そのおちかの傷を癒すために叔父の伊兵衛は、同じような不幸な過去を持った人間たちを三島屋に呼んで、おちか一人に不思議な事件を語らせる。
おちかは次第にその人間たちの過去の事件に関わりを持つとともに、自分の過去とも真正面から向き合いようになり、やがて…。
一読してその設定と語り口のうまさに惹き込まれる。そしておちかとともにいくつかの不思議な事件の謎がだんだんと一本の線にまとまってゆく展開は作者ならではの腕である。そして時代小説であろうとミステリーであろうと宮部みゆきの弱者や特殊能力者に対する温かい目は共通している。だから、この作品でも迷える死者たちがおちかの涙で浄化されてゆく大団円は読む者の心も洗われる。百物語事始とあるからは続編を期待できる。楽しみに待ちたい。
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『あんじゅう−三島屋変調百物語事続』(中央公論新社) |
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宮部みゆきがまたまた大ヒットを飛ばした。『おそろし 三島屋変調百物語事始』の続編、『あんじゅう−三島屋変調百物語事続』である。袋物の店三島屋に引き取られた女主人公おちかは、ある不幸な事件で傷ついていて、おちかの傷を癒すために叔父の伊兵衛は、同じような不幸な過去を持った人間たちを三島屋の黒白の間に呼んで、おちか一人に不思議な事件を語らせるという設定は変わらない。
今回の四篇は、まさに可愛くて、奇妙で、切なくて、ちょっと怖い話である。しかし、前作以上に登場人物が増えて、お勝、新太という奉公人、そしてこれこそが宮部みゆきの独擅場であるいたずら坊主三人組、さらには青野利一郎なる塾の先生(おちかの恋の相手になりそうな雰囲気もある)、偽坊主の怪僧行然などが躍動しているから、堪らない。新聞連載時の好評だったという南伸坊の可愛いキャラクターのイラストも本文を妨げないように工夫され、多数収録されているのも嬉しい。詳しくレビューを書くよりも、とにかく読んで欲しい、と言いたい。きっと百物語の世界にたっぷりと浸ることが出来るであろう。そして、心温まり、癒されるであろう。
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宮部みゆきの最新時代小説はぼんくら同心井筒平四郎と細君の家の甥で超美形の弓之助たちが活躍する「ぼんくら」シリーズの第三作目にあたる。『ぼんくら』『日暮らし』(いずれも講談社文庫)は登場人物と謎が連続していたので、二作を続けて読まないと必ずしも面白さが十全に味わえるとはいかなかったが、今回の『おまえさん』は独立して読め、主人公たちは魅力的なキャラクターがますます全開の趣きがあることに加えて、登場人物たちの人間模様と人情の機微が色濃い。
長編と短編を組み合わせて長編をなしている形式は踏襲されているが、生薬屋瓶屋をめぐる事件は下巻の冒頭で弓之助の謎解きが明快に行われている。だから、後半はその犯人たちの追跡とともに瓶屋の後妻の佐多枝や「おでこ」こと三太郎(人間テープレコーダー)を捨てた母親のおきえ、さらには十徳長屋の面倒見の良い丸助、井筒平四郎とともに事件解決に奔走する真面目な定町廻り同心間島信之輔、その大叔父上本宮源右衛門などの人間像を描くことに重点が置かれている。彼らは、岡っ引きの政五郎親分やお采屋のお徳も含めた主人公たちと同様、人間像が粒だっており、陰影が濃い。その息遣いまでもが聞こえてくるような生々しさがある。しかも、その言葉が心温まり、胸に沁みるものが多い。『ぼんくら』『日暮らし』に比べると、その感を深くする。これぞ小説の醍醐味ともいえよう。読み進めながら、この世界がいつまでも続いて欲しいと思ったほどである。
付け加えれば、今回はじめて弓之助の三番目の兄、ちゃらんぽらんと言われる淳三郎が登場する。この調子がよく、女にモテる遊び人が実は弓之助とはまったく正反対ながら頭がよく、人に好かれる魅力的なキャラクターになっていて楽しい。続編での再登場を切望したい。
本作品は刊行が遅れたということでハードカバーと文庫本同時刊行という作者の嬉しい配慮があるが、ハードカバーのみに挿入された『ぼんくら』『日暮らし』『おまえさん』の登場人物相関図は宮部みゆきファンにはたまらない貴重なものであろう。村上豊のデフォルメされたカバー装画は相変わらず何回見ても飽きない。
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宮部みゆきの書下ろしによる現代エンターテインメント。一言で言えば、作者が得意とする高校生の若者たちを主人公にした心温まる人情物である。
下町の古びた写眞館をそのまま購入して移り住んだ風変わりな花菱一家は、夫婦と高校生の英一、小学生の光の四人家族である。英一がふとしたことから心霊写真の謎を解くことに。しかし、ホラーものではない。心霊写真の謎もその関係者を探し出してゆくうちに、愛と哀しみがなせるわざとしてほのぼのとした解決になっており、宮部節全開である。小暮写眞館の主だったおじいさんの幽霊の話もあるがまま、出るとも出ないともどちらの解釈ができるようになっている。
しかし、この小説の真骨頂は、英一と光(それぞれ、「花ちゃん」「ピカちゃん」と呼ばれる)とその周囲の友人たち(「テンコ」「コゲパン」「ハッシー」など)が織り成す温かくて、生き生きとした青春群像が描かれていることである。全700ページのヴォリュームも最初は圧倒されるが、読み始めると途中で止めることができない。
英一の淡い初恋も「鉄路の春」にさわやかなエンディングとなっており、後味がよい。表紙の春爛漫の「小湊鉄道」が印象的である。
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