徒然なる日条(平成17年4月〜5月分)

2005年04月01日
今日から求職が仕事の完全フレックス勤務(笑)。きっちりと自己管理すれば、十分時間に余裕が出来そうである。

場所も当分東京の中心街だから、カブキチには有難い。今までのような横浜勤務では一幕見が思うにまかせなかったから、これからは存分に行ける\(^o^)/。

ということで、早速四月興行初日を幕見。さすがに『毛抜』は無理だったが、『口上』開演の一時間半前から並んだ。既になかなか多くの人が並んでいる。後から駆け付けて来た夢玉のお仲間の方も幸い一緒に入れて、『毛抜』から幕見していた方々の助力もあり、座って観劇(^_^;。

以下は、夢の女・玉三郎 BBSに書き込んだ投稿の一部とほぼ同じ内容である

『口上』は先月と比べて、列座する人数は総勢16名で少し淋しいですが、玉三郎さんは復帰した七之助さんの隣下手に並び、まさに勘三郎さんとの親密度を現す位置でした。お話はまた日によって変わっていくと思いますが、初日は玉三郎さんが勘三郎さんに鰯賣の千穐楽が終わってしまって淋しいねと言ったら、四月は兄貴を殺す役でまた同じ舞台に立てるから、と勘三郎さんが返したという内容。最後に勘太郎、七之助のお二人のこともよろしくお引き立てのほどをとも付け加えていました。

『籠釣瓶』の八ツ橋は、やはり花魁道中の衣裳の豪華さに目を奪われます。玉三郎さんはより顔がほっそりとして見え、まさに玲瓏な美しさです。これに次郎左衛門はならずとも、その美しさには惚けてしまいます。花道の微笑みは以前に比べて微かに笑っている印象がありましたが、これは今後皆さまのレポをお待ちしています。

愛想尽かしはもう玉三郎さんの独擅場で、激しさとその背後にある哀しみの表現は他の役者さんには真似出来ないものでしょう。この場での勘三郎さんは先代のお父さまとそっくりなのには驚きました。幕切れの殺しの場面で、次郎左衛門に斬られて海老反りゆっくりと崩れてゆく形の美しさも玉三郎さん独自のものでしょう。また勘三郎さんが先代とは変えたと語っている、八ツ橋を大きな目でじっと見ながら幕にしているのは、玉三郎さんの美しさがあってのことだと十分納得しました。
2005年04月03日
昨日は実家に行っていろいろと用事を片付けていたら、自宅への帰宅が遅くなり、PCも開けられず、またもや日記はお休み。

その間にローマ法王死去の報。重体と伝えられていたから、来るべきものが来たという感じである。不信心者であってもローマ法王の影響力の大きさは理解できるから、この後の新法王選出が注目される。それにしてもコンクラーベが現実のものになるとは!この言葉を最初に聞いた時は日本語の根比べではないか?と真面目に思ったのもである。

同じイタリアではR・ムーティがミラノスカラ座音楽監督辞任の報道。また巨匠の一人が重要なポストから離れるのは、ショックである。

読む本が無いと言いながら、積読の中に京極夏彦『後巷説百物語』にあったのに今頃気付き、面白く読んでいる。奥付を見たら、一昨年の秋に出版された時に購入したままであった(^^ゞ。彼の直木賞受賞作品で、シリ−ズの三巻目。今回は前2作以上にひねりがきいていて、小股潜りの又市の仕掛けにあっと驚く。

しかし、よりにもよって今日図書館からリクエスト本が一挙に6冊も来た!宮部みゆき『日暮らし』(上下)、福井晴敏『終戦のローレライ』(文庫本 全4巻)などである。読む本がある時に限って、えてしてこうなるものである。
2005年04月04日
日中も時間がたっぷりとあるので、自然と近隣の秋葉原の電気店をのぞくことになる。ここも一時の勢いが無くなっているが、再開発と今年予定されている「つくばエクスプレス」の開通で、大きく変貌しようとしているようである。

まず第一に行くのは□○電気のCDショップ。15年以上前には毎週のように通った店。だが、外資系のCDショップの充実で、近年はとんとご無沙汰であった。もともとこの店はクラシック音楽の在庫が充実していたが、最近また改装されたようで、専門フロアーが3階分もある。物色してみると、欲しいものが、あるわあるわで、目の毒(^_^;。しかも他店より廉いものも多い。早速廉価な輸入盤を2セットも購入してしまった(^^ゞ。
2005年04月05日
さて昨日の続き。秋葉原はすっかりと電気街のイメージからPC関連の街に変わっている。文系自分がPCを持つようになるとは思いもしなかったから、以前この街に通った時はまだ少数派だったPCの店には入ったことがなかった。今は主流であるうえ、ゲームを中心としたソフトの店も数々ある。

店をのぞいてみると、PCは1年に2回新製品が出るようだから、大型液晶のディスプレー付きのテレビパソコンがどんどん廉くなっている。ちょっと型落ちしたものでも、My PCより性能が良く、廉価だからいやになる。まぁ、今のところ基本ソフトのWindowsの新製品が出ていないから、当分このPCでも十分使えそうであるが、やはり映像関係は新製品の方が魅力的で、目移りしてしまう(^^ゞ。買えないくせに、当分あちこちの店を探訪してしまいそうである。
2005年04月06日
今日は東京もポカポカ陽気で、外を歩くと汗が出るほどだった。遅れていた桜の開花も満開宣言が出たようだから、地の利(?)を生かして、靖国神社や千鳥ヶ渕の満開の桜を楽しみたいものだ。

しかし夜桜見物は相当な混雑が予想されるから、のんびりと歩けないかもしれない。それに途中に神田神保町の古本屋街があるから、寄り道をしてそのままになってしまう可能性もある。だから、歩いても行けない距離ではないから、日中にでもと思うが、さすがにまだそこまではずうずうしくは出来ない。やはり地下鉄に乗って、昼食時に速攻で行くべきか?
2005年04月07日
東京メトロの広告で、春の交通安全運動のキャンペーンポスターを見たが、何とも郷愁を誘われるものだった。広告の狙いは、50年前に比べて、車の所有は一家に1.5台以上(ちょっと数字は怪しいが)になったが、交通事故は4〜5倍になっていることを訴えるもの。

だが、そこに写っている50年前の写真は姉弟らしき二人が、小さい車に寄りかかっている時代物のモノクロ。着ているものも自分の子供時代に見慣れたものであるので、懐かしいのは当然だが、それだけではない。もっとレトロなのは、その車が懐かしきダイハツ・ミゼットだったことだ。今から見れば、三輪車に毛の生えたような車であるが、当時はスバル360と並んでとても憧れた車だった。車の種類も少ない時代だったから、通学の途中あれは何、これはナニ、と友達と車の名前の知識を競い合ったのは良き思い出。それにしては、今もって車を持っていないのはどういうことだ!?と我ながら不思議である。
2005年04月08日
満開の桜の報にやはり我慢できず、昼休みに速攻で靖国神社と千鳥ヶ淵へ。たまたま某私立大学の入学式と重なり、日本武道館前は大混雑。時間も無く、その周辺のみの見物となったが、とりあえず雑踏なかを満開の桜を鑑賞できた。

   
2005年04月09日
昨日に続き、今日は自宅近所の川沿いの遊歩道の桜見物。最近満開の時期にぶつかったことが無かったので、久し振りに行ってみて、正直こんなに近くに桜がたっぷりとたわわに開いて、美しい場所があったと驚いた。これならわざわざ遠方まで行くことも必要ない。もちろん、今日は人が多く出ていたが、昨日のような混雑振りでは無い。ゆっくりと時間をかけて、満開の桜を堪能できた。それにしても、桜は川の流れに良く似合う。もう既に散り始めた花びらが流されて行くさまも美しい。
   
2005年04月10日
宮部みゆき『日暮らし』(上下)(講談社)を、先週から読み始めて、週末に一気に読み進め、読了した。前作の『ぼんくら』に続き、ぼんくら同心井筒平四郎とその甥の超美少年弓之助が主人公として活躍する長編小説。話も前作を受けているので、やはり『ぼんくら』を読んでからの方がより面白さは増すが、これのみでも十分楽しめる。

相変わらずうまい構成だと思うが、長編小説の中身は脇役が主人公となる短編と題名の長編の組み合わせで出来ており、それが次第次第に一つの事件に収斂して行き、読者を深い謎と下町人情の世界に引き込む。

今回は弓之助の探偵振りが鮮やかである。また記憶マシーンのような”おでこ”とのコンビも板に付いている。煮売り屋のお徳、差配の久兵衛、植木職人の佐吉、目明しの政五郎など脇役が、前作以上に生き生きとしていて、読むものを和ませてくれる。また、平四郎の細君が何ともおおらかで、気持ち良い。

こう書いてくると平四郎の影が薄いような印象だが、決してそうではない。その他の登場人物全てに慕われ、頼りにされているのが平四郎であり、彼の魅力あっての長編小説である。宮部ワールド全開の、まさに読み終えるのがもったいないような面白さだった。
2005年04月11日
昨日の読書の勢いでもなかろうが、平岩弓枝『日光例幣使道の殺人〜はやぶさ新八御用旅』を一日で読了する。このシリーズも一時は短編連作だったが、最近は御用旅シリーズとなって、東海道、中仙道に続く第三弾の長編である。

朝廷が毎年日光東照宮に東照大権現に勅使を派遣して、奉幣することを例幣使というが、お馴染みはやぶさ新八が、その例幣使の途中に起こる事件に陰ながら助力する物語。作者の練達の筆にかかっては、読み始めたら次の展開に惹かれて読み進めてしまい、あっという間に終わってしまった感じである。

そして登場人物も今回は婀娜っぽい小かん姉さんも出て来るうえ、前作のあの女性も重要な役回りである。だが、小説とは言え、新八はよくもてる!

さてもう一つの、と言うより作者の代表作の『御宿かわせみ』シリーズもいよいよ最新刊『小判商人』が近日中に出るようだ。発売が待ち遠しい。
2005年04月12日
プロ野球も、ジャイアンツが最下位に低迷しているので、少しも応援に熱が入らない。これはある程度開幕前には予想できたことだが、実際に試合を観ていると、投手陣が悪過ぎる。投手出身の監督とは思えないほどのお粗末さである。元来フロントと現場の意見が食い違うのがこの球団の悪いところ。金の力に物を言わせて他から補強ばかりしていて、自前の選手育成に熱心ではないと言われてもしょうがない。

加えて選手自体に魅力ある人がますます減ってきた。ファンもだんだん離れて来ているのだろう。案の定ジャイアンツ戦のテレビ中継の視聴率が低迷とか!頼みはセパ交流試合とは、何とも情けない。自分も応援する球団を考え直したくなるが、と言って他にこれというチームも見付からないから、困るのである(+_+)。
2005年04月13日
今日の朝日新聞夕刊の新書の特集記事を読んで、自分の認識違いを痛感した。98年の文春新書の創刊以来、毎年新書の創刊のラッシュで、殆どの有名出版社が新書を持つ時代になっているから、てっきり売れ行きもいいと思っていたのだが、市場のパイはほぼ横ばいらしい。それでは何故新書を持つかと言えば、出版不況の中、新書という既存の権威を簡単に借りられるから、飛びついたのが本当のところのようだ。

たしかに我々の団塊の世代では岩波新書が教養を看板に絶大な権威を持ち、後に続いた中公新書と講談社現代新書とともに、多くの好著を送り続けた。しかし、意外にもその時代が新書のピークであり、大衆教養主義のクライマックスだったことが指摘されている。文庫は古典、新書は教養との棲み分けがあったが、最近はその境界も崩れつつあるうえ、新書も実用的なものや時事的なものが多い。たしかに最近の新刊を見ても、その傾向は顕著である。だから、なかなか読みたいと思う新刊にぶつからない。

どうやら新書は若者には敬遠されているらしい。70年代の新書の読者層が、そのまま現在にまで続いているというデータがあり、「新書の教養は、若者の志から老人文化へと変容している」とは、時代が変わったというのみでは片付けられない大きな問題を孕んでいるような気がする。
2005年04月14日
ヴェルディの多くのオペラ作品の中でも、『アイーダ』と並んで愛好している作品に『ドン・カルロ』がある。16世紀のスペイン王室を舞台にした皇帝とその若い妻、王子などが繰り広げる愛憎劇。ヴェルディの音楽も大変渋く、暗い色調のものであるが、時に激しく、また時には深い憂愁をたたえて聴く者の魂を揺さぶるから、一度その魅力に取り付かれると、なかなか逃れられない。

晩年のカラヤンがザルツブルク音楽祭などで取り上げた時に録音されたオールスターキャストのCD録音が今でもベストと思っているが、そのメンバーと一部共通する映像(LD)も愛好している。本当はアバド指揮の映像が観たいのであるが、それは望めそうも無い。

それに代わってと言うと失礼に当たるかもしれないが、先日ミラノ・スカラ座の音楽監督辞任の報道があったR・ムーティがそのスカラ座との舞台を収録した映像が廉価なDVDで出たものをようやく入手出来た。彼の指揮の特徴であるきりりと締まり、ぐいぐい引っ張ってゆくような音楽が滔々と流れて、一度観始めると止まらない。もちろん、パヴァロッティはじめ歌手陣も充実しているうえ、演出があのF・ゼッフィレッリだから華麗なことこのうえない。当分『ドン・カルロ』はこのDVDで決まりである。
2005年04月16日
金曜日になるとほっとしてしまうのか、昨日は日記はお休みしてしまった。今は求職のための過去の自分の職歴の振り返り・整理と、これからどのような仕事をしたいかをまとめているのみだから、大した仕事もしていないのだが、久し振りに殆ど一日中デスクワークに専念しているから、疲れるのだろう。だが、勤め人生活を最初は事務からスタートしているので、デスクワークの方が充実感があるのも事実である。

今日は夜になって少し慌てた。一人住まいをしている老母が銀行のキャッシュカードを紛失したらしいと妹のところへ電話してきて、とりあえずは妹の方から紛失の連絡手続きしてもらって、一応事なきを得た。しかし、本人が少し混乱しているようだったから、余程様子を見に行こうか?と思ったからである。最近どうも物忘れが多くなってきたようだ。高齢にともなうものだろうが、やはり元気だからと言って、安心出来ないね、と家人と話したものである。今まで暢気にしていた高齢化問題が、いよいよ身近になって来たようだ。
2005年04月17日
今日は歌舞伎座昼の部の観劇。最近三階席が多かったので、久し振りの一階の真ん中の席はさすがに観易い。

最初の『源太勘當−ひらがな盛衰記』は、七之助の問題から配役が変更されて、主役の源太を兄勘太郎が演じた。これがまた匂うが如き爽やかな梶原源太で、ぴったりとはまっている。先月の猿若といい、勘太郎も父の襲名の舞台でまた一皮向けたような大活躍である。出色なのは海老蔵の梶原平次。憎まれ役なのだが、だだっこのような憎めない悪振りで、滑稽味も十分。千鳥の代役の芝のぶも源太を一途に思う可憐な腰元を好演。この人もこのような大きな役を演じられる実力のある若手女形。もっと登用してよいと思う。そして、秀太郎の母延寿も源太のためにあえて勘当する親心をしっとりと見せて、若手中心のこの舞台を引き締める存在感があった。

勘三郎の襲名狂言は舞踊『京鹿子娘道成寺』。普段と異なり、白拍子花子から蛇体に変わり、それを押し戻す役で團十郎が出る。所化は襲名らしく豪華版で、岳父芝翫をはじめ左團次、彦三郎に海老蔵、勘太郎など。時間の関係か、前半にやや省略があるが、恋の手習いから、国尽くし、ただ頼めはたっぷりと踊りこんでおり、真女形の舞踊とはまた一味違った兼ねる役者としての勘三郎の良さを全開させて、この踊りの面白さを十二分に堪能させてくれた。團十郎の大館佐馬五郎は、押し出し十分の絵になる大きさ。元気な團十郎の歌舞伎座への復帰も嬉しいことである。

切られ与三の名で有名な『与話情浮名横櫛』は、仁左衛門の与三郎、玉三郎のお富、左團次の蝙蝠安という当り役が揃ったうえ、ご馳走役で勘三郎が鳶頭金五郎で付き合う。木更津海岸見染の場から源氏店の場まで、皆こなれた役作りで、この狂言の見せ場をきっちりと押さえた舞台を見せてくれた。今の歌舞伎でのスタンダードな切られ与三であろう。
2005年04月18日
何か分からないことばかりである。

中国の反日デモの頻発しかり、フジテレビとライブドアの和解しかりである。中国に対しての戦争責任問題は一応の決着を見ているはずなのだが、やはり反日感情は深く、根強いのだろうか?

2ヶ月に渡りマスコミを賑わせたニッポン放送の買収を巡る一連の騒動も和解に至ったとはいえ、両社が素直な気持ちで握手したとはとても思えない。発表のあったような提携関係が実際に実行されるかは疑問符が付く。テレビというマスメディアをインターネットとの関係で、考え直す良いきっかけにはなったと思うが…。
2005年04月19日
最近の更新はこの日記で終わってしまい、他のコンテンツも歌舞伎観劇記である「大いなる小屋」の追加が精一杯である。それも以前より遅れ気味。土日も観劇予定が目白押しだから、時間が思うにまかせない。

それでも週末は出来る限り休養と充電にあてている。歌舞伎やクラシック音楽のDVD・CDの視聴は最大の癒しになる。クラシック音楽は好みのアーティストを集中的に聴く時と、好みの曲を異なった演奏家で聴く場合の二つがある。

スメタナ『わが祖国』は後者の例になる。6つの連作交響詩からなるこの作品はチェコ国民音楽の祖である彼の代表作であり、有名な第2曲「モルダウ」をはじめボヘミアの自然と風土、民族の歴史を描いて、その躍動的でありながら、哀愁をもたたえた旋律は何度聴いても人を惹きつけてやまないものがある。

今まで多くの指揮者で聴いてきたが、やはりチェコ出身の世界的な大指揮者であったR・クーベリックの録音にまず食指が動く。彼もドヴォルザークの諸作品とともにこの『わが祖国』をもっとも得意にしていて、今まで5種の録音を残している。そのいずれも名盤の誉れ高い。ボストン響、バイエルン放送響、チェコ・フィル(これは映像もあり)とのCDをコレクションとして持っている(はず?!)。とりわけチェコ・フィルとの録音は自由化後の1990年にはじめて彼がチェコに里帰りした時の記念碑的なドキュメントでもあり、映像とともにもっとも愛聴しているものである。

今回1991年チェコ・フィルとの来日時のライブが6番目の録音としてCD化された。1991年11月2日サントリーホールでの録音(Altus ALT098)。一聴して、指揮者は各楽器を完璧に鳴らし、とても完成度も高い演奏を繰り広げている。しかもライブと思えないほど素晴らしい録音である。これを会場で生で聴いていたら、きっと鳥肌が立ったであろうと思わせるものだ。
2005年04月20日
今は1駅先の乗換駅から始発の急行で座っていけるから、通勤の行き帰りに読書も出来る。先日図書館から借りた福井晴敏『終戦のローレライ』(文庫本全4巻)をかなりの勢いで読んでいる。以前に分厚い単行本に挑戦したが、最初の潜水艦の詳細な描写でつまづいてしまったが、今回はさすがに文庫本、電車の中で集中して読めるのがありがたい。もっとも時々格好の睡眠薬になっている時もあるが(^^ゞ。

彼の冒険小説の面白さは群を抜くが、この小説は太平洋戦争終戦時のある潜水艦の戦いを通じて、知られざる秘史を描いているようだから、一種の歴史小説とも言えそうだ。今は第3巻の半ば。原爆が落とされて、敗戦間際の潜水艦の最後の戦いがどうなるか、そして秘密兵器ローレライの運命はいかに?
2005年04月21日
ファンにとっては歌舞伎観劇の殿堂である歌舞伎座が、老朽化のために建て替えが検討されていることが明らかになった。明治の創建から117年、今の建物は戦災で焼失してから再建された三代目の建物である。1951年の再建だから既に54年を経過していて、建物の傷みが激しいようである。歌舞伎の常設劇場として12ヶ月の全てを歌舞伎興行にあてていて休む間もないのだから止むを得ないと思うが、その優美な風情ある建築様式は有形文化財にもなっているので、是非ともそのままの姿を残したうえで建て替えてして欲しい。

また歌舞伎役者の人たちも、この歌舞伎座は他の劇場とは異なり、諸先輩の魂がこもった独特の雰囲気があって、出演する時は身が引き締まる思いがすると言う人が多い。そのような雰囲気も大事にして建て替えを考えてもらいたい。よもや新橋演舞場や明治座のように近代的なビルにしてその中に入る案などは無いとは思うが、最初からそのような案は度外視してもらいたいものである。

また桟敷席や幕見席も是非残して欲しい。

しかし、まだ先のことだが、建て替えまで間相当な期間がかかるであろうから、その間の歌舞伎興行はどこで代替するのだろうか?新橋演舞場?どこになるにせよ観客の収容数が減るだろうから、ただでさえ人気興行のチケットは取り難いのに、またまたチケット争奪戦が厳しくなるのは間違いないから、困りものだ。
2005年04月23日
今日は珍しく一日自宅でゆっくりと休養。本当は秩父の芝桜見物に誘われたのだが、朝起きたら、とても眠くてパス。お蔭で読書やDVD鑑賞をたっぷりと出来た。しかし、帰宅した家人から芝桜が見頃で、とても綺麗だったと言われて、行けばよかったと少し後悔した(^_^;。
2005年04月24日
勘三郎襲名披露四月大歌舞伎の夜の部を観劇。初日に一幕見をしていたが、『毛抜』は今日が初見。席もまた一階の真ん中だから、舞台が観易い。通常の上演に比べて、海老蔵の扮した桜町中将の出の部分が長くなっていて、話としてはより分かり易くなっていた。元禄歌舞伎の雰囲気を色濃く残した狂言だが、毛抜が立つことから天井に仕掛けられた磁石を見破るという近代的な推理劇の側面を併せ持つ。11ヶ月振りに歌舞伎座の舞台へ復帰を果たした團十郎が、歌舞伎十八番のお家芸をたっぷりと、また大らかに演じていて楽しめた。

『口上』は、初日と異なったところは少なかった。

『籠釣瓶花街酔醒』は、桜が爛漫と咲き誇る吉原仲之町に繰り広げられる花魁道中が目も鮮やか。とりわけ玉三郎の八ツ橋の登場には毎度ながらじわが来る。今日のような席で観ると、その光り輝く美しさがよく分かる。花道の微笑もさすが魅了する。勘三郎の佐野次郎左衛門も八ツ橋に魂を奪われて入れ揚げた田舎の商人が、一旦身請けまで話が進みながら、間夫のために愛想尽かしをされて、最後はその復讐をするまでを、非常に彫り深く、見事に演じていた。

早いもので四月興行も明日はもう千穐楽。夜の部を連続で観劇予定(^^ゞ。さすがに三階席だが…。
2005年04月25日
四月の勘三郎襲名披露の千穐楽夜の部に駆け付ける。最近恒例となったが、多くの夢玉メンバーの方々も観劇に来られたので、今日は昼の部のみの方とは昼夜入れ替え時に、また夜の部の方には幕間に、皆さまとお会いしていろいろ楽しくお話しすることが出来た。

三階席東の最前列は上手が少し切れてしまうのが苦しいが、意外と本舞台も近く見え、花道もオペラグラスで全部見通せるのがいい。とくに今回は籠釣瓶では玉三郎の八ッ橋をはじめ、魁春の九重、勘太郎七越の三人の豪華な花魁道中がすべて見渡せたのは有り難かった。

『毛抜』は、二日続けて観てももう文句なしの面白さ。團十郎の粂寺弾正は大らかな好色さ、愛嬌とかっこよさで、まさに歌舞伎の荒事のヒーローの典型。この人の代表的な当り役になることは間違いない。今日は敵役の八劔玄蕃の團蔵と万兵衛の市蔵の好演が目に付いたから、余計主役が引き立ったと思う。

三月と四月にかけて計60日間続いた『口上』も、いよいよ今日が最終日。仕切りの挨拶をしていた芝翫が、珍しく六代目菊五郎とその娘−先代勘三郎夫人に顔向けが出来るような恩返しが出来たと思うと語っていたことが印象的だった。また多くの役者が子息の勘太郎・七之助を勘三郎ともどもよろしくお引き立てのほどをと暖かい言葉を述べていた。肝心の勘三郎も楽日を迎えてほっとしたのか、普段の地のしゃべり方も出て、三月の初日の口上は逃げ出したくなるような緊張感を味わったが、無事楽日を迎えられたことに対して厚く感謝の言葉を述べていた。また、團十郎が大病を克服してこの襲名の舞台に元気に出てくれたことに対する喜びの言葉も胸を打った。なお、来月五月の興行は口上としては出ないが、昼の部で『弥栄芝居賑』が芝居仕立ての口上代わりとなる。

『籠釣瓶花街酔醒』は、いずれ観劇記で詳しく書きたいが、今回の舞台は勘三郎・玉三郎の二人に加えて仁左衛門との大顔合わせもあり、富十郎、段四郎、秀太郎、芦燕なども渋く手堅く脇を固め、さらにまた廓に欠かせない新造、幇間、芸者などの役にも人を得て、花の吉原を舞台に繰り広げられる男女の愛憎劇を満喫できて、蓋し陶酔的であった。これほど質の高く、またコクのある舞台は滅多に観られないのではないだろうか?しかし、最後は次郎左衛門の八ッ橋殺しで終わるから先月のようなカーテンコールが無いのは止むを得ないが、楽日にしては幕が閉まった後の観客の拍手が意外にあっさりとしていて、いささか物足りなく、拍子抜けだった。

終演後、何人かのメンバーの方々と勝手に楽日の打ち上げ。毎度のことながら充実した舞台が終わってしまうのは、寂しさと充足感が入り混じった複雑な気持ちになるものである。

なお、遅まきながら新橋演舞場のスーパー歌舞伎のカーテンコールではこんなこともあったらしい。ただ、猿之助の舞台復帰は当分望めそうも無いのは残念である。
2005年04月26日
昨夜は帰宅が0時を回ったが、そういう時に限って朝早く目が覚めるから、今日はいささか寝不足気味。お蔭で、通勤電車でぐっすり寝込んでしまい、不覚にも2駅乗り越し。しかし、勤務時間は自己管理だから、こういう時は助かる。それにしても尼崎のJRの電車事故は痛ましい。通勤ラッシュ時を幾分過ぎていたとはいえ、多くの方々が犠牲になられた。謹んで哀悼の意を表したい。制限速度超過が原因ではないかと見られるが、このような大事故を二度と起こさないためにも一刻も早い原因究明を望みたい。

今いるところは周辺に飲食店が数多いから、昼食は運動しがてらあちこち廉く美味しい店を探して歩いている。やはり裏通りの行列が出来ている小さい店に掘り出し物が多い。

食事後少し足を伸ばせば、神保町の書店街を覗くことが出来るから、ついつい時間を忘れてしまう。明日が正式な刊行日の御宿かわせみシリーズの記念すべき30巻目の新刊『小判商人』が、既に出ていたので手に入れる。ついでの勢いで買いそびれていた傑作選(二)『祝言』まで購入してしまった(笑)。
2005年04月27日
JR宝塚線(福知山線)脱線事故は、死者の方々が日を追う毎に増えるばかりの大惨事になった。事故原因はこれから究明が進むのだろうが、新聞・テレビの報道を見るにつけ、国鉄が民営化されてJRとなったことからくる営利追求−私鉄との競合に打ち克つためのスピードアップに根本の原因があるような気がしてならない。

時刻表を見ると、脱線した件の電車は宝塚9時3分発の快速電車で、尼崎から東西線に乗り入れて、さらに学研都市線(片町線)まで直通して、終点の同志社前には10時21分に到着する。関西に住んだことが無い人間が言うのも変だが、これは旧国鉄時代には考えられない速さであろう。元々私鉄王国の関西では、旧国鉄は私鉄に押され気味であったから、JR西日本となってからは、新快速のスピードアップをはじめとして次々と手を打ってきた。今回の3線直通の快速電車もその一つとして生まれたものであろう。だから、ダイヤの遅れには厳しい締め付けがあったという指摘も、あながち穿ち過ぎとも思えない。

翻って考えると、関東でもJR東日本は、同じような直通電車の湘南新宿ラインに大々的に力を入れていて、競合する東急や小田急と乗客を奪いあっているようだ。こちらの運転安全対策は大丈夫なのだろうか?心配になって来た。
2005年04月28日
今日はいやに暑いと思ったら、東京でも夏日だったとか。フェーン現象で30度を越した地方もあったようである。さて明日から間に1日休みを取れば7連休になる大型GWがはじまるが、さして予定の無い身では、暦通りの休み方しかない(笑)。

さて、クラシック音楽の新譜では話題の注目盤が続々と出る。まずはアバドのマーラーの交響曲第6番がBPOとのライブ録音。次に最近人気が復活したかのように、怒濤の如く出るK・テンシュテットのライブ盤。今度は手兵ロンドン・フィルの自主制作盤のワーグナー管弦楽集。かってのBPO盤との比較も興味が沸く。
2005年04月29日
今日も好天に恵まれたので、市内の花を見に出かけた。ぼたん園の牡丹と菜の花が目当てである。しかし、もう盛りを過ぎたのか、今年はあまり牡丹が綺麗ではなかった。とりあえず、菜の花を含めて、撮影したものを載せる。

    

さて、七月歌舞伎でいよいよ鬼才蜷川幸雄による歌舞伎版のシェイクスピア『十二夜』が登場する。菊之助の強い要望で実現したとのこと。菊五郎・菊之助親子の共演でどんな舞台になるか?今から期待一杯である。 
2005年04月30日
昨日は花の写真のみを載せたが、この場所へ行く途中には鎌倉街道の古道があり、往時の雰囲気らしきものが残っている貴重なところ。また、ぼたん園は、かってこの地の大富農石坂家の地所で、明治時代の自由民権運動にも大いに助力した石坂昌孝の墓と、その昌孝の娘美那子と北村透谷の出会いの碑も立っている。少し見難いが、右が自由民権の碑で、透谷と美那子の出会いの場とある。

   

今日は夕方、隣市で開かれた高校の友人の所属する混声合唱団の定期演奏会を聴きに行く。誰でも知っている童謡のメドレー「いつの日か」、ブラームスの珍しい「ミサ曲」、そして沖縄のうたのよる組曲「うっさくゎったい」(沖縄の言葉で、”嬉しくてしょうがない”の意味とのこと)の3部という多彩なプログラムで、澄んだハーモニーを楽しめた。
2005年05月01日
連休を利用して、懸案だったPCの大掃除。最近動きが鈍くなっていたから、掃除の必要性は感じていた。しかし、作業に相当時間が掛かりそうだったから、延ばし延ばしにしていた。

まずドライブの中身を確認して、不要なファイルは削除してから、ディスクのクリーンアップ。これは意外に短時間で済む。問題はデフラグ。HDDは保存や削除を繰り返していると、あちこち虫食い状態になってしまって、読みに行くのに時間がかかるそうだ。この虫食い−断片をなくすので、デフラグという名前のソフトになっている。実行する前に現状分析が出来るので、最初にやってみると、驚くほど細かく断片になっていて、しかも真っ赤一色。これは大変と早速実行。しかし、3時間以上かかった!気長でなければ、出来ないことだ。だがお蔭で、どうやら動きもほとんど違和感が無いほどに回復した。これはやはり面倒くさがらず、定期的に掃除をやらなければいけない。
2005年05月02日
連休の谷間の出勤。学校が休みでは無いせいか、思っていたよりも電車は空いていず、町中も人が多かったように思う。昼間銀行に行ったら、ATMが大混雑。やはり同じように連休中の資金の引き出しに来た人たちだったのだろう。

連休で大分読書が進み、読書手帖も福井晴敏『終戦のローレライ』を追加出来た。

先日購入した平岩弓枝の御宿かわせみシリーズは新刊『小判商人』は一気に読み終えて、傑作選(二)『祝言』(全10編)を楽しみながら、読んでいる。いずれも再読になるが、さすがに傑作選の名に恥じないものばかり揃っていて、飽きない面白さである。また、神林東吾とるいの祝言から長女千春の誕生まで、間に畝源三郎の長男源太郎と天野宗太郎の長女花世の活躍する話もあって、こうして通読すると、短篇集が全体として長編小説の趣を呈して来ているのが興味深い。
2005年05月03日
中村勘三郎襲名披露の舞台も、いよいよこの五月興行で最終となった。今月は前の二月以上にチケットの売れ行きが早く、入会している歌舞伎会でも思うようにチケットを入手できなかった(とくに千穐楽は駄目だった)。今は完売状態である。

そこで昼の部が入手出来たのが今日の初日だったので、珍しく初日からの観劇となった。『車引』は、歌舞伎の様式美溢れる荒事の一幕で、今回は勘太郎の梅王丸、七之助の桜丸、海老蔵の松王丸というフレッシュな顔合わせ。若々しさ一杯の力強い舞台になっていた。今月も勘太郎が別人かと思わせるような荒々しさを見せていて、驚いた。

『芋掘長者』は、人気のある『身替座禅』や『棒しばり』と同じ岡村柿紅の作だそうであるが、歌舞伎座では45年振りの上演とか。しかし、何故そんなに長い間上演されなかったのか不思議なほど、面白く楽しさ溢れる舞踊。婿選びの舞比べに芋掘りの百姓藤五郎が、その姫に惚れたため、素性を偽ってもぐりこむ。しかも舞がまったく苦手なため、舞の名手の友人治六に面をつけて代役をさせる。これはうまく行ったが、今度は素顔で踊るよう言われて、下手くそな踊りをしているうちに、芋掘踊りをはじめて、正体がばれるという話。しかし、姫は藤五郎を気に入って婿にしたいとなり、めでたしめでたし。舞踊の名手三津五郎が下手くそに踊るところ、そして軽妙かつ滑稽な芋掘踊りが、何と言っても見所。

『弥栄芝居賑』は、口上代わりの芝居仕立て。出演者が豪華かつ勢揃いで、襲名の雰囲気満点である。

勘三郎襲名の看板がかかる猿若座の前に、茶屋の亭主と女将の富十郎、雀右衛門、芝翫が出てきて、お祝いの口上を述べた後、勘三郎を呼ぶと、勘太郎・七之助はじめお弟子さんたちを含めた中村屋一門が勢揃いする。そこへ本花道には菊五郎を先頭に黒の揃いの衣裳の男伊達十人(菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團次、梅玉)が並び、かたや仮花道にはこれもお揃いの紫の衣裳の女伊達が、玉三郎を先頭に同じく十人(玉三郎、時蔵、福助、扇雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎)並び、交互にお祝いと名乗りをする華やかなもの。ただ、自分の席(三階の5列目真ん中)では、三人目くらいまでしか役者の顔は見えなかった(>_<)。玉三郎はさすがに立女形の貫禄十分!

なお、勘三郎お気に入りの子役清水大希君(三月の『鰯賣戀曳網』で劇場内を沸かせたあの禿)が、正式に勘三郎の部屋子となり、二代目鶴松を襲名した旨披露もあった。本人もしっかりとした挨拶をしていたのには感心した。先日亡くなった子役の育ての親音羽菊七さんがこの舞台を観たら、さぞや喜んだであろうという勘三郎の言葉も肯けた。

『髪結新三−梅雨小袖昔八丈』は、先代勘三郎が得意にし、しかも勘九郎が始めてこの新三を演じた時に亡くなった因縁ある世話物狂言である。さすがに勘三郎の新三は、小気味良い悪党振りで、爽やかですらある。三津五郎が真面目な手代忠七と新三を一枚も二枚も上回る曲者の大家の二役を巧みの演じ分けていて、光っていた。菊之助の白子屋お熊も、持ち役とも言うべき可憐な娘であった。

今日は大向こうの中に、山川静夫さんがまじっていて、すぐ後ろの通路で、まことに良いタイミングで「中村屋!十八代目!」などと声をかけていた。
2005年05月05日
このGWは好天に恵まれたから、外歩きも気持ちがよい。加えて、躑躅や藤、菫など多くの花が満開で楽しませてくれるうえ、新緑も目に眩しい。

この二日間は、図書館に行きがてらの散歩以外は、ひたすら読書に耽った。今まで積読していた整理である。その一つに幸田真『代行返上』(小学館)がある。昨年3月に出版されたこの本は、代行返上という年金制度の隠れた、しかし実はきわめてヴィヴィッドな題材を取り上げて、金融市場の視点を通じて年金改革問題に迫る異色作。実は自分が永年携わってきた仕事なので、あまりにもその背景やら問題点を知り過ぎているため、少々生臭く感じもして、出版当時はおいそれと手を付けられなかったのである。

しかし、逆にこの代行返上の問題が表立って消えかけている今は冷静に読めるし、投資ディーラー出身の作者がよくぞここまで年金制度の核心を衝いた小説を書いたものだと感心した。小泉総理は相変わらず郵政改革一本やりだが、一体年金制度の危機をどこまで認識しているのだろうか?とあらためて思う。作中年金基金の実務担当者の言葉として、年金制度を国民が理解できないのは「国の年金制度があまりにも複雑で、それは国がこれまであまりにも行き当たりばったりのパッチワークみたいな改正を繰り返して来たことが原因」というのは、まったくその通りであるのだから。
2005年05月06日
これだけ連休が飛び飛びにあると、どうも曜日の感覚が狂ってきていているようだ。昨夜は何回も日曜日と間違えてしまって、テレビで大河ドラマ『義経』の放送が何故ないのだと思ったりした。今日も仕事で出勤とは言え、金曜日なのだから、一日過ごせばまた休みになるのだが、どうも気分はブルーマンデイで、時間の経つのが遅かった。まぁ、要は休みで怠け癖がついただけかもしれない。

しかも今日は連休中の好天が嘘のような雨模様で、今夜から明日朝にかけてかなりの大雨になるようだ。最近はあまり聞かなくなったが、五月病という言葉がある。環境が変わって緊張していたものが、少し慣れてほっとしてしまい、疲れが出る頃である。今の自分も一つの変り目に立っているから、それにあたっているかもしれない。連休明けからの環境変化に備えて、この休みを心身とも大事に使いたい。
2005年05月07日
今日は予定通り、一日休養にあてて読書とDVD鑑賞に明け暮れる。ただ、珍しく午後は昼寝まで貪ってしまった。その間BS2で放送していた『醍醐寺薪歌舞伎』(4月28日収録)は、録画で楽しんだ。太閤秀吉に由縁の深い京都醍醐寺の特設舞台で、團十郎、海老蔵親子の共演の『勧進帳』などの演目が薪歌舞伎として行われたことは、大変有意義であり、かつ素晴らしい舞台だったと思う。

昨年の海老蔵襲名興行の初日から数日にして、病に倒れた團十郎は、自分の弁慶、海老蔵の富樫で舞台をまっとうできなかったことをとても残念に思っていたようで、それがこの野外での薪歌舞伎で実現したことは、さぞや嬉しいことであったろう。その思いをぶつけるような、まさに必死の弁慶であったが、また体調の回復を裏付けるような余裕と大きさも併せ持ったものであった。海老蔵の富樫も生の舞台を観ていなかったので、この映像ですっきりと爽やかな舞台姿を堪能できた。また團十郎の口上とにらみがあったのもご馳走であった。

いつもの松羽目ではなく金堂をバックにした特設舞台も違和感なく、長唄や囃子方との息もぴったりで、新作舞踊『由縁の春醍醐桜』(時蔵、海老蔵)では筝曲も入り、滅多に観られない味わいがあった。なお、柴燈護摩や声明があったが、不思議と演目との調和があったのは面白いことだった。声明が伝統芸能のルーツの一つであることに由来しているのであろうか?
2005年05月08日
母の日であるので、形ばかりのプレゼントを持って実家に行った際に、地元の商店街の精肉店が閉店した話を聞いた。子供の頃から肉や揚げ物はほとんどそこで買っていたから、大変淋しい気がした。ご主人も奥さんも大変愛想が良くて、買物に行くといつも元気良く「いらっしゃい!今日は何にします?」と声を掛けてくれたものだ。ご主人が亡くなってからは、奥さんが従業員と一緒に頑張っていたのだが、駅の近くにデパートやスーパーが出来てからは商売も大分影響が大きかったようだ。

帰りがけに既に閉まっている店の前を通ったら、45年の長きに渡りご愛顧有難うございましたとの貼り紙があって、本当に閉店してしまったのだとの実感がわき、そんなに長い年数が経過したのだと感慨深かった。
2005年05月09日
大型連休も明けて、今日からまた普段通りの生活に戻る。通勤電車の宙吊りに連休明けの一週間は長いとキャッチコピーがあったが、休み呆けで風邪でもひいたのか体がいやに重いから、きっと長く、なが〜く感じられそうである。

通勤電車と言えば、今日から首都圏の大手私鉄のほとんどが朝のラッシュ時に女性専用車を導入した。不快な思いをせずに安心して乗れる試みは悪くはないが、その分他の車輌の混雑度が高くなるしわ寄せも出てきそうである。現に今朝もかなり混んでいて、座るために一台電車を遅らせたくらいである。

連休中に試していたGoogleのデスクトップ検索がインデックスの完成にともない使用できるようになった。これはWebのみならずメールまで横断的に検索できるので、大変便利である。とくにあのメールは、どこの誰に出したものか?と探すのがとても楽になった。
2005年05月10日
歌舞伎役者の中村獅童と清純派人気女優の竹内結子が、映画『いま、会いにいきます』の共演をきっかけに結婚するとの報道があった。最近映画やテレビ、そして『丹下左膳』などの舞台でも活躍して、人気者になっている中村獅童も歌舞伎役者としてはまだこれから。萬屋という歌舞伎の家系には申し分は無いが、父親が役者を早く廃業していたため、中村勘三郎を除いて後ろ盾も少なく、役者としての力量もまだ未知数。

今月は勘三郎襲名披露興行に出演しているが、幸い六月の京都南座九月の博多座と立て続けに坂東玉三郎との共演相手に抜擢されることが決まっていて、これからの飛躍が期待されているところである。このおめでたい話をきっかけに、なお一層頑張って欲しい。
2005年05月11日
高木彬光『成吉思汗の秘密』(光文社文庫)を一日で一気に読了した。これは高木彬光コレクションの第1巻目として新装版で発売されたばかりで、新聞の書評コラムでも取り上げられていたうえ、解説の島田荘司が自己の処女作『占星術殺人事件』は、この『成吉思汗の秘密』の多大なる影響下に書かれたと告白しているので、かなり以前に読んだ記憶があったにもかかわらず、即買い(笑)。

盲腸炎で入院した名探偵神津恭介が、退屈をまぎらわすためにワトソン役の作家松下研三を相手に、大河ドラマでも話題の源義経にまつわるさまざまな伝説のなかで、もっとも壮大なロマンとも言うべき義経=成吉思汗の一人二役説を推理する典型的なベッド・ディテクテヴで、今もって新鮮である。女性歴史研究家の卵の手も借りながら、膨大な資料をもとに義経が衣川から北行して海を渡り、シベリアからモンゴルへ入って、蒙古民族の統一を成し遂げるまでを推理する神津恭介の鋭い視点は、まさに眼光紙背を徹すると言っていいもので、一読巻を置くことが出来ないスリリングな面白さに溢れている。

相撲をはじめ蒙古と日本の類似点も肯けるものが多い。また自説に都合の良い資料ばかりをあげて議論を進めることはせず、反証もしっかりと紹介しているから公平であり、十分な説得力がある。

しかもその末裔が清王朝を作り上げたとなるにおよんで、思いもかけない資料も現れ、さらに後に付け加えられた最終章まで読み進んで、思わず興奮してしまった。100%確実と言えない限り正しい歴史とは認めない歴史学の立場からは到底容認できないであろうが、これは推理作家の遊びとは言い切れない歴史の真実を衝いた傑作歴史ミステリーだと思う。
2005年05月12日
         

この画像、何ともレトロな雰囲気を感じてもらえると思うが、どうだろうか?今、日中いるところは裏通りに廉くて、美味しく、ヴォリュームのある昼食を出してくれる店が多い。この店もその一つ。ミルクホールという暖簾も郷愁を誘う。一度入ろうとは思っていたが、昼時は常に男性で満員であるし、外にメニューが出ていないので、少し敬遠していた。

今日はじめて入ったのだが、ミルクホールの暖簾とは裏腹に、昼時のメニューはラーメン、と言うより昔懐かしい支那そばが中心だった!だからお客は皆そばと注文する。出てきた支那そばを見て、ビックリ。普通盛でもちょっとやそっとのヴォリュームではない。しかも味もさっぱりとした醤油味だから、さくさくと食べられて、美味しい。これで@550円であるから、二度ビックリ!今年値上げするまでは@500円だったらしいから、男性客で満員になるのはもっともである。値段にも惹かれて、当分癖になりそうである。
2005年05月14日
昨夜は久し振りに悪友と飲みに行ったので、日記はお休み。大した量も飲んでいないが、最近あまり飲めなくなったから、翌日に残る。そこで、今日は図書館へのウォーキングも少々サボって、片道のみ。予約と借り出しを数冊して、早めに帰宅した。その後はもっぱらCDを聴きながらの読書。

そういう時は大体気楽に聴けるバロック音楽が多い。バッハもいいが、ヴィヴァルディやヘンデルの方が、気持ちが晴朗になって、BGMにはちょうど良い。

ヴィヴァルディと言えば、イコール『四季』と言うほどイ・ムジチの演奏であまりにもポピュラーになっている。しかし、耳にたこが出来るほど聴いているためもあろうが、個人的にはこの『四季』を含む作品8の12曲の合奏協奏曲集『和声と創意の試み』より、作品3の合奏協奏曲集『調和の霊感』の方を好んでいる。とりわけ有名な第6番や第10番(これは四つのヴァイオリンのための協奏曲で、後にバッハが四台のチェンバロのための協奏曲に編曲している)は、天国的に美しい旋律ばかりで、何回聴いても飽きない名曲だと思う。

オリジナル楽器による演奏はもう当たり前のようになっているが、ピノック指揮イングリッシュ・コンサートの演奏は、溌剌とした演奏ばかりで、今もって新鮮である。新しく出た2枚組の輸入盤は、作品10のフルート協奏曲集まで収録されていて、お買い得である(ARCHIV)。
2005年05月15日
五月にしては、気温の低い日が続いている。今日も日中は天気が変わりやすいと予報があったが、午前中は薄ら寒く曇り。午後からようやく晴れたと思ったら、またうす暗くなり、今度は雷が鳴りだし、雹が降って来た。外出していたが、幸い屋内にいたので直接雹があたることは無かったものの、屋根を叩く大きな音がするほどの大粒だった。

やがて雨に変わり、間もなく晴れ間が出てきた。この間ほんの20数分程度。まだ雲の動きは激しかったが、戻って来た日差しに雨に濡れた花々や新緑が光っていて、綺麗だった。
2005年05月16日
一昨日ピノック指揮のオリジナル楽器によるヴィヴァルディ演奏に触れたが、オリジナル楽器による演奏をよく聴き始めたきっかけは、ホグウッド指揮エンシェント室内管のモーツアルトの交響曲全集(オワゾリール)で、何巻かに分かれていたまだLPのボックスだった。

オリジナル楽器による演奏とは、もう言うまでもないが18世紀当時の楽器そのものやその忠実なコピーを使って、作曲された当時の音を再現することを目指したものである。ガット弦を使用し、ヴィヴラートをかけないで弓を弾くことから、非常に素朴で清潔な音楽になる。だが、初期の頃のオリジナル楽器による演奏はまだ演奏技術が稚拙だったのだろう、何か間延びしたような音楽が多く、聴いていても退屈した。

それがホグウッド指揮のモーツアルトは違った。小編成のオーケストラは弾むようなリズムで、生き生きとした演奏を聴かせていて、聴きなれた交響曲がまったく別のもののように新鮮に聴こえた。しかし、それはまだ序の口で、さらなる演奏技術の飛躍的向上もあってか、それからは主としてイギリスやオランダでこのオリジナル楽器による演奏が活発となり、ガーディナー、ピノック、パロット、ノーリントン、コープマン、ブリュッヘン、クイケン、アーノンクールなど枚挙にいとまがないほど多くの指揮者が自らのオーケストラを指揮して、バロック音楽、モーツアルトやハイドンなどを中心にして演奏会活動やCD録音を続々と行った。そのいずれもが今までのモダン楽器の演奏を凌駕するような清新な演奏だった。

だから当時購入したCDは、これらオリジナル楽器による演奏ばかりで、我ながら随分熱中したものだと今になっては苦笑するのみだが、クラシック音楽の演奏史上、ある意味では革命的なことだったのではないか?しかも、これらの指揮者のうちで、アーノンクールは次第に現代オーケストラをも指揮するようになり、またガーディナーは18世紀の音楽はイングリッシュ・バロック・ソロイスツ、19世紀の音楽にはまた別のオーケストラ(ORR−オルケストル・レヴォルショネール・エ・ロマンティーク)を組織して、ベートーベンの交響曲全集等やベルリオーズの演奏を行い、またウィーンフィルを指揮するなど八面六臂の活躍をしてきた。しかも、手兵のモンテヴェルディ合唱団も抱えていて、オペラや宗教曲などの声楽に大きな強みを発揮していた。

クラシック音楽界の不況で、彼らの新録音が途絶えているのは、一時の盛況を思うと隔世の感がある。指揮者の贔屓にこのガーディナーを挙げていながら、いまだ「クラシック音楽の森」で彼のディスクに触れていないのは、怠惰の誹りを免れないが、モンテヴェルディからホルストまで、交響曲からオペラまでのその膨大な録音群を前にしては、何から取り上げてよいのか茫然としているのが実情である。いずれ機を見て、少しずつでもまとめて行きたい。
2005年05月17日
夢枕獏の『陰陽師』シリーズ(文春文庫)は、野村萬斎が主役の安倍晴明を演じて映画化され、マンガ化もされて息の長い人気シリーズになっているようだ。今頃ようだ、などと言うのはいささかズレているが、どうも何事もおくてで不器用だから、小説なども一人の作家を気にいると、系統立ててすべての作品を読まないと気が済まない性質である。だから、なかなか読むべき作家が広がって行かない。

夢枕獏は先般全4巻の長編『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』を読んだので、同じ平安朝ものに興味を惹かれて、ようやくぼつぼつと『陰陽師』シリーズを読み始めた、という訳である。こちらは『生成り姫』を除き短編集だから、読み易い。平安の京の都に跋扈する魑魅魍魎の謎を、友人の源博雅とともに晴明が解き明かす仕組みは、あたかも名探偵と助手役が活躍する推理小説と同様である。

しかし、各編に登場して祟りをなす鬼たちは現世で哀しい目にあっているため、死ぬに死に切れず鬼と化した話が多い。晴明はただ退治して事件を解決するのみではなく、鬼たちが残した怨みを叶えてやって、いわば成仏させるので、怨霊ものにもかかわらず、読後感は清清しく、心温まる。いつも晴明に事件を持ち込む笛の名手でもある源博雅が心優しい人物に描かれているのも、晴明と良きコンビ振りで、読者により親しみを感じさせる。
2005年05月18日
本日でこのサイトも開設満二年を迎えることが出来た。これも今までご訪問くださった皆さまのお蔭と厚く御礼申し上げます。

HPのことなどよくも分からないまま、HP作成ソフトを使って、内容は無くとも曲がりなりにも形だけ整えて、とりあえず立ち上げたもの。だから、試行錯誤しながらも無我夢中で更新を続けて来て、やっと自分なりに形が見えてきたのは開設後一年経った頃であろうか?その間ネット上で多くの方々とお知り合いになり、その交流と暖かいお言葉に励まされて、ここまで続けることが出来たのだと思う。

有難いことに、ご訪問くださる方も徐々に増えつつあり、一昨日25,000台を越えた。最近は日記を別にすれば歌舞伎観劇記である「大いなる小屋」の更新が中心になっていて、「読書手帖」や「クラシック音楽の森」は更新が滞り気味である。しかし、最初にこのサイトの構成を考えた時の初心に立ち返れば、自分が今まで味わってきた文学や芸術などのそれぞれの素晴らしさを少しでも伝えるとともに、例えば歌舞伎とオペラとの比較や、それらに強い影響を与えた文学をあわせて考える、言わばクロスオーバー的なコンテンツも作って行きたいとの望みも持っていた。自らの非力をも省みない夢のような望みだが、その実現に一歩ずつでも近づけるよう、今後も牛歩の歩みのような更新を続けて行きたい。

開設満二年にあたり、御礼とともに、今後とも引き続きご愛顧のほどよろしくお願いいたしますm(_ _)m。
2005年05月19日
先日高木彬光『成吉思汗の秘密』を読んだためでもないだろうが、日本の歴史の常識を疑って考え直すのは、素人の歴史好きには頭の体操としてちょうど良い。とくに、資料の少ない古代について,、邪馬台国はどこにあったのか?騎馬民族の渡来はあったのか?などの論争は、素人でも議論し易く、あたかも推理小説のようで面白い。邪馬台国論争は、大和説も九州説のいずれにも一理有って、どちらとも決め難い。

ただ一つ言えることは、日本書紀をはじめとする神話の研究成果から、当時大王家と呼ばれた征服王朝が朝鮮半島からの渡来民族であった可能性が非常に高いことであろう。今保存と修復で揺れている高松塚古墳の壁画を見ても、それは明らかであると思う。だから、邪馬台国がどちらにあったにせよ、実在が確実視される初代の大王である崇神天皇が、先住民族を切り従えながら九州から東征して大和に入り、統一王朝を作り上げたことはほぼ間違いないであろう。

だが、応神天皇などの後継大王が勢力を拡大した王朝も血統が途絶えて、応神天皇の五代の子孫と言われる継体天皇が即位するが、この天皇は北陸に生まれていて、また即位しても大和に入るまで二十数年かかったという。この天皇は正確な出自は不明であり、謎の多い天皇である。

歴代天皇のなかでは、時代は飛ぶが後白河法皇、御醍醐天皇や後水尾天皇と並び、今この継体天皇に非常に関心を持っている。いずれ関連する歴史書を読んでみたい。
2005年05月20日
先日ガーディナーを含めて、オリジナル楽器の新録音が出ないと嘆いたばかりだったが、調べてみたらガーディナーの2000年のバッハ・カンタータ巡礼(全曲の連続演奏会)が自主制作録音で最近出ていた。古楽の老舗であるARCHIVで十枚前後がリリースされた後、全曲録音のプロジェクトが頓挫していたものである。恐らくセールス上の問題であろうと思っていたが、どうも世界的大レーベルであるユニバーサルからガーディナー自身の意思で独立し、自主制作レーベルを創設したというのが真相らしい。それだけクラシック音楽業界をとりまく環境変化が大きいという証拠であろう。

既に2枚組みで2セットが発売され、今月末には3組目が出るので、さらに続編が期待できそうであるが、輸入盤のみの発売であろうから、歌詞対訳が無いのは宗教曲を聴く場合に若干つらい。しかし、全曲録音が完成してもらえるのであれば、レーベルが分かれてもいずれ一本化されるであろうから、これでよしとしなければならないであろう。

それにしてもミンコフスキは、オリジナル楽器のオーケストラ不振のなかにあって、ただ一人活発な録音を続けている。今度出た『ラモーの11のオペラからの管弦楽集』は、彼がもっとも得意とする作曲家の珍しい曲から、例によって精気溌剌とした音楽を聴かせている。一部の曲はブリュッヘンが出していた盤と共通するけれども、あの名盤も色褪せるほどの激しさと優雅さもある。例によってライブ録音とは思えない精緻な演奏と素晴らしい音である。
2005年05月21日
今日は夢玉BBSのオフ会。自分がお世話役の中心になって開催をはじめてから、今回で第四回目。計13名のご参加で賑やかに開催できた。ご参加者は既にお知り合いになった方々ばかりだが、お互い同士でははじめて方もいる。席もくじで決めて、お知り合いだけで固まらないようにしているが、話題が共通であると、旧知のごとく親しく話が出来る。古くからの玉三郎ファンの方もいて、貴重なお話をいろいろ聞くことが出来たのも有り難い。

予定の四時間はあっという間に過ぎてしまい、夜の部観劇の方をのぞいて、さらにお茶での二次会でも二時間近くいた。盛会に開催出来て、ほっとして気が弛んだのか、帰宅したらいささか疲れてすぐ寝てしまい、日記の更新が出来なかった(^_^;。

ところで、今日の会場の傍に江戸歌舞伎発祥の地の碑がある。この地に猿若座が江戸で最初に櫓をあげることを許されたことが記されている。今回の十八代目中村勘三郎の襲名披露にあわせて、リニューアルされたので、画像を載せておく。

       
2005年05月22日
昨日の疲れを引きずってだらだらとした半日を過ごす。やはり酒にも弱くなったうえ、体力と回復力が落ちていることを自覚する。

夕方から勘三郎襲名最後の月の夜の部観劇。これでようやく勘三郎襲名披露の全舞台を観ることが出来た。今日も三階席だが、通路側だからそれほど窮屈ではない。

最初は『義経千本桜』から川連法眼館の場、四の切と言われる場である。菊五郎の佐藤忠信と狐忠信の二役は、前者の方がきっぱりとしていていい。狐忠信は、観る方がケレンに慣れ過ぎた面もあろうが、もう少し細かく狐の仕草をやらないと初音の鼓である親狐への情愛が濃やかに出ないと感じた。菊之助の静御前は、昨年の『吉野山』よりまた一段と成長して、品格ある美しさが出ていた。海老蔵の義経は台詞が不安定な面はあるが、源氏の貴公子の気品に不足はない。

『鷺娘』。これは女の恋の妄執と言う主題そのままを踊りで体現する玉三郎の美的世界には、ただただ惹き込まれるのみ。引き抜きやぶっかえりでの変身も鮮やかで、降りしきる雪のなかで息絶える鷺の姿は幻想的というありきたりの表現ではとても言い足りない素晴らしさであった。

『野田版 研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)』は、平成十三年に野田秀樹が原作を新たに書き直して、あわせて演出、大評判となり、歌舞伎界に新しい風を吹き込んだ舞台の待望の再演。襲名狂言に是非これを、との勘三郎の強い要望で実現したものだが、現存の作家の本が襲名披露で出るのは前例が無いであろう。伝統的な歌舞伎狂言を観慣れた目からはこれが歌舞伎?との疑問もでるであろう。しかし、考えてみれば江戸歌舞伎は書き替えではあっても、常に新しい狂言を競って出していたはずである。歌舞伎を将来にも残る総合芸術として行くためには、勘三郎と野田秀樹のコラボレーションは高く評価して良いであろう。

初演の時の舞台は残念ながら観ることが出来なかったが、幸いその時の映像がDVDで出ている。それと比べても、今回の舞台はよりスピード感が増し、仇討ちをショウ化して見る移ろいやすい大衆の姿がより鮮明となることによって、武家社会への批判を色濃く描き出している。全体としては喜劇仕立てだから、あちらこちらにちりばめられたギャグや地口、そして今流行の芸人の物まね、さらには金髪の喜多さんは言うまでも無くご本人が登場するなど(そうそう、獅童の結婚ネタもあり)に腹を抱えて笑っているうちに、二時間の舞台はあっという間に終わってしまった。チケットが取れていないが、幕見でもよいので是非もう一度観たいものである。
2005年05月23日
有栖川有栖『マレー鉄道の謎』(講談社)を読了した。いわゆる新本格派の一人で、初期の頃の『孤島パズル』や『月光ゲーム』を読んだ記憶があるものの、あまりのめり込むことなく、その後の諸作も読んでいなかった。この本は日本推理協会賞を受賞した国名シリーズの第六弾の長編である。

文庫化を機に読んでみたのだが、密室の謎もそれほどあっと驚くようなトリックでもないうえ、作者と同名のワトソン役が関西弁でしゃべり、犯罪研究家火村英生が名探偵として謎を解く展開に今ひとつ魅力がない。またマレー半島を舞台にした趣向もとくに必然性があるわけではない。これならどこの国を舞台にしても書ける内容である。と言って、鉄道ミステリーでもない。

あとがきにある「アガサ・クリスティとカーター・ディクソンとエラリー・クイーンの三大巨匠だけを意識して書いた」との作者の意気は買うが、この作品は果たして賞を受賞するような水準なのであろうか?それともこちらの鑑賞力が曇っているのだろうか?
2005年05月24日
毎年恒例のベルリン・フィルの野外コンサートから注目すべき新譜が出た。ヴァルトビューネ2002『アンコール名曲の夕べ』である。指揮は今もっとも活躍している指揮者の一人ーM・ヤンソンス。

音楽会で最後に演奏されることの多いアンコールは、たいがい聴いたことはあるがはて名前は何だったろうか?というように意外に曲名を知らない場合が多い。そのようなアンコール曲の名曲ばかりを、原則アンコールを演奏しないベルリン・フィルが次から次へと22曲も演奏してくれるのだから、この盤は堪えられない。しかもDVDで、素晴らしい映像付き。明るいうちに始まった演奏会も次第に暮れなずむ夜を背景に、聴衆の盛り上がりとともに白熱してゆくさまはこちらもその場に居合わせているような興奮に浸ることが出来る。今勘三郎襲名興行の夜の部『研辰の討たれ』でも効果的に使われているマスカーニの『カヴァレリア・ルスティカーナ』間奏曲も素晴らしい演奏で聴ける。

同時発売のグルベローヴァのオペラも要チェックである。
2005年05月26日
爽やかな五月晴れと新緑。今の季節は今日のような好天であれば、事務所内にいるより、屋外にいた方が気持ち良い。オフィス街のなかにも、近くにぽっかりと緑豊かな公園があるので、昼食の弁当を食べながら休息も出来る。近隣の勤め人の憩いの場になっているようだ。

昨夜文庫の新刊で諸田玲子『髭麻呂−王朝捕物控え』(集英社文庫)が出ていたのを見付け、こちらでも話題になっていたのを思い出し、購入して読み始めたら面白く止まらず、昼休みで読み終わってしまった。今までこの著者の作品を読んだことがなかったが、難物の平安風俗や地理をしっかりと書き込み、なかなか筆達者な人だと思った。歴史・時代小説のなかでも比較的取り上げられることの少ない平安時代初期を舞台に、検非違使庁の看督長(かどのおさ)−今で言えば東京警視庁の刑事、それも特命担当刑事の藤原資麻呂を主人公にした明朗捕物帖である。いかめしいごわごわのひげ面は、実は軟弱さを隠すためという設定がうまく、その優しい性格ゆえ怪盗追捕の特命をことごとくどじるのだが、恋人梓女と少年従者雀丸の協力で徐々に真相に迫って行く。

それぞれの短編が一ひねりしてあり、その連作が全体的として有名な歴史的事件を背景にした長編小説となっている構成が見事であるが、やはり主人公髭麻呂と梓女、雀丸をはじめ主な登場人物のキャラクターが明るく魅力的に描き分けられているのが、読んでいて楽しかった。続編を期待したくなるが、このエンディングでは無理かもしれない。
2005年05月27日
今日は三ヶ月連続で続いた勘三郎襲名興行の千穐楽。その簡単なレポは、「夢の女・玉三郎BBS」に書き込んだ以下の内容をそのまま掲載する。

楽日は昼の部を再度観劇しました。『弥栄芝居賑』は両花道の渡り台詞が、玉三郎さんはじめ千穐楽のお祝いを述べる役者さんが多かったです。三ヶ月75日間の興行を無事終えられる喜びでしょうか、岳父芝翫さんと小山三も涙していました。『髪結新三』の切り口上も、富十郎さんと勘三郎さんの襲名興行に対する御礼の挨拶がありました。

昼の部の後、『鷺娘』から幕見しようと思っていたのですが、楽に近づいてから数日間は早い時間に満員札止めで、幕見は断念(+_+)。でもお優しい方のお蔭で、『研辰の討たれ』から三階で観ることが出来ました\(^o^)/。リリスさま、雪音さまの書き込みに屋上屋を架すようですが、その場に居合わせた者として、当方の観たままを書いておきます。

楽日でも勘三郎さんはじめ出演者の皆さんは張り切っていますし、観客の方も乗っていますから、快調なテンポで進みました。ところが、第三場の道後温泉蔦屋の場で、わが目を疑いました。開いているセリの階段から鷺娘の赤の振袖を着た町娘姿の玉三郎さんが突然登場したのです!勘三郎さんの研次に駆け寄り台詞を言って、そのまままた引っ込んでしまいました。一瞬のことで驚きに茫然としてしまい、また歓声もあって台詞がよくきき取れなかったのですが、後で聞いた話ですと、鷺娘の置唄「恋に迷いしわが心」が入っていたようです。

ところが、これで驚くのはまだ早かったのです。『研辰の討たれ』は毎日カーテンコールがあったようですから、楽日も観客の皆さんは当然あると思っていたでしょうが、一回目のカーテンコールには度肝を抜かれました。ラストシーンで一人死の床に横たわった勘三郎さんの後ろに、鷺の精の最後のぶっかえった衣裳姿で玉三郎さんが後ろ向きに座っていたのです!それから正面を向いて、優しく勘三郎さんを助け起こして、お二人で観客の熱いスタンディングオベーションに応えます。三月の『鰯賣戀曳網』の再現以上の興奮です。『研辰の討たれ』+『鷺娘』のカーテンコールを一緒に観られるのですから。まさに「研辰を見る人に鷺娘を、鷺娘を見る人に研辰を」観て欲しいと言っていた勘三郎さんの言葉通りを実現したと言っていいでしょう。

二回目は『研辰の討たれ』の出演者全員が登場して、拍手に応えます。三津五郎さんは花道から例の軽やかなスキップで登場するおまけつきです。そして、三回目に出演者全員の中へ、勘三郎さんの招きで、再び玉三郎さんが現われました。勘三郎さんが「玉三郎さんは鷺娘でカーテンコールをやりたかったでしょうが、僕に気を遣ってくれてやらなかったので、ここに一緒に出てもらいました」という趣旨の話を披露していました。四回目は同じ顔ぶれに、野田秀樹さんが舞台にあがり、拍手を受けます。さらに、一門の人たちによって、勘三郎さん、次に野田秀樹さんが胴上げされて、宙に舞いました。

五回目は勘三郎さんただ一人でのカーテンコールで観客に向って深々とお辞儀をして、最後の幕は閉じました。

この三ヶ月間の勘三郎襲名披露興行の最後の千穐楽を飾るに相応しい感動的なカーテンコールで、その場に居合わせることが出来た興奮と感激は一晩経った今日もまだ冷めません。一緒にいた他の夢玉のメンバーの方々も同じでしょう。ここであらためて、素晴らしい舞台を三ヶ月連続で見せてくれた勘三郎さんと玉三郎さんに、心より感謝しお疲れさまでしたと申し上げたいと思います。
2005年05月28日
昨夜の興奮と感激が一夜経っても冷めやらず、今日は図書館との往復以外はほとんど外出せず、読書とDVDビデオの鑑賞で終わる。

昨日の深夜、すなわち今朝BS2で放送された『フリードリッヒ・グルダ・メモリアルコンサート』も全部視聴できた。以前に地上波で放送された際に、この日にBS2で全演奏会を放送するとあったので、期待して待っていたもの。2000年に亡くなったグルダは、間違いなく20世紀を代表するピアニストであるばかりでなく、ジャズやロックも精力的に演奏したり、作曲も多くした、言わば奇才。その彼に師事したアルゲリッチが、同じピアニストの二人の息子たちと今年の1月に開いた演奏会のライブである。

モーツアルトの作品が中心に演奏されたが、目玉はグルダ作曲の『チェロ協奏曲』だったかもしれない。楽器編成が風変わりで、弦はギターと2台のコントラバスのみ。他はドラムが加わり、木管と金管がバックを務める。独奏チェロが自在に多様な音を聴かせて、楽しませる。協奏曲ではあるが、カデンツァ、可愛いメヌエット、軍隊行進曲風に金管が活躍するフィナーレなど、グルダの面目躍如の曲であった。

もちろんアルゲリッチもモーツアルトのピアノ協奏曲第20番を、陰影濃いこの曲をさらに彫りの深い演奏で弾き、十分堪能出来た。演奏を前に「グルダほどうまく弾けないから恥ずかしい」とのインタビューでのアルゲリッチの発言は、世界的大家にしてこの謙譲さとほとほと感心した。
2005年05月29日
今朝テレビ朝日系列での『題名のない音楽会』で、「有名歌舞伎女形オペラで舞う」と題して、中村福助が出演して、オーケストラと常磐津の掛け合をバックに舞う放送があった。一昨日からの興奮ボケで、ご親切に教えていただいた方がいなければ危うく見逃すところであった(^^ゞ。

歌舞伎もオペラもちょうど400年前の同じ頃にはじまり、歌、演技、踊りなど共通する点は多い。だから、このような試みは評価して良い。今回は『カルメン』『椿姫』『くるみ割り人形』などがあったが、時間が短いためと、顔のこしらえがなく、衣裳と鬘をつけない素で藤間勘十郎と踊ったりしたので、歌舞伎の雰囲気が今一つ出ていなかったように思う。しかし、どちらも世界に誇る総合芸術の華。今後も是非このような企画を考えて欲しいものである。
2005年05月30日
大相撲の二子山親方、と言うよりも元大関貴乃花が亡くなった。まだ55歳の若さである。我々の相撲体験は栃錦、初代若乃花からはじまって、大鵬、柏戸のいわゆる柏鵬時代がもっとも熱中したと思うが、貴乃花も小兵ながら、柔らかな体を使ったうまい相撲でファンを魅了した。同時期は横綱北の湖が憎らしいほど強かったから、判官贔屓ではないが、貴乃花を応援したくなったものである。

ご本人は残念ながら大関止まりだったが、引退後藤島部屋を起こし、後に合併して二子山部屋となってからは、若・貴兄弟を横綱にするとともに、多くの関取を輩出して一時代を築き、大相撲の人気上昇に大きな貢献をした。早すぎる死を悼むとともに、ご冥福をお祈りしたい。
2005年05月31日
いよいよ今日で五月も終わりである。中村勘三郎襲名披露の三ヶ月連続興行に、今までになく歌舞伎座に通い詰め、懐も寒くなったが、それに値する、いやそれ以上の興奮と観劇の連続であった。襲名興行としても破格の興行収入をあげて、無事歌舞伎座の公演が終了したのは、ご同慶の至りである。

これも勘三郎の歌舞伎にかける熱意をファンが受け止めた証拠であろう。しかし、これで安心はしていられない。伝統を守りつつも、将来に向って若い観客をひきつけることの出来るよう、興行元も役者も努力を重ねて欲しい。とりあえずは、襲名後の観客離れを引き止めるような魅力的な演目と役者の座組みを望みたい。まずは七月のNINAGAWA『十二夜』に期待したい。


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