宮脇俊三


『増補版 時刻表昭和史』(角川文庫)
宮脇俊三の鉄道と時刻表の旅に関する著作は、『時刻表二万キロ』『最長片道切符の旅』ですっかりファンとなり、新刊が出るたびに貪るように読んだ。それは私個人では叶わない日本各地への鉄道の旅を、ある時は真面目に、ある時は独特のユーモアな筆致で描き、居ながらにして作者とともに旅をしたような気分を味わい、癒されたからである。宮脇俊三は、間違いなく鉄道紀行を文学の域にまで高めたのである。

この『時刻表昭和史』の初版は、昭和55年に書き下ろされたもので、一つの歴史文学としてまた別種の感銘を受けた記憶がある。これは一人の時刻表好きの少年からみた昭和初期から終戦までの昭和史を大変鮮やかに、また克明に描いたもので、自ずと当時の世情が分かる。昭和8年の渋谷駅周辺の風景と山手線(しかも、作者は小荷物扱の窓口に物憂げに横臥していたもう老犬となった忠犬ハチ公を見ている)はどこか懐かしいものであり、また「燕」「富士」「桜」などの特急を時刻表から読んだりするように著者は、早熟な小学生であった。家庭的にも恵まれた部類に入っていたであろうから、時刻表と鉄道好きの少年がやがて丹那トンネルや清水トンネルを通過する旅などを書いた章は、当時の鉄道旅行の実情が手に取るように分かり、興味深い。しかし、徐々に戦時色が濃くなるとともに、列車のスピードダウンや観光列車の廃止など鉄道旅行は制限されるが、著者は機会を捉えて遠方へ出かける。その際、「不急不要の旅行はやめよう」のポスターが昭和15年頃から駅々に貼り出されたのは、軍需景気で逆に多くの国民が旅行に出るようになった証だと見抜いているのは鋭い指摘である。

しかし、著者はどこかに敗戦と空襲による滅びを予感しており、かえって無理をしてでも鉄道旅行繰り返していたのは、当時の青少年共通の感情であったろうか。そうは言いながらも、東京への米軍機B29の空襲は最初「お客さん」程度に楽観視しており、それが3月10日の大空襲で様変わりして新潟へ疎開したのは、山手の上流家庭だからできたことであろうが、食料の調達に苦労した戦時下の様子が偲ばれる。本書の圧巻は、8月15日の天皇の終戦の放送を、旅行中の米坂線今泉駅で聞いた部分で、これはおそらく記録としても文学作品としても、本書が不朽のものとして後世に残る場面であろう。

「時は止まっていたが汽車は走っていた。(中略)こんな時でも汽車が走るのか、私は信じられない思いがした。
 けれども、坂町行き109列車は入ってきた。(中略)機関士たちは天皇の放送を聞かなかったのだろうか、あの放送は全国民が聞かねばならなかったはずだが、と私は思った。
 昭和二十年八月十五日正午という、予告された歴史的時刻を無視して、日本の汽車は時刻表通りに走っていたのである。」
『時刻表ひとり旅』(講談社現代新書)
昭和56年初版の『時刻表ひとり旅』が、講談社現代新書で原武史氏の解説付きで復刊された。この本は初版刊行時に購入して読んだ記憶がある。宮脇氏は当時もっとも旺盛な執筆活動を続けていて、多くの著作をものした時期であるから、この本もそのうちの一冊である。だから、文庫化されているか、紀行全集に収録されていたと思い込んでいたのだが、実はこの現代新書以外には一部分を除き刊行されていなかったのである。

そういう点ではこの復刊は嬉しいことであるが、残念なことに古い版をそのまま使っている。原武史氏の解説の部分が新しいだけに、版の古さが目立って、少々読み難くい。しかし、それを補ってあまりある内容だった。もちろん、『時刻表2万キロ』『最長片道切符の旅』とは異なって、一つの目的に向かって、鉄道の旅を続ける訳ではなく、時刻表を読むという行為が大いなる愉しみであり、それから読み取った興味ある列車等を実際旅をしてたしかめるような鉄道旅行の快楽をいろいろな側面から語ったのが本書である。

原武史の『鉄道ひとつばなし2』のうち、もっとも傑作で抱腹絶倒の読み物だった「日本鉄道全線シンポジウウム」で各鉄道に座談会形式で語らせるスタイルは、実は宮脇氏が本書で「国鉄全線大集会」として既に試みていたものをさらに進化させたパロディだったのである。それ以外も、原武史氏の『鉄道ひとつばなし』に与えた影響は大きく、その意味でも本書が今回復刊されたのは大変意義がある。

例によって、宮脇氏の文章は、多方面にわたる深い知識に裏打ちされた、簡潔でありながら、格調高いもので、それでいてそこはかとないユーモアをたたえていて、読めば読むほど味があるものである。時刻表の作成過程にふれた部分では、複雑なスジを引いて鉄道ダイヤに作り上げるまでの膨大な時間と手間がかかることを分かりやすく説明している。また既に廃止されたローカル線の旅紀行も多く収録されていて、今となっては貴重な記録ともなっている。新書版の体裁をとってはいるが、この本も紛れもなく著者の鉄道紀行文学のなかでも上質の部類に入るものとなっており、年月が経過してもいささかも古びていない時刻表と鉄道旅行の書である。
『汽車旅12ヶ月』(河出文庫)
鉄道に関する趣味は根強いものがあるようだ。鉄道配線図など以前では考えられないようなシリーズも出版されていて、それがまた発売部数も好調と聞くから、女性ファンの増加も考慮するとファン層は一部のマニアに限らず、確実に底辺が広がっているように思える。

その宮脇俊三の初期の代表作のひとつである『汽車旅12ヶ月』が河出文庫で久しぶりに再刊されたことは、喜ばしいことである。中央公論社の名編集者として精力的に多くの出版物を刊行しながら、「かくれキリシタン」(本文庫解説の関川夏央氏のことば)のごとく、鉄道旅(作者の言葉では「汽車旅」)の趣味を秘して、しかしそれがゆえに求道的とも思える生真面目さと律儀さで、時刻表片手に土日と休みを使って鉄道(当時の国鉄)全線をコツコツと乗りつぶす旅を続けた。児戯の類する遊びと割り切りながらも、その謙虚な姿勢で乗り続ける姿は、その豊かな沿線の自然描写と苦味の混じった独特のユーモアが渾然一体となった名文で綴られた作品となり、多くの読者を惹き付けた。

第1作目が『時刻表2万キロ」(河出文庫)であり、第2作目が『最長片道切符の旅』(新潮文庫)である。本『汽車旅12ヶ月』はこれらの先行2作を補完する形で、日本全国を鉄道で旅した思い出を、歳時記風に1月から12月までの日本の四季の移ろいとともに語ったものである。今では廃線や廃止にになった列車も多いけれども、遊びとしての汽車旅に徹して、普通の旅人とは異なり、2月や6月が最高の旅行月であるという主張なども含めて、日本全国の鉄道旅を楽しもうとする人々には読んでためになり、また旅行ができなくとも本書を読むことで自分も作者とともに旅をしている気分になる。私は本作品を含めて、初期三部作と言っていいと思うが、鉄道ファンには必読の本であろう。
『旅の終わりは個室寝台車』(河出文庫)
『汽車旅12ヶ月』に続いて、『旅の終りは個室寝台車』が文庫化された。初版刊行から半世紀以上経っているから、ここで取り上げられている「にっぽん最長鈍行列車」(門司から福知山まで山陰本線を十八時間半かけて走った!)、「紀伊半島一周ぜいたく寝台車」(紀勢本線に「はやたま号」という寝台車があった)、青森−大阪・特急「白鳥」や個室寝台車がついていた特急「はやぶさ」など、既にもう廃止された列車の乗車記、いや挽歌になっている。

本書は「小説新潮」に掲載された関係で、当時の個性ある編集者「藍色の小鬼」とともに延々と目的のない旅を続け、それを宮脇氏特有の旅情とユーモアにあふれた名文で綴った鉄道旅行記である。新幹線と飛行機による早くて便利な旅が当たり前の昨今、このような旅はまた格別の味わいがある。


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