谷崎潤一郎


『盲目物語』(中央公論新社)
この『盲目物語』を書いた時期の谷崎は『春琴抄』、『武州公秘話』、『蘆刈』などを代表とする作品群を、日本文学の伝統を活かした独特な語り口の文体で、耽美で優雅な物語として次々と紡ぎだしていた、ある意味では大変驚異の時代である。そのようななかで、この作品は、登場人物も織田信長、その妹お市、、浅井長政、柴田勝家、豊臣秀吉、お茶々(淀君)など、戦国期の歴史上名高い人々ばかりである。

しかし、作者の物語作家としての凡庸ならざるところは、視点を盲目の按摩で三味線が弾けるという弥市に設定していることで、彼はその才能を見込まれてお市の方に近侍して、揉み療治をしながら、得意の三味線を弾いて、お市の方はじめ奥の方々の無聊をなぐさめる。その彼が零落してから、お市の方に仕えて以来、北の庄の落城で二度目の夫勝家とお市の方が自刃して果てるまでの十年間の思い出を語る構成になっている。しかも、その語りは仮名まじりで、まさに盲目の按摩弥市が眼前で語っているような錯覚を覚えるほど、生き生きとしていて、かつ饒舌でうねるような文体で語られる。だから、一度その語り口に魅せられると、途中で中断することが出来ず、最後まで読み通してしまう。

もちろん数奇な運命にもてあそばれたお市の方の悲劇とその周囲の武将たちの関わり合いという歴史上周知のことを語っているであるけれども、根底には弥市のお市の方に対する思慕の情と一方ならぬ献身があり、谷崎文学の永遠の主題である女人崇拝がここでも見事に美しい物語として昇華している。
『細雪』(中央公論新社)
『盲目物語』を読んだ勢いで、以前から再読したかった大作『細雪』を手に取ったら、あっという間に読み終わってしまい、こんなに面白かったのか!とあらためて新鮮な思いで、この作品の大きさを再認識した。これも少しは読書体験を積み重ねてきたお蔭であろうか。

面白い理由は主に次の三点にあると思う。

○ 日中戦争真只中の昭和十年代前半を背景に、船場の旧家蒔岡家の四姉妹のうち次女の幸子を主人公にして、慎ましやかなためか縁遠い三女の度重なるお見合いから結婚、それと対照的な四女の奔放な生き方をただひたすらに描く、言葉の純粋な意味で物語性豊かな風俗小説であること。

○ 春の京都での花見、蛍狩り、地唄舞の会、歌舞伎観劇(六代目菊五郎への傾斜)、グルメなど当時の関西の上流家庭の生活風俗が丹念に描かれていること。

○ 関東大震災で関西に移住してから日本の伝統文化への愛着を深めた谷崎の関西文化への愛情が全編に溢れていて、それは地の文と関西弁の会話が渾然一体となった文章にもよく表れており、長文であっても流麗な名文は読む者を陶酔させるような美しさがある。これは直前に完成した第一回目の『源氏物語』の現代語訳の影響が顕著にあると思われること。

しかも、戦時中谷崎はこの作品が「時局にそわぬ」という理由で軍部に忌避されて、その発表を封ぜられても、営々とこの長編を書き継いで、戦後無事完成させたのであるから、驚くべき作家魂である。このような長編を日本文学の大きな財産として持つことが出来る我々は幸せと言わなければならないであろう。


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