|
公家と源平の覇権争いの渦中を泳ぎきり、「日本国第一の大天狗」と頼朝に言わしめた後白河院の姿を、院の周辺にいた四人の語り手によって浮かび上がらせる。院に仕える寵臣や侍女、そして『玉葉』を書いたことで著名な藤原兼実が、異なった視点と語り口で、保元・平治の乱から鎌倉幕府成立の初期までを語る。そこには不気味なまでの後白河院の影が揺曳しているが、実像は御簾の内にあって茫漠としていて一向に定かではない。
しかし、第四章に至って、頼朝方と見られていた兼実が、真の院の姿を明らかにする。それは「政をしろしめすお立場は院おひとりだけのものであり、それはご自分おひとりでしかお守りになれないものである」と孤独な闘いを続け、多くの公卿や武家に勝ってきた帝王の姿なのである。だから、「左様、後白河院だけは六十六年の生涯、ただ一度もお変わりにならなかったと申し上げてよさそうである」という兼実の独白が結びに強烈に生きる。しかし、その院も頼朝のみは倒すことが出来ず、武家政権を誕生せしめたことはさぞや残念だったろうと思うが、それが歴史の皮肉というものであろう。 |
|
|