澁澤龍彦


『高丘親王航海記』(文春文庫)
泉鏡花の『夜叉ヶ池』『天守物語』を収めた岩波文庫に澁澤龍彦が鏡花文学の垂直構造を主題にした卓抜な解説文を書いていたことに惹かれて、購入したまま読んでいなかったこの作品を読んだ。サド文学の翻訳者にとどまらない天才的文学者の遺作がこの小説『高丘親王航海記』(文春文庫)である。

奈良時代平城天皇が弟嵯峨天皇に天皇位を譲った時に平城天皇の御子で皇太子にたてられたのが高丘(岳)親王である。しかし、平城上皇の腹心となっていた藤原仲成と薬子側と嵯峨天皇との間にやがて確執が起こり、仲成・薬子の乱が起きたが、嵯峨天皇側の勝利となり、高岳親王は皇太子を廃された。その後剃髪・出家して真如と号し、空海の高弟ともなった。しかし、六十歳を過ぎてから入唐を決意し、さらに天竺を目指したが、そのまま行方が分からなくなったというのが史実の語るところである。

この七つの短編連作集は、その高丘親王が天竺を目指して唐を船出してから、海に陸に東南アジア諸国を彷徨う遍歴譚で、とても品のよい透明感溢れる文章で綴った幻想的な作品である。人の言葉を話すジュゴンや夢を喰う獏、蜜人のミイラなど大変空想的なものが多く登場するが、仏教的かつ異国情緒が横溢するなか、どれもが魂を洗われるような清々しさがあり、読む者も親王とともに遍歴しているような錯覚を覚える。親王は常に夢を見つつ異次元の体験をするが、そこには幼児期に可愛がってくれた父の寵妃薬子の姿が常にある。この生々しさは、老年の出家の身となっても親王にとって薬子が忘れられない大事な思い人であった証拠であろうか?天竺に達したいという親王の願いは空しく志半ばで倒れるが、男子とも女子ともつかない秋丸(その生まれ変り?の春丸)も、常に親王と行動を共にし、最後は迦陵頻伽となって、親王の魂とともに天竺へ飛んで行ったように思える。

のどに痛みを感じて死期をさとる親王の姿は、晩年の作者の姿に重なる部分もあって、痛ましい。しかし、それを感じさせない涼やかな読後感で、日本人の精神の根源にある天竺への憧れ・冒険と遍歴の旅への志向を高丘親王という姿に仮託して描き出したこの作品は、また折に触れて読み返したくなる本となった。


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