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レビューの冒頭から本文庫の解説を引用するのは大変恐縮ですが、宮部みゆきが素晴らしい言葉で本書の魅力を凝縮して、余すところなく評していますので下記に引用します。
「鉄道は歴史を乗せているのです。国家の歴史から、個人の小さな歴史まで。」
本書は「NHK知る楽 探求この世界」のテキストとして刊行された『鉄道から見える日本』を加筆改稿し再編集したものですと断り書きがあります。著者原武史は天皇や皇室を中心にした日本政治思想史の研究者で、『大正天皇』や『昭和天皇』などイデオロギー一辺倒だった過去の近現代の天皇と皇室をまったく新しい視覚からとらえた斬新な著作で知られています。同時に鉄道愛好家としても有名で、『鉄道ひとつばなし』1、2、3(講談社文庫)として結実した好エッセイもあります。
著者は「はじめに」で「私が興味をもつのは鉄道そのものにではなく、鉄道をを通して見えてくる日本の近現代や、民間人の思想や、都市なり郊外なりの形成や、東京と地方の格差などにある。」と書いています。この主題は私が大学生時代から関心を持ってきた近現代史に関して新鮮な刺激と示唆を与えるものです。そして本書はこの主題を血肉化したすぐれた政治史・民衆史であると思うのです。と同時に、鉄道が歴史にいかに深く関わってきたかを再認識させてくれるのです。
本書ではまず第一章「鉄道紀行文学の巨人たち」で、内田百間、阿川弘之、宮脇俊三の三氏をあげると思えば、第二章「沿線が生んだ思想」で永井荷風と京成電鉄、高見順と横須賀線、坂口安吾と常磐線など今までにない切り口で作品と沿線風景の関係を語り、非常の幅広い見方を提供しています。
しかし著者の真骨頂は第三章以下にあります。大正天皇と昭和天皇が意外にも鉄道に乗って繰り返し全国を巡幸して、イデオロギーのように観念的・抽象的なものではなく、具体的な身体を媒介とする支配(これを著者は「視覚的支配」と呼んでいます)で国民に自らが「臣民」であることを実感させた、と指摘しています。
次に第四章「西の阪急、東の東急」で二つの大手私鉄の歴史を比較しながら、関東と関西の文化の違いについて考えています。そこにあるのは徹底して「官」から独立した文化圏を構想した阪急、その実質的な創業者である小林一三の常識への挑戦です。対する東急は五島慶太自身が天下りであり、文化を創造するというよりも強引に事業を拡大してゆく事業家で、「官」とは協調・依存してゆくタイプであったと思われます。関西にお住まいの方には当たり前でしょうが、関西大手私鉄のターミナルは国鉄(現JR)とは完全に独立しており、阪急は大阪駅にある梅田駅ではJRへの乗り換えを案内しないそうです。必ず乗り換えを案内している関東からみれば、驚きです。
第五章「私鉄沿線に現われた住宅」では主として西武線沿線を舞台に建設された大規模団地を著者の体験を交えて考察し、戦後生活史を通じてみた現代史が語られます。第六章「都電が消えた日」では自動車の普及とともに邪魔者扱いされた都電の消滅は、地下鉄にとって代わられたことによって我々が東京という都市を立体的に認識できなくなったひとつの歴史的断絶ととらえます。たしかに地下鉄に乗っているだけでは、「半蔵門」も「桜田門」もただの一つの駅ですから、皇居という東京の中心部を分からなくなっている恐れは十分にあります。
第七章「新宿駅一九六八・一九七四」第八章「乗客たちの反乱」では政治的季節であった、あの熱い七十年代が具体的に浮かび上がってきます。
本書は西田幾多郎の名著『哲学概論』の向こうを張ったようなタイトルだが、と著者は謙遜しているますが、249ページの文庫本、内容は読み応えのある、中身の濃いものですから、ご興味ある方には一読をお薦めします。
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