飯嶋和一


『始祖鳥記』(小学館文庫)
『出星前夜』を読んで以来、飯嶋和一の作品にはずれはないとの評判はまったくその通りだと思いつつ、その他の作品にまで手が回らなかった。今回ようやく『始祖鳥記』を読むことが出来た。

江戸天明期、空前の災厄が続き、人心が不安になっている時に、忽然と現れた大空を飛ぶ男。庶民は拍手喝采し、統治する側は取り締まろうと躍起になる。備前岡山の表具師幸吉は、しかし、そんな周囲のことは頭になく、ただただ鳥のように大空を飛ぶことのみに粉骨砕身する。その結果は、「所払い」の厳罰を受け、財産をすべて没収された。故郷の児島に戻ると、幼馴染の源太郎は船頭となり、自前の船を持つまでになっている。源太郎の好意で幸吉はその船に水夫として乗り込む。その船は下り塩に押され放しの行徳塩の再起のために苦心惨憺する巴屋伊兵衛を助け、幕府の保護と問屋たちの独占に雄々しく立ち向かう。

その勇姿を見つつ、幸吉は楫取り杢平とともに船を降りて、駿府で商いをはじめる。真面目で器用な幸吉は、時計の修理や入れ歯作りも手広く商い、町頭仁右衛門からも厚い信頼を得る。そして乞われるままに見事な連凧を披露したことから、幸吉は再び大空を飛ぶことに挑戦する。

この小説がすぐれていることはディテールが大変稠密で巨細に描かれていることで、読み進めば進むほど長編小説の醍醐味を満喫出来る。ぐいぐいと読む者を惹き付ける力があり、伝説的で資料が少ないこの鳥人について、入念な考証にもとづくとともに作者の想像力を存分に羽ばたかせて、情熱と意志に彩られた一個の男のロマンを描ききっている。この小説に贅言は要しない。とにかく面白い歴史長編である!

『出星前夜』(小学館)
飯嶋和一という作家は以前から気になっていた一人である。私は若い頃転勤で短い期間であるが、長崎に勤務していたことがある。その時に長崎が日本史上にはたした大きな役割を、肌身で実感したものである。。史跡等を巡らなくても、街の至るところ歴史の痕跡が残っているのである。したがって、戦国時代から幕末まで、キリシタン禁制の問題も含めて相当関心をもって歴史書や文学作品を読んだ。

だから末次平左衛門を主役にした前作の『黄金旅風』を読もうと思っているうちに本書『出星前夜』が出版された。順番から言えば逆であろうが、島原の乱を描いた「大佛次郎賞」受賞の本書から読むことにした。しかし相当なヴォリュームのある長編である。読み始める前は読了までにかなり時間がかかるだろうと思っていたが、読み始めたらそれは杞憂であって、二日間で一気に読み終えた。おそらく近年の歴史小説のなかでも稀にみる大きな成果を上げた傑作であろう。ずっしりと深い感動が残った。

本書は島原の乱を描いた歴史小説に分類できる。しかし、天草四郎が主役ではないところが異色である。秀吉の朝鮮出兵に従軍した後帰農した土豪(庄屋層)に属する人たちの代表としての鬼塚監物と、ポルトガル人の血を受け継いだ若者(寿安)が主役である。そして、島原、天草の農民たちが蜂起したのは、キリスト教の信仰の問題もさることながら、領地支配大名たちが行った苛斂誅求の支配であり、その根本原因は徳川幕藩体制にあることを支配される側から鋭く抉った小説なのである。

しかも作者の筆は周到かつ細密なもので、登場人物たちの人間像をしっかりと描いていて熱い。圧政から貧困にあえぐ農民たちのなかで、子供たちが熱病に罹り、その治療に名医の修道士から手ほどきを受けた若い医師を、自らの村へ監物(甚右衛門)が礼をつくして呼んで来て治療にあたってもらうことから、その発端を書き起こしている。ところが地元の代官手代はその医師をすげなく帰してしまい、領主松倉家は天災による不作にもかかわらず収穫高を大きく水増しして搾取していることが分かってくる。甚右衛門は身を粉にして農民たちに協力させて、年貢を納めるようにしてきた。しかし、止まない苛政に若者が立ち上がる。寿安を頭領にして、自然と若者だけの場所を作る。このあたりは、村から縁を切り、悪人になっても若衆宿を作るのは、網野義彦氏の『無縁・苦界・楽』(平凡社)のアジールにつながっていて、興味深い。しかも、最初彼らの使う武器が、飛礫(つぶて)である!

その若者たちを押さえつけようとして松倉家の支配者層はお粗末にも失敗し、その誤りを一度は棄教したキリスト教に彼らが戻ったことにすり替えたことから、甚右衛門はじめ庄屋層もついに立ち上がり、その動きが天草に波及して、島原の乱になってゆく過程をダイナミックに描いて行く。もちろん、キリスト教への信仰が根付いていたことが底流にあることは間違いないが、圧政下にあった農民たちの根源的なエネルギーがキリスト教を媒介にして噴出したと言える。原城へ立てこもった人たち(蜂起勢)と徳川討伐軍との戦いもまさに戦争ともいえる苛烈なものだ。そして蜂起勢が掃討されて島原の乱は終わりをつげるが、救いは寿安が医師の仕事を手伝うことにより、生命の大切さを知り、自らも名医となって生涯を全うしたことである。


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