井上ひさし


『一週間』(新潮社)
2010年4月に死去した井上ひさしの最後の長編小説である。小説新潮に断続的に連載されていたが、2006年の連載終了後著者が加筆・訂正したいとの意向があったため、未刊行だった作品である。作者はそれを果たせないまま旅立ったわけであるが、今回の刊行は作者としては不本意だったかもしれない。しかし、私は迂闊にもこの連載に気が付かず、したがってこのような長編小説が死去後に刊行されるとは思いもかけなかったから、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちでようやく読み終えた。

言うまでもなく劇作家としての名声が高いが、私は東北の一寒村が日本国から独立宣言をする抱腹絶倒の面白さの『吉里吉里人』、裏忠臣蔵である『不忠臣蔵』や伊能忠敬を描く『四千万歩の男』など氏の長編小説に親しみを感じていたから、この最後の長編はまさに井上ひさしの作品世界を象徴したようなものと読んだ。

「昭和21年早春、満洲の黒河で極東赤軍の捕虜となった小松修吉は、ハバロフスクの捕虜収容所に移送される。脱走に失敗した元軍医・入江一郎の手記をまとめるよう命じられた小松は、若き日のレーニンの手紙を入江から秘かに手に入れる。それは、レーニンの裏切りと革命の堕落を明らかにする、爆弾のような手紙だった……。(本書帯より)」

この長編は終戦後のソ連による日本人捕虜のシベリア抑留という重いテーマを真正面から取り上げている。最後近くで主人公は次の通り「怒るのである」。

「日本軍兵士たちの労働による現物賠償を要求したソ連の無法さ、それにやすやすと応じた大日本帝国政府の無責任さ、小便がそのまま凍ってしまうシベリアの寒さ、収容所に旧軍隊の秩序を持ち込んでわたしたち兵士の食料を召し上げた日本軍将校たちの勝手さ、やるせないほどのひもじさ、収容所の藁の布団に巣くうシラミのうるささ、いつまで経っても帰国できない悲しさ(後略)」

おそらく著者はこの長編小説をさらにふくらませようと考えていたと思われる。その理由はこの主題がやや直截過ぎる点である。しかし、それはほんの僅かの瑕瑾であって、本質的は近代日本の軍隊と国家と民衆、および日ソ関係史、そして社会主義国家ソ連の欺瞞と少数民族の弾圧の問題を小説の形で主人公の僅か一週間のなかに凝縮した非常に中身の濃い作品なのである。

もちろんいつもながらの鋭い風刺、機知とユーモアに富んだ描写は読み始めたら、止まらない。しかもソ連の女性将校や日ソ混血の美女など色模様にも事欠かない。加えて、収容所を脱走した軍医の逃避行も悲惨どころか滑稽かつすぐれた冒険譚である。しかし、なんと言っても主人公が手に入れたレーニンの手紙を手紙をめぐってただ一人ソ連軍に立ち向かい、虚々実々の駆け引きを行う展開がグイグイと惹き付ける。結末も意外などんでん返しがあるが、この主人公ならば逆境に負けず雄々しく生きてゆくであろうことを確信させる。

『吉里吉里人』には及ばないものの、井上ひさしの小説を考えるに際しては欠くことが出来ない傑作である。



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