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今までほとんど書いてこなかった愛読する作家の一人に、戦後派作家の堀田善衛がいる。初期に属する小説作品をあまり読んでいないから、偉そうなことは書くことはできないが、どちらかといえば後期の作品―小説やルポルタージュ、エセーなどの作品を愛読した。
おそらく最初に読んだのが『インドで考えたこと』(岩波新書)であったと記憶している。細かい内容はすっかりと忘れてしまったが、日本から離れたアジアの、それもインドという異邦で考えるという視野の広さと公平なものの考え方に共鳴した記憶がある。しかし、『若き日の詩人たちの肖像』を読むと、自伝的な小説であるにもかかわらず、堀田善衛は詩人として出発しながら、早くから論理的で透徹な思考方法を身につけていたことが分かる。その後スペインに滞在しながら、大作『ゴヤ』を完成させたが、これは単に巨人ゴヤの評伝に止まらず、その巨細な作品分析はゴヤの生きた時代と社会をあますところなく描き出した魅力ある語り口と相俟ってまことに瞠目すべきものであった。この四部作で完全に堀田作品の魅せられたのである。
その前後から、氏は日本と世界の中世を題材にして、『方丈記私記』『定家明月記私抄』(正続)『路上の人』『ミシェル 城館の人』など発表した。とりわけ前の二作品は、日本の古典文学としてあまりにも著名な『方丈記』と歌人定家の日記『明月記』を題材にして、堀田善衛が作者の鴨長明と藤原定家の目とつかず離れず一体となって、乱世のさまざまな混沌ぶりが縦横無尽に語られる。方丈記は曲がりなりにもその一部分を原文で読んでいるが、明月記ともなると漢文であるから、とても簡単に読めるものではない。しかも、定家の青春時代は肝心の年代がないなど、この日記は断片的にしか残っていないから、よほど当時の時代背景などを理解していないと読めないものであろう。それを堀田氏は丹念に原文と付き合い、読みほどいてゆく。元々は戦中下に明月記を読んで、乱世に「紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ」(こうきせいじゅうわがことにあらず)と書いた定家の歌人としての覚悟に共鳴して、是非全部を読みたいと思ったことに端を発しているから、四十年以上の長い付き合いの歴史があるのだ。
新古今歌集の選者として、また当時並ぶものなき最高の歌人の定家の実像は、上記の言葉でも分かるが、到底一筋縄で行くような人物ではない。しかし、人並みに自己の位階があがることを望み、常に暮らしぶりが貧しいことを嘆き、また持病に悩んでいる。そして、そんななか定家は歌人として、宮廷人としての務めを果たして、上皇の熊野詣でのお供までしている。これはもう読んでいるのみでうんざりしそうであるが、堀田氏は倦まずたゆまずひたすら読み続け、定家の心の奥ひだまで読み込んでいく。読者を飽きさせない堀田氏の筆力は名人芸とも言えるもので、あたかも堀田氏と定家と一体となったかのごとき印象を受ける。そうすると、定家がとても親しい友人か隣人のように思えてくるから、不思議である。時代は変われど、人間の営みは変わらないものなのであろう。この作品は折に触れて、部分的にでも読み返したくなる一種の座右の書である。
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