平成14(2002)年の観劇記

平成14年8月23日:『怪談乳房榎』−八月納涼歌舞伎第三部観劇記
八月納涼歌舞伎第三部(午後六時開演)を見に歌舞伎座へ向かう。例月の公演の場合、二部興行で昼の部が午前十一時、夜の部が午後四時半開演というサラリーマンとしては非常に鑑賞しにくい時間設定となっていて、一体誰をターゲットにしているのか、と文句の一つも言いたくなる。

その点、すっかり定着した八月納涼歌舞伎の三部興行。観劇料金も11千円とリーゾナブル。そして、出し物は納涼に相応しい怪談話である。

今回は中村勘九郎が三役早替わりにて相勤め申し候との口上書き付きの通し狂言『怪談乳房榎』(三遊亭円朝原作)である。

名人気質の絵師菱川重信、根は正直だが酒に弱い下男の正助、小悪党の三次という全く性格の異なった三役を早替わりで演じるのが見所で、実際早替わりも殆ど10秒程度で替わっており、観客の目には瞬時とも見える位鮮やかなものである。そして、その性格の違いをもきっちりと描き分けた中村勘九郎の演技もいつものことながら見事なもので、彼のどんな役でも真摯に取り組む姿勢は高い評価を受けているのも当然といえよう。

本作品でのもう一つの見所は、真夏に相応しい舞台上での本水の使用である。通常は大道具で絵に描かれるだけの水を、本物の水を用いて見せる。今回は角筈十二社にある大滝の場(新宿中央公園の傍にある十二社温泉のある場所)で、滝の水がごうごうと流れるなか、三役を早替わりで見せながら、滝壷のなかでの大立ち回りが涼味一杯である。
三役の早替わりも、本水の使用も歌舞伎の演出では「けれん」と言われ、一段低く評価する向きもあるが、今回のような舞台を観れば、「けれん」こそが歌舞伎の演出として欠かせないものであることがよくわかる。

怪談話としては、とくに観客を驚かすようなコワーイ場面は少なかったが、上演時間二時間ほどのコンパクトにまとまった通し狂言は、観客を飽きさせない。

久しぶりに歌舞伎を堪能できた日であった。
平成14年12月21日:『椿説弓張月』−十二月大歌舞伎夜の部観劇記
歌舞伎座十二月公演夜の部。曲亭馬琴原作、三島由紀夫台本の通し狂言『椿説弓張月』(全三幕八場)〜市川猿之助宙乗り相勤め申し候。

・歌舞伎座平成14年12月公演夜の部観劇記
三島由紀夫が自決する1年前の昭和44年に書き下ろした新作歌舞伎であり、歌舞伎座では初の上演となる。今回は澤瀉屋(市川猿之助)一門に加えて、勘九郎、玉三郎、福助共演による豪華な舞台である。

全体としては、崇徳院に忠義を貫いた源為朝を主人公として、大きく3部に分かれる。

上の巻は、伊豆大島に流された為朝が、家来とともに諸島を従え、元代官の娘を妻として生活している。そこへ妻の父の元代官を先頭にした討手が攻め寄せてきて、為朝は強弓で立ち向かうが、妻子は討ち死にする羽目となる。
全編義太夫を使って重々しく描かれており、時代物の雰囲気が濃厚な作りである。妻を演じた笑三郎が古風な味わいを見せて、また一段と大きくなっている。

中の巻は、崇徳院の墓に詣でた際、崇徳院と群臣の霊が現れ、その導きにより為朝らは肥後の国の山中に分け入る。そこで以前契った白縫姫(大和屋ー玉三郎)と再会する。この美貌の姫、為朝を裏切った家来を琴を弾きながらなぶり殺しにするという残虐な面を持っており、大和屋が妖しい美しさを舞台一杯に漂わせる。このあたりは三島好みの嗜虐美か。
為朝一行は船を仕立てて海へ出るが、途中大嵐に遭い白縫姫は弟橘姫の故事に倣い、海神を鎮めるために入水し、その後黒揚羽に変身する。舞台の大船が大嵐に翻弄される様や海中を泳ぎ渡る家来たちなど、さまざまな大道具の仕掛けが歌舞伎の視覚的な面白さを堪能させる。

下の巻は、漂着した琉球が舞台。衣装や舞台装置がエキゾチズムを感じさせる。大臣や悪女阿公の企みを為朝が救い、寧王女に白縫姫の化身の黒揚羽が乗り移る(寧王女役の春猿が品のある美しさを見せて見事)。後半は悪女阿公の因果話で、老女役を勘九郎が丁寧に見せる。立役から女形まで、とにかく芸域が広い役者である。

最後は島を安泰にした為朝が皆のいる中、白馬にまたがり、昇天する。ここは澤瀉屋得意の宙乗りで、昇天を美しく現して見事だった(でも、小生の席は、最後列から2番目なので、舞台は思ったよりはよく見えたが、宙乗りは殆ど見えなかった(涙))。

総じてこの狂言、猿之助歌舞伎にぴったりの絢爛豪華なもので、見せ場も多く、とても楽しめるものだった。為朝は猿之助の当り役の一つになるであろう。


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