平成15年11月23日:『梶原平三誉石切』『船弁慶』『松竹梅湯島掛額』−顔見世大歌舞伎観劇記 |
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十一月の歌舞伎座は、いつもの上演形態に戻って見取り狂言だが、顔見世らしく豪華な顔ぶれによる魅力ある演目が昼夜とも並んでいる。昼と夜とどちらにしようか?と迷ったが、天王寺屋中村富十郎の一世一代の『船弁慶』に魅かれて、昼の部を観ることにしていた。ところが、直前になって、富十郎が体調を崩して入院し、休演したとの報道があった。代役の菊五郎には悪いが、一番の見ものが無いのは困ったが、止むを得ないと思っていたら、何と観劇の前日から昼の部のみ復帰したという。藝にかける富十郎の執念のようなものを感じた。いずれにしても、その体調を気にしながらも、観劇に出かけた。
・『梶原平三誉石切』
通称「石切梶原」と言われる。この「鶴ヶ岡八幡宮の場」のみ上演される。やはり元は人形浄瑠璃である。この演目は有名だが、何故か今まで掛け違って、観たことがなかったもの。梶原平三は、今はもうこの人を置いては他にいないと思わせる松嶋屋片岡仁左衛門。
まず花道の出から魅了される。何よりも姿がいい。堂々として男振りがまたいい。歌舞伎は見栄えが大事である。加えて、口跡が爽やかで、滑らか。聞いていて、耳に快い。歌舞伎の科白の音楽性を堪能できる。
この狂言は、源氏の佞臣として知られる梶原平三景時が、刀に造詣が深く、条理を兼ね備えた武将として描かれる。だから、見せ場はすべて刀に係わるところである。「刀の目利き」「二つ胴試し斬り」「石切り」の三つである。
刀の目利きは、持ち込まれた刀の鑑定をするところだから、型を美しく見せながら、矯めつ眇めつする。いかにも感に堪えたような型が、この刀が名刀であることを納得させる。
そして、刀の代金のことから思いもかけず名刀の証をするために、科人二人を重ねて試し斬りする二つ胴。ここは、最初から刀を持ち込んだ六郎太夫を助ける気持ちを持っている平三だが、それを悟らせないよう、いかにも真の試し斬りの如く刀を振り下ろしながら、実は上の科人だけを斬るという難しい型を見せる。
最後は、石切り。二つ胴に失敗して、その目利きの腕を疑われた平三だが、実はわざと命を助けたのであり、本心は源氏に心を寄せている事を語り、刀が類稀なる名刀の証に、石の手水鉢を気合もろとも一刀両断にする。石切りには、いろいろな型があるようだが、仁左衛門は石の背後から正面を向いて斬る。この型の方が石切の難しさがよく分かる。
吉弥の六郎太夫は、いつもに比べて時代物の味が濃く、好演。芝雀の梢は、その可憐さが際立つ。もっと活躍してよい女形だ。
・『船弁慶』ー新歌舞伎十八番の内
能から取ったいわゆる松羽目物。前シテは、富十郎扮する静御前が、弁慶の進言を受け入れた義経から都に帰るよう命じられ、泣く泣く別れて行くところ。別れの名残にと今様の舞を舞うが、少ない動きのなかに、静御前の深い悲しみを湛えている。その舞は惻惻として観る者の胸を打つ。最後に悲しみのあまり、烏帽子を落とすところなどは、見事である。
仁左衛門の舟長など豪華な脇役陣の舟歌の後、後シテは平知盛の霊。海原に乗り出した義経主従の舟を、怨み晴らさんと平知盛の霊が襲う。花道から現われた霊は、海の上という設定から荒々しいなかにもすべるように舞う。これも非常に高い技量のいる踊りだ。本舞台での義経主従との争いの後、体をぐるぐると回しながら、引っ込む。これも水中に沈む型を現しているという。
全体としては、休演から復帰後二日目のためであろうか、富十郎のいつものような精彩にいささか欠けているように見受けられたのは、止むを得ないところであろう。しかし、さすがに現役の立役の最長老、その分を藝の力で補っていて、とくに静御前の舞はさすがと思わせる集中力だったと思う。
・『松竹梅湯島掛額』
「吉祥院お土砂の場」は普通お土砂と言われ、八百屋お七ものである。菊五郎扮する紅長(べんちょう)こと紅屋長五郎が、火事で吉祥院に避難して来て、お小姓吉三郎を恋したお七を助けようと活躍するドタバタ喜劇。お土砂というのは、祈祷に使う砂のことで、これを人にかけると、体がグニャグニャと柔らかくなるところから、紅長は死体だけでなく、出る人出る人にお土砂をかけて回る。果てはつけ打ちから舞台にあがった観客(秀調)や劇場の案内係り(実は女優)までかけてしまう。それぞれ工夫した形で体を崩れさせるから、観客は爆笑である。
平成九年に、吉右衛門が先代の当り役を受け継いで、いかにも嬉しそうにお土砂をかけていた舞台の印象が今も鮮やかだが、菊五郎の紅長もニンではないと思うが、これも楽しそうに演じていた。前半も地口や駄洒落が多く、時にはアドリブでも笑わせる。全体としては実に他愛無いものだが、これも歌舞伎の楽しさの一つだ。欄間の天女に代わって、そこに隠れる菊之助のお七が美しい。
「四つ木戸火の見櫓の場」−浄瑠璃「伊達娘恋緋鹿子」
お七が吉三郎会いたさに、木戸を開けようと火の見櫓の半鐘を打ち鳴らすまでを、人形振りで見せる。女形の踊りの大事な演目の一つ。菊之助が要所要所をきっちりと押さえた人形振りで、観客を魅了する。顔も文楽の人形を思わせて、まるで別人のよう。玉三郎に教えを受けた跡が垣間見えたが、これだけ踊れれば立派なものである。初春歌舞伎では玉三郎と『二人道成寺』を踊る菊之助、どんな踊りを見せてくれるか、今から正月の舞台が楽しみである。 |
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平成15年10月13日、25日(千穐楽):『於染久松色読販 新版お染の七役』−十月大歌舞伎夜の部観劇記 |
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このような素晴らしい舞台に接して、この観劇記を一体どう書けばいいのだろうか?今正直のところ迷っている。いつもはざっくりと幕毎のあらすじを追いながら、役者の演技や装置・衣装などに触れて書いている。この舞台も約2時間半の通し狂言であり、今回従来のものに手を加えているようで、筋も単純明解で分かり易い。新版という所以である。また、回り舞台を巧みに使った場面転換も滑らかで、長丁場を飽きさせない。だから、いつもと同じように書いてもいいのだろうが、筆が進まない。何故か?
それは、鶴屋南北が書き、後人が補綴してより完成度が高まったこの狂言の主題が、何よりも歌舞伎独自の演技の形態である「女形」の藝そのものであり、またその主題を追求する手法として、これまた歌舞伎の演出の際立った特徴である「けれん」の一つ−早替りを全面に押し出しているからである、と思う。
歌舞伎という演劇の発生史上、権力の弾圧に対抗して必然的に現われた女形という世界の演劇中例を見ない藝の表現の形は、江戸時代から現代まで連綿と継承され、より洗練されてきたと言っていいであろう。その間、多くの名女形が現われたことも、伝統の継承に与っている。記憶に新しいところでは、先年亡くなった六代目中村歌右衛門が、高い完成度をもった弧峰を築き上げたと言える。
今我々は大和屋−坂東玉三郎という稀有な女形を持つという幸運に恵まれている。彼は歌舞伎400年の歴史の中でも百年に一人現われるかどうかという逸材である。その舞台姿の美しさ、演技力、口跡の良さ、踊りの巧みさ、どれを取っても超一流である。しかも、歌舞伎にしっかりと根を張りながらも、その世界だけに安住せず、他の演劇−新派、新劇、映画等々で世界的な活躍をしていることは、周知のことであろう。最近では映画監督や演出家としての顔もある。
このような多面的な活躍をしている坂東玉三郎が、歌舞伎でも近年女形の難役である八ツ橋、政岡、阿古屋、尾上などに次々に挑戦し、いずれも高い評価を受けているのも当然である。その役作りは、常に読みが深く的確だから、観るものを納得させるものばかりであるし、またそれを気付かせないだけの自然さがある。だから、彼がかける舞台は常に高い水準にあり、注目の的である。
その玉三郎が、実に15年振りに女形の芸の見せ所で一杯の『お染の七役』を舞台に出したのである。だから、どうしても早替りを通じた女形の藝に目が行ってしまうのも止むを得ない事なのである。
だから、ここではいつもと違って、玉三郎が早替りを通じて、七役をどう演じているかを中心に幕毎に観て行こうと思う。まず、七役を挙げておこう。
・お染(油屋の娘)−町娘。恋する娘のけなげさ、一途さが見所。
・久松(お染の恋人)−七役中唯一の立役。油屋の丁稚。商家の奉公人だが、元は武家の出という気品と強さも必要。
・お光(久松の許嫁)−田舎娘。久松がお染といい仲になっているのを心配するあまり狂う。狂女の哀れさを見せる。
・小糸(お染の兄多三郎の思いもの)−芸者。弥忠太の身請け話に、多三郎との仲を思い悩む。仇っぽさ、色気が見せ所。
・竹川(久松の姉)−奥女中。没落した家を再興させるために刀を探す。品格が必要な難役。
・貞昌(お染の継母)−油屋の後家。生さぬ仲のお染を諭すしっとりとした愛情.を見せる。
・土手のお六(竹川の元召使)−鬼門の喜兵衛の妻。夫とともに金のためなら、強請でも何でもやるあばずれ女。主人思いの面もある。歌舞伎の女形の中でも悪婆という独自の芸を見せる役。
こう見てくると、お染と久松を中心に一族と言えるほど非常に近い人たちで、この狂言が出来上がっていていることが分かる。簡単に序幕から見てみよう。
序幕 柳島妙見の場
お染と久松は妙見詣でにやってくる。だが久松は貞昌から言いつけられた用事があると言って、立ち去る。玉三郎は、最初お染に扮して出、上手に引っ込むとすぐ久松に替わる。お染は言うまでも無い持ち役、舞台に出るだけで観客からため息。さらに久松が下手に去ると、また上手からお染に戻って出てくる、といった具合で、この後さらに、小糸、竹川にと目まぐるしく替わる。この幕が最も多くの五役を替わり、早い時はものの十数秒しかかかっていない。しかも、小糸、竹川など全く別人と思える役作りである。とくに竹川は声も変えている。また今回はここにお光も登場する。
お染→久松→お染→小糸→お光→竹川→お染
序幕 橋本座敷の場
ここでも次の四役を替わるが、お染と小糸は違った色気を見せている。また竹川は武家勤めの威厳・品格がある。
小糸→久松→小糸→お染→竹川
序幕 小梅莨屋の場 と
次の二幕目 瓦町油屋の場 は早替わりは無く、土手のお六の伝法振り、悪婆振りをじっくり見せるところである。とくに油屋の場は、最初は神妙だが、強請の正体を現してからは、痛快で胸のすくような啖呵が耳に快い。切れ味の良い演技に酔う。そして強請がばれてからの居直りと退散するまでの可笑し味は、他の役では味わえない玉三郎の喜劇的面をも観ることが出来る。
二幕目 同座敷の場
屏風を巧みに用いながら、お染、久松、貞昌と替わる。久松の子を宿しているお染を気遣いながらも、亡き主人の遺言だと諭す貞昌の愛情がしっとりとしていて、心に沁みるところ。
お染→久松→お染→久松→貞昌→お染→久松
二幕目 裏手土蔵の場
刀を盗み出してきた喜兵衛と斬りあって倒し、探していた刀を取り戻した久松は、お染の後を追う。全体として、今回の玉三郎の久松は武家の出という育ちの良さ、強さをしっかりっと見せた出色のもの。このような久松の造形ははじめてだし、立役がこれほどいいものだとは不覚にも今まで気付かなかった。
大詰 向島道行の場 浄瑠璃「心中翌の噂」
常磐津の名調子に乗っての所作立て。久松を思うあまり狂ったお光の狂乱が、美しい踊りで哀しく描かれる。お光に絡む船頭(松緑)と女猿回し(亀治郎)の爽やかな踊りの間もじっとあらぬ方を見ているお光の風情は、何とも言えぬ美しさで、玉三郎ならではの絵になるところである。お光が去った後、早替りの最大の見せ場は糸立て(ござ)を使って上手から出たお染が、来合わせた久松と出会い頭に瞬時に入れ替わるところである。この早替りは、いつ観ても鮮やかでケレンを堪能する。最後はお六に替わって、二人を助けて立ち回り。大和屋のかさをうまく使って、殺陣の様式美を見せて、本日はこれぎり〜で幕。
久松→お染→久松→お光→お染→久松→お染→久松→お六
結局、全部で30近い早替りがあったが、一つとして同じ役は無く、完全に七役を描き分けていたのは、恐るべきことである。約二時間半の長丁場を出ずっぱりで、七役を演じ分けるのは、並大抵ではない集中力と体力が要る事であったろう。我々としては、これほど完成度が高い舞台を観てしまうと、他は見られず、何度でも観たくなるのが人情だが、それは酷な注文かもしれない。今回の舞台を観ることが出来ただけで十分満足しなければいけないのだろう。これを同時代に生きる喜びと言わずして何と言おう。
成田屋市川團十郎の鬼門の喜兵衛の好演にも触れなくては、片手落ちというものであろう。その特色あるギョロ目を生かしたニラミは、さすがと思わせる悪の味。しかし、どこかひょうけていて、憎めない。強請のネタがバレそうになった時の目の動きなどとてもユーモラスであった。
その他の助演陣もしっかりと脇を固めていた。
『お染の七役』の前にもう一本、『金閣寺 祇園祭礼信仰記』
これも京屋中村雀右衛門のこってりとした女形の藝を味わえた。最近の舞台では、さすがの雀右衛門も老いの影をふっと感じる時があるが、今回の雪姫は見違えるほどの若さと美しさで、39年前の襲名披露時の舞台を髣髴させた。降りしきる雪の中の雪姫は、絵のような美しさ。これが80歳を過ぎた人とは到底思えなかった。藝の力とは恐ろしいものだとあらためて感じた。
(『於染久松色読販 新版お染の七役』のみ千穐楽に再見につき若干の補足)
とくに上に書いたことを修正する点は見当たらなかった。ただ、やはり玉三郎の役の理解が日を追う毎に深まっているのか、今日の再見では土手のお六の切れ味がより鋭くかつ凄味を増していたのが一番目に付いた。また、お光の哀れさがより心に沁みたこと、および久松の品の良さ・大きさが印象的であった。
千穐楽のためであろうか、「本日はこれぎり〜」の後に、玉三郎が搦みの船頭の人たちを労うように紹介し(ちょうどオーケストラの指揮者が、楽員を賞め称えるように)、彼らもそれに応えてとんぼを切った後やまと屋の傘を回しながら、玉三郎を讃えていたのは気持ちが良い幕切れだった。これでカーテンコールがあれば、なおのこと良かったのだが…。 |
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平成15年10月18日:『競伊勢物語』−国立劇場十月歌舞伎公演観劇記 |
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猿之助一門が十月の国立劇場でこの狂言を出すと聞いた時、はて?と思ったのである。浅学菲才の身、迂闊にもこの狂言については、かって一度も観たことも聞いたこともなかったからである。これは復活通し狂言と言っても一旦埋もれてしまったものなら、あまり期待はできないとは思ったが、数年前の『四天王楓江戸粧』のような掘り出し物もある。常々本来の歌舞伎上演は、見取りではなく通しであるべきだ、と主張(?)している以上、半ば義務としてでも観るべきだと考えてチケットを押さえた。だから、大変申訳ないことながら、今回の江戸三座の賑わいを思わせる十月の三つの通し狂言のなかでは、一番期待度が低かったのである。
ところが実際に観劇してみて、自分の不明を恥じることになった。期待をはるかに上回る出来だったからである。さすがに自ら創造者でありたいと主張する猿之助である。いつもの猿之助歌舞伎の魅力(一般に3S−speed、story、spectacleと言われる)を随所にちりばめた素晴らしい通し狂言になっていたのである。例によって、全三幕十一場、上演時間4時間半になんなんとする長丁場であるが、スピーディーな展開は観る者を飽きさせないだけでなく十分に楽しめ、また泣かせた舞台であった。
原作は、奈河亀輔が安永四年(1765年)に書いた人形浄瑠璃であったようだ。主人公の在原業平で有名な『伊勢物語』を題材に、惟喬親王と惟仁親王の帝位争いを主題にした狂言だが、通しとして上演されるのは実に121年振りであるという。しかし、今回の上演でも目玉となる第二幕の「春日村」の場は昭和40年に歌右衛門、勘弥、寿海で上演されたと資料にある。その頃は、小生はまだ学生時代ではあったが、かなり多くの舞台を観ており、戦後の歌舞伎の興隆を担った名優たちを真近にしていたように記憶している。だが、この狂言の記憶は全くないところから、見落していたいたことには間違いない。そういう意味では、今回大変珍しい舞台に接することが出来たことは、有難いことであった。
しかし、さすがに渡辺保氏、いつもレファレンスとして大変お世話になっている『新版歌舞伎手帖』を参照してみたら、ちゃんと載っていた!やはりこの狂言を実際に読んでおられていて、そのうえで今回も劇評を書かれている。期待は半ば満たされ、半ば失望した、とある。しかしながら、それはあくまで実際に奈河亀輔が書いたものの完全な復活という点では、おっしゃる通りかもしれないが、今回の上演は猿之助の意向を受けたうえでの石川耕士氏の書き替え−古典の再構築に眼目がある以上、これは一つの独立した狂言として評価すべきと考えるが、いかがなものであろうか?そういう意味では、現代の興行の時間的な制約のなかではあるものの、非常にかっちりとよくまとまった舞台ではなかったかと思うのである。
序幕 全五幕に分かれ、帝位を争う惟喬親王と惟仁親王が角力の勝負により、次の帝を決しようとするくだりで、その勝負の行司を勤める当代一の色好み在原業平と彼をめぐる二人の姫の恋の鞘当てと悪の紀名虎の亡霊の復活と跳梁が描かれる。「骨寄せ」(『加賀見山再岩藤』と同じものが、ここにも出て来る。まさか同じ月に二つも「骨寄せ」があるとは!)、角力の場、内裏の炎上、屋台崩し、そして紀名虎の宙乗りと次から次へとケレンの見せ場の連続である。とくに角力の場は、今にも残る歌舞伎と相撲の親近性をうかがわせるものであった。
第一場 加茂社鳥居の場 牛車の逢瀬など菅原伝授の加茂の場のもじりのようだが、笑三郎の井筒姫と笑野の生駒姫が、それぞれの持味を出した美しさで門之助の業平ともども絵になる場である。
第二場 小野山中の場 土手に散乱した骨が次第に寄り集まってきて、紀名虎(猿之助)に蘇えるという「骨寄せ」が見所。
第三場 大内裏角力土俵の場 第四場 染殿の場 角力の勝負の引き分けに納得できない惟喬親王は、自らの角力で勝負を決しようとし、他方惟仁親王側は困惑する。そこへ孔雀三郎(右近)が現われて、惟仁親王側に付いて紀名虎の亡霊と対決し、勝利をおさめるまで。三郎の力士振りが、現役の力士の模写もあって楽しい。
第五場 内裏炎上の場 惟喬親王の命により内裏に火が放たれ、炎上する。一瞬のうちに内裏が火に包まれて炎上、さらに屋台崩しとなる舞台装置が見もの。
第二幕 第一場 大内の場 ここではじめて名虎の弟紀有常(猿之助の二役)が登場し、業平とともに逃げた娘井筒姫の入内がかなわないのであれば、代わりにその首を差し出すように惟喬親王に迫られる。困惑する紀有常。第二場以降の伏線となっている。
第二場 奈良街道の場 第三場 同玉水渕の場 豆四郎(門之助二役)・信夫(笑三郎二役)夫婦は、春日村の家に父阿保親王の子である業平と井筒姫を匿っている。何とか業平の役に立とうとする豆四郎の気持ちを察した信夫は、道連れになった鐃八(猿四郎)が禁断の渕からすくいあげた神鏡を奪って逃げる。幕が開いて茶店に座っている信夫役の笑三郎を観て驚いた。とてもすっきりと初々しく、可愛い若女房振りなのである。この驚きは次の第四場春日村に続いて行く。
第四場 春日村小よし住家の場 夫婦の帰りが遅いのを心配している信夫の母小よしのもとへ、有常が現われる。昔の隣人であった。小よしは茶をふるまう。夫婦が別々に戻り、信夫は夫に神鏡を見せる。喜ぶ豆四郎。しかし、鐃八が追ってくる。信夫は禁断の地に入ったことにより、老母に迷惑がかかることを恐れて、わざと冷たく当たって勘当を迫る。心では母にすまないと思いながら、拗ねたように母を打つ信夫。笑三郎の仕草がよく心のうちをあらわしている。
有常が信夫は自分の実の娘だから返せと迫る。そうすれば母にも迷惑がかからないと説き、信夫は受け入れる。舞台は回って、奥座敷で有常が信夫の髪を梳く。ここは有常の複雑な胸中を髪梳きに託す猿之助の抑えた演技と、まだ父の本当の気持ちを知らず、実の父に会えた喜びを体全身で表す笑三郎が光る。心洗われる名場面だ。豆四郎が覚悟の支度で入ってきて、自分の首を取って井筒姫の身代わりにするという父の本心を知って、信夫は覚悟を決める。それとは知らない老母小よしとの最後の別れに信夫は筝曲「妹背川」を弾き語りする。小よしはそれにあわせ砧をうつ。まさに悲劇的かつ哀切な場面。笑三郎の弾き語りに思わず目頭が熱くなる。声もよく心に沁みる。二人の首を討った有常の心情はいかばかりか!また小よしの悲しみ!猿之助の思いいれたっぷりの演技にも引き込まれる。東蔵の小よしも哀れ。二人の首に哀悼の意をささげる業平と井筒姫。二人の早替りも見事である。
大詰 行平下館の場 ここは業平の兄行平と宝剣の話が主である。出て来る人物がみな一筋縄ではいかない者ばかりで、「何の誰がし実は○○、さらにその正体は」というようにめまぐるしく展開する。歌舞伎の登場人物の常道だが面白い。追い詰められた紀名虎の子伴良雄が大立ち回りを、蘭平物狂い風に見せる。右近が相変わらず切れの良い動きで快い。もう一度屋台崩しまであるサービス振り。しかも大骸骨まで登場するので、ここは一見の価値あり。最後は大団円でめでたし、めでたし。
今回も一門の若手の活躍で見応えのある舞台となった。師匠猿之助の登場場面が少なくなっても舞台が持つようになったのは、大きな進歩である。そして、このような埋もれた古典の復活・書き替えでも十分にその味を出せるようにもなってきた。猿之助の厳しい指導が実を結んできたと言えよう。今後もこの路線を是非とも継続してもらいたいものである。 |
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平成15年10月10日:『加賀見山再岩藤』−平成中村座昼の部観劇記 |
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この狂言は、『加賀見山(または鏡山)旧錦絵』の後日譚として、かの河竹黙阿弥が万延元年(1860年)に書いたもので、中老尾上を自害に追い込んだお局岩藤が尾上の召使のお初に討たれたが、再び亡霊となって現われ、いろいろ祟りをなすというのが筋である。だが本筋はお家騒動で、そのあたりが最近の舞台ではいささか分かりにくかった。今回は久し振りの通し上演、しかもコクーン歌舞伎でも一緒に組んだ串田和美の演出というから、期待度一杯である。
さらに、江戸開府400年、歌舞伎発祥400年の記念すべき今年、由縁の浅草寺境内に仮設された劇場平成中村座で、盟主の勘九郎がこの通し狂言を取り上げたことは、大変意味深いものがある。というのも、父勘三郎が昭和42年に復活上演を行ったものだからである。その後は猿之助が独自の舞台を作っているが、やはり勘三郎の上演が忘れ難いものだったから、勘九郎がどう料理してくれるかが見ものだった。
ところで、観劇記に入る前に、どうしてもこの仮設劇場の事に触れたくなる。現代の劇場と異なり、これは十分江戸の芝居小屋の雰囲気を漂わせた素晴らしい小屋である。まず、開場前の小屋前での呼び込み。木戸では無いが狭い入口を入ると、驚いたことに靴を脱がなければ劇場内に入れないようになっている。昔の芝居小屋ではこれが当たり前なのかもしれないが、非常に新鮮だった。まだ行ったことは無いが、四国の金丸座もそうだったように思う。
観客席に一歩足を踏み入れると、コの字型の場内は、序幕の関係か照明を落としており、暗い。これも現代のような照明は無かった筈から、暗くて当然か?一階観客席の前方は平土間席。さすがに観客のことを考えてか簡素な座椅子付きだった。後方はベンチのような小さな木の椅子。椅子と椅子との間は意外とゆったりとしていて使いやすい。平土間席の目線に合わせているためか、舞台・花道とも通常より低く作られているようだ。だから、いずれも観客席から近く感じられ、役者が目の前で演じているように錯覚するほどだ。
天井には大きな中村座の提灯。演出上序幕は既に舞台を開けてあったから分からなかったが、後で幕が閉まってみると、定式幕も馴染みの萌黄、柿、黒の三色ではなく、白、柿、黒で中村座のものを復活したものだという。しかし、一番嬉しかったのは、幕を閉めると、幕内となる席があったことだ。筋書きの説明によると、二階の先頭部分に「桜席」なるものを設けていて、江戸時代にあったものを復活したという。たしかに江戸時代の芝居絵などを見ると、舞台の横や後方の幕の内に観客が入っているところがあった。一階を「羅漢台」、二階を「吉野」と呼んだらしい。珍しい幕の内を良く見ることの出来る格好の席で、この席を取れば良かった、と少しばかり後悔した。そして、開演のベルなど鳴らず、呼び込みさんや案内係り(?)が「間もなく開演です」と触れて回るだけ。
さて、前置きが長くなりすぎた。肝心の舞台である。
序幕 既に触れた通り、序幕の舞台ははじめから開いていて、真っ暗な中に動物や人骨が散乱している。そして、木魚の音と読経の声がしている。いつはじまったと気が付かないうちに、百姓夫婦が客席横の扉から現われ、その会話からここが八丁畷の馬捨場と分かる。またそこに1年前死んだお局岩藤の骨も投げられているという。八丁畷と言えば本来は土手なのだろうが、仮設劇場の制約からそれを逆手に取ったこういうやり方も悪くは無い。
花道から福助扮する二代目中老尾上(お初)が端女姿で登場、主人と岩藤の菩提を弔うために来たのである。読経の最中妖しい煙が現われ、尾上が倒れると散乱していた骨に青い照明があたり、「骨寄せ」がはじまる。この狂言の第一の見所だ。次第次第に集まってきた骨はやがて人骨の形となり、せりあがってきた岩藤の姿に変わる。勘九郎扮する亡霊岩藤の姿は、顔の作り・衣装などともに怖さ十分!
一転して、華やかな花見の場。ここは通常「ふわふわ」と言って、岩藤の宙乗りの場面。勘三郎は、あたかもサーカスの綱渡りのように上手から下手へ、春爛漫と咲き誇る桜をゆっくりと愛でるようにして宙乗りを見せたのは、何とも言えず良いものだった。今回は勘九郎がこの宙乗りをどう見せるかに期待したのだが、仮設という制約か宙乗りは無かったのは画竜点睛を欠くようで返す返すも残念至極。ふわふわを遠見で子役で見せておいて、勘九郎はスッポンから出て、日傘片手の御殿女中風の作りはいとも艶やか。「ハテ風情ある眺じゃなぁ」と蝶と戯れながら、ゆっくりと花見遊山風で花道を引っ込む姿は、これぞ千両役者!「中村屋!」と声を掛けたくなる気分だった。実際には大向こうのような声は、とてもじゃないが恥ずかしくて掛けられなかったが…。
第二幕 またもや多賀家のお家騒動。愛妾お柳の方(福助の二役)と望月弾正(勘九郎)がお家に仇なす悪人である。忠臣花房求女(扇雀)は、主君多賀大領を諫めんとするが、聞き入れられず、そこにお家の重宝金鶏の香炉を紛失した責任を問われ、逆にお家追放の憂き目に会う。また亡霊岩藤が現われ、望月弾正のついて一緒にお家を滅ぼそうと勧める。勘九郎は、奥方梅の方と望月弾正、そして岩藤と目まぐるしい三役の早替りを見せる。
求女を引き取って世話をしている下僕鳥井又助は、何とか主人の帰参が叶うよう、忠臣安田帯刀にとりなしを頼むつもりで多賀家の下館にやってきたが、弾正一味に騙されて、お柳の方実はお梅の方を殺すよう唆される。何も知らない又助は求女の刀で舟遊び中のお梅の方を誤って殺してしまう。本水に浮かぶ屋形船、実は舞台上ではミニチュア、これに水中から浮かんだ又助が殺人を犯す場面は陰惨な場面だが、対照の妙か、何となくユーモラスである。勘九郎が水中を実際に泳いで逃げるところは、本水の中だから迫力十分。ずぶ濡れになりながらの演技。
第三幕 上使として尾上のところへやってきた弾正は、いつの間にか岩藤に替わっている。岩藤は尾上を責め、散々に草履打ちをする。ここは完全に先行作の『鏡山』のパロディで面白いところである。このあたり、勘九郎の岩藤はいかにも憎憎しげで見事。しかも弾正との二度の早替りも鮮やかである。福助も品格ある尾上を見せている。最後は再び尾上の手に、失われた弥陀の尊像が戻り、その霊力で岩藤を退散させて、またいつの間にか弾正の姿が現われて幕。
第四幕 鳥井又助内。唯一の世話場。求女は病篤く、又助の妹おつゆに懇ろに看病されているが、はかばかしくない。おつゆは自分自身を廓に売れば百両になり、その金で高値の高麗人参が買えれば、いとしい求女を救えると又助に決心を打ち明ける。喜んだ又助は、二人に固めの盃事をさせる。そこへ安田帯刀が訪ねてきて、お柳の方ではなく、奥方お梅の方を誤って殺していること、また証拠の刀の鞘を所持していることを告げる。暗に責めを負って自害することを又助に勧めて一旦引っ込む。主人の求女からも難詰された又助は、進退窮まって弾正から放たれた刺客を倒した後、切腹する。このあたりは、お馴染み忠臣蔵六段目の勘平切腹の場とよく似た設定である。ただ、より涙を誘うのは、又助の幼い盲目の弟志賀市が習い覚えた筝曲『妹背川』を、兄に聞かせたいと唄いながら弾くところである。志賀市は勘三郎が復活初演した時は、12歳の勘九郎が演じたというほどの難役だ。凄い子役がいるものだ、と感心して筋書きをあらためて見たら、先般の『野田版 鼠小僧』でさん太を好演した清水大希君だった。
ここでも勘九郎の又助は、主人思いの、また妹弟思いの純な人間であることを体全体で表現していて、感動を誘う。とくに腹に刃を突き立ててからの押さえた演技が見所である。今回は他に岩藤、弾正、そして梅の方と、実に対照的な四役を演じ分けていて、その芸域の広さにはつくづく感心する。七之助のおつゆは、けなげな娘、弥十郎はニンにあった役とは言え、情理を兼ね備えた忠臣振り。扇雀の求女は為所少なく、いささか気の毒な役回り。
大詰 お家乗っ取りの悪事が露見して、お柳の方が斬られた後、弾正は捕手と大立ち回り。ここでも弾正のみならず捕手までも本水に浸かっての濡れ鼠となりながらの多彩な立ち回りは、飽きさせない。勘九郎が悪の凄みを見せながら、超人的な活躍。しかし、さしもの弾正も討手の倒されて(その場面は見せないが)、多賀家は安泰、万事めでたしめでたし、で幕が降りるはずなのだが、意外や意外岩藤の亡霊はしぶとく残っていた。最後に舞台の後方が全面に開いて、そこから小型クレーンに乗った岩藤が登場!平土間の観客の上を上下左右に浮遊して、亡霊の怖さを見せつける。序幕で「ふわふわ」が無かったのを、この手法で取り戻していたのだ。コクーン歌舞伎でも後方を開いたから、この手法はある程度は予想できたが、まさかここで宙乗りに替わるものを見せてくれるとは思わなかった。あっと驚く見事な幕切れである。
喜んだ観客の拍手大喝采に応えて、カーテンコール。再度クレーンで浮遊する勘九郎から投げキッスまであり、ファンは大喜びだが、亡霊の投げキッスはいささかどうか?と思わないではなかったが…。まあ野暮なことは言わず、盛大な拍手は送ったつもりである。
江戸歌舞伎の懐かしい雰囲気一杯の平成中村座の復活通し狂言は、やはり期待通り、いやそれ以上の出来だったと思う。是非毎年このような熱く、楽しい舞台を続けて行って欲しいものである。歌舞伎のさらなる発展のために。 |
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平成15年8月22日:『怪談牡丹燈籠』-八月納涼歌舞伎第二部観劇記 |
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有名な三遊亭円朝の『怪談牡丹燈籠』をもとに、大西信行が文学座のために書き下ろした作品だが、もうすっかり歌舞伎の狂言の一つとして定着したと言っていい(演出:戌井市郎)。怪談噺なのだが、世話物の味がある。
だから、勘九郎扮する円朝が登場して(最初は実は意外なところから)、高座から噺をするというのは、語り手としての役目も担っているから、なかなか心憎い演出である。勘九郎はさすがというか、堂に入ったうまい語りを聞かせる。
第1幕は、浪人萩原新三郎(七之助)に恋焦がれて死んだお露(勘太郎)が、乳母のお米(吉之丞)とともに牡丹燈籠を手に新三郎宅に現われて何とか思いを遂げたいと迫る。カランコロンと高下駄の音が鳴るという有名な場面である。吉之丞のお米が、もうこの人しかいないと思わせるほどの、舞台にいるだけでコワ〜イ存在感がある。
それを受け入れた新三郎に死相が表れたので、魔除けのお札を家内に貼ったため、お露は近寄れなくなる。新三郎の家のことを手伝って糊口をしのいでいる伴蔵・お峰の夫婦は、お札を剥がしてほしいと幽霊に頼まれるが、自分たちの暮らしが立つように百両用意してくれれば、願い通りすると約束する。約束通りの金を手にした伴蔵が、高窓のお札を剥がすと、牡丹燈籠がそこへ吸い込まれるように飛び込み、お露を抱き締めた新三郎は首を絞められて息絶える。
脇の筋として、お露の父が妾のお国とその愛人の源次郎に殺されるという場面があり、これは第2幕の伏線になっている。
3組の男女の異なった愛と欲を描いた幕で、これだけでも十分見応えがある。しかし、百両をもらうことを思いついたり、源次郎に夫殺しを持ちかけたり、常に女がリードしている!うわー、女はコワ〜イものだ!
観る前は七之助と勘太郎は、いわゆるニンが逆ではないか?と思っていたが、どうしてどうして勘太郎は、新三郎を一途に思う可愛いお露で、若手女形としても十分存在感のある役作りであった。三津五郎、福助の二人は、幽霊に怯えながらも欲に目覚める貧乏夫婦をうまく演じていた。
しかし、この幕のもう一つの主役は何と言っても「牡丹燈籠」で、幽霊を象徴して舞台のあちらこちらを自在に飛び回る。暗転時には突然観客席まで現れ、観客を驚かせていた。真夏の怪談らしい趣向である。
後半第2部、ところは野州栗橋。今は百両を元手に関口屋という立派な荒物屋の主人におさまっている伴蔵・お峰夫婦の変貌振りとその夫婦関係に次第に溝ができて行くさまを、落剥した源次郎・お国の運命と対比して描いて行く。
全体としてはよくできた世話物で、お国に浮気している伴蔵と、それに悋気したお峰との間のやりとりが夫婦の間の心の機微を巧みに見せて、現代に通じる普遍性がある。妻というのは、か弱い立場なのだろうが、夫の全てを知り独占しようとする女の業がよく出ていて、福助は出色の演技。しかしながら、女性には悪いが、男性の立場からすると少しやりきれないなー、というのが正直なところではある(苦笑)。
源次郎・お国は蛍の群れが飛び交うなか、相対死のようにして死んで行く。一方、伴蔵は、自分に妙な嫌疑がかかるのを恐れ、隠していた金無垢の如来像を掘り出すとともに、お峰を騙して殺し、土手下の川に突き落としてしまう。このあたりは、本水の雨が雷鳴とともに降るなか、凄惨な殺しの場面で、歌舞伎の様式的な殺陣が見応え十分。逃げようとするも、伴蔵は川の中からお峰の手に引っ張られて自らも川の中に姿を消す。後はここでも蛍が絡み合いながら、飛び交うのみ。なかなか余韻ある幕切れである。
余談ながら、お峰が伴蔵の行状を聞き出そうとして、馬子の久蔵(勘九郎の二役)に酒を勧めて会話するところがある。ここはどうも殆どアドリブらしく、全く打ち合わせもしてないようだ。この日も福助がタイガースファンで、楽屋の暖簾も縦縞だと勘九郎がばらしていたが、こういう楽屋落ちも歌舞伎の楽しさの一つである。
もう一本は、勘太郎、七之助の踊り『団子売』。団子売りの夫婦を写した珍しい竹本の踊りである。勘太郎がいかにも初々しい女房振りで、七之助もすっきりとした二枚目、二人とも絵になる。前半の餅つきと後半のお多福・ひょっとこのコミカルな踊りを対照的に踊り分けていた。若手ながら達者な踊りを堪能した。 |
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平成15年8月11日(初日):『野田版 鼠小僧』−八月納涼歌舞伎第三部観劇記 |
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一昨年『野田版 研辰の討たれ』で大評判を取った野田秀樹と中村勘九郎の組み合わせによる「野田歌舞伎」が、『鼠小僧』で歌舞伎座に帰ってきた。前売りも好調でほぼ完売。一時は観劇を諦めていたが、初日のしかも「とちり」の席を譲ってもらうという幸運に恵まれた。ありがとうございました。
さて、鼠小僧と言えば、義賊としてあまりにも有名だが、歌舞伎ではかの河竹黙阿弥が『鼠小紋春着雛形』を書いたというが、近年の上演は無いはずだから、当然未見。しかし、テレビなどで義賊のイメージが定着している鼠小僧を野田秀樹がどう料理してくれるかが、もっとも興味があった。
幕が開くと、いきなり花道から捕手に追われて鼠小僧が登場、本舞台でお馴染みの屋根上でかっこよく決めるが、これが実は劇中劇。観客がぞろぞろ芝居小屋から出てきて、正月早々の芝居小屋前の長屋となる。中村勘九郎は実は小屋前に住んでいる棺桶屋三太。今日も誰か早く死なないかと行き交う人に言って、周りに嫌がられている。そこへ橋之助扮する與吉が現われるが、彼は町中評判の人格者。今日も自分が買い求めたお守りを配っている。そこへ嫁入りと葬送の両方が混じった不思議な行列がやって来るが、実はこれ三太の兄勢左衛門が死んだので、嫁入りする娘のおしなの行列とともに、棺桶をただで作ってもらうためにやってきたのである。最初はただなんてと渋るケチな三太だが、兄の遺言状があると聞き、急に態度を変える。関係者が揃って遺言状を開けたら、これが縁もゆかりも無い與吉に全財産を譲るという内容。みな驚愕するが、それからが與吉に馴れ馴れしくして何とかそのお零れに預かろうとするところが面白い。とくに七之助扮するおしなが言い寄って何とか自分に気を惹こうとあの手この手を使うのだが、もうとにかく観ているものが笑い転げるほど素晴らしい動きを見せる。最後は海老反りまでぴちっと決めて、大拍手。この演技は特筆もの。結局、與吉に逃げられ、三太は兄の屋敷に行って財産を独り占めにしようとする。
舞台は廻って大名屋敷の土蔵の前。棺桶の中に入って兄の屋敷に行こうとした三太だったが、籠屋が取り違えて運び、おしなが嫁ぐ大名屋敷へ来てしまった。それに気が付いた三太は土蔵の中に千両箱を盗み出そうとして、番人に見付かってしまい、自分は鼠小僧だと名乗る。番人は本当だと思い、自分の孫に恵んでくれと迫るうちに揉み合いとなり、番人が気絶する間に三太は千両箱を持って逃亡する。しかし、兄をはじめとする亡霊たちが現われ、三太は恐ろしさのあまり、千両箱を屋根にばらまいてしまう。三太は金を取り返そうと鼠小僧となることを決意する。ここらあたり、獅童扮する兄の亡霊がメーキャップも愉快で、夏らしく怪談風で楽しませる。
舞台はまた廻って前の長屋。その年の暮れ。人々が鼠小僧は盗みをしても少しも施しがないと言い合っているところへ、勘九郎扮する大岡忠相が登場するが、何か変である。実はこれは三太が変装しているのである。いかにもだらしの無い大岡で、このあたりの勘九郎はうまいと思う。この後、例の番人の孫(同名の「さん太」)が出てきて、三太は金を恵もうかどうか悩む。そこへ夫の死後も七年間も操を立てている後家のお高(福助)と兄の妻だったがすぐ再婚したおらん(扇雀)が上手と花道から登場、いわば女同士の鞘当の火花を散らす。三太はこのお高の家に二度も盗みに入っているのだが、医者に化けて(また早替り)聞き出したところ、今夜は留守だという。三太はまた盗みに出かけて行く。
第四場は大岡忠相の妾宅。三太が盗みに入っているところへ、與吉がやって来るが、実はお高と夫婦同然の仲で、しかもあのさん太は二人の子供だという。この間に三太は女中に化ける。勘九郎のいかにも男が化けたという形の女中が楽しい。そこへ大岡忠相(三津五郎)が現れる。お高はまことは忠相の妾。忠相はお高を相手に鼠小僧のおかげで自分の人気が無くなった事を託つ。お高は後ろの納戸に與吉を隠しているから、気で気ではない。そこへ今度は忠相の妻りよ(孝太郎)までが現れる。さあ、それからは五人が入り乱れてのドタバタ。このあたり、福助が意外と言うか、コミカルな演技がとても合っていて、客席を沸かせていた。追い詰められたお高は忠相は鼠小僧を捕まえるために来たのであり、この女中がそうだと言う。目明しの清吉(勘太郎)が岡っ引を連れて駆けつけてきたので、三太は慌てて逃げ出す。途中、またさん太に出くわす。今度は小判をやろうとしたが、「鼠小僧は空から小判を降らす」と言って受取らない。そこで三太は屋根に登るが、清吉に捕まってしまう。
第5場はお白州の場。ここは鼠小僧のお裁きを見ようとして大勢の見物人が集まるが、意表をついて屋敷の屋根からも大勢が見ているという設定が面白い。あたかも大衆裁判劇のような形だ。おらん、おしな、そしてちょこっと兄の亡霊まで出てくる。したがって、三太も含めすべて観客の方を向いて裁きは進行する。お白州には與吉とお高も控える。忠相は三太に奉行の立場を立てれば命は助けるとほのめかす。一旦はそれに従おうとした三太だったが、あまりにも忠相や與吉のやり方が汚いので、ついに全てを白日の下に曝け出してしまう。三津五郎の裏と表を使い分けた忠相が秀逸。また見物人からは風船は飛ぶは、タイガーズグッズが投げ込まれるは、でお白州なのか、芝居小屋なのか、球場なのか分からなくなる。孤立する三太は忠相に殺害を命じられた清吉に斬られて、屋根にあがり事切れる。最後にまた現われたさん太に黄金色の雪が降りしきるなか、幕が下りる。本当に三太を理解していたのはこのさん太だけだったかもしれず、大人の汚さと対照的な子供の純真さを浮き彫りにした幕切れだったように思う。
少しくだくだしく粗筋を追ってみたが、それは新作で筋に馴染みが無いことと、結構複雑な内容を持っていたからに他ならない。普通の歌舞伎のジャンルには当てはまらない作品だろう。やはりこれは、野田版歌舞伎と言っていい。伝統的な歌舞伎の狂言から見たら、これは歌舞伎ではない、との批判があるかもしれない。しかし、江戸歌舞伎の時代には、たとえ約束事があったにせよ、原則はすべて新作の上演であったのである。今の歌舞伎が、限られたレパートリーをしかも見取り狂言で繰り返し上演する形態は、興行上の制約があるにせよ、将来を考えた時には先細りの危険性を内蔵する。新しい時代に生き残ってゆくためには、是非とも新しい血ー新作の上演が必要とされる。そういうなかでの野田秀樹のこの新作は大歓迎である。世話物の要素もたっぷり織り込んだこの本は、新しい歌舞伎を作り上げてゆくための一つのメルクマールになるであろう。さらに、今の危機感を抱いている勘九郎の挑戦は、平成中村座といい、野田秀樹とコンビを組んでのこの上演といい、声を大にして賞賛したい。
勘九郎本人の大奮闘はいつものとおり。ただまだ初日の観劇だったから、今一つ余裕が無かったように見えたが、日を追うごとに手の内に入ってくるであろう。長男勘太郎も舞台狭しと駆け回る大活躍。しかし、今回の発見は上に書いたとおりの七之助の見事な女形ぶり。お祖父さまの芝翫さんの血を色濃く引いて先行き楽しみな若手と注目していたが、立派な女形に成長した。白無垢姿の匂い立つような美しさも目をひきつける。
特筆したいのは、主役から端役まで一体となって、チームワーク良く舞台を作り上げていたことである。歌舞伎には珍しい集団劇と言ってもよいだろう。あたかも上質なアンサンブルオペラを観た気分だった。簡素ながらすっきりとした装置は、歌舞伎座の回り舞台を十分に活用した場面転換とあわせ、観るものを飽きさせなかった。
もう一本は『神楽諷雲井曲毬ーどんつく』
これはオールスター総出の楽しい常磐津の踊り。「太神楽」の大道芸の一行に芸者、大工、白酒売などがうち揃って、「どんつく、どんつく、どんつく、どんつく、どどんがどん」とテンポを早めて踊るところは、観ているものまで踊りだしたくなる楽しさである。 |
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平成15年7月26日(千穐楽):通し狂言『四谷怪談忠臣蔵』−七月大歌舞伎夜の部観劇記 |
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通し狂言三幕十六場。『仮名鑑双繪草紙』という副題がある。
市川猿之助は近著『スーパー歌舞伎』(集英社新書)で、自己の演劇活動を総括して次のように言っている。少し長いが引用してみる。
「歌舞伎歴代の名優たちも、大別すると、“創造者”と“表現者”とに分かれるであろう。(中略)
しかし、残念なことに“表現者”というものは、その人が死に、その芸を観た人が死んでしまうと、その素晴らしさがどんなものであったか分からなくなってしまう。一方、“創造者”の場合は創造された作品が残るので、その素晴らしさがいつまでも消えることがない。“表現者”として生きるのも立派な生き方であろうが、私は後世に自分の作品が残る“創造者”でありたいと思って、“創造”を演劇活動の柱としてやってきた。」
そこから、“創造”=新作の創造、“再創造”=復活通し狂言、“新演出”=古典の新演出が、猿之助歌舞伎の三本柱と言われているのだろう。
そういう意味では、今月の恒例七月歌舞伎座公演ーいわゆる猿之助奮闘公演も“再創造”=復活通し狂言の範疇に入るのであろうか。
しかし、実態はもう少し複雑で、『東海道四谷怪談』と『仮名手本忠臣蔵』の綯い交ぜであろう。しかも、もう一つ小生未見の狂言『菊宴月白浪』(猿之助に上演の記録がある)という忠臣蔵外伝も取り入れられているとのこと。
もともと『東海道四谷怪談』自体が『仮名手本忠臣蔵』の外伝として、2日がかりで交互に上演されたというから、綯い交ぜするのもストーリー的には無理はない。
(ただし、少し苦言を呈すれば、渡辺保氏も言っておられたが、この外題はいささか芸がない。もう少し洒落たものにはならなかったものか。副題でも良かったが、これでは興行政策上待ったがかかったのかもしれない)。
ただ、何しろ先行作品が膨大なものであるから、有名な場面を大幅に削って工夫したであろうが、それでも発端を含めて全十六場、上演時間4時間余の大作である。今の興行形態から言ってもぎりぎりのところであろう。
勿論、幕外の花道の多用、回り舞台の活用などで工夫されていて、場面転換もスムーズで観るものを飽きさせない。
発端
新田義貞の霊が現れ、盗賊暁星五郎が我が落し胤新田鬼龍丸であり、自分は高師直に乗り移り、父子で足利家に祟ると言う。その後忠臣蔵のもじりで斧定九郎が現れ、狂言のはじまりの口上を述べる。
序幕
前半は松の間から扇ヶ谷塩谷館の場が、刃傷から由良之助が家臣とともに仇討ちを決意するまで。師直の判官に対するいじめは時間の関係でかなり削られているから、判官が刃傷にいたるまでの心の動きが今一つ伝わってこない憾みがある。歌六、門之助ともに大きく、とくに歌六はいつもながら口跡なめらかで、古典の味わい十分である。
一方、それに反攻した民谷伊右衛門(段治郎)は、塩谷家の御用金を盗み、中間直助権兵衛に手伝わせて江戸へ向かう(同塀外)。ここでやっと猿之助扮する直助権兵衛が登場し、客席が沸く。
後半は浅草観世音額堂の場から浅草宅悦住居の場・同裏田圃の場を経て、民谷伊右衛門浪宅の場までが『東海道四谷怪談』の話になる。
非常に入り組んだ筋を一気に見せるので、四谷怪談のハイライトとも言うべき髪梳きは省略されている。このため夫伊右衛門につくしながらも、捨てられて殺されるお岩の怨みももう一つ伝わってこないのはいささか残念である。
しかし、それを除けば非常に要領よく四谷怪談のエッセンスを見せていて面白い。猿之助の直助権兵衛の悪が出色。段治郎の伊右衛門もまだ物足りない点はあるが、これはなかなかのはまり役。笑三郎のお岩は小仏小平との早替りを見せながら、夜鷹、父を殺された娘、そして貧乏所帯の古女房といろいろな女を表現して、哀れを誘う。本当に貴重な若手女形である。
序幕最後は両国橋の場で、猿之助扮する暁星五郎が登場。春猿が鉄砲のお定、実は定九郎の女装という設定で星五郎を追っての立ち回り。いつも赤姫が多い春猿の颯爽とした女振りには魅せられる。大川に花火が上がるなか、星五郎は宙乗りで悠々と逃亡する。
本筋とはあまり関係がなく、宙乗りにも必然性はないが、あまり理屈をこねなければ、十分楽しめる。観劇当日はちょうど隅田川の花火大会の日。舞台でそれを味わえて、ちょっと得をした気分だった。ナイアガラまであり、サービス精神は旺盛。
二幕
隠亡堀と三角屋敷の場。隠亡堀は戸板返しの仕掛けと幕切れのだんまりをきっちり見せる。
三角屋敷は因果噺だが、直助権兵衛は自分の殺したのが与茂七(右近)ではなく、旧主の息子であり、また女房にしたお袖(笑也)が実は妹であったことが分かり、自害する。こういう役は意外と猿之助に合っていて、お袖にせまる場面のいやらしさなどは、この人しかできないであろうと思わせた。笑也のお袖も権兵衛と与茂七との間で揺れ動く女心を巧みに表していた。この人の時代物はまだ古典の味が足りないが、世話物はいい。
大詰
最初は天川屋義平の場。忠臣蔵の十段目だが、「天川屋義平は男でござるぞ」というセリフが有名な割には、通しでも滅多に上演されない場である。小生もはじめて。
たしかに、討入りの武具を調達した義平の忠義心を試すだけで、とくに見所もない。猿之助が忠義一途な商人を手堅く演じる。
次の二つの場は、討入りから師直の首級をあげるまでだが、変わっているのが霊が大活躍すること。お岩の幽霊が小林平八郎実は民谷伊右衛門を悩まし、怨みを晴らす。また、塩谷判官の霊が新田義貞の霊に立ち勝り、由良之助ら浪士たちは無事本懐を遂げる。この狂言の主題の一つが霊の力であることを思わせる端的な場かもしれない。
残るは大盗賊暁星五郎の討伐。定九郎・お軽の道行からはじまって、最後はごうごうと本水の流れる滝壺のなかでの猿之助、右近、春猿の殺陣は涼味一杯!
最後はお約束の「本日はこれ切り」で、チョンと柝が入る。笑三郎を含めた舞台の四人に客席から惜しみない拍手が送られて幕。鳴り止まない拍手に、千穐楽のためだろうか、歌舞伎座には珍しくカーテンコ−ル。観客もスタンディング・オーヴェーションで応え、長丁場の舞台も幕を下ろし、めでたく千穐楽となった次第。
総じて言えば、まだまだ改良の余地はあるだろうが、歌舞伎創造に向けた澤瀉屋一門の熱意をひしひしと感じた舞台であった。主役を務めた若手の成長振りにも目を見張らされた。スーパー歌舞伎もそれなりに意味があるが、こういう古典の再創造にも引き続き力を入れてもらいたい。それが、総合芸術たる歌舞伎の活性化に資すること大であると思うがゆえに・・・。 |
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平成15年6月20日:『曾我綉侠御所染』−六月大歌舞伎夜の部観劇記 |
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河竹黙阿弥没後110年ということで、実に16年振りの通し狂言である。後半の「御所五郎蔵」は独立した狂言としてよく上演されるが、前半の「時鳥殺し」は珍しい。また今回は大詰めに「五郎蔵内」が加えられ、話が首尾一貫している。
何といっても病癒えた片岡仁左衛門(松嶋屋)と坂東玉三郎(大和屋)の共演が見もの。二人とも花のある役者だから、この共演は見応えがあった。
序幕は『時鳥殺し』。「名取川」は染五郎演じる浅間巴之丞が巡礼おすてを援け、愛妾時鳥とするまでの発端だが、染五郎が爽やかな若殿振り。この狂言ではこの場のみの登場で、少し勿体無い気もする。玉三郎は可憐な巡礼娘を見せる。
「長福寺門前」は百合の方が悪の医師を口封じのために殺す場面がポイント。早くも百合の方の残忍さが現れる。ここは仁左衛門が浅間家家来須崎角弥、後の御所五郎蔵が腰元皐月と不義密通して、主家を浪々するところを見せておいて、一転して悪の百合の方で出てくる訳で、その対照的な二役を鮮やかに演じ分けている。玉三郎も初々しい女房振り。今回は上手に仮花道が設けられ、小生の席からは七三は目の前。いよっご両人、と声を掛けたくなる水際だった仁・玉コンビであった。
そして「時鳥殺し」は杜若咲き乱れる舞台の上で繰り広げられる百合の方の時鳥のなぶり殺しの場面。最初に時鳥が毒薬を盛られたため、顔がお岩さんのように崩れているが、こういう玉三郎ははじめて観たが、ひょっとすると四谷怪談などやってくれたらなー、なぞと不埒なことを考えてしまったほど、妖しい色気があった。死んだ悪医者が幽霊で現れ、置いていった薬で美しい顔に戻るが、ほっとする間もなく、百合の方の腰元が刺客として御簾越しに時鳥を刺す。苦悶する時鳥を百合の方が散々に切り刻んで、なぶり殺しする。この辺り、観る者をぞっとさせるほどの仁左衛門の凄みある悪は、これぞ黙阿弥という幕末の退廃美そのままと思う。二枚目が勿論いいのは言うまでもないが、『先代萩』の八汐、『鏡山』の岩藤など、仁左衛門は敵役がうまい、と思う。今後もこういう役をどんどん演じて欲しい。というとファンに怒られるかもしれないが・・。
この後に時鳥が幽霊となって現れて、巴之丞の愛する傾城逢州を苦しめるが、実の姉妹と知って姿を消す、という場面があるようなのだが、今回は省略されている。しかし、恨みを呑んで死んでいった時鳥の無念さを分かるにはこの幽霊の場面は是非観たかった。玉三郎の幽霊を観たかった、という気持ちが強いことも事実だが・・。また次の五郎蔵の場面からもここで傾城逢州を出しておいた方が良かったと思う。
二幕目『御所五郎蔵』。「仲之町」は男伊達を華やかに見せる歌舞伎得意の吉原の場面。両花道を贅沢に使ったつらねは耳に快い。仁左衛門は本当にこういう役を演じさせると当代一のかっこよさ。
「甲州奥座敷」は主家のための金策で傾城となっている妻皐月がわざと五郎蔵に愛想づかしするいわゆる縁切りの場面。ここは玉三郎が心にもない愛想づかしを体全身を使って見せるところが観るものの心を打つ。『籠釣瓶』の八ツ橋の縁切りも見所が多い見事なものだが、皐月は傾城であっても五郎蔵の妻という心を失っていない。妻の心を分かろうとしない五郎蔵に、明かしたくても明かせない辛さをじっと耐える演技で表現する玉三郎の風情は言葉には表せない見事なものとただただ感服した。
「殺し場」は愛想づかし怒った五郎蔵が誤って逢州を殺す場面。花魁道中と夜更けの廓の風景の中での殺しはやや様式的過ぎる印象があった。
大詰め『五郎蔵内』。自分が間違って逢州を殺したことを知った五郎蔵は皐月に文を書いて死のうとするが、駆け付けた皐月も自ら刃をつきたて、それぞれ尺八と胡弓を弾きながら、手を取り合って死んでゆく。夫婦の情愛を演じる二人の熱演には思わず目頭が熱くなる。とくに男気はあるが、粗忽者の五郎蔵を心底愛しぬいている皐月は本当に可愛い妻であることを納得させる玉三郎の役作りはさすがであった。
見取り狂言も良いが、やはり通しは話が一貫してその狂言の本当の良さが分かると思う。今後も是非続けて欲しい。
また、この狂言は仁・玉コンビの当り役になりそうである。
それにしてもこういう狂言を観てしまうと、ますます『桜姫東文章』を仁・玉コンビで観てみたくなる。一体、いつこの夢をかなえてもらえるのか?
なお、昼の部の『藤娘』を1幕見で鑑賞。通常のチョンパでは無く、藤をあしらった銀の屏風から玉三郎が現れると、やはりその美しさにはどよめきが・・。今は六代目が最初に演出した藤の精という形が殆どだが、こちらは大津絵という本題から言えば正しい形かもしれない。しかしそんなことよりも今回の演出を観て、こちらの方が玉三郎には合っているように思った。というのはいつもの大きな藤の樹では踊り手が装置に負けてしまって、本来の美しい踊りの鑑賞の妨げになる。だから、今回は玉三郎の踊りそのものを味わえた。とくに「松を植えよなら有馬の里へ」という手踊りは堪能した。
夜の部のもう一本は『ご存知鈴ヶ森』。幸四郎の長兵衛、染五郎の権八、ともにはまり役。とくに染五郎の権八が久し振りに観たせいもあるだろうが、成長著しい。今後が楽しみである。 |
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平成15年6月14日:『夏祭浪花鑑』−コクーン歌舞伎観劇記 |
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勘九郎と演出の串田和美の狙いは、一言で言えば江戸歌舞伎の面白さの現代での復活であろう。結論から先に言えば、それはまさしく大当たりであった、と言える。幕が引かれてからの観客の反応のそれが如実に現れている。喜んだ観客は、スタンディング・オーベーションで迎え、カーテンコールが繰り返された。オペラを観て素晴らしいのは、やはりカーテンコールである。観客の反応がストレートに伝わる。歌舞伎でも海外公演ではカーテンコールがあるようだが、歌舞伎座あたりでもやってもらえないものなのか?
少し話が横道にそれた。舞台と観客との間に截然とした区分がつけられないのが江戸歌舞伎の特徴である、と服部幸雄氏は述べているが、まさしくコクーン歌舞伎は作り自体がそうである。それも格式ある江戸三座ではなく、神社などの敷地内にあった小芝居か?
@ 舞台は通常より低いので、平土間からの目線が丁度よい。
A 舞台正面に設けられた平土間ーこれは田圃の畦道との設定から役者が頻繁に通る。
B 花道は通路のような両花道が平土間の間を通っている。しかも、役者は思いもかけないところから、不意に現れる。
C 開演前から役者が観客席に挨拶に回る。
これでは舞台と観客の間に距離は無くなる。
しかも舞台装置にもその意図が表れている。舞台背景は全面筵掛け。そして上手にも下手にも小屋掛けを思わせる葭簀囲い。これらは最後まで変わらない。クライマックスは除いて・・。
さらに目を惹いたのが、有名ないわゆる泥場と言われる長町裏の義平次殺し。激しい祭りの音楽につれて、団七が舅の本物の泥の中で人殺しを行う凄惨な場面だが、普通ざんばら髪となった団七はもろ肌脱ぎとなって一面の刺青と真っ赤な褌を見せる、という色彩美があるが、それに加えて今回は現代の照明を落とし、面明かりと龕灯の組み合わせで人殺しの見得を際立たせている。鮮やかとしか言いようの無い演出である。
今回は第二部として団七内と捕物を見せ、話を首尾一貫させている。昨年大阪の平成中村座の公演があまりにも評判だったので、このコクーン歌舞伎での再演となったようである。しかも今回はさらにあっと驚く仕掛けが最後に用意されている。
勘九郎は団七とお辰の二役。やはり団七が惚れ惚れするような侠客振りを見せて、観客を沸かせる。橋之助の徳兵衛はもっと悪が欲しい気がする。弥十郎は老練な老侠客。七之助がすっかり可愛い傾城を見せるまでに成長している。
歌舞伎座ではこういう演出は観ることは出来ないだろうが、歌舞伎が江戸時代にあったような若々しい息吹を常に保たなければ、新しい世代には受け入れてもらえない。今回観客が若い年代層が多かったのも嬉しいことであった。是非、こういう舞台を続けて欲しいものである。 |
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