平成17(2005)年の観劇記


平成17年12月3日、25日、26日(千穐楽):『重の井』『船辨慶』『松浦の太鼓』−十二月大歌舞伎夜の部観劇記
『重の井〜恋女房染分手綱』

これは昨年九月に芝翫が孫の国生と演じた時の印象が強すぎるためか、今回の福助の重の井と児太郎の三吉の子別れは、全体としてあっさりとしているように感じられた。弥十郎の赤爺いこと本田弥三左衛門が前回と同じ役であることにも起因するだろうが、福助の片はずし役はどうもハラの薄い印象がつきまとうことが多く、今回も残念ながらその感じは払拭できなかった。実の子三吉へのいとおしさと忠義との間に揺れ動く苦悩があまり伝わってこなかったのである。

児太郎は三月の『盛綱陣屋』から成長著しい。この役もしっかりとけなげに演じていたが、この役に相応しい年齢を少し越えてしまっているようにも感じられた。七之助の腰元若菜が、きびきびとしていて、よい。

『船辨慶』

新歌舞伎十八番で有名な舞踊『船弁慶』とは異なり、二世杵屋勝三郎作曲の、言わばもう一つの『船辨慶』。今年の南座、八千代座と続けてきた舞台の歌舞伎座初お目見えである。通常の松羽目とは違ったくすんだ松を背景にして、屋台もあり、能舞台風である(ただし、南座の背景は黒かったようだから、装置も歌舞伎座風に手直しているようだ)。したがって、静御前は出も、引っ込みも花道を使う。とくに出は弁慶とのやりとりで逆七三にいるので、三階席からまったく観えないのは残念だった。

玉三郎の前ジテの静御前は、能と同じように少ない所作で、静謐な緊張感溢れる別れの哀しみを表していた。後ジテの平知盛の霊は、対照的に荒々しく、舞台一杯に動き回る。どちらもきらびやかな衣裳が美しく映える。ただ、白の船をかたどった小さな装置を上手に置き、その内に義経・弁慶一行と船長がいるので、歌舞伎座の横長の舞台ではどうしても下手に空間が開いてしまう感じは否めなかった。

しかし、再見時にはこの演目がもっとも劇的に変わっていたと思う。ぐっと中身がつまって凝縮し、崇高な感すら覚えた舞台だった。それは何故かと考えてみると、静と知盛の霊の対比がメリハリが利いて、よりくっきりとしていたためであろうか。それは知盛の霊の登場時の台詞「これはかぁ〜んむ天皇の」の口跡の凄みと鮮やかさを一つ例に挙げてもよいであろうが、立女形が演じる異形の者と呼ぶに相応しい異界の禍々しさを感じて、戦慄すら覚えた。長刀を縦横無尽に振りながら、摺り足を使って波の上を漂うようにして何度も義経一行に襲い掛かりながら、弁慶の法力によって、無念を呑んで波間に消えて行くまではあっという間であった。

それゆえ、前ジテの静の別れの舞いも、その哀しみがより強く感じられた。静が烏帽子をぽとりと落として残し、花道をしずしずと引っ込み、そして吹かれるお囃子の笛には哀切感がさらに増していたと思う。

義経の薪車が品格溢れる美しさ、また弥十郎が急な代役にもかかわらず、弁慶を重厚に演じていた。ただ、勘三郎の船長は、初見時には玉三郎が目指しているこの舞台からは違和感があり、一人浮いていたように思うが、さすがに勘三郎、再見時には本人の色をかなり消して来ていて、玉三郎の目指している能を素材にした新しい舞踊の世界に同化してきたように感じられた。

それにしても、この杵勝三伝の内と言われる杵屋勝三郎作曲のこの曲は、本当に名曲だと思う。このような曲が今まで埋もれていたとは信じられない素晴らしさで、お囃子ともども十二分に堪能した。通常版とは別の舞踊と言ってもいいから、この舞踊復活の意義は大きい。

『松浦の太鼓』

秀山十種の内とあるように、初代吉右衛門が得意としていたもの。先代勘三郎もその教えを受けてしばしば演じていたから、今回の勘三郎の松浦鎮信役は、ところどころ先代を髣髴とさせる部分が多く、どうしても冷静には観られなかったが、赤穂浪士が敵討ちをしないことに怒るお殿様らしい我儘振りはさすがに愛嬌たっぷりである。ただ父の十七代目の型をなぞっていたような初見時の印象に比べると、再見時にはより自分の個性を強く発揮し出しており、それが良い方に変わって来ていた。愛嬌は言うまでも無いが、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを楽しみにしている我儘な、そして少し好色なお殿様振りが板について来ていた。だから、大高源吾の妹お縫に暇を出したものが、宝井其角の「年の瀬や水の流れと人の身は」に対する付句「明日待たるるその宝船」が今晩の討ち入りを示していると気が付いてからのはじけたような喜びには十分共感できた。

弥十郎の飄々とした其角、勘太郎の清潔感溢れる兄思いのお縫、そして橋之助の煤竹売りから討ち入りの義士としての颯爽とした変身、亀蔵をはじめとする近習五人組みなど共演者も充実していて、師走狂言らしい楽しさで一杯の舞台だった。

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平成17年12月4日、25日:『弁慶上使〜御所桜堀川夜討』『猩々・三社祭』『盲目物語』−十二月大歌舞伎昼の部観劇記
『弁慶上使〜御所桜堀川夜討』

弁慶のただ一度の恋を描いた時代物狂言。弁慶がいが栗頭、車鬢で隈取も濃く、他の狂言に比べて一層容貌魁偉である。その弁慶が、十八年前に契ったおわさとの娘と知りながら、義経の正妻卿の君の身代わりに首を刎ねる悲劇的なもの。橋之助は初役だそうだが、非常に大きな弁慶で、自分の役目を果す非情さを強く出しながらも、娘を殺した悲しみに泣き崩れる対照が鮮やかである。

夜の部『重の井』とこれは同じような親子の情愛を描いていて、どちらも主役を演じているこれも初役の福助のおわさは、家の藝を継承するためとはいえ、演目的にやや損な印象を受けるが、この二つを比べると、格段にこのおわさがいい。

生涯に一度しか契らなかったという弁慶と契って娘しのぶを産んだおわさが、娘の仕える卿の君のところへ来てその成長振りに目を細めていると、侍従太郎が弁慶が義経の使いとして、鎌倉の疑いを晴らすため、平家一門の娘の卿の君の首を差し出すように来ていること、そしておわさを身替りにすることを告げる。驚いたおわさは、十八年前の一度の契りを語る。福助は久し振りに会った娘を見る仕草がまことに情愛溢れていて、次の伏線になっている。身替りの話に一度きりの名も知らぬ稚児との契りを娘時代に帰って義太夫の糸に乗り綿々と演じるのも見所である。しかし、弁慶が奥から襖越しに娘を刺し、姿を現す。そして、弁慶こそ自分の相手だったと分かってから、急に長年の思い人に会えた喜びを恥ずかしげに体一杯を使って表すが、その喜びも束の間娘の屍骸に気付き現実に引き戻されて悲しみにくれる。この喜びと悲しみの間に揺れる女心の振幅がくっきりとしていて、見応えがあった。

対する橋之助の弁慶は、再見の時はますます豪快に大きくなっており、ゆえになおさら忠義のためにはじめて見た、しかも名乗りもせずに我が娘を手にかけた親の悲しみが、有名な大泣きで切々と観る者にも伝わって来る。新悟の腰元しのぶも最初は体の線が固かったが、かなり娘らしい柔らかさが出てきていた。弥十郎の侍従太郎、竹三郎の花の井に存在感があった。

『猩々・三社祭』

舞踊の面白さから言うと、どうしても三社祭の方が見所も多いが、猩々も勘太郎・七之助の二人の踊りは基本に忠実にきっちりとしていて、気持ちよかった。三社祭は、二人の若さ全開の非常にきびきびとしたもので、躍動感溢れる楽しさだった。舞踊のうまさはやはり勘太郎が一枚も二枚も上手であるが、さすがに兄弟の踊りはよく息も合っていた。

しかし、再見時には勘太郎・七之助の踊りの腕の差があまり感じられなく来ていた。猩々の酒を飲んでからのほろ酔いの舞いも軽やかである。一転して、三社祭はきびきびとした生きの良さは相変わらずで、心地よかった。

『盲目物語』

今回昼の部でもっとも楽しみにしていたのが、この谷崎潤一郎原作を宇野信夫が舞台化したこの狂言。さすがに原作の按摩弥市の一人語りはそのまま本にはならないから、弥市を中心にして、小谷城落城後のお市の方、お茶々(淀君)、木下藤吉郎(豊臣秀吉)がからむ物語に的を絞っている。谷崎潤一郎の原作の雰囲気は、按摩弥市のお市の方を思う一途な気持ちによく出ていると思う

玉三郎のお市の方が、凛とした美しさを見せるとともに、筝の弾き語りも披露してくれるから、眼福・耳福である。とりわけお市の方に執心して通ってくる藤吉郎を、身分違いと夫・息子殺しと手強くしりぞけるところは見ものである。

勘三郎は、弥市と木下藤吉郎(豊臣秀吉)の二役。弥市はお市の方に寄せる恋情を見せながら仕える役の性根は、しっかりと押さえた役作りにはなっていたが、この人の芸風にもよるのであろうが、幇間とまでは言わないまでも、今回はどうも滑稽味が先にたった印象が強い。だから、早替りは相変わらず見事であるが、木下藤吉郎(豊臣秀吉)との切り替えが、あまり際立ってこない感じを受けた。また、お市の方の筝にあわせて三味線を弾き語りする場面が二度あるが、初見時には三味線の音があまり綺麗ではないと感じたが、再見時には大詰めの落ちぶれた勘三郎の弥市の爪弾く三味線に、背景に浮かび上がった玉三郎のお市の方の霊が筝をあわせるのは、詩情溢れていて、心に残る美しい幕切れになっていた。

七之助のお茶々(淀君)は、秀吉の側室になってからの後半部分がまだ若くて、手に余るようだ。以前玉三郎が演じたようだが、やはりお市の方と淀君は同じ役者の二役の方がより舞台効果が出ると思われる。その他には亡霊の長政の薪車、朝露軒の亀蔵が目に付く。また、笑三郎の侍女真弓は緊迫した場面での筝の弾き語りで、これまた聴かせた(なお、4日初見の日から黒御簾との合奏ではなく単独の弾き語りに変わっていたのは良い効果を挙げている)。

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平成17年11月15日、26日(千穐楽):通し狂言『児雷也豪傑譚話』(新橋演舞場)観劇記
この月一番の話題は新橋演舞場『児雷也豪傑譚話』である。席は2階右列なので、舞台間近の絶好のポイントで観ることが出来た。

自分にとって児雷也というヒーローがいつ頭に刷り込まれたか今まで意識したことがなかったが、今回筋書を読んでみてどうもそれが杉浦茂の忍者漫画の傑作『少年児雷也』であったらしいことにあらためて気付いた。とするならば、今回のコミック歌舞伎と称するこの舞台は、児雷也物語の原点に立ち帰ったものと言える。

感想は一言で言えば、スペクタクルで、荒唐無稽で、文句なく楽しめたということに尽きる。たしかに古典歌舞伎のコクはない。しかし、歌舞伎初心者でも筋がすっきりと通っていて分かり易く、宙乗りあり、蝦蟇と大蛇となめくじの三すくみの闘いあり、まさにハリウッド映画を見ているような感じ(脚本の今井豊茂は、『スターウォーズ』のようだ、と言っている)であった。言わば、草双紙的な面白さであるが、昔の江戸歌舞伎はこのような舞台が庶民に受けたのではないだろうか?

また、音楽もヴィヴァルディ『四季〜春』やラヴェル『ボレロ』なども使われるとともに、大詰では普段黒御簾にいる下座の人たちが舞台上で、効果的かつダイナミックな音楽を奏でていた。

それでいて、『仮名手本忠臣蔵』の大序、『勧進帳』の山伏問答のパロディがあり、大詰第二場は完全に『攝州合邦辻』と同趣向で、歌舞伎通でも楽しめるもので、あっという間の三時間であった。

以下、簡単に筋を追いながら、役者に焦点をあてての感想。今回の通し上演では、何よりもテンポが非常に良く、また場面転換も早いのが小気味良い。三時間、全四幕十場、少しもだれるところがない。また菊五郎劇団の総力をあげたチームワークと適材適所の配役も見逃せない。

主役の菊之助の児雷也が全編をほぼ立役で通すのが珍しい。最近若手女形としてますますその匂うが如き美しさを披露しているだけに、少々勿体ないような気もするが、父菊五郎のようにこれからは兼ねる役者を目指すのであろうか?立役としても十分舞台映えする美男振りである。亀治郎の綱手姫は、瀧夜叉姫を参考にした作りで、適役である。松緑の大蛇丸は、時に悪の大きさに不足するけれども、この人は今後こういう方面の役をどんどん演じて行けば、さらに伸びると思う。

発端では、権十郎の月影照友が将軍家への忠誠を誓う爽やかな執権職が、大蛇丸の術により養子にすることに決めてから、一転して謀反の心を抱く変身振りが鮮やかである。大蛇の作りが良く出来ていて、動きも滑らかである。

序幕では月影照友の邪悪な陰謀により、尾形、松浦両家は討たれ、大蛇丸がこの世の支配を狙う妖蛇の化身であることが分かる。ここは松緑のすごみが光る。大蛇丸に谷に突き落とされた尾形家の一子雷丸(菊之助)と松浦家の息女綱手姫(亀治郎)は、仙素上人に助けられて、それぞれ蝦蟇となめくじの妖術を授けられる。また雷丸は児雷也の名ももらう。病で休演を続けていた松助が仙素上人を演じて久し振りの舞台復帰を果たしたことは、まだ万全とはいえないまでも、嬉しいことであった。児雷也が夢かと目覚めるところは一瞬ながら『関の扉』の髣髴させる場面もあった。

次の鶴岡八幡社頭の場は、忠臣蔵の大序のもじりで、菊五郎の高砂勇美之助がさすがと言える爽やかさと貫禄を見せる。松也の照行もじっと忍耐の辛抱役を好演。藤橋のだんまりの場は、この狂言の中でもハイライトの一つ。巳紗鳳と巳吉の大薩摩というご馳走の後、蝦蟇、大蛇となめくじの三すくみの闘いから、大蝦蟇の中から現れた児雷也が鷲に乗って宙乗りで空の彼方に飛んで行くところは、思わず手に汗握る面白さ。舞台上の大スクリーンに宙乗りの菊之助のアップが映るのも歌舞伎としては目新しい嬉しいファン・サービスである。

二幕目の八鎌鹿六屋敷の場は、音楽からしてヴィヴァルディ『四季〜春』やラヴェル『ボレロ』が鳴り、菊五郎のお虎はブランド一色のゴテゴテの満艦飾、松也のお辰はコギャル風で笑わせる。しかし、一番普通に演じている團蔵の恐妻家鹿六がもっともユーモラスなのはこの人のうまさであろう。そこへ巫女姿の化けた菊之助の登場は、この舞台唯一の女姿で、美しい。まんまと一同を誑かして、千両箱を奪って花道を六方で豪快に引っ込む変身振りも見ものである。続く月影館奥殿の場は、今度は勅使に化けて単身乗り込んできた児雷也が、大蛇丸に見破られて妖蛇の毒に冒されて窮地に陥ったところを、綱手姫のなめくじの術にかろうじて助けられる。また、この場では勧進帳の山伏問答のもじりもあって、面白い。

大詰の最初は箱根の宿屋熊手屋が舞台。娘のあやめは離れに逗留している夫婦連れの夫が気になっている。実はこのあやめは児雷也の離ればなれになっていた実の姉。毒に冒された弟を救うため、わざと児雷也に懸想したと見せかけて深手を負う。巳の年月日時の揃った娘の生血を飲めば毒を消せると我が身を犠牲にした芝雀(歌舞伎座と掛け持ち出演)のあやめは、『攝州合邦辻』の合邦そのままであるが、弟の業病治癒をひたすら願う心情はよく伝わって来る。この舞台でもっとも古典的な味わいを感じさせる場面である。足腰が不自由になっていざり車で登場するところは、『箱根霊験躄仇討』をも取り入れているようである。

浪切の宝剣を求めて箱根の地獄谷へやってきた児雷也と綱手姫は火焔渦巻く中を大蛇丸と争う。花四天ならぬ火炎四天との大立ち回りと舞台背景でダイナミックに演奏する下座音楽のアンサンブルとの相乗効果で、観る者を興奮の坩堝に巻き込む。最後に降参した大蛇丸が改心してめでたしめでたしの大団円となる幕切れは、いささか拍子抜けの感は否めないけれども、この三人を中心に話を絞った新しい脚本と菊五郎の演出は大成功の舞台だったと言っていい。このように分かり易く、かつ面白い題材の書き替えが出来るということは、まだまだ歌舞伎は現在でも無限の可能性を秘めた第一級のエンターテインメントである証左であろう。

(追記)尾上松助さんは、この舞台出演を最後にして、12月26日に亡くなった。思えば不治の病を押して務めた覚悟の舞台であったのだろう。またそれと知りながら、無事に千穐楽まで出演できるように菊五郎劇団の関係者も配慮していただろうことは唯一つの慰めである。それにしても、歌舞伎は貴重な脇役を亡くしてしまった。惜しみてもあまりある早過ぎる死去に合掌。
平成17年11月11日:『日向嶋景清』『鞍馬山誉鷹』『連獅子』『大経師昔暦』−吉例顔見世大歌舞伎夜の部観劇記
中村富十郎の長男大、改め初代中村鷹之資の披露狂言『鞍馬山誉鷹』はあるものの、全体的に出し物が地味なためか、平日とはいえ、三階席にも空席が目立っていたのは残念であった。しかし、そのお蔭で歌舞伎座に行ってから購入した当日券でもかなり良席で観劇できた。

『日向嶋景清』

平家の侍大将として有名な悪七兵衛景清が主人公の『嬢景清八島日記』を基に、主演の吉右衛門が松貫四の筆名で書いたもの。今年四月の金毘羅歌舞伎で上演されたものが、早くも歌舞伎座で上演された。盲目となって日向国の孤島に流され、落魄の境涯となっている景清を娘糸滝がはるばると訪ねて来るところからこの父娘の情愛を描いた物語がはじまる。

吉右衛門の景清は、この難役の性根をしっかりとつかんだはまり役である。この役は平家の武将としての矜持を持ちながらも、一旦は拒んだ娘への情愛にほだされて、名乗りあい、今度は娘が大百姓に嫁いだと知ると激怒して、追い返す。しかし、実は自分の窮状を救うために遊里に身を売ったと知ると、悲嘆にくれてその舟を追いかけようとする。そして、鎌倉方の隠し目付けであった里人二人に諭されて、源氏への降参を決める、という振幅の大きい複雑な心理描写を必要とする。

原作の舞台は観たことはないが、今回の本ではその点をかなり分かり易くしているようで、景清の心の動きには大変共感させられた。とりわけ、「その子売るまじ」と胸も張り裂けんばかりに舟を追いかけながら、身もだえする場面は強く印象に残った。ただ、最後に舞台一面の大海原に漕ぎ出した船中から、平家の主人だった平重盛の位牌を捨てるところは、決意の固さを表しているであろうが、冒頭の場面で拝んでいた位牌をそこまでするであろうか?とやや疑問に思った。芝雀の糸滝がけなげな娘でいい。

『鞍馬山誉鷹』

中村大も六歳になり、その鷹之資改名の披露狂言は、錦秋の鞍馬山を舞台に若き牛若丸を主人公にした新作で、話としては他愛の無いものであるが、父富十郎はもちろんのこと、雀右衛門、仁左衛門、吉右衛門、梅玉が付き合い、狂言半ばの口上もあり、豪華な舞台で十分楽しめた。肝心の鷹之資の牛若丸はまだ小さいながら元気良く、楓四天を相手に大立ち回りも演じて観客から拍手喝采を浴びていた。口上の挨拶もしっかりとしていて、末頼もしい。

先月一時休演した雀右衛門が口上の仕切り役を元気に勤めていたのには安心した(もっとも、劇中の台詞につまる場面もあって、一時ひやりとしたが)。平忠度役の仁左衛門が、その薄紫の衣裳といい、容姿の美しさが際立っていた。

『連獅子』

幸四郎、染五郎の親子競演。幸四郎の踊りは所作にムダが無いのはいいが、『連獅子』には向いていないように思う。やはりもっと熱さと情愛が欲しい。染五郎の仔獅子も悪くはないが、毛振りもどこか省エネで物足りない。最後の方で45度程度身体の向きを変えて振るのはどういう意味があったのだろうか?全体として親子競演にしては薄味で、不満が残った。

『大経師昔暦』

近松門左衛門原作の姦通物の一つ。思いもかけず不義密通してしまった女主人おさん(時蔵)と手代の茂兵衛(梅玉)が主人公で、最後に死を覚悟して落ちてゆく際に、二人の影が土蔵の塀にあたかも磔にかけられたように映る場面は面白い演出だった。段四郎の以春のいやらしさ、歌六の番頭助右衛門の滑稽味、歌江の母お久の細やかさなど達者な脇が揃っているが、一番の収穫は、この狂言の実質的な主役である下女お玉を演じた梅枝であろう。先月の国立劇場の『貞操花鳥羽恋塚』でも千束姫実は以仁王という難役を演じていて目を引いたが、今回はその的確な台詞回しといい、その可憐な容姿といい、この若い年代にまた新しい女形の誕生を見た思いであった。
平成17年10月2日(初日)、22日:『引窓』『日高川入相花王』『河庄』−十月大歌舞伎夜の部観劇記
『河庄』は初日観劇の時には集中力が持続せず、パスしてしまったので、22日一回のみの観劇である。その間、小春役の雀右衛門が体調不良で11日から休演してしまい、翫雀が代役であったことは、本人の出来とは別にまことに残念なことだった。

『引窓』

この親子兄弟、夫婦の義理と人情を暖かく描いた世話物狂言の一幕を、菊五郎、左團次、田之助、魁春の四人で演じた今回の舞台は、主役たちの組み合わせが大変バランスが良いことが特筆される。菊五郎の与兵衛が町人から役人として武士に取り立てられて、武士の格好になって出るが、すぐ町人に地が出るあたりのすばやい切り替えのうまさは和事風の柔らか味も相俟って、格別の出来である。

左團次の長五郎は、相撲取りの一本気ながらも、実の母を悲しませまいとする苦悩と決意を骨太に演じている。魁春のお早も甲斐甲斐しく、また情に溢れた女房振りである。しかし、この狂言の実質的な主役は田之助の母お幸であり、その存在感ゆえにこの舞台がより大きくなった。実子の長五郎と継子の与兵衛との間で揺れ動く哀れかつ愚かなまでの母親の心根を的確に演じていて、見事である。とくに長五郎がお尋ね者と分かり、その人相書きを売って欲しいと与兵衛に頼むところ、そしてすべての事情を悟った与兵衛が「あなたは何故物をお隠しなされます」というやり取りのところなどは、義理ながらも親子の情愛が溢れていて、胸にじーんと来る。また一方で、長五郎が母の言う通り逃げては、与兵衛に対して母の義理が立たないと諌めて、潔く縄にかかる覚悟を告げるので、お幸は自分の短慮にあらためて気づき、引窓の縄で長五郎を縛るところは、その思いのたけを身をもって表していて、心うたれる。

しかし、与兵衛はこの狂言の通称になっている引窓の縄を切って、差し込む月の光を朝の光に見立てて、自分の役人としての役目は夜のうちのみと、長五郎を逃がす幕切れはいつもながら爽やかな後味である。

『日高川入相花王』

安珍清姫伝説に基づく道成寺物の一つ。清姫がほぼ全編人形振りで踊る歌舞伎舞踊である。

初日に比べると、玉三郎の清姫が菊之助の人形遣いとの息も十分合っていて、その人形振りの至藝を堪能できる一幕。玉三郎の人形振りは、その顔の作りからして、文楽の人形そのもののように見える。船頭も赤っ面で同じく人形振りで演じるのも珍しい。ただし、薪車演じる船頭は、初日とは異なり二回目の観劇の時は両足が浮いていて、人形の足になっていた。本来の人形振りからは邪道という批判も出ようが、そのせいでもあるまいが、初日よりも大変大きく、また俗っぽさ、道化味が良く出ていて、清姫との対比がより鮮やかになっていたように感じられた。

嫉妬に狂って安珍を追いかけて日高川まで来た清姫は船頭に船を出してくれるよう頼むが、船頭は出さぬと断り行ってしまう。清姫は自ら川に飛び込み、蛇体となって泳ぎ渡る。衣裳も鱗形模様にぶっかえり、鬼面をかぶったり、また姫に戻ったりしながら、波幕の中を行きつ戻りつしながら、必死に泳ぐ場面が見所である。長崎くんちのような蛇踊りも観ることが出来る。南座の舞台の時に比べて、大きな歌舞伎座の舞台を一杯に使ったこの川渡りの場面が圧巻である。ようやく対岸に泳ぎ着いてからの柳の枝に絡みついての見得で決まる幕切れは、背景の黒幕も切って落とされて、視覚的にも鮮やかで美しい。何度観ても目に焼きつく絵になる幕切れである。

『河庄』

玩辞楼十二曲の内とあるように、この狂言の主役治兵衛は初代鴈治郎の当り役として、先代、そして当代がもっとも得意とする家の藝である。今年十二月坂田藤十郎を襲名する鴈治郎の名跡最後の演目として選ばれたのも至極当然のことであろう。

この治兵衛は遊女小春に入れ揚げた、ある意味ではどうしようもない駄目な男であるが、頬かむりと着流し姿で花道をふらつきながら出て来る姿(もっとも三階席からの観劇ではごく一部だが)は、これぞ上方和事のやつしと言われるように決まっている。そして兄孫右衛門(我當)に意見されて、小春への未練と裏切られた怒りにまかせた演技、兄とのやり取りの滑稽味など見所は多い。さすがに余人の追随を許さぬ藝の極めを観る思いであった。

我當がこれまた父十三代目仁左衛門の得意とした役であるので、遊女遊びもよく知らない実直な役にぴったりだった。治兵衛とのやり取りには上方漫才の味もある。田之助の河内屋お庄は、やはりこの人が出るだけで舞台の厚みが増す。壱太郎の丁稚三五郎が妙に存在感があって、この先が期待できる若手の一人になりそうである。

急な代役であったが、翫雀の小春は、じっと辛抱して自分の本当のつらさを表に現さない難役を十分に好演していたように思う。
平成17年10月2日(初日)、22日:『加賀見山旧錦絵』−十月大歌舞伎昼の部観劇記
通し狂言『加賀見山旧錦絵』

容楊黛作のこの狂言は、加賀のお家騒動を描いた人形浄瑠璃の大作を歌舞伎に移したもので、その六、七段目を独立させた通し狂言としてしばしば上演される。江戸時代には武家の奥勤めにあがる女性たちがいて、それなりに一つの世界を形作っていた。その最高位の奥女中が老女ともお局とも呼ばれた(中老は次席である)。現代の職場でも残る「お局さま」の基になった言葉である。この狂言はその奥女中たちの葛藤、忠義と復讐を描き、お宿下がりに芝居見物をする奥女中たちに受けて、人気狂言になったようである。この後日譚として、またパロディとして『加賀見山再岩藤』が書かれた(骨寄せにより現われた岩藤の亡霊が主役)のも納得できる。もちろん、その内容はいじめから仇討ちまで十分現代にも通用するもので、また話の筋も大変分かり易い。

玉三郎が中老尾上を演じるのは三回目、菊五郎の局岩藤と菊之助の召使お初はともに初役という期待の三人の豪華顔合わせである。初日は三階席からの観劇であったが、主役尾上の花道の引っ込みと出が観えず、この狂言の一番肝心の部分であったから、二回目はじっくりと観るため一階二等席の上手側に席を押えての観劇。懸念していた柱はまったく気にならず、花道の七三がよく観える絶好の位置であった。

当然のことかもしれないが、初日に比べると劇的な緊張度がより高まり、さらに全体的なまとまりが良くなっていて、通し狂言の醍醐味を堪能させてくれた。上演時間も初日より十分程度早くなっていたから、たっぷりと、またじっくりと各役者が演じていても、テンポが良くなっているのだろう。

まずは初役の菊之助のお初。初日では女武道という役柄もあってか、やや張り切りすぎで、肩に力が入っていたように感じられた。一部の劇評などでも男の子のように見えるなどと書かれていた。しかし、二回目の観劇ではそれはまったくの杞憂で、肩の力が抜けて、完全に役を自分のものにしていたから、そのきびきびとした動き、主人尾上を一途に思う健気な気持、そしてその死を嘆き悲しみ、岩藤に復讐を誓う心情にいたるまでの召使お初の役作りには感心した。今回の上演が大成功だと思うのは、何よりもこの菊之助のお初が素晴らしい出来だったからであると思う。

菊五郎も初役の岩藤は初日よりやや化粧の作りをきつめにしていたようであるが、基本的な点は変わっていなかった。通常この役は加役と言って、ふだん立役を演じている役者が扮する憎まれ役の悪人の女であるが、今回の菊五郎はどちらかと言えば女形が演じるような役作りで、ただの悪人の女というより、局の品格・矜持を持って町人出の中老尾上に嫉妬し、いじめる、まさにお局さまそのものであった。たしかに岩藤の立場に立てば、町人出身で下位にある尾上が自分より主筋に引き立てられるのは面白くないであろうことは肯ける部分もあり、今回の菊五郎の演技はその点に十分な説得性が感じられた。

玉三郎の尾上は、女形としては大変辛抱の役どころである。営中試合の場でも岩藤のいやがらせに耐え、さらに岩藤に草履打ちの辱めを受けても耐えに耐える。一階席で観ると、やはりその花道の引っ込みはで草履打ちの屈辱の耐える哀しみと悔しさが体全体で表現されているのがよく分かる。一度よろめいてから、気を取り直すが、その引っ込みは途方もなく長く感じられるようにゆっくりとゆっくりとしたものだった。そして、十分間の幕間を挟んで今度は出となるが、この間尾上は自害を決意するので、役者は鳥屋で誰とも口をきいてはいけないそうである。次の出に向ってじっと気持を集中させねばならないからであろう。

その出も、ふだんの揚幕と違うから出の音もないので、多くの観客が気がつかないうちにそっと出てきて、気遣って出迎えに来たお初のところへいつのまにか尾上が現われるように感じられる。化粧もより白く塗っているようで、その決意の凄絶な様子が手に取るように分かる。尾上の周りをいろいろ世話しつつ、忠臣蔵を引き合いに出して、それとなく諫めるお初の気持を痛いほど分かりながらも、尾上はわざとお初を親元へ使いに出す。心を残しながらも意に添わない使いに出て花道に差し掛かるお初と、これが今生の別れと見送る尾上の場面は見所の一つで、本舞台と花道の双方を観なければならないから、観る方も忙しい。その後尾上は今まで耐えに耐えてきた口惜しさを一気に迸らせて嘆き哀しみつつも、町人出身ながら中老にまで出世した矜持などをしっかりと見せる。そして親の恩を思い泣きながら文を読み、先立つわが身を嘆きつつ、自害するために仏間に入るまでの場面は、まさに玉三郎の独擅場で、今最高の尾上であろう。

塀外烏啼きの場で尾上の自害の決意に気付いたお初が、慌てて元の長局尾上部屋に戻るともうそこには自害した尾上が横たわっているばかり。慟哭するお初。この幕開きは瀕死の尾上から岩藤が旭の弥陀の尊像を奪う場面が出ることが多いが、今回は主に玉三郎の考えによるのであろうか、これは後世の入れ事として本行の浄瑠璃通りとしていた。このやり方により尾上の死の悲劇性がより高まり、お初の哀しみと岩藤への恨みの強さが強調されると思う。観る方も思わず涙しそうになってしまった。しかし、この出し方は役者としてはその分出番が減るわけだから、菊五郎、玉三郎とも大変潔い考えとも言えるであろう。

菊五郎、玉三郎、菊之助の三人の配役がとてもバランスよく、がっぷりとぶつかった今回の舞台は通し狂言の面白さを十二分に堪能できる充実したものであった。

他に左團次の剣沢弾正は、もったいないほど出番が少ないが、岩藤と組んでお家転覆の悪事をたくらむ役どころにぴったりの憎々しさ。権十郎、薪車、松也、隼人と脇も揃っている。

以下簡単なあらすじと、いささか重複するが見所を書く。

序幕 営中試合の場

桃の節句の多賀家の奥。息女大姫は許婚の菩提を弔うために髪をおろして仏門に入る決心をし、父の許しを請うため尾上を使者に差し向けた。許しを得たことを言上に戻って来た尾上に、大姫は旭の弥陀の尊像を尾上に預ける。それを面白く思わない岩藤は、町人出身の尾上に武芸の嗜みがないことを承知のうえで、尾上の武術の心得を試すための立会いを迫る。そこへ尾上の召使お初が自分は尾上に教えを受けているので、替りに立ち合わせて欲しいと申し出る。岩藤は自分側の奥女中たちを最初立ち合わせるが、お初に手も無くあしらわれてしまう。この奥女中たちは立役が演じるので、滑稽味十分である。今度は岩藤が立ち会うが、お初に小手を打たれてしまう。さらに打ちかかろうとするお初を尾上が必死に止めるが、岩藤はお初の隙を見て打ち据える。だまし討ちと食って掛かろうとするお初。お初の働きを内心喜びながらも、「この慮外者めが」とたしなめる尾上。ここらあたりは三人それぞれに見せ場があり、そのやり取りとあわせて目を離せない。岩藤に悪態をつきながら花道を引っ込むお初の姿には、子娘の可愛らしさがあった。

二幕目 奥殿草履打の場

岩藤の兄・剣沢弾正が大姫の剃髪の儀式として、蘭奢待の香木を差し上げる使者としてやってくる。預かっていた蘭奢待を持参した尾上に、弾正が箱の中身をあらためよと言う。不審に思いながらも、箱を開けた尾上はそこに草履が入っていたことに驚く。しかもそれは焼印から岩藤の持ち物で、盗みの疑いが岩藤にかかるが、もう片方の草履が尾上の部屋から見つかり、逆に尾上は窮地に立たされる。完全に岩藤のわなにはまった尾上は、日頃の遺恨をこめた岩藤の草履打ちの辱しめに会う。緊迫したやりとりから、草履打ちの見得、そして悔し涙にくれてからの尾上の花道の引っ込みまで、大変見所が多い場である。


三幕目 第一場 長局尾上部屋の場

自害を決意した尾上の出から、お初のまめまめしい世話、忠臣蔵に事寄せての諫め、わざと親元へ使いに出そうとする尾上と、それを不安に思って従おうとしないお初。しぶしぶ出かけるお初と、その後尾上が今まで耐えに耐えてきた激情を迸らせ、自害のために仏間に向うまで、観る者も一時たりとも目が離せず、物語と二人の役者の演技に思わず集中してしまう場である。

三幕目 第二場 塀外烏啼の場

尾上の身の上に不安を残しながらも使いに出たお初は、烏の啼き声や草履の鼻緒が切れたことにますます胸騒ぎを覚える。弾正一味の牛島主税(薪車)と奴伊達平(権十郎)の争いにお初も加わってのだんまりから、文箱の中身が落ちて、草履と書置きが落ちる。それと気付いたお初は跳ぶように尾上の元へ戻って行く。

三幕目 第三場 元の長局尾上部屋の場

駆け戻って来たお初が見たものは、既に自害して事切れていた尾上。慟哭しながらも尾上を弔い、旭の弥陀の尊像を奪われたのみではなく、すべてが岩藤のたくらみだったことに気付いたお初は、尾上の懐剣と恨みの草履を握り締めて復讐を誓う。菊之助の一人舞台である。またその哀しみの深さには、心うたれる。

大詰 奥庭仕返しの場

奥庭に忍び込んで岩藤に近づいたお初は、偽って尾上が病気だから一緒に部屋に来て欲しいと頼む。平静を装いながらも一旦は承諾した岩藤は、急病だと言って断ろうとするが、お初は特効薬だと例の恨みの草履を岩藤の頭に載せる。それと察した岩藤はお初を斬ろうとするが、逆にお初に斬り殺されてしまう。恨みの思いのたけを草履で打ち据えたお初は、尾上の後を追って自害しようとしたとろへ、弾正と岩藤の悪事はすべて露顕して、お家騒動は無事決着。お初はその忠義を賞でられ、二代目尾上を名乗ることが許される。

奥庭の黒幕が切って落とされてからの、美しい背景でのお初の仇討ちが胸をすく。

『廓三番叟』

順序が逆になったが、昼の部の最初は『廓三番叟』。多くの三番叟もののなかで、これは吉原の廓に移した珍しいもの。翁を傾城の太夫、千歳を新造、三番叟を幇間に見立てている。芝雀の傾城の大らかな美しさ、亀治郎の新造の愛嬌、翫雀の太鼓持の軽みなど、それぞれが持ち味を発揮していて、短いながらも楽しめた舞踊。ただし、廓の正月の風俗を見せるものなので、十月の歌舞伎には季節感があっていないのが少々不満であった。
平成17年9月23日、26日(千穐楽):『正札附根元草摺』『賀の祝』『豊後道成寺』『東海道中膝栗毛』『勧進帳』−九月大歌舞伎観劇記
23日に昼の部を観劇。しかし、都合により『東海道中膝栗毛』を除く三番のみの観劇となったので、まずその三番について簡単に記す。

・『正札附根元草摺』

橋之助の曾我五郎と魁春の舞鶴が鎧の草摺を引き合う趣向を見せる荒事風の曾我もの舞踊である。橋之助の五郎に大らかな味がよく出ているうえ、魁春がまた非常にきっちりとした品のある踊りで舞台を引き締めていた。魁春は襲名以来着実に腕を上げており、充実している。ただ、この出し物は、曾我もの本来の意味からは正月に相応しいものであろう。

・『賀の祝』

『菅原伝授手習鑑』の三段目。今回は前半に普段省略される部分も一部復活している。白太夫(段四郎)の三つ子の兄弟−松王丸、梅王丸、桜丸の三人は仲違いしている。今日は菅丞相(菅原道真)の領地佐太村の屋敷を預かっている白太夫のもとに、七十の賀を祝うため三人の女房たちが集まる。遅れて現れた松王丸、梅王丸は顔を合わせるとすぐ喧嘩をしてしまうので、白太夫は女房ともども追い返してしまう。一人現れない桜丸の身を案じる女房八重であったが、桜丸は家の奥から姿を見せる。実は菅丞相流罪の原因を作った責任からこの家に隠れていて、切腹する決心をしていたのである。それを知りながら、白太夫は主人のためにあえてそれを見送り、自らは筑紫へ旅立つ。

段四郎は、この哀しいまでの父親の切ない情を見事に見せていた。ただ、この日でもまだ科白につまるところがあったのは、折角の好演の興をそぐ点があったのは否めない。他に歌昇の梅王丸が型通りではあるが、力強さと情がある。橋之助の松王丸は悪くはないけれども、曾我五郎と同じような荒事の役が二番続いて損をしている印象がある。時蔵の桜丸は、この場の桜丸は難しい役どころではあるものの、少しあっさりし過ぎていると感じた。

三人の女房−芝雀の千代、扇雀の春、福助の八重のなかでは、芝雀がもっとも武家の女房らしいふっくらとした美しさがあった。

・『豊後道成寺』

さすがの雀右衛門も、年齢を考えれば当然ではあろうが、最近は舞台での動きに不自由さが感じられ、『京鹿子娘道成寺』を踊るのはもうきついと思うけれども、この舞踊であれば少ない動きの中に娘の可愛らしさと鐘への恨みを見せることができる。黒地の衣裳と白の帯でのセリ上がりの舞台姿を見て、その美しさには息をのんだ。その所作のどれをとっても芳醇な味わいがある。引き抜いてからの山吹色の衣裳も美しく映えて、これは雀右衛門の女形の至藝を味わえる逸品だった。

千穐楽に昼の部『東海道中膝栗毛』と夜の部『勧進帳』を幕見。

・『東海道中膝栗毛』

話は富十郎の弥次さんと吉右衛門の喜多さんが江戸日本橋から尾張地球博まで繰り広げる珍道中である。芝雀の吾妻路弓枝が父の仇歌昇の赤堀伊右衛門を探す手伝いをする脇筋もあり、さらに福助の投げ節お藤・信二郎の自然薯の三吉の巾着切コンビもからみ、早い場面転換で次々と面白おかしい話が続く。

例えば、第三場喜多八の部屋の場で、按摩の幽霊が出て喜多さんが悩まされるところは、『蔦紅葉宇津谷峠』のパロディになっていて弥次さんともども怖がって大騒ぎする。第五場三島宿梓巫女の家の場では、歌江の巫女細木明珍が驚くほど細木数子そっくりでうまく、笑わせる。また、お得意の名優の声色も聞かせる。十三代目仁左衛門、六代目歌右衛門、十七代目勘三郎の三人の物真似は、この人ならではの藝(?)であろうが、若い観客にはどこまでうけたかは分からない。第七場大井川川中と水中の場では人足の翫雀と富十郎の弥次さんが掛け合いをしながら、川を渡る場面が楽しい。

大詰めは尾張地球博の場で、梅玉の名前が尾張万博守というのも人を食ったものである。本物より一日遅い楽日(閉幕)。マンモスにモリゾーとキッコロも登場するうえ、押し戻し風に信二郎が持って出て来たのが「えびふりゃー」という大サービス振り。賑やかに盛り上がって幕となったが、折角の地球博という時事ネタの楽日、千穐楽ヴァージョンがあってもよかったように思う。

全体として観ると、全八場は個々の場面の面白さと豪華な役者陣がその場面のみで終わってしまい、狂言としてのまとまった抱腹絶倒の面白さにはなっていなかった憾みが残る。

『勧進帳』

吉右衛門の弁慶は予想通りの大きさと主を思う情、そして愛嬌など申し分ない出来である。また幕外の飛六方も豪快なものであった。ただ、過去の名優の弁慶を観ている目からは、この人ならもっと上のレベルの弁慶像を作ってくれるのではないかとさらに期待してしまう。一時体調の不良のためか元気のなかった富十郎の富樫が完全復活していて、素晴らしい。もともと爽やかな口跡がより凛としていて、高音がはりメリハリが明確である。さらに見得が非常にきっちりとして綺麗であり、弁慶の義経打擲からそれと事情を察しながらも、弁慶の忠義を思いあえて見逃すところの情の深さなどは近年の富樫としては出色のものであろう。福助の義経も落ち着いていて良い。ただ、あえて言えば、四天王がやや非力であったこと、長唄が今ひとつ物足りなかったと思うのは贅沢な言い分かもしれない。
平成17年9月17日:『櫓のお七』『松王下屋敷』−第十八回歌舞伎フォーラム公演観劇記
歌舞伎フォーラム公演は、歌舞伎をより分かりやすく、親しみやすい内容で多くの人に観てもらおうと続けられてきたもので、回数を重ねてもう十八回目となった。若手役者の研鑽の場であるとともに、普段本興行ではかからない珍しい演目の復活も試みるという意欲的なものになっている。

会場は江戸東京博物館一階ホールで、小さいながら観劇には適したなかなかいいホールである。ただ、惜しむらくは花道がない。江戸猿若座の芝居小屋のミニチュアを復元しているこの博物館で、ホールを設計する際に歌舞伎の公演を行う発想がなかったことは理解し難いことである。

今回の公演の詳細はこちら

第一部『歌舞伎の美−効果音』は、歌舞伎の効果音を取り上げていて、又之助の大変分かりやすい解説で、面白く観て、聴くことが出来た。大太鼓は望月太左之助が出演して撥の種類や打ち方によって、風音・雨音・雷音・波音・雪音などさまざまな表現がなされることを具体的に聴かせてくれた。またその他の効果音は、雨団扇・雷車・波音・虫の音などを四人の観客を舞台にあげて、実演させていたのはいつもながら楽しい企画であった。

梅之が立方として景清の舞踊を披露して、それにあわせて観客が効果音の実演をしていた。大変立派な景清であり、この公演では他の幕でもまったく異なった役どころを演じ分けていた梅之の活躍が光っていた。

第二部『櫓のお七』は、吉三郎恋しさのあまり、木戸を開けるために櫓の太鼓をうつまでを、お七の人形振りで見せるのが見所である。京妙のお七は又之助・光紀の二人の人形遣いの後見との息もよくあっていて、メリハリのある美しい人形振りだった。普段立役の梅之の下女お杉がうまく、思わぬ収穫。ただ、義太夫がテープによるのは少々残念。

第三部『松王下屋敷』は、はじめて聞いた狂言で今回一番注目していた出し物。有名な『菅原伝授手習鑑』の増補物、つまり実際の原作にはないが、物語の前後の筋を補うように作られた幕で、しばしば上演される『寺子屋』の前日談にあたる。戦後はじめての復活とのこと。

たしかに何故松王丸が我が子小太郎を恩義ある菅丞相の一子菅秀才の身代わりに差し出したかの心の動きが、この狂言を観るとよく分かり、『寺子屋』がさらに面白くなる。それにしても、『寺子屋』での松王丸の「こりゃ女房何でほえる。覚悟したお身代わり、内で存分ほえたでないか」という台詞から、これだけのドラマを作り出した作者の手腕は並々ならぬものがある(実際の作者は不明のようだが)。又之助の松王丸が非常に恰幅があり大きく、この人の実力をまざまざと見せていた。京妙の女房千代も自らの潔白を明かそうと自害を決心するところなどは、きりりとした心情と憐れさをあわせて表現していて、心うたれた。梅之の御台所は難しい役であるが、慣れない女形の役を健闘していたように思う。子役は公募によって選ばれた六人が交代で演じていて、所見の小太郎は坂口政隆。けなげな役を一生懸命演じていて、思わず涙を誘われる場面もあった。

観客も普段あまり歌舞伎を観ていない方が多いのか、拍手もやや少なめであったうえ、土曜日の昼でも空席があった。一旦幕が閉まった後また幕が開き、京妙から役者さんの紹介と挨拶があり、お知り合いに宣伝して欲しいとの話があった。役者もスタッフも少人数で行われているので、チケットの値段も歌舞伎座の三階席より少し上回る程度でこのような充実した公演が観ることが出来るのは有難い。今後も是非このような試みを続けて欲しい。
平成17年8月10日(初日)、28日(千穐楽):『法界坊』−八月納涼歌舞伎第三部観劇記
今回串田戯場(くしだワールド)と銘うっていたのは、演出家串田和美の歌舞伎座初演出に敬意を表していることはもちろんであろうが、どうもそれだけではないようだ。幕が開くと舞台両袖に桟敷と平場席があり人形の客が芝居見物をしている。これは江戸芝居の「羅漢台」や「吉野」の再現であろう。よく見ると中村座の定式幕があるから、これは我々観客も一緒に中村座の芝居小屋でこの『法界坊』を楽しんでいるという設定になる。照明もカンテラ風に作っている。平成中村座で幕内に「桜席」という席を作ったくらいであるから、これは江戸芝居の復活を目指す勘三郎の考えにもあった舞台装置であろう。また歌舞伎座の横長の舞台を芝居小屋風に小さく見せる効果もあって、この歌舞伎には珍しい喜劇の狂言には相応しいように思った。ただし、そのためもあって回り舞台は一切使っていないが、幕も少なく場面転換にもとくに問題はなかったように思う。

しかも、この観客の人形には、実は数人の役者が入っており、法界坊が頭を叩いたり、突き倒したりして、はじめて分かる仕掛けがあって、観客はあっと驚かせられる。

平成十二年の平成中村座での舞台は映像でしか観ていないが、勘三郎の法界坊は蓬髪とハゲの鬘、そして乞食坊主の衣裳もより汚らしく、一段とパワーアップしているように見え、ただの滑稽な悪党坊主だけではなく、色にも金にも欲望むき出しの破戒坊主になっている。また残虐な場面の凄みも十分である。初日から台詞も動きもテンポよく、スピード感溢れていた。かっぽれ踊りで花道を引っ込む時には観客から手拍子も出たほどである。ただ、二幕目の野分姫・お組の双方を口説いたり、権左衛門を殺す場面での凄みは初日の方が勝っていて、楽日の再見の時は滑稽味の方が色濃くなっていた印象がある。

法界坊と野分姫の双面の怨霊となっての「宙乗り」は、平成中村座の時のように観客の頭上近くを飛び回ることは歌舞伎座の舞台機構の制約上出来なかったようで、通常の花道の上を宙乗りしていたが、上下左右にたっぷりと動き、その双面の恐ろしさを見せていた。

他にまず目に付いたのは勘太郎の山崎屋勘十郎、女船頭おさくの二役。六月のコクーン歌舞伎に続く対照的な二役である。勘十郎の三枚目の味をこの若さでこれだけ出せるのだから、末恐ろしい。序幕の床几跳びは、初日の場合多く並べられた床几を障害競技のように次々と跳ぶ大サービス振りだった。

亀蔵の番頭正八は、『野田版 研辰の討たれ』のからくり人形よりある意味では怖い部分と、腹を抱えて笑わされる部分の双方とも怪演と言うほかないアクロバティックな演技を見せていた。

福助の手代要助実は吉田松若は、法界坊などの滑稽な演技の場面でも耐えて真面目に演じなければならない、非常に難しい役で、高貴な若殿を品良く演じていた。この人のこのような立役は大変いい雰囲気を持っている。扇雀のお組は、ぽっちゃりとした大店の娘に相応しい。七之助の野分姫は、いい意味で一人時代物の世界から紛れ込んだ異星人のような雰囲気が出ていて、ゆったりと間延びした科白回しは笑を誘う。橋之助の甚三郎は、法界坊に皮肉られるほどのかっこいい役で、かなりアドリブで突っ込まれていたようだが、ファンには堪らないであろう。大詰の押戻しも、堂々たるものがある。もっとも持っているものが巨大化した鯉魚の一軸であるのには笑わせられた。

以下は、簡単なあらすじと見所。

序幕 第一場 深川宮本の場

吉田家の重宝鯉魚の一軸を探している永楽屋の手代要助は実は吉田松若である。都から許婚松若を追って、しのぶ売りに身をやつした野分姫が深川の料理茶屋宮本へやって来る。その要助と恋仲である永楽屋の娘お組も、父権左衛門に連れられて、来合わせる。権左衛門は鯉魚の一軸を手に入れるために、山崎屋勘十郎をお組とめあわせようとしていたのである。そこへ浅草寺の釣鐘勧進と称して、法界坊の講中一行がやって来る。お組に横恋慕し、鯉魚の一軸をも狙っている法界坊は、宮本の座敷で要助とお組が痴話喧嘩をしている間にまんまと偽物とすりかえる。その際の法界坊のダンスまがいの軽快な動きは笑を呼ぶが、さらにその後勘十郎がまた同じような動きをするから、なおさら面白さが倍加する。

そこへ番頭正八が現れて言葉巧みに鯉魚の一軸を買い取るための百両を貸す代わりに借用証文を要助に書かせる。その際に黒子が墨を磨ったり、代筆した証文を渡すなどの演技しているのも面白い。正八もお組に気があり、言い寄るところを道具屋甚三郎が助ける。

お組が間男していると勘十郎がいきり立っているところへ、この通りだと要助とお組を引き立てて法界坊が現れる。それを見た正八は要助に貸した百両を返せと迫り、無理矢理取り返してみるとそれが贋金だと法界坊とともにさんざんに打擲する。ここは障子を使って面白おかしく見せる。割って入った甚三郎に間男の証しにと取り出した恋文が実は法界坊自身がお組に宛てたものと暴露されてしまい、恥をかかされたまま法界坊は退散する。引っ込みのかっぽれ踊りが見もの。借用証文も甚三郎の妹おかんに焼き払われて、一件落着。要助は甚三郎が預かることになった。

序幕 第二場 八幡裏手の場

正八が駕籠でお組を攫ってきたところを、隙を見て法界坊は通りかかった市兵衛と入れ替え、葛籠の中へ押し込めてしまう。そこへ勘十郎が要助とともにやって来て、お組のことで嫌味を言って、鯉魚の一軸を引き裂いてしまう。驚いて要助が斬りかかるところへ法界坊もからみ、だんまりとなる。通常のだんまりに比べて、かんてらを効果的に使っている。探りあいのうちの法界坊は勘十郎を斬ってしまう。

勘十郎を殺したと思い込んだ要助が腹を切ろうとした時に来合わせた甚三郎によって引き裂かれた鯉魚の一軸が偽物と分かる。葛籠からお組も助け出して三人が戻った後、それとは知らぬ法界坊と正八は、それぞれ葛籠と駕籠に入っていると思い込み、担いで去って行く。市兵衛を加えた三人が「しめこのうさうさ」と陽気に浮かれ踊りを踊るのも、観客まで思わず浮かれてしまいそうな楽しさがあった。

二幕目 三囲土手の場

場面は三囲土手で、上手の土手の上に汚らしい小屋がある。雷鳴がとどろくなか、仮花道が置かれる時に使う通路にしのぶ売りが現れて、そのまま舞台前の通路を通り、本花道へ上がってゆく。その後を追うように、権左衛門、要助、お組、野分姫が連れ立ってやってくる。小屋から出てきた法界坊がそれと気が付き、お組に嫁にくれ言い寄るが、当然ながら権左衛門は聞く耳を持たない。法界坊は斬りかかって来た要助の脇差を奪い、権左衛門を斬りきざみ、要助を縛り上げて、お組、野分姫の二人を嬲りものにしようとする。ここらあたりは法界坊の好色さと残虐さがギラギラとしている。

死体を埋めるために穴を掘ってから、まず野分姫に言い寄る法界坊。抗う野分姫を要助に頼まれたと偽って斬り殺してしまう。今度はお組を口説いているところへ甚三郎が助けに現れる。法界坊は鯉魚の一軸を見せて切り返すが、奪われてかえって自分で掘った穴に落ちてしまう。甚三郎の薦めで隅田川の渡し場に向かう要助とお組の二人に野分姫の亡霊が立ちはだかる。鯉魚の一軸の霊力によって助けられた二人が立ち去った後、ようやく穴から這い出した法界坊は、怒って甚三郎にかかって行くが、逆に斬り殺されて、穴へ埋められてしまう。しかし、凄まじい法界坊の執念は野分姫の怨霊と合体して飛び去って行く。既に書いた双面になっての「宙乗り」は、この場面に相応しいおどろおどろしさがある。

提灯をサッカー・ボールに見立てた提灯サッカー(!?)や、穴から掘り出した骸骨をパットインする骸骨ゴルフ(これは初日にはなかった)などのブラック・ユーモア的なお遊びも多い。

大喜利 隅田川の場「双面水照月」

背景に待乳山聖天が美しく見える隅田川畔で浄瑠璃『双面水照月』を竹本と常磐津が掛け合いをするなか、勘三郎がお組とそっくりの娘姿から徐々に双面の怨霊の正体を現して行く。声は後見姿の七之助。艶やかさから凄みへ。初日はご本人の帯が落ちそうになるハプニングもあったが、それにも動ぜず、きっちりと踊りこんでいて、見応えがあったのはさすがである。

最後は怨霊姿でスッポンからせり上がり、甚三郎実は忠臣甚平の押戻しも付いていて、本舞台での絵面の見得で幕。四月の『京鹿子娘道成寺』の再演を見るようであった。初日からカーテンコールとスタオベがあり、串田和美も舞台に上がり、観客から熱い拍手を受けていた。

千穐楽のカーテンコール&スタオベのヴァージョンについては、やはり書いておきたい。舞台上にしつらえられた中村座の観客席(羅漢台)に置いてある観客の人形に実は人形に化けた役者が混じっていたという仕掛けは劇評家の方々も騙されたもので、既に分かっていてもやはり面白い演出である。大詰で観客の拍手にあわせてこの人形も動くのだが、楽日はどうも役者が入っている人形が数多くいるようで、さかんに拍手をしている。幕が閉まっても鳴り止まぬ拍手にカーテンコールがあり、勘三郎はじめ主だった役者が登場したが、羅漢台の人形に扮している役者にも降りてきてくれ、と合図している。降りてきた役者がマスクを取ると、上手の人形にはなんと弥十郎と芝のぶ、下手は亀蔵がいた。そして、羅漢台から最後に転げ落ちるように降りてきた人形は、演出の串田和美氏だった!これは少なくとも勘三郎には知らされていなかったようだった。串田氏はこの人形の仕掛けに最後は自分まで登場させる演出をして、あっと言わせたのである。

それから舞台が暗くなると、三階席にいると宙乗りのワイヤーの音がよく聞こえるから、宙乗りで何か出てくると思って小屋を注視していたら、串田氏自作の法界坊人形が登場、花道に下ろされて、勘三郎に手渡された。勘三郎は自分の子供のように愛しそうに抱いていたのが印象的。一旦幕が閉まっても拍手はまだ鳴り止まないので、再度のカーテンコール!勘三郎が御礼の挨拶と来年の納涼歌舞伎は勘三郎襲名の地方巡業のため出演できない(代わりに三津五郎が座頭格のようである)旨の話があった。串田氏も勘三郎に促されて、恥ずかしそうに一言挨拶していた。
平成17年8月28日(千穐楽):『伊勢音頭恋寝刃』『蝶の道行』『京人形』−八月納涼歌舞伎第二部観劇記
『伊勢音頭恋寝刃』

この狂言は、江戸時代盛んだったお伊勢参りによって繁栄した伊勢古市の妓楼油屋で実際に起きた事件を基に、近松徳三が書いたもので、歌舞伎ではよくある名刀の紛失を巡っての殺人事件を、衣裳、小道具、背景に流れる伊勢音頭など夏の季節感一杯の典型的な夏狂言である。今回も『油屋』と『奥庭』の二場の上演である。

主人公の福岡貢は、今は御師(「おんし」、お伊勢参りの人たちの案内人兼祈祷師のような存在)だが、元は武士。だから、この役はただ男の色気だけではないシンの強さが求められる。三津五郎の福岡貢は、「ぴんとこな」と言われる、きりりとした強さを持った和事の二枚目であるこの役を、初役とは思えないような鮮やかさで演じていて、まことに過不足無い理想の貢であった。黒の羽織に白絣もすっきりとよく似合い、仲居万野に翻弄されて徐々に激昂する姿などをはじめ、一つ一つの見得が形良く決まっていて、大変綺麗である。だから、奥庭の場の凄惨な殺しの場面でも、いくつかある見得の美しさが際立って印象的だった。筋書きでは音羽屋型と書かれていたが、観た限りでは少し違い、独自の工夫があるようだった。

対する勘三郎の万野も初役であるが、中年の仲居のいやらしさと意地悪さがよく出ていた。恋人の遊女お紺に会うため、油屋に居つづけようとする貢をすげなくあしらい、替わりの遊女を呼ぶことを強引に勧めて、貢がしぶしぶ納得するとがらりと態度を変えるところなど、さすがに見事なものである。福助のお紺は愛想尽かしにもう少し強さがあれば、それが刀の折紙(鑑定書)を手に入れるための心無いものであることがなおさら明確になったように思うが、姿形の美しさも含めていい出来である。弥十郎のお鹿は、道化役であるが、うぶで純情な遊女を可愛らしく演じていた。この人の幅広さは貴重である。橋之助の料理人喜助、勘太郎の万次郎、七之助のお岸ともに、よく持ち味が出ていて、この舞台は大変厚みがあった。

『蝶の道行』

『けいせい倭荘士』の一部のようだが、この舞踊しか観た記憶が無い。恋仲の男女が死後の世界で再会し、幸せであった頃を思い出しながら楽しげに舞うのも束の間、地獄の責め苦にあって、狂うように舞いながら、折り重なって死んで行く。久しぶりに生の舞台を観たが、義太夫節に移調されたこの浄瑠璃は、あらためて名曲だと思った。武智鉄二演出・川口秀子振付の舞台を最初に観た時は、舞台装置などもとても前衛的でこれが歌舞伎かと思った印象があるけれども、今観直すと既に古典的でありながら、かつ新鮮さも持続しえている。染五郎の助国・孝太郎の小槙が美しい一対の蝶となって飛び交う舞踊は大変見事で、我々観客も夢幻の世界を彷徨うような錯覚すら覚えさせた。

『京人形 銘作左小刀

これは、左甚五郎が魂をこめて作った人形が、動き出す一種のメルヘン。甚五郎は廓で見初めた太夫に生き写しの人形を彫り上げるが、魂は甚五郎と同じ男のまま。廓で拾った太夫の鏡を人形の懐に入れると、太夫の魂となる趣向も面白い。扇雀の京人形が、人形振り、ごつごつした男の動き、そして優美な花魁道中などを踊り分けていたのが一番の見所であった。

橋之助の甚五郎は、やや笑い顔が多い点が気にはなったが、爽やかな男振りで、大工道具での立ち回りや右腕を斬られて左甚五郎と呼ばれるようになった由来を見せるなど、見せ場たっぷりであった。これは短いながらも芝居としても、また舞踊としても大変よくまとまっていて、楽しめた演目だった。
平成17年8月15日:『金閣寺』『橋弁慶』『雨乞狐』−八月納涼歌舞伎第一部観劇記
『祇園祭礼信仰記 金閣寺』

今回は、福助の雪姫、三津五郎の松永大膳、染五郎の此下東吉(実は真柴久吉)、橋之助の佐藤正清、勘三郎の狩野直信と役者が揃っているので、全体としては過不足ない出来である。とりわけ初役の三津五郎が大変大きい国崩し(国の転覆を図る武将)の実悪振りと悪の色気があって、素晴らしい。染五郎はさすがにまだ貫禄には不足しているが、凛々しさと爽やかさがある。勘三郎はもったいなくらい出番が少ないが、出るのみで舞台が引き立ち、大きくなる。

福助は襲名以来の雪姫である。綺麗な赤姫であるが、一番の見せ場である桜の花びらを足で集めて描いた鼠が、本物の白鼠となり、縛められた縄を喰いちぎって助かるくだりが、さらさらと流れるだけでコクがない。襲名時の雪姫にはもっと初役のひたむきさと熱さがあったように思う。二年前雀右衛門が演じた雪姫のこの場面では観る方が疲れるほどの集中力があった。その時は今回に比べて桜の花びらも半端ではないほど大量に降って、年齢を超越した歌舞伎美の具現があったように思う。福助にはこのような良いお手本があるのだから、もっと上のレベルを目指して欲しい。

『雨乞狐 野狐の五変化』

間違いなく第一部の圧巻は、勘太郎のこの変化舞踊である。平成元年十一月に現・勘三郎が歌舞伎座で開いた「第一回勘九郎の会」で演じたもので、勘九郎のテレビ特番ではその一部分を観たことがあるが、本興行にかかるのははじめてである。日照りが続き、民百姓は雨が降らないと嘆いている。そこへ『義経千本桜』の源九郎狐を先祖に持つ野狐(源九郎狐の孫の孫の孫!?と竹本は唄っていた)が現れ、初音の鼓の故事に倣い、「てんぽの皮」と雨乞い踊りをはじめる。まず狐は幣を持った巫女に化けて現れて、雨よ降れと一心に雨乞い踊りを踊る。その霊力が通じて、土砂降りの雨となる。狐は今度は座頭、小野道風、狐の嫁入り、そしてまた最後に野狐へと早替り(小セリからの大きな跳躍付きには驚かされる)を見せる。

『四の切』の源九郎狐と同じ白い狐の衣裳での狐踊りから、まず踊りのキレが抜群にいい。座頭の滑稽な味、小野道風の品の良さ、狐の嫁入り姿の艶やかさなど早替りもまじえながらそれぞれ鮮やかであり、また柔らかさもある踊りだから、観る者を飽きさせない。とくに狐の嫁入り姿での踊りが、何とも言えない優美な品も感じさせた。

勘九郎の特番でその映像の一部を観た印象と比較するのはいささか乱暴なことを承知であえて言えば、踊りのうまさでは今回の勘太郎の方が一枚上手のように感じられた。小耳にはさんだところでは、踊りは三津五郎の指導を受けていると聞いたが、なるほどと思わせるような見事なものだった。

最後に野狐に戻ってから、雨乞いに成功したから勘九郎狐の名前をもらって大喜びし、花道で大きな海老反り、そして狐六方での引っ込みまで観客からは大きな拍手の連続だった。かつて勘太郎が演じた提灯役を鶴松がとても可愛らしく踊っていたのが目を惹いた。子役から入って、この年齢でこのような踊りが出来るとは先が楽しみなことである。

『橋弁慶』

その前の獅童の弁慶と七之助の義経による『橋弁慶』は、比較しては気の毒だが、かなり物足りない。七之助の出来は悪くないのだが、獅童の踊りのぽつぽつと切れて固い部分ばかり目に付く。いくら弁慶でももう少し流れるように踊って欲しいものである。やはり歌舞伎役者として舞台の立つ以上、もっと踊りの精進が必要ではないだろうか?
平成17年7月9日、23日:『NINAGAWA 十二夜』−七月大歌舞伎観劇記
まさに異例づくめの今年の七月大歌舞伎である。長年続いた七月の猿之助奮闘公演もご本人の病気休養のため、昨年は急遽坂東玉三郎が座頭となり、十九年の封印を解いてあの伝説の『桜姫東文章』を澤瀉屋一門と通し狂言で出してくれるという嬉しい番狂わせ(?)があったが、猿之助の早期復帰が望めない状況では今年の七月の歌舞伎座は一体どうなるのだろか?と心配していたら、何とシェイクスピアの戯曲、それもロマンチック・コメディとして知られる『十二夜』を歌舞伎に翻案して、世界に名だたる蜷川幸雄演出で上演するという。しかも、普段と異なり、これ一本のいわゆる通し狂言で、しかも昼夜同一!夜に一部休演日もある。これは歌舞伎座の今までの興行形態にはないものだったから、かなり大きな賭けであったろう。余談であるが、スーパー歌舞伎や古典の復活・再創造に取り組んできた猿之助が不在の澤瀉屋一門が、この七月は国立劇場で歌舞伎鑑賞教室として、古典の『四の切』を上演したことを思えば、歌舞伎の流れが変わってきているように思えてならない。

菊五郎劇団として、歌舞伎に何か新しいレパートリーをと考えた菊之助が、知人のアドバイスでこの『十二夜』の上演を思い付き、それを歌舞伎座で上演する以上はシェイクスピアの演出で世界的にも名があり、親交のある蜷川幸雄の演出で是非実現したいと直接依頼し、蜷川幸雄も「菊之助君の真摯さに打たれた。歌舞伎王国に留学するつもり」と語り、照明担当以外はいつものスタッフを連れず演出に臨んだ舞台である。しかし、シェイクスピアが歌舞伎になるのか?と訝ったり、戸惑ったファンも多かったようである。しかし、また新しい試みを、歌舞伎での蜷川幸雄の初演出で観る事が出来る期待も大きかった。

歌舞伎ファンにとって、不安と期待が交錯する中で上演されたこの公演も、結論から先に言えば、立派に歌舞伎風に仕上がった美しい舞台と、出演した役者たちのチームワークの良さで、上質の出来となり、最初は様子見であったろう観客もそれに呼応するかのように連日の大入り満員となったことは、興行的にも大成功であったと言える。これはひとえに菊之助の意欲的な挑戦とそれを脇から支えた父菊五郎、そして多くの役者、スタッフ、舞台関係者一丸となっての舞台作りの成果でなくてなんであろう。

○ シェイクスピアと歌舞伎の類似性と違い

元々歌舞伎とシェイクスピアとはその演劇性において大変類似している。筋書きで河竹登志夫氏が的確に指摘されている通り、十七世紀をはさんで片やシェイクスピアは多くの戯曲を書き、他方歌舞伎は出雲の阿国からその歴史がはじまる。しかもどちらも庶民のための大衆演劇だった点は、同じ総合芸術であるオペラが王侯貴族のものであったのとは大きな違いである。

また自由奔放な作劇術、血みどろの凄惨な場面や濡れ場が多いこと、エプロンステージや花道を通じて舞台と観客席が一体化していること、さらにはシェイクスピア劇の女性が男優のために書かれたことも歌舞伎の女形との共通点として河竹氏は挙げられており、すべて肯けることばかりである。

だから、明治に入っての歌舞伎がシェイクスピアを翻案して、受け入れたのは当然とも言えるが、その後の多くの試みも必ずしも歌舞伎狂言として定着して来なかったことは、やはり劇詩の流れのなかにある台詞劇としてのシェイクスピアの戯曲が、役者の肉体を通して表現することが基本である歌舞伎にとっては、ある意味では相反するものがあり、致し方なかった点があるのだろう。

○ 翻案の巧みさ

今回の舞台は小田島雄志の名訳を基に、今井茂が歌舞伎に翻案した脚本を書いている。この小田島訳の特色は、実際の舞台上演を想定して、あえて意訳も辞さない日本語にしていることで、大変こなれた日本語になっていて、分かり易い。その小田島訳を今回うまく脚本化しており、まず役名からして非常に歌舞伎らしく、美しいものに置き換えていることにまず感心させられた。この巧みさだけでも半分成功したようなものと言える。以下、やや煩瑣にわたるが、主な役名を出演の役者とともに書いておこう。[ ]が読み方、( )内が原作の名前である。なお、以降の役名はすべて今回の日本名に統一して、書いて行くことにする。

尾上菊之助=琵琶姫[びわひめ](ヴァイオラ)
尾上菊之助=獅子丸[ししまる](シザーリオ)
尾上菊之助=斯波主膳之助[しば しゅぜんのすけ](セバスチャン)
尾上菊五郎=丸尾坊太夫[まるお ぼうだゆう](マルヴォーリオ)
尾上菊五郎=捨助[すてすけ](フェステ)
中村信二郎=大篠左大臣[おおしのさだいじん](オーシーノー公爵)
中村時蔵=織笛姫[おりぶえひめ](オリヴィア)
市川左團次=洞院鐘道[とういん かねみち](サー・トービー・ベルチ)
尾上松緑=安藤英竹[あんどう えいちく](サー・アンドルー・エーギュチーク)
市川亀治郎=麻阿[まあ](マライア)
河原崎権十郎=海斗鳰兵衛[あまと におべえ](アントーニオ)
市川團蔵=比叡庵五郎[ひえい あんごろう](フェービアン)
尾上松也=久利男[くりお](キューリオ)
坂東秀調=幡太[ばんた](ヴァレンタイン)
市川段四郎=舟長磯右衛門[ふなおさ いそうえもん](船長)

全体で三部十八幕の構成は、古典的な狂言の常識では多過ぎるとの批判も分からないではない。しかし、原作ではとくに場の指定はないが、原作にほぼ忠実に翻案しようとすると、このようになるのはやむをえないと考える。また序幕第二場の紀州灘沖合いの場の船の難破の場面は、原作にはないが、双子の兄妹を早替りで出すことにより、その後の物語の展開をより分かり易くしており、大変良い工夫である。

ところで、歌舞伎の時代物は、通常「世界定め」と言って、その時代背景を決める。今回の『十二夜』はもちろん翻案物であるから、正確な世界定めは必要ないのであろうが、脚本の今井豊茂は主に最初は「南北朝」を想定したが、歌舞伎にはなってもシェイクスピアからは離れすぎるとの菊五郎の指摘で、平安時代に遡って書き直しているようである。ただ、序幕第一場や二幕目第一場は衣裳などが安土桃山風、大詰で鳰兵衛が大篠左大臣から院の北面の武士に任じられていることから考えても平安後期と考えられ、やや世界が混乱している印象を受けた。

○ 演出 衣裳 舞台装置 音楽

舞台装置は、館の広間、長局、奥庭など通常の歌舞伎の装置の形を踏襲しながらも、蜷川幸雄のアイデアで金井雄一郎が基本的に三方の壁面をハーフミラーにしたものを作った。双子の兄妹をめぐる恋愛喜劇だから、「一つの顔、一つの声、二つの体、鏡に映りしごとく」の台詞をそのままを形にしたこの装置は、まことに美しく、また役者の姿が後ろからも横からも見え、しかも花道からの出も映り、さらには観客の姿も映っているから、まさに舞台と観客が一体化したような、今までの歌舞伎ではない異次元空間を現出しており、その美しさには陶酔させられた。

この舞台装置こそが、今回の蜷川演出の狙いであろう。歌舞伎の世界をそのまま使いながら、鏡を通して、シェイクスピアの戯曲の多層性を鮮やかに照らし出している。その他はまったく奇を衒わず、淡々とひたすら歌舞伎らしく作って行ってくれたことが、このような美しい舞台になったように思う。

とりわけ序幕は、暗転の中次第に舞台が見えはじめると全面の鏡に観客席が映り、どっとどよめくなか、花道から大篠左大臣が従者とともに出てくるところが鏡で見え、その鏡が一瞬に透けてから上がると、そこは舞台一面が満開の桜の大樹となる場面の美しさは筆舌に尽くしがたい。しかも、舞台には小型のチェンバロ(正式にはスピネットのようであるが、これがまた桜の模様の入った美しいもの)が置かれている!左大臣の指示で、三人の子供(衣裳は切支丹の少年風)による合唱隊が、チェンバロと小鼓・大鼓の伴奏(奏者は雅楽奏者の衣裳風)で澄んだ歌声を聴かせる。大篠左大臣が語りだす「ああ、この美しい音楽が…」の台詞そのものにはH・パーセルの曲が付けられ、クリスマス用のグレゴリオ聖歌"Veni, veni Emmanuel"、日本では讃美歌第99番「久しく待ちにし」が歌われる。洋楽器と和楽器の今まで聴いたことのない組み合わせによる音楽であるが、何故かこの場面にふさわしい妙なるハーモニーで、冒頭から観客を魅了つくしてしまう。

(これは余談。この場面を見ていて、安土桃山時代に渡来したイエズス会の宣教師たちが、日本人信徒たちにキリスト教の宗教劇を教えていた形跡があり、これを見た出雲の阿国が歌舞伎踊りを思いついたのではないか?とそのつながりを示唆した丸谷才一のエセーを思い出した。蜷川幸雄が読んでいて、それを舞台に現出したように思ったのはうがち過ぎだろうか?)

洋楽器の使用は、これに止まらない。序幕第二場の大船の難破の際には、雷の音とともにパイプ・オルガンが鳴り響き、場面転換にもチェンバロが頻繁に使われる。極めつけは、獅子丸の大篠左大臣への思いをヴァイオリンが通奏低音のチェンバロを伴って奏でられ、織笛姫の獅子丸への思いにはハープが美しく鳴るなど、かなめの場面に効果的に使われていて、違和感どころか、邦楽器との親近性を感じた。

序幕第二場では舞台全面に大船を出し、その中での菊之助が兄→妹→兄の早替りを素早く、見事に見せている。また嵐の中での難破もこの舞台唯一のスペクタクルな見せ場にもなっている。恐らくこの場は『毛剃』を参考にしたと思われた。

場面転換も一回目の観劇ではやや遅い印象もあったが、二回目の観劇ではあまり感じられなかった。しかし、三時間四十分の上演時間は変わっていなかったから、役者の演技のテンポが良くなったとしか思えない。

○ 役者の演技 喜劇性

既に書いたような鏡の舞台は、通常の狂言とは比べものにならないような台詞の多さ(筋書で、左團次が「何しろすごいセリフの数で。もうあまりの数に(役を)ご辞退しようかと思ったくらい」と話しているのは、この人一流のユーモアはあるにせよ、事実であろう)と鏡を通して自分の演技が多面的に見られているということは、歌舞伎役者としてはかなり過酷なことであったろうと推察される。

菊之助は双子の兄妹の二人を演じるが、実際には妹琵琶姫は、男装してお小姓獅子丸として舞台に出ていることが多いので、事実上三役と言っても良い。琵琶姫としての出番は少ないから、獅子丸自体が実は女性であることが分かるような清潔な色気を見せていて、時にふっと琵琶姫の本性を現してしまう時の切り替えが鮮やかである。とくに大篠左大臣に対するせつない恋心を訴えるところが、素晴らしい。一番の眼目の性の倒錯―男性である菊之助が女形として女性を演じながら、男の化ける趣向がとても生きていて、面白い。兄主膳之助は対照的に凛々しい白塗りの二枚目になっていて、立役としても申し分ない出来だった。ただ、菊之助そっくりの仮面の吹き替えは、やや早替りの鮮やかな効果を減殺していたように思ったが、これは鏡の使用と表裏一体の意図的な演出と考えるべきなのであろうか?

菊五郎が演じる二役は、原作では同じ場面で登場するから、本来は別の役者が演じるはずである。これをあえて早替りで菊五郎が演じたのは、役者としての菊五郎の格から言って、丸尾坊太夫一役では不足するという事情かもしれないが、言葉の遊び人と言われる道化の捨助のような役は歌舞伎には例がなく、その危険性を承知で菊五郎があえてこの役に挑んでくれたことは、評価しなければいけないであろう。ただ、せっかくの小田島訳をいかした捨助の台詞も、やはり歌舞伎としては、馴染まないところもまだ多分にあり、必ずしも成功していないように思う。加えて、丸尾坊太夫と二役にしたため、原作よりも捨助の出番が少なく、また二役の違いがあまり明確にならなかった憾みが残る。

織笛姫は、典型的な歌舞伎の赤姫。時蔵はこの型をきっちりと出しながら、多くの台詞をこなしていて、見応えがあった。信二郎の大篠左大臣は、序幕から恋に悩む憂いの表情を見せていて、この人にぴったりのはまり役であった。

脇筋(コミック担当と亀治郎本人は言っているが)では、まず亀治郎の麻阿が一番の傑作である。主筋と脇筋をつなぐ役目を果たしながら、脇筋はほぼ出ずっぱりであり、豊かな表情と細かい動きでテンポよくぐいぐいと引っ張ってゆく。織笛姫の腰元でありながら少し品がなく、鐘道とじゃらじゃらしながらも、頭がよくて、いじめの悪巧みを思い付く役は、従来の歌舞伎の女形の型をはるかに越えている。少し異なるであろうが、思わずモーツアルトの歌劇『コシ・ファン・トゥッテ』の侍女デスピーナを思い浮かべてしまった。

松緑の安藤英竹は、これまたかつらや衣裳、顔の作りなどその出で立ちからして、歌舞伎の常識にはない阿保振り。歌舞伎で「ボク」を連発する役は、はじめて観た。赤のラメの靴を履き、靴下は毎回色が違う芸の細かさ。原作ではここまでとは理解していなかったが、演出の指示であっても、これだけ徹底して演じられた松緑は、大いに褒められるべきであろう。

左團次の鐘道は、ただ舞台にいるのみで可笑しみがあり、脇筋の中心としての存在感は大きい。團蔵の比叡庵五郎は、原作より出番もしどころも多くあり、この人の隠された喜劇性も十分に発揮されていて、軽妙な味があった。権十郎の鳰兵衛、段四郎の舟長磯右衛門もそれぞれ時代物の手堅さがある。

○ あらすじと簡単な見所

この『十二夜』は、乗っていた船が嵐で遭難したことによって、別れ別れになった双子の兄妹のうち、妹が男装して左大臣家の小姓獅子丸として仕えたことから、左大臣が恋い慕う織笛姫との恋のもつれ−左大臣は織笛姫を、織笛姫は獅子丸を、獅子丸実は琵琶姫は左大臣を、という恋のフーガが展開する。そこに脇筋として、融通がきかず、うるさい織笛姫家の用人丸尾坊太夫を、麻阿や叔父の鐘道らが、姫に恋している坊太夫の心を利用して、からかい、いじめるドタバタ喜劇がある。

以下は、既に書いた場面と出来る限り重複しないよう簡単に各場毎にあらすじなどを記すが、この物語の性質上やや長くなることをお断りしておく。なお、二日間とも三階席で観劇したことも付記しておきたい。

序幕 第一場 大篠左大臣館広庭の場

恋い慕う織笛姫が自分の思いを受け入れてくれないことを嘆き、憂愁に沈む大篠左大臣の姿を満開の桜と美しい音楽とともに描く印象的な序幕。

序幕 第二場 紀州灘沖合いの場 

舞台一杯に広がる大海原を大船が進み、そこには斯波主膳之助と妹琵琶姫が、船長磯右衛門とともに乗っている。ここでは船上での菊之助の早替りが鮮やかである。急に襲ってきた嵐に船が翻弄されるさまをスペクタクルに見せる。

序幕 第三場 紀伊の国加太の浜辺の場

幕が振り下ろされて、船長磯右衛門とともに浜辺へ漂着した琵琶姫は、兄を心配しつつ、男の姿をして大篠左大臣に小姓として仕えることとする。

序幕 第四場 織笛姫邸奥座敷の場

織笛姫の叔父鐘道は大の酒好きで、姫のところに居候していて、腰元麻阿とはいい仲。そこへ金持ちだが、知恵の足りない安藤英竹が現れる。織笛姫に相手にされないので、暇乞いに現れたのだが、金づるの英竹にいなくなられては困る鐘道の宥めに機嫌を直して、二人は酒蔵に向かう。

序幕 第五場 大篠左大臣館広間の場

獅子丸として左大臣に仕えた琵琶姫は、織笛姫のところに恋の使いに行くよう命じられる。しかし、琵琶姫はどうやら左大臣を慕いはじめた様子。

序幕 第六場 元の織笛姫邸奥座敷の場

捨助は言葉の遊び人とも言うべき風来坊。織笛姫が兄の供養のために預けた金を使い込み、姫や麻阿に叱られても、どこ吹く風と聞き流す。織笛姫は用人丸尾坊太夫を呼ぶが、坊太夫は融通の利かぬ頑固者で、奉公人に嫌われている。そこへ左大臣からの使者の到着が告げられるが、姫は坊太夫に追い返すよう命じる。ところがこの若い小姓の使者は強情で坊太夫でも手に負えないと言うので、姫は仕方なく座敷へ通す。獅子丸の言葉を尽くした左大臣の思いも、姫は頑なに拒む。帰ろうとする獅子丸に自分の考えでまた来るならば、いつでも会うと声をかける。その後、姫は扇に和歌を認めて文箱に入れ、獅子丸が忘れたものだから追いかけて返すようにと坊太夫に命じる。実は姫は男姿になっている獅子丸に恋してしまったのである。

序幕 第七場 織笛姫邸長廊下の場

坊太夫は獅子丸に文箱を渡す。覚えのない獅子丸は返そうとするが、坊太夫は横柄な態度であしらう。扇の和歌を見た獅子丸は、男姿の自分に向けられた琵琶姫の間違った恋心を知り、思い悩む。長廊下の襖もハーフミラーになっていて、花道を引っ込む獅子丸を見送る姫が一瞬のうちに透けて見えるのも印象的である。

序幕 第八場 紀州串本・港の場

嵐のなか運よく海賊海斗鳰兵衛に助けられた斯波主膳之助が登場する。彼はいつまでも鳰兵衛に世話になるのはすまないと思い、一人で都に上るからと別れを告げる。しかし、それでは面目が立たないと鳰兵衛は後を追う。

幕開きに座頭の一団や鯨を捕獲した漁師たちが何気なく通り過ぎるのも楽しい。しかも、一言も台詞のない座頭にそれぞれ利亜市(リア王)、馬久市(マクベス)、波六(ハムレット)などの名前が付いているのも洒落ている。

序幕 第九場 織笛姫邸長局の場

酒盛りをしている鐘道と英竹に捨助も加わり、大騒ぎ。麻阿も止めようとして逆に仲間に入ってしまう。さらに酒を取りに行った捨助と入れ替わりに、坊太夫が現れて、三人を強くたしなめる。坊太夫を追い返したものの、腹の虫が収まらない彼らは、麻阿の発案で、織笛姫を密かに恋する坊太夫に偽の恋文を作って、からかう悪巧みを計画する。

二幕目 第一場 大篠左大臣館広間の場

恋の憂いに沈む左大臣と慰めようと、左大臣邸の広間では獅子丸が舞をまっている。ここは主に竹本が男心を、長唄が女心を掛け合いで、演奏する。左大臣は再度織笛姫のもとへ使者として向かうよう命ずる。男の姿でありながら、左大臣を本気で慕う琵琶姫の心が哀切に伝わる場面である。ヴァイオリンとチェンバロの響きがその心根を訴えるように響く。

二幕目 第二場 織笛姫邸中庭の場

麻阿が織笛姫の手蹟を真似て作った偽の恋文と恋の一首の和歌が入った文箱を持ってきて、中庭に置く。それとは知らない坊太夫は、文箱を開けて宛名のない恋文を不審に思いながらも、読み始めてみてそれが自分に思いを寄せている織笛姫からのものとすっかり勘違いして、まんまと罠にはまる。歌舞伎の装置としては異色の三つの大きなプリン状のオブジェは、向月台というもので、その後ろに隠れてあらたに登場した比叡庵五郎も含めた四人が行ったり来たりしながら、坊太夫のことを罵ったり、笑ったりするところは、背後がやはり鏡になっているから、細かい演技がよく見えて大変面白い。

二幕目 第三幕 織笛姫邸奥庭の場

白百合の咲き乱れる奥庭に朱塗りの欄干の太鼓橋がかかっている。これまた鏡に映って二重に見える美しい場面。捨助に案内されてやってきた獅子丸に、織笛姫は自分の思いを伝える。もう二度とここへは来ないと告げる獅子丸に姫は、また顔を見せて欲しいと願う。

大詰 第一場 奈良街道宿外れの場

主膳之助と鳰兵衛が都の近くにまでやって来る。お尋ね者のため人目を避ける必要がある鳰兵衛は宿場外れの旅籠で落ち合うことを約束して、一旦二人は別れる。この場面の背景は葛飾北斎の『富嶽三十六景』の尾州不二見原のもじりとなっている。また座頭の一団も通る。

大詰 第二場 元の織笛姫邸長局の場

織笛姫が恋しているのは獅子丸だと知った英竹は「ボクもう帰る」と言い出す。慌てた鐘道は獅子丸に決闘を申し込むよう唆す。仕掛けた毒が効いて坊太夫の様子がおかしいと麻阿が知らせてくる。

大詰 第三場 元の織笛姫邸奥庭の場

獅子丸を待つ織笛姫のところへ、恋文に騙されて全身欝近色(濃い黄色)の装束(烏帽子から下帯まで)で身を固め、しかもあやしい薄ら笑いを浮かべた坊太夫が現れる。実は欝近色は姫の一番嫌いな色。乱心したと驚いた姫は、叔父の鐘道にまかせよと麻阿に命じて、ちょうどやってきた獅子丸のもとへ向かう。

獅子丸への果たし状を持ってきた英竹に、そのまま待ち伏せして襲うよう鐘道は勧める。現れた獅子丸には恨みを持って狙っている者がいると言い、庵五郎とともに仲裁するように見せかけて、形だけでもと二人を切り結ぶようにもって行く。二人とも剣はからっきし駄目だが、相手は強いと思っていやいやながら短い刀を抜きあうまでのところは大変滑稽な場面である。

そこへ鳰兵衛が間に割って入る。しかし、お尋ね者の鳰兵衛は役人に捕縛される。見ず知らずの鳰兵衛が助けてくれたと庇う獅子丸。主膳之助とばかり思っている鳰兵衛は逆に嘆きながら引っ立てられてゆく。獅子丸は兄の無事を確信する。

大詰 第四場 元の織笛姫邸長局の場

乱心した坊太夫の物の怪を払うためと称して、導師に化けた庵五郎と鐘道、麻阿の三人がさんざんに坊太夫を打ちすえる。気を失った坊太夫をそ知らぬ顔をして介抱する庵五郎に、織笛姫への恨みの文を届けてくれるよう坊太夫は頼む。

大詰 第五場 織笛姫邸門外の場 

ここは全面が鏡張りの場面。鳰兵衛を探す主膳之助を捨助が引き止めているところへ英竹が獅子丸と勘違いして、斬りかかる。折から現れた織笛姫が主膳之助を邸内に連れて行く。

大篠左大臣が自分の思いを織笛姫に直接伝えようと家来とともにたちやってくる。役人に引っ立てられてきた鳰兵衛も一緒に入って行く。

大詰 第六場 織笛姫邸広庭の場 

二幕目第三場の奥庭がさらにもう一つあり、二重に見える目の錯覚かと思うような鮮やかな場面の大詰めである。織笛姫が自分に思いを寄せていることを戸惑いながらも、夫婦の固めの杯を交わして欲しいとの乞いを受けて、主膳之助は奥に入る。

獅子丸や家来たちを連れて左大臣がやって来る。織笛姫は当然ながら左大臣の思いを受け付けないが、獅子丸を「わが夫さま」と呼び、覚えがないから当惑する獅子丸を、左大臣と織笛姫がそれぞれなじる。

英竹が現れて、獅子丸のために傷を負わされたと言う。不審に思った左大臣は獅子丸に様子を見に行かせる。麻阿に助けられて鐘道が逃げて来る。そこへ主膳之助が現れ、獅子丸が実は男装していて実は双子の妹琵琶姫と分かる。対面してお互いの無事を喜ぶ二人。左大臣も琵琶姫の思いに気が付き、ここに主膳之助と織笛姫、大篠左大臣と琵琶姫の二組の夫婦が誕生して、大団円となる。捨助はみなに見送られながら、別れを告げて花道を去って行く。
平成17年6月25日:『盟三五大切』『良寛と子守』『教草吉原雀』−六月大歌舞伎夜の部観劇記
・『盟三五大切』

鶴屋南北のこの世話物の傑作も、『桜姫東文章』と同様郡司正勝氏が補綴演出して、復活通し上演を行ってから、人気狂言として近年舞台にかかることが増えてきた。直近の上演が平成十五年十月だから、短期間での再演である。今回は時蔵の小万を除き、源五兵衛を初役の吉右衛門、三五郎を二十年振りの再演の仁左衛門という大顔合わせである。お祭りのようだった三ヶ月連続の勘三郎襲名興行の熱狂の後だから、興行元も座組と演目の組合せには苦労した後がうかがえる。

並木五瓶の『五大力恋緘』の書替えであるとともに、自らの傑作『東海道四谷怪談』の後日譚となっているから、『仮名手本忠臣蔵』の外伝でもあるという三つの世界をあわせもった狂言である(この狂言については、犬丸治氏の詳細な論考が大変参考になる)。物語は複雑であるが、脇筋もないので、かなり凝縮した話がぽんぽんとテンポよく進み、あっという間に二時間半強の舞台が終わる。しかし、内容は陰惨な殺人と江戸の下層社会の生活・風俗が、リアルに描かれている一方、諧謔味もあり、どこかさめた目で時代を見つめている作者南北がいる。

吉右衛門が南北物初役とは意外であったが、最初は人のよい無骨な浪人者の源五兵衛が、惚れた芸者の小万とその情夫である三五郎に百両を騙し取られたことから、復讐の鬼と化して、「五人切り」をはじめ、執着する小万を殺すまで次々と殺人を犯して行くさまは不気味さと妖気をたたえたおり、存分にその持てる力を発揮した役作りであった。ただ、この人は男の愛嬌に他の役者にない得難い持ち味があり、それが前半部分で強く印象付けられるためか、殺人鬼になっての悪の凄みがゾクゾクするようなところがまだ足りないと感じられた。今後の再演や他の南北物を演じる時の課題であろう。したがって、三人の大顔合わせにしては、観劇中は面白く観ていられるが、終了後に残るものが意外に少なかった。コクが不足するとでも言うべきか?

仁左衛門の三五郎は、台詞も大変歯切れよく、父の頼みを受けて旧主のために百両の金策をするため、女房のお六を芸者に出して、美人局をやる色男を気持ちよさそうに演じていた。時蔵のお六、芸者小万はもうすっかり手の内に入った役作りで、源五兵衛を騙すまでの色気、長屋での世話女房振り、源五兵衛の復讐への怯えと申し訳なさの風情など十分であった。

以下は簡単な見所とあらすじ。

序幕 第一場 佃沖新地鼻の場

黒幕の前での前振りの後、舞台一面に海が広がり、すべて船の上での芝居。ここで三五郎と小万の関係、三五郎が父に金策を頼まれていること、また源五兵衛が小万に惚れて通っていることなどが要領よく語られ、話の流れがよく分かる。仁左衛門と時蔵の二人の濡れ場がいかにもその雰囲気が出ていて、色っぽい。近づいてきた屋形船には源五兵衛が乗っている。何も気が付かない鷹揚な源五兵衛と慌てる二人の対比が面白い。

序幕 第二場 深川大和町の場

源五兵衛の浪宅では、小万に入れ揚げたため家財の一切合財を売り払ってしまい、染五郎扮する若党六七八右衛門の諌めも聞かず、源五兵衛は小万のことを思っている。容赦なく家財を運び出す道具屋の姿とそれでもなけなしの蒲団に寝そべる源五兵衛の姿には苦笑を誘われる。そこへ小万が朋輩などを連れてやってくる。皆何もない部屋に驚くが、源五兵衛はまったく意に介さない。小万が痛がる腕を見ると、「五大力」と彫ってある。自分への心中立てと喜ぶ源五兵衛。このあたりの吉右衛門は、春風駘蕩とも言うべき大らかさで、愛嬌たっぷりである。

そこへ源五兵衛の伯父富森助右衛門が百両の金を持って現れる。源五兵衛は実は塩谷家の浪人の不破数右衛門で、伯父はこの金を大星由良之助へ届けて、亡君の仇討ちに加わるよう願い出よと勧める。百両の金と聞いて何か思い当たる小万を追い出した後帰った助右衛門と入れ替わるように、三五郎がやって来る。百両の金の話を小万から聞いて、小万の手紙を見せて、源五兵衛を誘い出そうとする。源五兵衛は我慢できず、八右衛門が止めるのも聞かず、三五郎とともに出かけてゆく。隠された意図を悟られないように源五兵衛を巧みに誘う仁左衛門の三五郎がうまい。

二幕目 第一場 二軒茶屋の場

小万を伴右衛門が百両で身請けしようとしているが、兄だという伊之助などがいくら説いても、自分には源五兵衛という思い者がいるからと例の腕の彫り物を見せる。それを見て三五郎と中へ入った源五兵衛は困り果てる。ついには自害しようとまでした小万に、懐の百両を差し出してしまう。そこへ伯父助右衛門が現れて、怒って縁切りを申し渡す。仇討ちの道が絶たれても、小万と一緒に暮らそうと連れて帰ろうとする源五兵衛に、三五郎は小万は実は自分の女房であり、百両を巻き上げるための茶番劇だったと明かす。騙されたと知った源五兵衛は怒りに震えるが、恨みを残しながら立ち去る。屈辱に必死に耐える源五兵衛、悪党の本性を現して居直る三五郎、騙しながらもどこか源五兵衛にすまないという風情の小万、三人の役者のそれぞれの持ち味がぶつかりあったこの芝居で一番印象的な場面だった。

二幕目 第二場 五人切の場

前半は百両を巻き上げた一味の酒盛りと三五郎が小万の彫り物「五大力」に一字を加えて「三五大切」に変える場面。

皆寝入った頃、丸窓を破って押し入った源五兵衛は、恨みのたけを次々と居合わせた人を切り殺すことで果たす。暗闇の中での陰惨な殺人は、やはり歌舞伎ならではの残酷美である。肝心の三五郎と小万は命からがら逃げ出す。

大詰 第一場 四谷鬼横町の場

もっとも世話狂言らしい場で、裏長屋の風俗が細かく描かれている。幽霊が出るからと、引っ越してきたばかりなのに一日で長屋を出た八右衛門の後に、三五郎と小万が生まれたばかりの子供と里親を連れて入ってくる。傑作なのはこの部屋がかつて神谷(民谷)伊右衛門と妻のお岩が住んでいて、その幽霊が出ること。ところがこの幽霊、実は家主の弥助が店子を早く追い出して、樽代を稼ごうと自らが化けて出るのである。しかも肝心の二人が幽霊を怖がらない。自作の『東海道四谷怪談』で、あれほどお岩の幽霊の恐ろしさと執念を描いた南北自身が、ここでは幽霊を洒落のめしているわけで、何とも面白い趣向である。しかも、この家主が実はお六の兄で神谷家に仕えていた土手平という元中間であるのも手が込んでいる(二人あわせて、土手のお六になるのは単なる遊びとも思えない。また、数右衛門の名前からの遊びなのか、この狂言の役名は端役も含めて三から十までの数ばかりである)。歌六扮する弥助が欲深いが、どこか憎めない家主を好演している。

幽霊話の前に三五郎はやって来た父了心に旧主へと騙し取った百両を渡す。次に二人の行方を捜していた源五兵衛が毒入りの酒を持って長屋にやって来る。この源五兵衛はまったく殺人鬼と化しているから、見るからに怖い。震え上がる二人と源五兵衛の対比に面白さが際立つ。源五兵衛を捕らえようとした役人に対して、八右衛門が身代わりになり、源五兵衛はもう小万を許すと立ち去る。だが、弥助がその酒を飲んで苦しみだしたことから毒酒と分かり、三五郎は弥助を殺し、同時に手に入った高野家の絵図面を父了心に渡して、四斗樽の中に身を潜めて、了心の庵室へ向かう。

その後に二人が毒酒を飲んだかどうかをたしかめに来た源五兵衛は、赤子や里親までも殺し、ついには小万の首を打ち落として、懐に入れて花道を引っ込む。その時、「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻のごとくなり」と幸若舞の『敦盛』の一節を謡っていたのは、源五兵衛の心象風景を表しているようで、強く心に残った。

大詰 第二場 愛染院門前の場

隠れ家の愛染院に戻った源五兵衛は、持ち帰った小万の首の前で食事をし、小万にも食べさせる趣向があるが、今回もこの部分のみ時蔵が本首で出る。作り物の首と思ったものが突然目と口をかぁーと開けるから、観客を驚かせるに十分である。この後、了心がやって来て、源五兵衛が実は三五郎の父の旧主であり、お互いに顔を知らず、また名前も変えていたので、これまでいろいろ行き違いが生じたことが明らかとなる。三五郎は源五兵衛の罪を自分の身一身に引き受けて自害し、源五兵衛は迎えに来た塩谷の家臣たちとともに、不破数右衛門に戻って、高野家への討ち入りに出発する。

今までの殺人鬼がいきなり義士に戻って、討ち入りに行くという展開は、やはり南北ならではの発想の飛躍があり、人間の本性の複雑さを見せるとともに義士もただの人間であるとの批判があるのかもしれないと感じさせた。

舞踊二題。『良寛と子守』は中村富十郎が良寛の人間像をいかに舞踊で表現できるかが本来見所であるが、富十郎長女渡邊愛(二歳足らず)が初お目見えである。人間国宝も親ばかと言えなくもないが、この愛ちゃん、舞台で可愛い自然な仕草を繰り返すから目は自然とそちらに奪われがちで、富十郎ご本人の踊りも完全に食われている。所見の日はもう随分慣れてきたこともあろうが、この年齢にして既にちゃんと分かっていて踊っている。もちろん舞台にじっとはしていず、下手との間を行ったり来たりするのだが、要所要所は他の里の子たちにあわせて一緒に踊ったり、手を叩いたりするのだから、たいしたものである。長男の大も随分しっかりとしてきた。また尾上右近の子守の踊りのうまさも目に付く。

・『教草吉原雀』は今回長唄版で、普段の鳥売りの夫婦(梅玉・魁春)が吉原の風俗を見せるのみではなく、鳥刺し(歌昇)が現れてこの二人が実は雀の精だったと本性を見現す。最後はぶっかえりの衣裳で華やかな幕切れとなった。こういう歌舞伎味濃厚な舞踊もいいものである。梅玉の踊りのうまさと、魁春の端正でいて、清潔な色気の女房が目を惹いた。
平成17年6月20日:『桜姫』−コクーン歌舞伎観劇記
勘九郎時代から勘三郎が演出家串田和美と取り組んできたコクーン歌舞伎は、その劇場構造を活かして歌舞伎座では出来ないような歌舞伎の再発見・再創造の試みを行い、今まで歌舞伎に馴染みの無かった若い観客をもその面白さと斬新な演出で惹き付けてきた。『三人吉三』や『夏祭浪花鑑』などは名舞台として、今後も残るものであろう。コクーン歌舞伎の成功がその後の平成中村座や野田歌舞伎につながっていることは言うまでも無いであろう。

今回は勘三郎襲名の披露興行の期間中のためか、勘三郎の出演は無く、代わりに中村福助が中心となり鶴屋南北の本名題『桜姫東文章』を『桜姫』として取り上げた。演出はもちろん串田和美。ただ、現行の郡司正勝補綴の台本でも全編を通して上演すると五時間強となる大作である。そこで、昨年坂東玉三郎が十九年振りに封印をといて上演した際には、昼夜に分けて上演したほどである。今回の上演に際しては原典からあらためて読み直しをして抜粋し、三時間半強の本としたという。したがって、今までとは違った側面の南北を引き出す意図もあったようである。

そこで演出上の工夫として、現代劇畑のあさひ7おゆき(朝比奈尚行)を口上役(裃姿)に起用して、舞台の進行とあらすじを説明させる方法を取っているのが注目されよう。しかし、これはやはり両刃の剣であり、説明風に流れていて慌しく、物語に浸りきれない印象は拭えなかった。ましてや、それでなくとも複雑なこの話を、内容をいくらかは理解しているつもりであっても分かり難いところがあったから、観客が十分理解できたどうかは疑問が残った。また岩淵庵室の場などは演技を途中で止めたりする場面もあり、普段歌舞伎を観慣れている目には少々うるさく感じるところがあった。

装置はいつもながらのむきだしの芝居小屋風。最初は幕も使わず、宇野亜喜良による権助、桜姫、清玄の三枚の大きなイラストがかかっていて、開演前から非人役の役者たちが動き回っている。観客席には平場席という昔の桟敷代わりのような席があり、観客と役者が同じ目線になる。また、通路や平場席を自由に役者が通るのもいつもの手法だが、現代の劇場に慣れた目には新鮮に映る。固定した花道が無いのを逆手にとったこのやり方は、まさに昔の芝居小屋はこのように舞台と観客が一体化できるような雰囲気であったろうと納得させられた。前半は役者が乗っているキャスター付きの山車のような台を非人役の人たちが動かしたり、高いところにある欄干付きの橋のような通路を前後に動かしてその上で役者を演技させたりなどの工夫などをしていて、この芝居小屋風の作りにはあっていた面白さがあったと思う。ただ後半の岩淵庵室の場は、舞台真ん中に作った庵室をくるくると何回も廻していたのは悪くない工夫だとは思うけれども、少々動かし過ぎだと感じた。

また僧清玄と稚児白菊丸が同性愛であって、心中しようとして自分のみ生き残り、十七年後に桜姫がその白菊丸の生まれ変わりだと分かったことが、その後清玄が桜姫に執着する基になっているので、発端の江の島稚児ヶ淵の場が省略されているのは、物語の展開上どうしてもインパクトに欠ける。さらに三囲堤の場は歌右衛門がこの桜姫の上演には是非とも必要だとの芸談が残っているが、今回は稲瀬川の場に僅かばかり二人のすれ違いの部分が取り入れられているのみなのは、もとが大変詩情溢れる場面であるだけにまことに残念でならない。

さらに権助住居の場で桜姫が風鈴お姫と呼ばれる女郎に堕ちても、権助が親と弟の仇と分かると、権助のみならず我が子まで手にかけて殺し、お家の重宝都鳥の一巻を取り戻して、無事お家再興を果たして姫に戻るのが、この役の魅力であり、また演じる役者の難しさであることが、まさに大南北の本領発揮の面白さだと思うのだが、今回の大詰めでは一瞬にして舞台一面に咲き誇る満開の桜のなか、結局我が子にも手をかけられず踊り狂ってしまうのは、現代的解釈過ぎるのではないだろうか?納得できない幕切れだった。福助自身が「深い意図は無いのですが」と言っていたが、あえて『桜姫東文章』の本名題を使わなかったのもこの点を考慮したのでは、と思うのはうがち過ぎであろうか?

福助の桜姫は、正直物足りない点が多い。高貴な姫が仇であるとも知らずごろつきの釣鐘権助と契ったことから子を産み、女郎にまで身を持ち崩すという女の数奇な流転の境涯の姿が少しも見えてこない。桜谷草庵の場も含めて前半は、意図的なのか表情に乏しく、品格ある美しさがないから、肝心の濡れ場も恋しい権助にめぐり合えた情感が少しも伝わって来なかった。変に顔を傾げていたり、口をとがらせていたりしていたのもよく理解できない。まだ声を痛めているのか、口跡もよくなく、高音がかすれるところもあった。

岩淵庵室の場でもまだあまり変わりがないため、例の「毒喰わば」の台詞も自分の運命を思い定めた激情のほとばしりが感じられなかった。権助住居の場ではかなり持ち直して福助の持ち味が出ていたが、意外にも風鈴お姫の部分が現代的で素になり過ぎていて、お姫さまと女郎の台詞の綯い交ぜの趣向が生きてこない。

橋之助の清玄と権助の二役は、やはり権助の方がニンである。これでもう少し悪の部分が強く出れば、凄みもましなおさら良かったように思う。清玄は高僧らしさが不足する。弥十郎の残月と扇雀の長浦は、どちらも達者である。とくに扇雀は先月の『研辰』に続くはじけっぷりで、楽しめる。

勘太郎の悪五郎は、赤っ面のいわゆるべりべりとしたところが良く出ているとともに七之助の粟津七郎との滑稽な争いや追いかけっこも面白く、勘三郎襲名興行から引き続き好調な舞台を見せてくれている。葛飾お十との早替りも見事。七之助も真面目にやればやるほどこの役が物語のなかで空回りしている面が浮かび上がってきて、この二人の役のこのような解釈は今回の串田演出でもっとも冴えている部分と感じた。

福助の桜姫が期待外れであったので、やや否定的なトーンの書き振りになったが、これも昨年の玉三郎の『桜姫東文章』があまりにも強烈に印象に残っているゆえであろう。他にも歌舞伎座では出来ないような工夫や仕掛け(七之助と芝のぶの二人の、メリーポピンズ風の宙乗り(?)まであり)もあって、芝居全体としては十分に楽しめた。ただし、平場席での観劇は芝居の雰囲気を味わうには絶好だが、椅子席に慣れ切った体には少々つらいところがあった。
平成17年5月3日(初日)、27日(千穐楽):『車引』『芋掘長者』『弥栄芝居賑』『髪結新三』−十八代目中村勘三郎襲名披露五月大歌舞伎昼の部観劇記
『車引』

これは、『菅原伝授手習鑑』のうちの一幕である。歌舞伎の様式美溢れる荒事の一幕で、今回は勘太郎の梅王丸、七之助の桜丸、海老蔵の松王丸というフレッシュな顔合わせで、若々しさ一杯の力強い舞台になった。勘太郎が今月も別人かと思わせるような荒々しい梅王丸を見せていて、このような荒事が出来ると思っていなかったので、大変驚いた。一つ一つの見得も力強く、そして綺麗な形に決まっていて、素晴らしい。また七之助の桜丸も、口跡がいいうえ、柔らか味もあわせ持つ。これもなかなか観る事が出来ない、立派な桜丸である。

さらに海老蔵の松王丸も以前に比べて格段に大きい。勘太郎・七之助を圧倒する勢いと荒々しさが魅力的。この三人の組み合わせは今後いろいろな狂言を期待してよさそうである。鶴松の杉王丸も子役出身とは思えないような様式的な台詞回しがしっかりと出来ていたのには感心した。これでは成駒屋の御曹司たちも、うかうかしていられない良きライバルの出現である。

若手に付き合った左團次の時平が、その勢いに押された訳でもなかろうが、意外と存在感が薄かった。

『芋掘長者』

これは、人気のある『身替座禅』や『棒しばり』と同じ岡村柿紅の作だそうであるが、歌舞伎座では45年振りの上演とか。今回三津五郎家に残っていた台本をもとに復活して、三津五郎が新しく振り付けをしたとのこと。しかし、話し自体が面白く、何故そんなに長い間上演されなかったのか不思議なほど、楽しさ溢れる舞踊であった。

緑御前(亀治郎)の婿選びの舞比べに、芋掘りの百姓藤五郎(三津五郎)が、姫に惚れたため、素性を偽ってもぐりこむ。しかし舞がまったく苦手なため、舞の名手の友人治六(橋之助)に面をつけて代役をさせる。これはうまく行ったが、今度は素顔で踊るよう言われて、やむを得ず下手くそな踊りをしているうちにどうしようもなくなり、自棄になって得意の芋掘踊りをはじめ、正体がばれるという話。しかし、姫は藤五郎を気に入って婿にしたいと言い、めでたしめでたしとなるメルヘン。舞踊の名手三津五郎が下手くそに踊るところなどは滅多に観られない面白さであり、また芋掘踊りが軽妙かつ滑稽で、何と言っても楽しく見所になっている。また、橋之助の踊りもさすがにうまい。亀治郎はほんわかとした雰囲気の姫を見せていた。脇も萬次郎、秀調、権十郎、高麗蔵で固めていて、舞台の厚みが増していた。さらに練り込んで、また是非近いうちに再演して欲しい狂言である。

『弥栄芝居賑・中村座芝居前』

二ヶ月続いた口上に代わり、芝居仕立ての口上とも言うべき襲名に相応しい華やかな舞台。様式的な口上も良いが、芝居仕立てが洒落ているうえ、口上より出演者が豪華かつ勢揃いで、襲名の祝祭的雰囲気が満点である。以前に観た記憶があったので、筋書きを調べたら、前回は先代勘三郎の七回忌追善で平成六年に出た舞台であった。その時はまだ六世歌右衛門が出ていたのだった。今回はその時の出演者を上回る豪華なもの。

勘三郎襲名の看板がかかる猿若座の前に、茶屋の亭主と女将の富十郎、雀右衛門、名主女房の芝翫が出てきて、お祝いの口上を述べた後、勘三郎を呼ぶと、勘太郎・七之助はじめお弟子さんたちを含めた中村屋一門などが勢揃いする。幹部俳優のみの口上に比べて、お弟子さんたちもこのお祝いの舞台に出られてさぞや満足であろう。そこへ本花道には菊五郎を先頭に黒の揃いの衣裳の男伊達十人(菊五郎、三津五郎、橋之助、染五郎、松緑、海老蔵、獅童、弥十郎、左團次、梅玉)が並び、かたや仮花道にはこれもお揃いの紫の衣裳の女伊達が、玉三郎を先頭に同じく十人(玉三郎、時蔵、福助、扇雀、孝太郎、菊之助、亀治郎、芝雀、魁春、秀太郎)並び、お祝いと名乗りを渡り台詞で言うのは何とも華やかなもの。玉三郎はさすがに立女形の貫禄十分!

なお、勘三郎お気に入りの子役清水大希君(三月の『鰯賣戀曳網』で劇場内を沸かせたあの禿)が、正式に勘三郎の部屋子となり、二代目鶴松を襲名した旨披露もあった。本人もしっかりとした挨拶をしていた。先日亡くなった子役の育ての親音羽菊七さんがこの舞台を観たら、さぞや喜んだであろうという勘三郎の言葉も肯けた。

全員が本舞台に揃い、雀右衛門の音頭で手締めをしてから、芝居見物に小屋の中へ入って行く趣向で幕が閉まる。

『髪結新三−梅雨小袖昔八丈』

これは、先代勘三郎が得意にし、しかも勘九郎が始めてこの新三を演じた時に病中で教わり、そしてその公演中に亡くなった因縁ある黙阿弥の傑作世話物狂言である。劇中、髪結の手際を見せたり、肴売りが初鰹をさばくところを見せたりなど、江戸庶民の風俗や季節感などを肌に実感させる狂言である。

さすがに勘三郎の新三は、小気味良い小悪党振りで、爽やかですらある。ただ、悪の部分が序幕の最初から前面に出過ぎているようで、少し役の印象が重いのが気になった。だから、忠七がなぜうまうまと新三の口車に乗ってしまったかが、よく伝わって来ない。三津五郎の手代忠七が典型的な白塗りの二枚目で好演しているだけに、うまく噛み合っていない感じがあった。そのため、折角の永代橋での傘尽くしの聞かせどころも悪への切り替えが際立った印象が薄い。

しかし、さすがに二幕目になってからは、富十郎の弥太五郎源七や三津五郎の大家とのやり取りには、江戸っ子らしい歯切れよさがあって、ぽんぽんと繰り出される台詞は耳に心地よい。悪の色気と凄み、大家に翻弄される滑稽味も十分である。三津五郎が、新三を一枚も二枚も上回る曲者の大家も巧みに演じ分けていて光り、これなら新三も歯が立たないと思わせた。忠七と大家の二役を演じるのは最近では珍しいようだが、この年齢で欲深い大家をこれだけ演じられれば立派であろう。富十郎が意外によくないのは落ちぶれかかっている親分という役がニンではなかったようである。染五郎の勝奴が高麗屋本来の出し物にないこの役を神妙に演じているし、ミニ新三としての小狡さもある。将来彼の新三も期待出来そうである。菊之助の白子屋お熊も、持ち役とも言うべき可憐な娘であった。

以下は各場毎の簡単なあらすじと見所。

序幕 第一場 白子屋見世先の場

材木屋の老舗白子屋は傾いた身代を立て直すため、五百両の持参金付きで娘お熊に婿をもらうことにし、今日は結納の日。しかし、手代忠七と密かに言い交わしているお熊は泣いて嫌がるが、家のためという母の説得に渋々承諾する。

そこへ戻ってきた忠七にお熊は自分を連れて逃げて欲しいとかき口説くが、忠七も縁談を受けるよう説得する。それを立ち聞きしていた髪結新三は、忠七の髪をなでつけながら、自分の家にかくまうからお熊を連れて逃げるようそそのかす。

髪結職人が道具を持ってお得意先を回り、髪結いをする当時の風俗を見せるとともに、お熊をかどわかす下心を持ちながら、親切そうに駆け落ちを勧めるところは、実際の髪結いの鮮やかな手際を見せるのも楽しい。

序幕 第二場 永代橋川端の場

勝奴が駕籠でお熊を深川へ連れ去った後を、新三と忠七が永代橋まで来たところで、新三は正体を現して、お熊は自分の女だと言って、忠七を打ちのめす。ここでの新三の流麗な悪態の台詞は黙阿弥の本領発揮の聞かせどころである。

騙されたと知り大川に身投げしようとした忠七を弥太五郎源七が止める。

二幕目 第一場 冨吉町新三内の場
   第二場 家主長兵衛内の場
   第三場 元の新三内の場

朝湯から帰って来た新三は、お熊を取り戻そうと白子屋が金を持ってくると踏んで、初鰹を買う豪勢さ。源左衛門の肴売り新吉は、売り声と鮮やかな包丁さばきで季節感を感じさせる。そこへ弥太五郎源七がお熊を取り戻そうとやって来るが、十両で話をつけようとするので、怒った新三は散々な悪口雑言で金を叩き帰す。源七は面目をつぶされて帰って行く。

その話を聞いた大家の長兵衛は三十両あれば話を付けてやると新三の家に向う。気持ちよく初鰹で酒を飲んでいた新三を、はじめはおだてていた長兵衛は、三十両でお熊を戻せと説く。百両なければ駄目だという新三を、それならかどわかしだと訴えると脅す。自分は入墨ものだと居直って凄む新三も、老獪な長兵衛に逆手に取られてそんな奴は店子には置けないと言われ、ついには言うがままに三十両でお熊を戻すことを承諾する。駕籠に乗ってお熊が帰った後、金を早く欲しいと言う新三に、長兵衛はのらりくらりとかわしながら、十五両を渡すのみで、鰹は半分もらったと言うばかり。ここらあたりの二人の掛け引きは、小悪党の新三も一枚も二枚も上回る長兵衛の老獪さに次第次第にやり込められて行くさまを見せていて、時にはアドリブを交えているから、大変面白いところである。初日では三津五郎が「顔を水で洗う」ととちったので、早速勘三郎に突っ込まれていたし、楽日には三津五郎は十五両の金を出す時に「お前も三ヶ月間頑張ったからな」と言っていたなど例を挙げたらきりが無い。

ついに十五両を受け取ることを承諾した新三は、そこからさらに滞った店賃まで二両差し引かれて、泣き面に蜂。だが、女房ともども強欲な大家の家に泥棒が入り、金を盗まれたと聞き、新三は溜飲を下げる。大慌てながらも、わざわざ戻ってきて、鰹の半分を持って帰る長兵衛の姿にはいつもながら笑わされる。

大詰 深川閻魔堂橋の場

賭場帰りの新三を深川閻魔堂橋で待ち受けていたのは、先日の意趣返しをしようとする弥太五郎源七。雨中の中斬り結ぶ二人。見得があって、析が入り「本日はこれ切り」となる。楽日は富十郎の先代の思い出などを含めて、無事楽日の迎えられた御礼の挨拶があった。
平成17年5月22日:『川連法眼館の場−義経千本桜』『鷺娘』『野田版 研辰の討たれ』−十八代目中村勘三郎襲名披露五月大歌舞伎夜の部観劇記
『川連法眼館の場―義経千本桜』

歌舞伎は型の話を抜きにしては語れない。型のことのみで一冊の本が出来るくらいだから。しかし、かなり粗っぽいことを承知のうえでざっくりと言えば、歌舞伎の演出と演技のことと言い換えても良いであろう。演出家という存在がないのが普通の歌舞伎の舞台では、それは座頭級の役者の家に伝わる型によって演じ方が異なって来る。しかもそれによって舞台の印象が大きく変わってくる場合もある。

先人の残した型は尊重すべきものであることは今さら言うまでも無いが、それもその時々の役者によって工夫され、評判となったものが伝わっているのであろうから、たとえ歌舞伎が歴史ある伝統芸能だとしても、絶対型を遵守すべき、その型通りやるべきであるという立場を私は取らない。今演じる役者がその型を基に、創意工夫で変えて行ってかまわないと考える。

観劇記の冒頭に無くもがなのことを書いたのも、この『川連法眼館の場―義経千本桜』では、音羽屋型と澤瀉屋型と大きく二つに別れており、かなり印象が異なるからである。とくに澤瀉屋型は猿之助が宙乗りを取り入れるなどいわゆる「ケレン」が多く、彼の代表作の一つに上げられているほどであるのに対して、音羽屋型は「ケレン」はあっても比較的地味である。

今回は菊五郎が、佐藤忠信と狐忠信の二役を演じるので、もちろん音羽屋型である。澤瀉屋型との違いは舞台装置にも表れており、上手に屋台がない。したがって、早替りももない。だから、猿之助の舞台を見慣れた目には一見すると物足りなさを感じる部分もあることは事実である。しかし、さすがに菊五郎は派手さはないものの、じっくりと二役を演じ分けていて、これはこれで上質な、時代物の味の芳醇な、一つの規範とも言うべきものになっている。ことに佐藤忠信が、ただ座っているだけで、非常にきっぱりとした義経の家臣の重みと情の篤さを感じさせている。狐忠信になってからも、狐言葉の高音の台詞はわざとらしくなく自然で、哀れさを感じさせ、親狐を恋い慕う子狐の一途さもよく出ていたと思う。ただ、欄間抜けや宙乗りまでは望まないにしても、例えば欄干渡りや、初音の鼓を拝領してからその鼓を転がしながら喜びを体全身で表わすところなどはもう少し細かい動きがあればなおさらよかったように思う。やや年齢的な限界を感じてしまうのはご本人には酷であろうか?

海老蔵は、義経の気品と狐忠信への情味溢れる好演。菊之助の静御前も、美しさと強さをあわせもった品格の高さがあって、海老蔵と好一対であった。

なお、今回は川連法眼とその妻飛鳥が鎌倉方に疑われながらも、義経の匿う本心を確かめ合う場面があり、左團次と田之助がしっとりとした夫婦の情愛を見せていて、心地よい導入部となっていた。

『鷺娘』

玉三郎の当り役と言っていいこの舞踊『鷺娘』は、もう舞台芸術として完成された超一級品であって、ここでいかに筆を費やしてもその片鱗すら表わすことは不可能に近い。生の舞台を観てもらってこそはじめてその美しさ・素晴らしさを実感できることは間違いないであろう。

舞踊自体は女の妄執を鷺の精の姿を通して表わす幻想的なものであるが、この舞踊を語るにあたって、引き抜きの鮮やかさ、見事さが大きな舞台効果を上げていることを抜きには出来ない。玉三郎と後見の守若との絶妙な呼吸があってこそであろう。白無垢、綿帽子の鷺の精が、引き抜きにより、一瞬のうちに眼も鮮やかな赤の友禅姿の町娘に変わる。同時に照明も明るくなり、恋する女の恥じらいを可愛らしく踊る。

一旦引っ込んだ後、今度は紫紺の衣裳となり、手踊りで汐汲みの振り、さらに引き抜いて傘を自在に使った軽やかな踊りを見せるが、どれを取っても衣裳も艶やかで美しく、絵になる。傘の蔭で肌抜きで真っ赤な衣裳となり、袖をくわえて恋の執念の激しさを表わす。そして今度はぶっかえりで真っ白の鷺の精の姿になり、降りしきる雪のなか地獄の責め苦を受けて、激しく羽ばたき悶え苦しむ姿を見せる。やがて力尽き、息絶えて、観客がただ茫然とするうちに幕が下りる。

『野田版 研辰の討たれ』

野田秀樹が『研辰の討たれ』(大正十四年に木村錦花原作、平田兼三郎脚色)を新しい視点で書き直して、あわせて演出したこの作品は、平成十三年八月に初演されて、歌舞伎の世界に新風を吹き込んだ記念碑的なものである。それが二年後の『野田版 鼠小僧』にもつながっている。今回勘三郎が襲名披露狂言の一つにあえてこの作品を再演で取り上げたことは、本人の新しい歌舞伎の創造にかける並々ならぬ意欲の表れであろう。今回獅童が新たに加わったことを除けば、初演時の出演者がそのまま勢揃いしている。

今回は単純な再演ではなく、よりパワーアップして、スピード感も増している。とりわけ仇討ちをショウ化して高みの見物をしている野次馬が人数も多くなっているようで、その存在がより強調されているように感じられた。普通の狂言ではただ座っているいわゆる三階さんたちが一体となって行動し、声を出す。それがまことに生き生きとしていて、舞台の立体的を増す。また喜劇仕立てにしたことによって、武士の仇討ちの馬鹿馬鹿しさ、それを無責任に楽しむ大衆、翻弄される主人公たちの姿がくっきりと浮かび上がってくることになった。

また、歌舞伎座の舞台全面を使って橋のようなものを作り、舞台を巧みに何回も廻してゆく簡素な装置は、時には橋そのものになり、ある時は街道やら峠の道になり、またある時は宿屋の階段になるなど、多面的にかつ効果的に使われる。場面転換すらも多くの庶民や旅人を登場させて、仇討ちの道中と年月の経過を季節感豊かに表わすなど秀逸なものである。また、せりは開けたままにして、役者の出入りに使っているのも、面白い。

第一場 粟津場内の道場の場
第二場 大手馬場先殺しの場

赤穂浪士の討ち入りのあったすぐ後の小藩の粟津藩。道場では仇討ちの話題で持ちきりである。刀の研ぎ屋あがりの守山辰次は、侍にはなったものの武芸はからきし駄目、にもかかわらずそのような武士の行動には批判的な言動をするので、同輩に殴られ、また折りよく現れた辰次に好意的なお部屋様萩の江の前で、家老の平井市郎右衛門に散々に打ちすえられる。

これを恨みに思った辰次は昔の職人仲間の手を借りて、家老を脅かすためのからくりを仕掛ける。だが、家老はなかなか辰次の思ったようにからくりの仕掛けにかかってくれない。いらだつ辰次だったが、ようやく市郎右衛門がからくりの板を踏んだ途端、次々とからくりが動き、お堂の中から不気味なからくり人形が飛び出してくる。それを見た市郎右衛門は驚きのあまり、脳卒中を起こして死んでしまう。辰次は追っ手がかかると考え、逸早く逃走する。側にいたものたちは武士が脳卒中で死んだことが分かれば恥になると考え、斬り傷を作って斬殺されたように装い、その場に駆け付けた息子九市郎と才次郎はお部屋様萩の江の勧めで仇討ちの旅に出る。

幕が開くと、舞台一面のスクリーン上にシルエットで武士の斬り合いのシーンが出てくるが、これが赤穂浪士の吉良邸への討ち入りと分かる。すぐに上野介の首が討たれて、凱歌が上がったところで、スクリーンが上がり、道場で藩士たちが剣術の稽古をしている場面に切り替わる。この転換が鮮やかであり、武士の仇討ちとは?という主題を冒頭から明確にしていて見事である。また、稽古をしながら「聞いたか聞いたか、聞いたぞ聞いたぞ」の台詞を言うは、『京鹿子娘道場寺』の所化たちの台詞のパロディーであるとともに、赤穂浪士の討ち入りが早くも藩士の間で大きな話題になっていることを示すのに効果的に使われている。

そこへ現れた勘三郎の辰次は軽薄で、小ずるく、またお部屋様の萩の江や家老にはあからさまな追従振りで、他の武士の嘲りを受けるような人間だが、どこか憎めない魅力のある男である。歌舞伎の主役ではこのような人間像は珍しいが、勘三郎は早口でぽんぽんと飛び出す台詞に地口や駄洒落を交えながら、また体全体を使って等身大の辰次を演じていて、眼が離せない。七之助や獅童絡みの時事ネタの台詞まであるサービス振り。

三津五郎の市郎右衛門は、家老の老獪さはありながらも、どこかとぼけた味で、からくりの板を踏みそうで踏まない足捌きやスキップなども楽しそうに演じていた。福助の萩の江は、前回の時より声を太めに出していて、お部屋様の威厳を出そうとしているようだったが、やや力が入りすぎているきらいもあった。ただし、「天晴れじゃ!」はもうこの狂言の名台詞の一つになっていて、観客の笑いを呼んでいた。

武士は脳卒中で絶対に死なないと言った家老が、からくりの仕掛けにかかって脳卒中で死ぬのも皮肉が利いているし、からくりもよく考えたと思うような複雑な作りである。亀蔵のからくり人形もやり過ぎでは?と思わせるほど十分に怖い。

ここまでが前半で、先述した回り舞台を二人が、歩いているうちに二年が経ち、四国の道後温泉にやって来る。その間二人は辰次が仇として憎いより仇討ちというものがいやになってきている。

第三場 道後温泉蔦屋の場

二人が偶然宿泊した宿には、辰次が宿賃も払わずに長逗留していて、芸者の金魚や女どもを追い回していた。番頭の訴えに調べに来た役人に辰次は、言い訳に困って事実とは反対に自分が九市郎と才次郎兄弟を父の仇と探す旅をしていると語る。すると宿泊人や宿のものなどの態度が一変して、辰次を下にも置かないほどもてなすばかりでなく、今までつれなかった女たちが逆に擦り寄ってきて、宿泊客のおみね、およしの姉妹はお互いに競って辰次の妻にしてもらおうと付け文までする始末。嫌っていた金魚も急に優しくなる。ほくそ笑む辰次。

そこへ九市郎と才次郎兄弟が同じ宿に泊まっていることが分かり、辰次に仇討ちをさせようと宿中は大騒ぎになる。慌てた辰次は、九市郎に出会ってしまい、明かりを吹き消して、宿屋を逃げ出す。

この場面に登場する辰次は女にだらしがない。芸者の金魚にまとわりつくまさに金魚の糞状態。しかし、役人に迫られてよんどころ無く仇討ちの身の上を話すところは、急に侍らしくなって勇ましく嘘の仇討ちの顛末を語る。ここは一種の軍物語のパロディとなっていて、竹本清太夫がわざわざ見台を持って勘三郎の側まで降りて来て、所作にあわせて一緒に語る。歌舞伎古来の語りの姿を復活したようでいて面白いし、歌舞伎をはじめて観た観客にも語りの重要性がよく理解できる試みであろう。これは『鰯賣恋曳網』の時の二人の息の合った軍物語の延長線で発想されたのであろうが、またそれだからこそこの試みも成功していると思う。勘三郎が清太夫に「ご苦労様でした」と頭を下げるのも微笑ましい。

辰次が仇討ちの大望を持っている侍と分かるとあの手この手で妻にしてくれるよう迫る姉妹は、ある意味ですっ頓狂で風変わりだが、姉の福助と妹の扇雀はまさに適役。二人は舞台狭しと飛び跳ねての大活躍。観客も慣れて来たのか、初演の時に比べて二人のはじけ振りもあまり気にならなくなった。

明かりが消えてからは、暗闇の中をお互いに手探りで動きまわる歌舞伎特有のだんまりを使っているが、ただのだんまりではない。スローモーションが突然早い動きの立ち回りになったり、全員揃って『ウェストサイド・ストーリー』のもじりのダンスまで出てくる楽しさがある。また勘三郎と染五郎はほとんど顔をぴたりとくっつけ会う(楽日には実際にキスまでしていたようだが)し、部屋の戸をばたんと閉められて、首を挟まれるなど散々な目にあいながら、どうやら宿を逃げ出す。それからは、辰次、九市郎と才次郎兄弟に野次馬の見物衆をまじえての追いつ追われつのドタバタが展開する。

第四場 峠の場

峠の頂上にまで達した辰次は谷を渡る畚(ふご−物・人を運ぶため竹や藁などで編んだかごのようなもの)を使って、逃げて行く。今回は仮花道が出ているので、舞台正面と花道に紅白の三本のひもを綱に見立てて張り、人々がそれにつかまって動き、畚に乗っているように見せる工夫をしている。町人のなかには、金髪の喜多さんも登場し、「お〜い、弥次さん」と上手から下手へ行くので、劇場内は大爆笑である。二人も畚に追いついて来たので、進退窮まった辰次は、畚の綱を切り、逃げ延びる。谷へ落ちた兄弟は木々にひっかかってようやく助かる(後見がその形を作り、見得を見せる)が、今度は野次馬たちが取り囲み、およし・おみね姉妹が夫の仇と斬りかかる。ここで本当の仇は逆に辰次であると今までの誤解を解くと、皆は驚き、姉妹と野次馬は手のひらを返したように今度は二人の味方となり、大師堂ヘと辰次を追い詰める。勘三郎は三階席の通路を超スピードで駆け抜けるほどのサービス満点である。

第五場 大師堂百万遍の場

ついに孤立無援となった辰次は、大師堂で捕らえられ、当て身を喰らわされて表へ運ばれる。仇討ちがはじまるのを今や遅しと待ち構える多くの野次馬の前で息を吹き返した辰次は、兄弟がいくら立会いを挑んでも、あれこれと言い訳をして、卑怯と言われようと死にたくないとの一点張りで立ち会おうとはしない。

痺れを切らした野次馬に対しても、「これは仇討ちではない。人殺しだ」と辰次は言い放つ。怯む兄弟に対しても討てと騒ぎ立てる野次馬たち。仇討ちをただショウ化したイヴェントととらえて熱狂する群集心理の怖さである。

堂守の良観が仲裁に入って、辰次に二人の刀を研ぐよう命じ、出来れば命を助けてやれと言う。涙ながらに刀を研ぎながら生きたい、生きたいと訴え続ける辰次。バックには胡弓で演奏されるマスカーニのオペラ『カヴァレリア・ルスティカーナ』から間奏曲が流れる。

ヴェリズモオペラの傑作と言われる『カヴァレリア・ルスティカーナ』は、直訳すれば『田舎騎士道』となる。研ぎ屋あがりの辰次の身の上に合っているばかりでなく、この間奏曲は非常に美しくまた哀しいメロディーで、胡弓(そして、最後では尺八・筝との合奏)で弾かれる曲は死にたくないという辰次の心情の痛切に表わしていて、見事な選曲だと思う。

助けてやれよという野次馬も現れて意見が分かれるが、兄弟はついに刀を引いてその場を立ち去る。がっかりした姉妹と野次馬たちは、他でまた仇討ちがあると聞くと、さっさとそちらの方へ行ってしまう。仇討ちなら何でもよいという群集心理の移ろいやすさが端的に表現されている。

本当に助かった、と喜ぶ辰次だったが、足早に戻ってきた兄弟に斬られて命を落とす。彼ら兄弟も侍である以上、仇を討たねば藩に戻れないからだが、兄九市郎はやはり人殺しをしたような後味の悪さを残しながら、去って行く。しかし、武士社会の非情さを強調する意味では、ここは侍だから斬るのは当然だと割り切る台詞であっても良かったと思う。舞台正面に横たわる辰次に一点のスポットライトが当り、また先ほどの間奏曲が流れるなか、一枚の紅葉が辰次の顔の上に落ちてきて幕となる。舞台全面が真っ赤な紅葉の装置も印象的である。

繰り返しになるが、この幕切れはやはり仇討ちを通じて武士社会の馬鹿馬鹿しさと、仇討ちを見世物として無責任にみる大衆への批判を思わせる。卑怯で、小ずるく、だらしない、決して誉められた主人公ではない辰次、だがこの血の通った人間臭い男の叫びには、人間の本性として共感させるものがあった。本来なら悲劇であるものを喜劇仕立てで、主題をより明確にした野田秀樹は、歌舞伎の様式や約束も取り入れながら、新しい歌舞伎狂言を書いたと絶賛していいと思う。


(千穐楽にこの狂言のみ再見したので、千穐楽ヴァージョンについて付記しておきたい。)

楽日とあってか勘三郎はじめ出演者の張り切りようは手に取るように分かるし、観客の方も乗っているから、舞台は快調なテンポで進む。ところが、第三場の道後温泉蔦屋の場で、わが目を疑った。開いているセリの階段から鷺娘の赤の振袖を着た町娘姿の玉三郎が突然登場したのだ!研次に駆け寄って言い寄り、そのまままた引っ込んでしまった。あっと言う間のことで、驚きに茫然としてしまい、また歓声もあって台詞がよくきき取れなかったが、後で聞きとれた方の話では、鷺娘の置唄「恋に迷いしわが心」が入っていたようである。

ところが、これで驚くのはまだ早かった!『研辰の討たれ』は毎日カーテンコールがあったようだから、楽日の観客も当然あると思っていたであろうが、一回目のカーテンコールには度肝を抜かれた。ラストシーンで一人死の床に横たわった勘三郎の後ろに、鷺の精の最後のぶっかえりの衣裳姿で玉三郎が後ろ向きに倒れていたのである!それから正面を向いて、優しく勘三郎を助け起こして、二人で観客の熱いスタンディングオベーションに応える。三月の『鰯賣戀曳網』の再現以上の興奮である。『研辰の討たれ』+『鷺娘』のカーテンコールを一緒に観られるのであるから。まさに「研辰を見る人に鷺娘を、鷺娘を見る人に研辰を」観て欲しいと言っていた勘三郎の言葉をそのまま実現したカーテンコールと言っていいであろう。

二回目は『研辰の討たれ』の出演者全員が登場して、拍手に応える。三津五郎は花道から例の軽やかなスキップで登場するおまけつき。そして、三回目に出演者全員の中へ、勘三郎の招きで再び玉三郎が現われ、勘三郎が「玉三郎さんは鷺娘でカーテンコールをやりたかったでしょうが、僕に気を遣ってくれてやらなかったので、ここに一緒に出てもらいました」と披露していた。四回目は同じ顔ぶれに、作者の野田秀樹も舞台にあがり、拍手を受ける。さらに、一門の人たちによって、勘三郎、続いて野田秀樹が胴上げされて、宙に舞った。

五回目は勘三郎ただ一人でのカーテンコールで観客に向って深々とお辞儀をして、最後の幕は閉じた。(カーテンコールの回数は正確ではないかもしれないが、今はたしかめるすべがないので、一応記憶通りそのまま書いておく。)

この三ヶ月間の勘三郎襲名披露の最後の千穐楽を飾るに相応しい感動的なカーテンコールであった。誰がこのような幕切れを予想したであろうか!ここであらためて、素晴らしい舞台を三ヶ月連続で見せてくれた勘三郎と玉三郎の二人、そして出演した役者の方々全員のみならず、襲名の舞台にかかわった全ての関係者に、心より感謝し、お疲れさまでしたと申し上げたい。
平成17年4月24日、25日(千穐楽):『毛抜』『口上』『籠釣瓶花街酔醒』−中村勘三郎襲名披露四月大歌舞伎夜の部観劇記
『毛抜』−歌舞伎十八番の一つ

歌舞伎十八番の一つで、言うまでもなく市川家のお家の芸。『鳴神』『不動』とともに『雷神不動北山桜』のうちの一幕であるが、それぞれ十八番の一つになっていて、しばしば単独上演される人気狂言となっているのは、元禄期に作られたものにもかかわらず、意外な近代性を持っているためであろう。文屋豊秀の家臣粂寺弾正が小野家の姫の髪が逆立つ謎を、毛抜きが立つことから磁石の仕掛けを見抜いて、八劔玄蕃一派が企んだ小野家乗っ取りを阻むのだから、推理劇の要素を併せ持った典型的な勧善懲悪の話。今回は普段は省略される勅使桜町中将(海老蔵)の出があって、勅命にもかかわらず、家宝の小野小町の短冊を紛失していることが判明する場面があるので、筋がすっきりとより分かり易くなっている。

團十郎の弾正は大変大らかで、また荒事の味が豪快に出ていて、楽しめる。大病を克服して舞台に復帰した彼も歌舞伎座への出演は、実に11ヶ月振りである。本人が語っているように今までの自分をリセットしたかの如く、今回の弾正はまったく余分な力みが無く、余裕すら感じられるから、なおさら一回り大きく感じる。若衆秀太郎(勘太郎)と腰元巻絹(時蔵)へ戯れかかるじゃらつき方なども開けっぴろげの好色さを見せていて、どちらにも振られた後客席に向かって「面目次第もございません」と謝るところの愛嬌と滑稽味は比類が無い味わいがある。

勘太郎はここでも姿・形の良い若衆振り、時蔵は役の割振りの関係であろうか、出番が少なくまた弾正を振る時の「ビビビビビー」がややあっさりしていて残念。海老蔵の勅使は神妙。團蔵扮する敵役の八剣玄蕃が、額の青筋が妙に効果的で憎々しげ。また市蔵の万兵衛も達者で、いずれも團十郎を大いに引き立てる役割を果たしている。

『口上』

今回は列座する役者は16名と前月より少ないが、次男七之助の出演により中村屋親子三人が揃ったこと、高齢の又五郎が前月に引き続きこの口上のみに出てお祝いの言葉を述べているのは嬉しいことである。また團十郎自らが語っているように、中村座では六十年に一度の歳や座元の代替わりの時には必ず当代の團十郎が口上に出たという慣例があり、今回もその慣例通りとなったことは綿々と続く歌舞伎の歴史の重みを感じさせた。先月から引き続いて出演している玉三郎や左團次の口上は日によって話の中身が一部変わっていたところもあったようだ。

『籠釣瓶花道酔醒』

明治時代に三世河竹新七が書いた世話物だが、江戸時代後期の吉原の風俗を目の当たりにさせてくれる狂言である。元来は妖刀と言われる籠釣瓶をめぐる因果噺であったようである。現在は、痘痕面だが、人の良い真面目な商人である刀の持主佐野次郎左衛門が江戸の土産話にと訪れた花の吉原で廓一番の傾城八ッ橋を見染めてから通い詰め、身請け寸前までの仲になりながら、八ッ橋に間夫ゆえに満座の中で愛想尽かしをされ、その恨みから四ヵ月後に籠釣瓶で八ッ橋を殺してしまうまでの物語に集約されていて、かなり中身の濃いものになっている。歌舞伎特有の、華やかではあるがまた陰惨な一面を持つ。

勘三郎の佐野次郎左衛門と玉三郎の八ッ橋の顔合わせでの舞台は今回で既に三回目を数える。しかも今回は八ッ橋の間夫繁山栄之丞に仁左衛門、茶屋立花屋の主人長兵衛に富十郎、女房おきつに秀太郎、次郎左衛門の下男治六に段四郎、朋輩の傾城九重に魁春などの大顔合わせで、それ以外の脇役も力のある役者で固めていたから、襲名狂言のなかでもひときわコクのある、これ以上望むことが出来ないような質の高い舞台となった。これはこの狂言の代表的な名舞台として長く残るであろう。

勘三郎が、襲名狂言に選んだこともあるであろうが、痘痕面の田舎商人が吉原一の傾城との身請話がまとまる寸前の得意の絶頂から、いきなり愛想尽かしされるという地獄に落とされ、その深い恨みを妖刀籠釣瓶で斬り殺すことで果たす役を、集中力と彫りの深い迫真の演技を見せる。最初は朴訥な田舎風丸出しの商人、そして八ッ橋と馴染んでからは、嬉しくて嬉しくてたまらず、仲間に「察して下さい」と自慢する時の愛嬌、それと表裏一体をなす驕慢、そして思いもかけない縁切りから受けた衝撃と茫然自失、それを包み隠すようなさりげなさに仄見える恨み。そのどれもが見事な演技力としか言い表す言葉を知らない。

また玉三郎の八ッ橋も今回で通算四回目で、完全に手の内に入った当り役になっているが、今回は勘三郎の熱い演技に触発されて、さらに役の解釈を深め、従来にもまして廓に生きる傾城の哀しみと苦しみを、渾身の演技で見せている点も見逃せない。最初はこの佐野のお大尽の真摯な気持ちを素直に受け入れて寄り添い、一旦はこの廓を出られると身請話に乗ろうするが、廓に生きる傾城である以上廓の仕来りに従わざるを得ず、間夫栄之丞から次郎左衛門に縁切りするよう迫られて、止む無く受け入れる。だから、縁切りの愛想尽かしの場は表面はとても強く激しいが、心の中では次郎左衛門にすまないという気持ちで一杯であり、それは部屋を立ち去るに際して、次郎左衛門の前を通る時にまともに顔を見られずに思わず顔をそむけてしまうところ、そして九重に止められても「つくづくいやになりんした」と言って背を向けて立つ後姿に、所詮は廓の傾城で生きるしかないと自分の生き様を見定めた女の哀しみが一瞬のうちに凝縮されていたと思う。玉三郎の凄みを観る思いであった。

以下、重複するところもあろうが、話の筋を追いながら、簡単な見所を書いて行く。

序幕 吉原仲之町見染の場

勘三郎が最初は身なりも野暮で、いかにも朴訥な田舎商人が今を盛りと桜の花が咲き誇る吉原にはじめて足を踏み入れて、豪華な花魁道中にうきうき、ウロウロしているさまを軽妙に描く。そこへ、同じ花魁道中でやって来た八ッ橋に思わずぶつかり、その美しさ見惚れたことから、心ここにあらずさまで放心してしまい、「宿へ帰るのが嫌になった」と言うところは、本当にうまい!玉三郎も豪華な衣裳にも負けない光輝く美しさで、これなら次郎左衛門ならずとも呆然としてしまうであろう。有名な花道での微笑みも、田舎者を笑うというより自己の美しさを賞賛する男たちへ向けての笑いと解したが、モナリザの微笑みではないがいろいろな解釈が可能な謎の微笑みであろう。

二幕目 第一場 立花屋見世先の場
    第二場 大音寺前浪宅の場

立花屋見世先の場では、八ッ橋の親代わりとなっている元中間の釣鐘権八(芦燕)が身請話を聞きつけて、既に馴染みとなって通い詰めている次郎左衛門にまたもや金の無心をしようとするが、立花屋にきつく断られる。富十郎、秀太郎とも吉原の茶屋の主の気風が気持ちよい。またそれを恨みに思って間夫の栄之丞に言いつけようと帰って行く芦燕には蛇のような悪のねばっこさがある。その後に商人仲間を連れてやってきた次郎左衛門は上客になっているから立花屋では下へも置かぬもてなし振り。そこへ八ッ橋も現れて、二人の仲を見せ付けるのは、まだまだ吉原に慣れていない野暮っぽさも出ていて面白い。

大音寺前浪宅の場は間夫栄之丞が、権八から八ッ橋の身請話を聞かされて、憤激して家を飛び出すところである。間夫、つまり八ッ橋に貢がせてのうのうと暮らしている今で言うヒモのような男。ずいぶん身勝手な嫌味な男であるが、八ッ橋にそうさせるだけの色気があるいい男でなければならないが、仁左衛門は湯上りから帰って来た花道の出からその華がある。

三幕目 第一場 兵庫屋二階遣手部屋の場
    第二場 同 廻し部屋の場

第一場で客に相方の花魁を教える廓の仕来りを見せた後、舞台が回って廻し部屋の場となる。上手の柱に寄りかかる仁左衛門と座ってもてなす玉三郎の二人が絵になる好一対である。栄之丞から不実をなじられ、縁切りを迫られて泣き伏す八ッ橋。栄之丞への思いを立ち切れない八ッ橋の微妙な女心が表わされている。

三幕目 第三場 同 八ッ橋部屋縁切りの

この狂言最大の見せ場。いわゆる愛想尽かし−縁切りの場面である。最初は具合が悪いから、口をきいてくれるなと言っていた八ッ橋を次郎左衛門はじめ座敷にいる周りの者が気遣ってなだめていると、もともとそちらが勝手に通い詰めて来ただけで、本当は口をきくのもいやだ、身請話は断るから今後一切来てくれるな、と強い調子で愛想尽かしをする。この時下座で胡弓が鳴るのは、この場に合っていて効果的である。驚く次郎左衛門が「花魁、そりゃ袖なかろうぜ」と思いのたけを切々と訴えるところにも胡弓の音が響き、よりしみじみとさせる。呆然とした次郎左衛門が座敷を覗いていた栄之丞に気づき、八ッ橋はついに栄之丞という間夫故の愛想尽かしと明かす。今はこれまでと身請話を諦め、我を忘れたように帰ろうとする勘三郎の姿には、観る者も思わず涙してしまいそうな哀れさがある。しかし、その目は虚ろであり、それを優しく包み込むように見送る九重の心遣いも、果たして届いていたのかどうか?次の場の悲劇を予感させる幕切れである。段四郎と魁春には次郎左衛門を思いやる情が溢れていた。

大詰 立花屋二階の場

それから四ヶ月経って、再び立花屋に現れた次郎左衛門は「今日からまた新しい客との初会と思って遊んでくれ」と八ッ橋に言って安心させるが、実は以前の恨みを隠して平静を装っていただけだった。盃に酒を注ぎ、「この世の別れだ、呑んでくりゃれ」と言ったあたりからの勘三郎の目は別人のように狂気をたたえている。一太刀籠釣瓶を振るって八ッ橋を斬り殺す次郎左衛門の姿が凄まじい。また斬られた後、スローモーションのようにゆっくりと海老反りに崩れてゆく玉三郎の姿が殺しの美を余すところ無く見せていて、譬えようも無く美しい。また籠釣瓶はよく斬れるなと刀をじっと見て終わる幕切れの部分に、さらに八ッ橋の顔を見入るところを付け加えたのは、決してこの殺しが狂気のみから出たことではなく、八ッ橋に愛着したが故であったことを、観る者に納得させる説得力があり、深い余韻が残った。
平成17年4月17日:『源太勘當』『京鹿子娘道成寺』『与話情浮名横櫛』−十八代目中村勘三郎襲名披露四月大歌舞伎昼の部観劇記
『源太勘當−ひらがな盛衰記』

話は平家物語の世界で、宇治川の合戦の先陣争いで佐々木高綱に後れを取った梶原源太影季が、父景時の命で鎌倉の屋敷に戻ったところが、母延寿には切腹させよとの手紙が来ている。弟平次影高は自分が跡目を継ぎ、横恋慕している腰元千鳥も手に入れる絶好の機会と、軍内ともども攻めたてる。

実は父景時が合戦前に犯した失態を、佐々木高綱に救われたことから、わざと先陣を譲ったことを源太は明かす。哀れに思った母延寿は源太を切腹させないよう勘当する。一度は死のうと思った源太も、西国で再度奮起せよとの母延寿の言葉に感謝しつつ、彼を一途に慕う千鳥とともに鎌倉を去るのであった。

最初の発表では千鳥の役であった勘太郎が源太役に回り、千鳥は芝のぶが代役となった。七之助の源太も観てみたかったが、結論から言えば、この組み合わせは海老蔵の憎まれ役平次ともども大変清新な組み合わせで、爽やかな舞台となった。

まずは勘太郎の源太が花道の出から匂うが如き若武者振りである。しかもこの役は先陣争いに敗れた汚名をじっと胸の底に秘めて耐える辛抱の役どころであるが、弟の非難にも動ぜず、愁いを含んだ姿・形は十分な品格も漂わせていて、素晴らしい。

他方海老蔵の平次も、出色とも言える出来。兄を追い落とそうと攻め立てるただの悪役ではなく、千鳥に戯れるいやらしさ、軍内(市蔵)などとの滑稽なやりとり、そして時には駄々っ子のように拗ねるところの愛嬌など、憎めないこの役を多彩に演じていて、この人の役者としての天性にあらためて目を瞠る思いであった。台詞が時々素になるところはあるが、今後の精進で必ずやそれも克服するであろう。

芝のぶの腰元千鳥は源太をひたすらに恋慕う純情可憐な役を好演していた。実力ある若手女形だから、今後もどしどしこのように大きな役を演じる機会を作って欲しいものである。秀太郎の母延寿は、若手中心の舞台にあってさすがに重みがあり、景時の妻の気品と陰ながら源太を思いやる心情に溢れていた。


『京鹿子娘道成寺』−道行から押戻しまで

立役から女形まで兼ねる役者として幅広い役柄をレパートリーを持つ勘三郎は、舞踊も『鏡獅子』や『連獅子』はじめ多くの当り役があり、昨年の勘九郎の名跡最後の狂言『今昔桃太郎』のなかでも、吹き寄せとして九番もの舞踊を見せてくれたことは周知の通り。今回勘三郎襲名の二ヶ月目の舞台でも舞踊の大曲『京鹿子娘道成寺』を選び、しかも滅多に出ない押し戻しまで付けて舞台にのせたことは、大変な意欲の表れに他ならない。白拍子花子から蛇体に変わり、それを押戻す役で團十郎が出る、いわゆる押戻しが付くのも珍しい。所化は襲名らしく、岳父芝翫をはじめ左團次、彦三郎に海老蔵、勘太郎などを含めて27人の出演という豪華版である。

その勘三郎の白拍子花子は、大変ぽっちゃりとしていて、可愛らしい。前半は時間の関係か、乱拍子や手踊りの部分にやや省略があり、観る方も慌しく感じてしまい、陶酔までには至らない。しかし、恋の手習いから、国尽くし、ただ頼めはたっぷりと踊りこんでおり、玉三郎のような真女形の舞踊とはまた一味違った兼ねる役者としての勘三郎の良さを全開させている。何よりも所作の一つ一つに大輪の美しさがあり、この踊りの面白さを十二分に堪能させてくれた。ただ、鞨鼓や鈴太鼓を大きく鳴らしていたのは、個人的には好みに合わない。

團十郎の大館佐馬五郎は、くっきりとした隈取りがよく似合う押し出し十分の大きさで、蛇体となった勘三郎を圧倒するような存在感があった。元気な團十郎の歌舞伎座への復帰も嬉しいことである。

『与話情浮名横櫛』

切られ与三の名で有名な『与話情浮名横櫛』は、仁左衛門の与三郎、玉三郎のお富、左團次の蝙蝠安という当り役のトリオが揃ったうえ、勘三郎が鳶頭金五郎役を付き合うというご馳走役がある。木更津海岸見染の場から源氏店の場まで、皆こなれた役作りで、この世話物狂言の見せ場、面白さをきっちりと押さえた舞台を見せてくれた。今の歌舞伎でのスタンダードな切られ与三であろう。ただ、これも時間の関係であろうが、今回も赤間別荘の場が出ないのは残念。この場があってこそはじめて与三郎とお富の二人が逢引していたところをお富の旦那の赤間源左衛門に見付かり、与三郎は体中傷つけられ、お富は海に身投げした経緯がよく分かり、源氏店の場がより面白くなると思うのだが…。

木更津海岸見染の場

玉三郎のお富は、花道の出からその粋な美しさに目を奪われる。片や仁左衛門の与三郎もこれぞ色男の典型というような二枚目で、見染めはお約束の場面ではあるが、やはりこの二人ならではの絵になるところである。花道を引っ込むお富に見惚れたまま知らず知らずのうちに羽織を落としてしまういわゆる「羽織落し」は、仁左衛門がさすがにうまい。

勘三郎の鳶頭は、与三郎を立てながらも、江戸っ子の気風がよく出ている。同じく先月襲名した源左衛門の幇間五行亭相生も、貴重な雰囲気である。

源氏店の場

あまりにも有名なこの場であるが、やはり湯上りのお富の姿が赤い糠袋の紐を口にくわえての登場でいかにも仇っぽく、艶めかしい。その姿のみで囲い者の風情がにじみ出ている。豆絞りの手拭で頬かむりの粋な与三郎とうらぶれた蝙蝠安の対照的な姿も面白い。良いお得意とまたたかりに来て、お富にすげなくされても粘って少しでも金をもらおうとする安とお富のやりとりもテンポよく、小気味良い。それが与三郎の「しがねぇ恋の情けが仇」の名台詞に続き、仁左衛門がたっぷりと聞かせ、見せる。段四郎の和泉屋多左衛門も重厚ながらも、情味豊かである。
平成17年3月20日、27日(千穐楽):『盛綱陣屋』『保名』『鰯賣戀曳網』−十八代目中村勘三郎襲名披露三月大歌舞伎夜の部観劇記
『盛綱陣屋−近江源氏先陣館』

『盛綱陣屋』は、人形浄瑠璃『近江源氏先陣館』の八段目で、後に歌舞伎に移されたもの。時代を鎌倉時代に取っているが、大阪冬の陣で真田信幸・幸村兄弟が徳川方と豊臣方に分かれて戦った史実を題材にしている上演時間二時間におよぶ重量級の時代物。信幸をモデルにした佐々木盛綱を勘三郎が演じ、弟の身を案じながら、母、妻、弟の嫁・子と主君の間で苦悩する武将の姿をくっきりと描き出す。歌舞伎でよく出る首実検がここでも大きな比重を占めており、偽首と知りながら、弟の一子小四郎が幼い身ながら父のために切腹した健気さに感じ入り、本物の首と主君北条時政に報告するまでの心の葛藤を、ほとんどいわゆる腹芸でたっぷりと見せていて、共感させる。

二回の所見、とりわけ千穐楽で驚いたのは、勘三郎の役者振りが格段に大きくなっていることであった。これはよく言われるように日本の伝統芸能特有の襲名という儀式の不思議さであろうか?ある日から役者名が変わることは、別の人格として生まれ変わることであり、新勘三郎としては猿若座の座元という由緒ある名前を継ぎ、偉大なる芸の先輩、父先代勘三郎を目指し、いずれは越えようと内心固い決意をしているのであろう。
 
先代勘三郎は、生涯で八百以上の役を演じて、ギネスブックに載ったほど幅広く何でもこなした役者。勘三郎もその血を受けて立役から女形まで、いわゆる兼ねる役者として今まで多くの役を演じてきた。しかし、どちらかと言えば『仮名手本忠臣蔵』の勘平などを除くと、時代物の役はやや印象が薄いきらいがあった。それだけに、襲名興行の最初の月にこの時代物の大役盛綱を持ってきたことは、襲名にかける本人の並々ならぬ意欲の表れであったろうし、またその狙いは大きな成功を収めた舞台だったと言える。

富十郎の和田兵衛は赤っ面の敵役ながら、盛綱に心を寄せる大役。情理とも弁えたこの役を富十郎のいつもながらの爽やかかつ明晰な台詞術で演じ、より一層大きく見えて舞台映えがする。勘三郎と好一対で、幕切れの絵面の見得はこれ以上望み得ないような美しさであった。芝翫の母微妙の子と孫を哀れに思いやる気丈さ、魁春の控え目ながらも気骨のある武将の妻早瀬、福助の子を思うあまりに敵陣まで忍んで来る激情を見せる高綱の嫁篝火とも、それぞれしどころのある役を好演しており、不足はない。加えて、我當の老獪極まりない北条時政、注進役にきりりとした幸四郎の信楽太郎、滑稽味の段四郎の伊吹藤太と襲名ならではの贅沢な配役で脇を固めていて、見応え十分であった。子役の大役小四郎は福助の子−児太郎。梨園の御曹司としては台詞の一本調子が気にならないでもないが、普段の舞台とは比べものにならいような熱演で、思わずほろりとさせられた。目を拭う観客も多かったようである。

『保名』

恋人を亡くして、正気を失った安倍保名が菜の花咲き乱れる野で、形見の小袖を手に、彷徨い歩く姿を見せるいわゆる狂乱物の舞踊。仁左衛門の姿形はさすがに絵になっていて美しい。延寿太夫らの清元や傳左衛門の小鼓も舞台に相応しい清澄なもの。ただし、当方は未見ながら二月の『二人椀久』と幻想的な描き方や狂乱が同じだから、連続して観た観客には同工異曲との印象を与えていないであろうか?といささか気になった。

『鰯賣戀曳網』

いわゆる三島歌舞伎と呼ばれた作品のなかでも、室町お伽草紙に題材を取り、古典歌舞伎の様式にのっとって書かれたこの狂言は、三島由紀夫の作品としては異色とも言えるほど素朴かつおおどかな味の大人のメルヘンになっていて、何度観ても楽しさに溢れている。少し質は異なるが、彼の小説における『潮騒』に通じるところがあると思う。この作品は先代勘三郎と六代目歌右衛門に当てて書かれて、上演が繰りかえされたが、現勘三郎と玉三郎とのコンビに引き継がれて、今ではこの二人の組み合わせ以外には考えられないほどでの当り役になっていて、今回で既に六回目の上演となる。歌舞伎を一度も観たことがない人でも、この舞台を観たら上演中笑いが止まらず、歌舞伎とはこんな楽しく面白いものだったのか!とても幸せな気分で家路に着くことが出来るだろう。そして、きっとそれからは歌舞伎の魅力に取り付かれること間違いなしであろう。勘三郎襲名披露の最初の月の大切り狂言として、もっとも相応しいものであった。

そこで以下、この狂言のある意味では荒唐無稽の面白さを少しでも理解してもらえるよう、やや詳しく話の筋を追いながら書いて行く。

第一場 五條橋の場

鰯賣猿源氏が、五條橋で一目見た上臈に恋焦がれ、商売の鰯売りの呼び声も湿りがち。しかし、その上臈は五條東洞院の遊女蛍火と分かり、大名・高家しか相手にしない高級遊女であるという。しがない鰯売りでは相手にされない。しかし、通人の父親海老名なあみだぶつは、一計を案じて猿源氏を宇都宮弾正という大名に化けさせて、廓に乗り込むことにする。

勘三郎の猿源氏は、花道の出からこの狂言の示導動機(ライトモチーフ)とも言える「伊勢の国に阿漕が浦の猿源氏が鰯かうえい」という呼び声が、売り物の鰯も腐ると言われるほどの元気の無さで、とぼとぼと歩いて来て、笑いを誘う。だが、父親が助力して蛍火に会える算段をしてくれると分かって喜ぶあたりは、和らか味のある白塗りの二枚目。そして、大名だからと馬に乗せられるが、乗馬経験のない猿源氏は前後を逆に乗ったりして一騒ぎ。無事乗ることができて、父と博労六郎左衛門(弥十郎)とともに花道を引っ込む時は、もういっぱしの大名気分、扇をかざしての花道での馬上の見得は愛嬌たっぷりである。

左團次の父親海老名なあみだぶつは、酸いも甘いもかみ分けた通人振りも手馴れていて安心して観ていられるが、この役を一度だけ演じた故沢村宗十郎の軽妙洒脱さも忘れ難い。とくに、宗十郎は猿源氏の花道の出の呼び声を聞いて、耳の穴をひっかいてもう一度よく聞こえるよう耳を澄ましていたのは、今回の左團次が立っていたままに比べると、より深味があったように思う。また次の場も含めて、弥十郎の好助演振りも光っている。

第二場 五條東洞院の場

一方その廓では遊女たちが蛍火付きのかむろをだしにして遊びに興じている。そこへ現れた蛍火は自分の所持している道具を使って、他の遊女たちと貝合わせをするが、歌道のたしなみの違いから遊びにならず、嫌味を言われてしまう。ここでの玉三郎の蛍火は一目で観客の目を釘付けにしてしまうような艶やかで美しき遊女。上演半ばで変えた濃い紫の帯も強烈な印象を与えて、その出だけでじわが来る。扇雀や勘太郎など綺麗で良い遊女振りだが、玉三郎が出ると引立て役になってしまう。

蛍火の出自を知っている亭主(段四郎)に慰められて、蛍火が引っ込んだところへ、先触れとして、海老名なあみだぶつが登場、亭主に蛍火に是非逢いたいという関東の大名の宇都宮弾正が案内してきたことを告げる。いよいよ大名に化けた猿源氏一行が花道から登場、堂々たる大名振りと言いたいところだが、哀しいかな、俄か大名だから本舞台にかかっても馬から降りるのさえ供に助けられてやっと。しかも美しい遊女たちが現れると、すぐにでれでれとしてしまう。傍に付いている父と博労六郎左衛門は気が気ではなく、合図して直そうとするが、すぐまた元に戻るという繰り返し。上座について刀の置き方から扇子の構えまで満足に出来ない。三人の動きとやり取りからは一時も目が離せないし、一生懸命大名としての威厳を保とうとしながらも、すぐに地が出て、でれっとしてしまう猿源氏には爆笑ものである。

しかし、本物の蛍火と対面した時の猿源氏は、さらにもっとでれでれとなる。己を忘れるほど蛍火の美しさに見惚れ、しばし放心状態。盃のやり取りをする段になって、思わず傍に付いている禿を突き飛ばしてしまう。以前観た時は、ただ倒れただけだった禿が、今回は一回転して転がり、その後怒ったように乱れた髪を直し、離れて座っていたのは、ただの人形ではないことを示す工夫であり、禿役を演じた清水大希君の大手柄である。

さて、猿源氏は蛍火を見つめたきりで、差された盃をぐいぐいあおり、ただただうっとりするばかり。そこへこの家の定法として、はじめての客には座興を披露してもらうことになっていると言われ、断ろうとすると、ベンベンンと竹本が登場。猿源氏が慌てて竹本に向かってダメダメという仕草をすると、一瞬知らん顔をした浄瑠璃の竹本清太夫がやおら勘三郎に向かってあかんべえをするので、場内は大爆笑の渦。猿源氏も苦笑いをして、止むを得ず軍物語をはじめる。傍の二人は聞いていられないと耳を塞ぐ。

しかし、根が鰯売りだから、その物語も蛸の入道やら平目の大介、鯛の赤介が出てくる魚尽くしの可笑しなもの。一の谷の合戦物語のパロディーであろうが、勘三郎は体の柔らかさを生かして物語るから、しかつめらしく語れば語るほど面白い。時代物の軍物語を逆手に取った見事な軍物語である。

無事語り終え、他の者が奥へ入った後、酒に酔った猿源氏は蛍火の膝を枕に寝入ってしまう。蛍火はこの大名を好いたらしい男と思い、起こそうと揺り動かすが、猿源氏は寝言を言うのみである。最初よく聞こえなかった蛍火が催促したのが聞こえたように、「伊勢の国に阿漕が浦の猿源氏が鰯かうえい」の呼び声を、より大声の寝言で続ける。これを聞き咎めて、あっと驚いた蛍火は猿源氏を起こして、大名ではなく、本当は鰯売りではないか?と問い詰める。その前に蛍火が、「そう言えば部屋の中が何とのう鰯臭うなってきた」と言いながら、臭いを払う仕草が大仰で面白く、観客席まで臭ってきそうである。

正体が露見したと一瞬慌てた猿源氏であったが、和歌に事寄せて、巧みに蛍火の追及をかわして、ほっとする間も無く、本物の鰯売りではなかったか、と蛍火が泣き崩れるのを観て、逆に驚く。観ている側も本物の大名だったと分かって喜ぶならいざしらず、その逆だから、その意外性にそれは何故?と不審に思う。猿源氏がその訳を問い質すと、蛍火は自分の身の上話を始める。蛍火は実は紀伊の国の丹鶴城のお姫様で、ある日「鰯かうえい」の声に惹かれて城から抜け出し、鰯売りの行方を追い求めるうちに、城へも戻れなくなり、親切に助けてくれた人が人買いで、そのまま遊女に売られてもう十年経ったと明かす。身の上話を驚きながら聞く猿源氏であったが、途中からその鰯売りはそれは自分だ!自分だ!と喜びながら自らを指さす勘三郎の仕草が可愛らしい。

恋しい鰯売りにやっと会えたと思ったのに本物の大名であったとはもう生きてはいられないと自害しようとする蛍火を止めて、猿源氏は自分こそがその鰯売りだと明かすが、蛍火はただちには信じようとしない。そこへ海老名なあみだぶつが亭主らとともに現れて、蛍火の身の上も聞き、猿源氏が本物の鰯売りだと語るにおよび、蛍火もようやく合点が行き、恋しい人に会えた喜びで二人は思い切り抱き合う。ここまでの話の急展開に一喜一憂した観客も思わず盛大な拍手で、その喜びを分かち合う。

しかし、二人が夫婦になるためには、遊女である蛍火を身請けする金が要る。そこへ姫の行方を探すため庭男に身をやつしていた家臣次郎太(市蔵)が現れる。蛍火の所持していた持仏の観音さまで本物の姫であることが間違いないと分かり、城へ帰ることを促す。ところが、蛍火は次郎太に持参の身請けの金を所望するとともに、その残りを馬の代金として六郎左衛門に与える。そして、自分は鰯賣猿源氏の女房となり城へは戻らないから、そのことを両親に伝えて欲しいと言う。

ここでは玉三郎が、遊女からお姫様に変身して、次郎太に姫の威厳を持って対する。この姫自身鰯売りの呼び声にあくがれて城を飛び出したのだから、深窓の姫君とは一味も二味も違う一風変わったお姫様。このあざやかな変わり身・切り替えの早さは、桜姫と同様玉三郎ならではの持ち味であろう。追いすがる次郎太に下にいりゃと命じると、その威厳に猿源氏まで平伏してしまう。最後は猿源氏を思いやる初々しい女房振りも見せるから、一つの役で三つの性根を見せなければならない難しい役とも言える。しかも、真面目にやればやるほどかえって喜劇的になるのは、立女形としての意外な一面が観られるとともに芸の幅広さを感じさせる。

今は晴れて夫婦として二人は手に手をとって花道にかかる。ここで蛍火は猿源氏に鰯売りの呼び声を教えて欲しいと請うので、猿源氏は身振りも含めてお手本を示すが、それを待つまでも無く、声高らかに「伊勢の国に阿漕が浦の猿源氏が鰯かうえい」と呼ばわっての見得は、この狂言の一番の見所で、多くの掛け声と盛大な拍手に包まれる。またそれを本舞台に残った人たちにも真似させるのもこのお姫様の面目躍如たるところ。

普通の舞台であればこの後幕が引かれて幕外となった二人は、恥ずかしそうに手を取り合いながらの引っ込みとなるのだが、さすがに勘三郎襲名の舞台、玉三郎が猿源氏を誰やらに似ていると言って、勘三郎襲名のお祝いの言葉を述べる。さらに勘三郎から「二人が結ばれたのは夢のようだ、そなたの美しさは夢のようだ」などの返しがアドリブであって、勘三郎がいかにも嬉しそうに玉三郎の手を引いて引っ込んで行くのが印象的だった。

そして、千穐楽ヴァージョンの引っ込みはさらにその後があった!観客の拍手は盛大で、二人が鳥屋に引っ込んでも拍手は鳴り止まない。そして、チャリンと揚幕が開いて、玉三郎が勘三郎の手を引いて花道に現われた!勘三郎襲名興行だからもしかしてカーテンコールがあるかもしれないとかすかに期待はしていた、にこやかに、また嬉しそうに客席へ挨拶をしながら出て来る二人を現実に観られるとは思いもかけなかった!それも歌舞伎座の本興行で…。

さらに玉三郎自らが誘うようにして勘三郎を本舞台に連れて行く。もう観客は総立ちで、熱い拍手を送り続る。勘三郎は一歩前へ出て深々と御礼の挨拶を繰り返した後、黒御簾へもう一回と合図をすると、下座が鳴り出して、もう一度花道への引っ込みが繰り返されて幕となった。勘三郎が「玉三郎さんという大好きな共演者と手をつないで引っ込める、この狂言を三月の最後に選んだ理由でもあります」と語っていたとおりを絵に書いたような千穐楽となり、襲名第一月目の興行はめでたく、また盛大な盛り上がりで打ち出しとなった。
平成17年3月6日:『猿若江戸初櫓』『俊寛』『口上』『一條大蔵譚』−十八代目中村勘三郎襲名披露三月大歌舞伎昼の部観劇記
『猿若江戸初櫓』

中村勘三郎家は、初代が猿若勘三郎と名乗り、以降代々猿若座(後の中村座)の座元(つまり興行主)として、櫓を上げる(興行権を意味する)ことを許されていた家柄。市村座、森田座とあわせて、普通江戸三座という。猿若勘三郎が京から下ってきて、お江戸日本橋に猿若座の櫓をあげることを許されたのが江戸歌舞伎のはじまりと言われている。この長唄舞踊はその故実をふまえて書かれたもの。ただし、出雲の阿国が猿若と一緒に行動したというのは史実ではないだろうが、そこは歌舞伎、あまり深く詮索する必要もない。

将軍への献上物が載っている車をごろつきに止められて福富屋(弥十郎)が難渋していたところを、ちょうど阿国とともに一座で江戸へ下ってきたばかりの道化猿若(勘太郎)が、機転を利かせて、気の進まない一座のものを囃し立てながら、車を動かしてしまう。それを見た奉行の板倉勝重(扇雀)は猿若を気に入り、望みの日本橋に芝居小屋を作ることを許す。喜んだ猿若は、小屋掛け風となった舞台で、得意の猿若舞を披露する。

勘太郎は伝統ある猿若舞の装束で、観る者も心地よい、非常にきびきびとした切れの良い踊りを見せる。福助の阿国も見せ場は少ないが、一座の者ともども元禄風俗を満喫させる華やかさがある。これは勘三郎襲名披露の幕開けに相応しい演目であった。

『俊寛−平家女護島』

平家に対する陰謀が露顕して、平成経、康頼とともに孤島鬼界ヶ島に流された俊寛僧都は、待ち望んだ赦免の船が到着したものの、自分の名のみなく一旦は絶望する。それも平重盛の温情で共にに許されることが分かり、歓喜する。しかし、瀬尾兼康から京にいる妻の死を聞いて悲嘆にくれた俊寛は、成経と契った海女千鳥を船に乗せるため、罪人として島に残ることを決意して、瀬尾を斬ってしまう。

京への帰還がようやく叶いそうになりながら、あえて島に残ることを決意するまでの歓喜から一転しての絶望・悲嘆・諦観に揺れる俊寛の心、を幸四郎は少ない動きで表現する。初代吉右衛門以来のハラ芸の伝統は孫にもしっかりと受け継がれているようで、幸四郎に時々感じる歌舞伎の時代物にそぐわないような異質さは今回はあまり感じられず、その悲劇に素直に共感できた。幕切れで岩の上にたって茫然と船を見送る俊寛の姿には、自分で決意しながらも一人孤島に残される寂しさ・哀れさを十分に漂わせていた。

脇も捌き役の梅玉、敵役の段四郎に秀太郎、東蔵、魁春など実力ある役者が固めていて、安定した出来栄えであった。

『口上』

猿若黄色の裃の新勘三郎を中心にして、幹部俳優十九人が列座する口上は、襲名披露ならではの豪華版。岳父芝翫にはじまって、それぞれが先代勘三郎とのエピソードから新勘三郎への期待までを語るのは、役者の個性もそれぞれよく出ていて、見応え、聞き応え十分である。富十郎、玉三郎、左團次などは日によって口上の中身が異なることもあるようで、二代にわたる付き合いの深さを物語るものであろう。

『一條大蔵譚』

『鬼一法眼三略巻』の四段目にあたるが、通常単独で『檜垣』『奥殿』の二幕として上演される。

『檜垣』
義経の母常盤御前が再嫁した一條大蔵卿長成に召抱えてもらおうと女狂言師お京が夫吉岡鬼次郎とやってくる。実は彼らは源氏に心を寄せるもの、常盤御前の心底を確かめようと屋敷に入り込もうとしているのである。現われた大蔵卿は、やることなすことがまったくのうつけ振り。お京に舞を所望してじっと見惚れたり、床机から落ちそうになったり。観客は大蔵卿の一挙手一投足に笑いが止まらない。玉三郎のお京の端正な舞は見ものである。首尾良く召抱えられて、一行とともに屋敷へ戻る。

『奥殿』
源氏のことも忘れたように揚弓に打ち込む常盤御前を懲らしめようと、お京の手引きで屋敷に忍び込んだ鬼次郎は、その揚弓が実は平家調伏の為であることを知り、恥じ入る。それを聞いた家来八剣勘解由が六波羅に知らせようとした時に、背後から長刀で成敗したものがいる。御簾が落ちると、現われたのは見違えるほど凛々しい姿の大蔵卿。平家の目をくらます為、阿保を作っていたことを明かし、また阿保に戻る。勘三郎は前場で徹底した阿保振りを見せていたから、実は正気、また一転して作り阿保との切り替えがくっきりとしていて、鮮やかである。父も勘三郎襲名時に出したこの演目を、手取り足取り教えられた通り演じたいと語っていたが、しっかりと受け継いだことを目の当たりにした舞台であった。

所見の日は、口上も含めて、雀右衛門の常盤御前が精彩がないように感じられたが、体調が万全でないのだろうか?また仁左衛門の鬼次郎、玉三郎のお京はいわゆるご馳走で、襲名披露の舞台でなくては観られないであろうが、この二人が出ずっぱりであることにより、舞台が引き締まり、今まで気がつかなかった大事な役であることをあらためて感じた。奥女中鳴瀬は小山三、勘解由は助五郎改め源左衛門と、中村屋一門の古参格が演じていたのも、たんに襲名だからというだけでなく、実力のある役者だから、嬉しいことであったし、また十分期待に応えた存在感を示していた。
平成17年1月26日(千穐楽):『鳥辺山心中』『文屋、喜撰−六歌仙容彩』『御所五郎蔵』−寿新春大歌舞伎(新橋演舞場)夜の部観劇記
『鳥辺山心中』

岡本綺堂作のこの新歌舞伎の傑作は、海老蔵がパリでの襲名興行で菊之助とのコンビで取り上げ、その美しさに大絶賛を拍したという。したがって、今回の舞台は、言わばその凱旋公演にあたる。

将軍の供をして京に上った旗本菊池半九郎は、はじめて座敷に出たお染が一目で気に入って通いつめている。同僚の弟から軟弱な武士と罵られたことに端を発して、喧嘩口論、果し合いとなり、斬ってしまう。今はこれまでと死を覚悟した半九郎にお染も一緒にと願い、誂えたばかりの晴れ着を着て、鳥辺山への心中行となる哀切な物語である。

前半、廓での遊びの物憂さを出そうとしているのだろうが、海老蔵の科白回しに独特の癖があって、乗り切れない。加えて、松緑の坂田市之助も遊び通振りを見せようとするが、かえってさまになっていない。ここらあたりは二人の若さゆえの未熟か?一人菊之助のお染が可憐さで際立つ。

しかし、後半黒と紫の晴れ着となってからの二人は、はっと見違えるような美しい道行を見せる。死に行くことを決意した二人は、もう誰にも邪魔されない二人のみの甘美な世界を作り上げており、目に眩いほどの輝きを放っていた。この場面を観るのみでも十分満足できた舞台だった。

『文屋、喜撰−六歌仙容彩』

六歌仙を登場人物にした舞踊から二題。

文屋は文屋康秀が官女たち(女形ではなく、通常は立役の人たちが扮する)と繰り広げる滑稽味溢れる楽しい舞踊で、松緑はさすがにこういう踊りでは軽妙な持ち味を発揮する。

喜撰は、喜撰法師が茶汲み女お梶とちょっと色めいた所作事を見せる。菊五郎の喜撰法師の飄逸な愛嬌と、菊之助の清潔な艶っぽさが程よく交じり合って、観る者をウキウキと楽しくさせる。ただ、菊五郎の顔が、やや道化に作り過ぎる印象があったが、いかがか?

『御所五郎蔵』

『曾我綉侠御所染』から有名な御所五郎蔵の部分を仲之町の出会いの場から逢州殺しの場まで。物語的には大詰めの五郎蔵内が付かないと中途半端であるうえ、観客には分かり難いと思う(話は平成15年6月の観劇記を参照してもらいたく、省略)。

出会いの場は、若手の浅草歌舞伎と競演となったが、東京では病癒えてから八ヶ月振りの復帰の舞台となる團十郎が、観る側の感情移入もあろうが、ふっくらとしてまことに大きいから、断然見栄えがする。やはり両花道ではないのが残念だが、左團次の星影土右衛門ともども、黙阿弥の七五調を耳に快く聞かせて、ワクワクさせる。若手との格の違いを感じさせる。

この五郎蔵は、男伊達だが、侍上がりにしてはいささか単純で短気。だからこそ観客に愛される役なのだろうが、役作りは意外に難しい。團十郎は、ごく自然体で演じて、この五郎蔵の男っぽい魅力を存分に味合せてくれた。福助の皐月は、姿かたちは立派な傾城だが、存在感が不足している。夫五郎蔵のために金を工面しようと、土右衛門の言いなりに心ならずも縁切りをするというハラが十分でないからだと思う。逆に予想外に良い出来だったのが、朋輩の傾城逢州役の松也。もちろん、まだ与えられた役を一生懸命務めている部分も多いが、五郎蔵や皐月に対する真情が素直に伝わってきて、大変好感を持てた。これからの女形としての成長が期待される。

ところで、出会いの場で諍いを留めるのが、甲屋与五郎では、立役三人となって、いかな菊五郎が演じていても、絵にならない。ここはやはりしかるべき女形の留め女であって欲しいところである。
平成17年1月11日:『御所五郎蔵』『春興鏡獅子』『恋飛脚大和往来−封印切』−初春浅草歌舞伎観劇記
今回も第一部、第二部とも同じ演目を役者を変えて出している。第二部を観劇。

『御所五郎蔵』

仲之町の出会いの場のみの上演。吉原の華やかな舞台を背景に、五郎蔵とその子分、土右衛門とその子分が七五調のつらねで言うセリフが見もの、聞き物。ただここは本来両花道でこそ、その面白さが存分に発揮されるところであるから、劇場の制約上止むを得ないが、幾分雰囲気に欠ける。

獅童の五郎蔵と愛之助の土右衛門はニンが逆のように思う。しかし、愛之助は敵役としての凄みも見せていて、なかなかの健闘振り。他方、獅童は姿かたちはさまになっているが、声に張りがなく精彩がなかった。セリフが自分のものになっていない自信のなさから来るるのであろうか?所見の日は、扇のやり取りで初歩的なミスもあり、一体どうしたのか?と目を疑った。好漢、なお一層の奮起を望む。亀治郎の留女はさすがにいい。

『春興鏡獅子』

七之助の大曲舞踊への挑戦。前ジテの女小姓弥生は、初々しく清潔感溢れる美しさ。将軍の前で踊っているという恥らうような控え目さも良い。ただ、綺麗に踊っているとは思うものの、まだ柔らか味に不足していて、観るものを陶酔させるまでには至っていない。さらに踊りこむ必要がありそうだが、持ち役に出来る余地は十分にある。

後ジテの獅子の精は一転して、凛々しく、要所要所をきっちりと押さえた爽やかさがある。毛振りも若さ一杯の力強いものであった。胡蝶は、国生、宗生兄弟。背丈が違うので、若干バランスが悪かった。

『恋飛脚大和往来−封印切』

いわゆる封印切と言われる三場。何と言っても愛之助の忠兵衛が、上方和事の伝統をしっかりとふまえ、前半はじゃらじゃらとした色男振りがきまっている。教えを受けた現仁左衛門に、姿やセリフ回しがよく似ているのは止むを得ないにしても、それなりに自分の物にしているのは立派である。この前半の愛嬌があるから、後半八右衛門の悪態に追い詰められて、意地と義理から公金に手を着けてしまう悲劇性がくっきりと際立つ。

亀治郎の梅川は、忠兵衛をいとしいと思う一途な心根は良く出ているが、ふっくらとした遊女の色香に乏しい。男女蔵の八右衛門が、意外と言っては失礼だろうが、憎たらしさ十分ではまっている。もちろん上方の味は一歩足りないが、この人は今後このような方面の役に進むとより持ち味を発揮しそうである。門之助のおえんは、この人の本役ではないだろうが、若手中心の舞台ではさすがに存在感があった。

第二部全体としては愛之助一人の活躍が目立った舞台だった。


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