吉田修一

『悪人』(朝日新聞社)
本書は朝日新聞連載時に読んでいたが、考えてみれば読み逃した日もあり、そのまま単行本では通読する機会がないまま来てしまった。今回映画化されることもあり、はじめて全編通して読了した。読んだのは単行本であるが、上下2巻の文庫本(朝日文庫)も刊行されている。

作者が公式サイトを立ち上げているくらいだから、思い入れのある作品であろうことは間違いない。作者の真価が十二分に発揮された会心作である。本書は福岡県の峠で殺された若い女性の殺人事件をめぐって、シンプルなタイトルである『悪人』とは、一体誰なのか?を推理小説とも恋愛小説とも読めるような形で、多面的に、部分的には登場人物の肉声も挿入されて語られる。芥川龍之介の『藪の中』のように誰が言っているのが正しいのか?とも思わせる部分もある。しかし、矛盾した言い方のようであるが、みな正しいことを語っているのであって、それが本質の一部分であるからこそ、人間のこわさ、不可解さが露呈してくる。

殺人を犯した土木作業員の祐一が、出会い系サイトで知り合った光代が殺人を告白されると自首を勧めながら、結局一緒に車で逃避行を続ける展開は唐突のようであるが、孤独な生活をしていた彼女にとって、大切な人と出会ったことが貴重なことと思えたからである。この逃避行は読んでいて、せつなくなる。

「今の世の中、大切な人もおらん人間が多すぎったい。大切な人がおらん人間は、何でもできると思い込む。自分には失うものがなかっち、それで自分が強うなった気になっとる。失うものもなければ、欲しいものもない。だけんやろ、自分を余裕のある人間っち思い込んで、失ったり、欲しがったり一喜一憂する人間を、馬鹿にした目で眺めとる。そうじゃなかとよ。本当はそれじゃ駄目とよ。」

引用が長くなったが、殺された女性の父親が作中で述懐する言葉である。ここに本書の主題があることは言うまでもない。しかも、それを抜群の語り口で、さらには作者の出身である九州北部の方言での会話が巧みに使われていて、大変効果的である。私自身が短期間ながら長崎に住んでいたことがあるので、この方言はいかにも本書に相応しいと思ったものである。



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