平成20(2008)年の観劇記

平成20年4月5日、26日千穐楽:『勧進帳』『将軍江戸を去る』『浮かれ心中』−四月大歌舞伎夜の部観劇記
・『勧進帳』

今月は何といっても仁左衛門の弁慶、勘三郎の富樫、玉三郎の義経のトリオによるこの『勧進帳』が一押しであった。何度観ているか分からない歌舞伎十八番の一つの人気演目であるが、この三人による顔合わせはとても清新な印象を受けた。玉三郎の義経は昭和六十三年一月の舞台を観ている。その前年から歌舞伎観劇をぼつぼつと再開したばかりだったから、玉三郎という売り出し中の女形が立役でも凛とした美しさがあることに驚いた記憶が鮮明である。とりわけ「判官御手」の部分はそれまで梅幸の義経を最高と思っていたが、玉三郎の義経も型の美しさばかりでなく窮地を救ってくれた弁慶に対する溢れんばかりのいたわりの心情がその右手から流れ出したような錯覚を覚えた。

その義経を玉三郎が二十年ぶりの再演。しかも、仁左衛門の弁慶も東京では二十一年ぶりで、もちろん初見。この人のニンは本来富樫であると思っているから、発表当初は驚いた。勘三郎の富樫も初見。

仁左衛門の弁慶は、筋書によれば先代が七代目幸四郎から教えられた型ということである。その弁慶の特徴を一言で言えば、主君義経思いの心情を明快にうちだした極めて分かりやすいものであった。例えば、花道の出では、義経の「いかに弁慶」で座ること(もっとも三階席の観劇ではそこまで見えなかったが)や、詰め寄りで金剛杖の左手を順手で持つところ(これは一回目の観劇では気が付かなかったが、これは和戦両様の形であることを演劇評論家の上村以和於氏の随談にて教えられた)、富樫を見送ってからそれまでの緊張がとけたように右手に持った金剛杖の後ろをカタンと床につけるところなどであるが、いずれにしても主君義経を立てて、何としてでも守り抜こうということがよく分かるすぐれたものである。しかも、その思いが全身から伝わってくるから細身の仁左衛門が大きく見え、加えて元々口跡の明晰な人が演じるから、難解な山伏問答も勘三郎の富樫とがっぷり四つで、緊迫感があった。

その勘三郎であるが、今月の五日の初見の時は、台詞回しに独特の粘るような癖が感じられたが、それはよく考えてみると先代勘三郎に似ていたのが気になってそう感じたようである。この千穐楽の富樫は、台詞も高く張っており、義経と弁慶主従に対して同情を寄せる武士を堂々と見せた。

玉三郎の義経も、五日の初見の時は、花道の能がかりの台詞回しにやや違和感を感じた。しかし、今回はまったくそれを感じさせず、終始悲劇の武将の愁いと気品に満ちた義経だった。だから、あの「判官御手」の部分は、仁左衛門という永年のコンビできた二人以外では醸し出せなかったであろう深い情愛に満ちた感動的な場面だった。このくだりを観ることが出来ただけでも今月の観劇は十二分に満たされたと感じた。

(蛇足)詰め寄りのところで、仁左衛門の中啓が落ちてしまうハプニングがあった。緊迫している場面であるから、どうなることかとハラハラしたが、團蔵がうまく拾い上げ後見にすばやく渡して一件落着。さすがヴェテラン。

・『将軍江戸を去る』

(五日初見の感想)
江戸幕府の崩壊を描いた真山青果らしい緊迫した台詞劇である。一旦は江戸城明け渡しをして恭順の意を示した十五代将軍徳川慶喜が、主戦論者の意見に傾きかけたところを山岡鉄太郎(橋之助)の説く勤皇の大義を受け入れて、千住大橋で江戸の町に別れを告げて去ってゆくまでを描く。

「上野大慈院の場」での激しい台詞の応酬は、尊皇と勤皇の違いを説く橋之助の熱演が見ものである。三津五郎の慶喜はここではきっぱりとしたなかにも将軍としての矜持と苦悩を滲ませている。彌十郎の高橋伊勢守も諫言する臣下を手堅く演じていた。ただし、青果が書いた時代とは随分異なっている思うから、現代の観客がこの台詞の意味をどれだけ理解できるかはやや疑問だった。

「千住大橋の場」では直臣や江戸の庶民たちに対して、今は晴れ晴れとそして徳川家最後の将軍としての誇りを持って、江戸の町に別れを告げる三津五郎の台詞が名調子で、かつ心に染み入るものであり、爽やかな余韻を残す。

千穐楽観劇の感想は大きく変わるところはないが、強いてあげれば、橋之助の山岡鉄太郎の忠義と熱情を込めた慶喜への諫言。そしてそれを受け入れ、徳川最後の将軍としての誇りを持ちながらも、新しい時代のために江戸を去る後姿に哀愁も滲ませた三津五郎の慶喜には重厚さも感じた。

・『浮かれ心中』

(五日初見の感想)
井上ひさし原作の『手鎖心中』を小幡欣治脚色によって歌舞伎化したもの。私は初見。才能がないのに戯作者として売りだそうと、仲間の太助の力を借りて親に勘当してもらって、長屋に婿入りしたり、手鎖の刑にしてもらったり、あの手この手をうつがさっぱり売れない栄次郎。ついには身請けした三浦屋の箒木と心中の茶番を演じるが…。

勘三郎の栄次郎が「ちゅう乗り」も含めてあれもこれもと大サービスで笑わせるが、観る方も似たような勘三郎の役を観慣れてきてしまったのか、今ひとつ乗り切れず、かえって共演者の面白さ、意外性の方を楽しんだ。まずは時蔵の女房おすず。夫婦喧嘩の真似事をする段になって、地声で迫力ある啖呵をきる時蔵は、花嫁姿が匂うような初々しさだったからその対比の鮮やかさには大爆笑であった。またそのあおりを食って(?)、梅枝のお琴が蹴落とされて、海老反りを披露するおまけつきである。

また彦三郎の伊勢屋太右衛門が、この人のニンにあった頑固一徹な親父ぶりで、周囲の軽佻浮薄と好対照でひときわ目に付いた。彌十郎の佐野準之助も笑わないという堅物の役人だが、かえってお上を挑発するような戯作を書くように唆すいわば儲け役で、これまた光っていた。

三津五郎の太助は、栄次郎を助けながらあれこれ考えて演出する言わば狂言作者。大詰めで太助実は後の式亭三馬となることが明かされるが、吉原仲之町で花魁道中の七之助の箒木を観て人目で掘れ込んでしまう、『籠釣瓶花街酔醒』のパロディも面白い趣向で、この狂言のもう一人の主役がこの太助であることがよく分かる。三津五郎の大健闘が勘三郎のこの舞台を大いに盛り上げていたと思う。

(千穐楽の感想)
初見の時は、全二幕七場が舞台転換に手間取っていて、話の流れが止まってしまうように感じられる場合があったが、千穐楽はテンポ・アップしていて飽きさせなかった(終演時間も五分程度短縮)。戯作者として売り出そうとしてあの手この手で悪戦苦闘する若旦那栄次郎とその仲間太助が主役である。物語の主題は、茶番、そして戯作がいかに本物に勝りうるか、また時の権力に対抗しうるかということであろうが、歌舞伎の世話物としての描き方はやや喜劇的色彩が強くなり過ぎたきらいがある。

勘三郎の栄次郎は、とにかくちゅう乗りも含めてサービス精神旺盛で笑わせるが、その中にも自分を売り込もうとするひたむきさが感じられたから、周囲の役者とのチームワークがとてもよくなっていた。しかし、三津五郎が太助を演じて盛り立てていたことが特筆される。加えて、彦三郎や彌十郎のような頑固で意固地な役もはまり役で、小山三の遣手お辰なども舞台に出てくるだけで独特の存在感と雰囲気を感じさせて、嬉しくなった。

女形も時蔵のおすずが栄次郎のよき恋女房ぶりであり、だからこそ狂言での夫婦喧嘩のドタバタが生きてくる。七之助の箒木は、前半の花魁道中が『籠釣瓶花街酔醒』の見立てであるから八ツ橋を思わせる華麗な美しさである。昼の『熊野』の朝顔もそうであるが、最近の七之助の美しさは、一皮むけたような目覚しさがある。他方、今後の成長株の梅枝の栄次郎の妹お琴もおきゃんで可愛い町娘である。

最後の心中が狂言のはずが、手違いで大工清吉に刺されてあの世に行ってしまった栄次郎が、庶民を象徴するねずみに乗って、ちゅう乗りするのは、喜劇が一転して悲劇で終わる幕切れを派手にしてしまう逆効果の点もある。しかし、これが他ならぬ勘三郎だから出来ること、笑いとペーソス溢れる楽しい幕切れとなった。勘三郎がまいていた花吹雪や手拭いなどいつもより多かったようである。

(蛇足)
(その一)この千穐楽の4月26日は、時蔵丈の誕生日だったとのことが劇中で披露されていた。
(その二)勘三郎は、八月の納涼歌舞伎でまた三津五郎と共演すると言っていた。
(その三)ちゅう乗り小屋に入った勘三郎は、鳴り止まぬ拍手に二階下手の照明から一度手を振り、その後舞台下手に登場して、御礼の挨拶をしていた。この四月興行は大入りだったとのことで、松島屋(仁左衛門)と大和屋(玉三郎)の兄貴からもくれぐれも皆さまに御礼申し上げていますとも語っていた。

四月大歌舞伎夜の部の主な配役と話題・見どころは、こちら
平成20年3月16日:『京鹿子娘道成寺』『鈴ヶ森』『江戸育お祭佐七』−三月大歌舞伎夜の部観劇記
・『御存鈴ヶ森』

芝翫の白井権八が、今までに観たことのないような古径な味わいと凄みを感じさせた。最近のこの人は、女形より立ち役の方に得難い風格がある。富十郎の長兵衛は口跡と貫禄で好一対。左團次と彦三郎がほんの僅かの場面で付き合うのは勿体ないくらいである。段四郎の飛脚がいわゆる半道敵でいい味を出している。ヴェテラン勢の活躍で引き締まった舞台に仕上がっていた。

『京鹿子娘道成寺』道行より押戻しまで
坂田藤十郎喜寿記念の『京鹿子娘道成寺』は先月の松竹座特別舞踊公演の二人道成寺と比較しながら、楽しんだ。

藤十郎の喜寿とは思えない艶やかさと若々しさに満ちた踊りには驚いた。所作の一つ一つがきっちりと線が明確で、緩急も自在である。もう少し鐘への恨みが強く出ていてもいいと思ったが、この女形舞踊の大曲を後シテまで踊り抜いた集中力には脱帽である。ただし、何故か「ただ頼め」が略されていて、羯鼓からそのまま鈴太鼓になる。後シテの顔の作りも恐ろしげな鬼女で、團十郎の押戻しでさらに厚みが増した。

團十郎の押戻しは、さすがに先月の海老蔵より一段と大きく、風格がある。

所化の台詞は上方訛りと聞いていたが、今日は通常通りだった。月の途中で変えたのだろうか?舞い舞い尽くしは、扇雀の子息虎之助君であった。私が今まで観たなかで、最年少であるが、あの長く難しい台詞を口跡も爽やかに軽々と言ってのけたのには、感心してしまった。虎之助君恐るべし。

・『江戸育お祭佐七』

浄瑠璃「道行旅路の花婿」が入るとのことで一体どのようになるのか興味津々だったが、神田祭の日に鎌倉河岸神酒所でお祭り気分の賑わいのなかで、劇中劇として芸者三人が踊るという趣向であった。その間に菊五郎の佐七と時蔵の芸者小糸がじゃれあっているのも洒落ている。田之助が、このような場を盛り上げるに相応しいお祭りの世話人ぶりだった。

菊五郎は外題の通り、気風といい、そそっかしさという、まさに江戸っ子そのままである。だから、それまで惚れ合っていた小糸を簡単に殺してしまう粗忽さもあり、どこか御所五郎蔵を思わせた佐七だった。時蔵はもう少し芸者の色気が濃く出てもいいと思うが、佐七を一筋に思う性根はしっかりと出ていた。

仁左衛門は鳶頭としての貫目は十分であるとともに、小糸の養母の言葉をそのまま信じてしまう人の良さも感じさせた。團蔵の倉田伴平は、典型的な敵役であるが、やや型通りで平凡な印象を受けた。家橘の養母おてつが、その強欲ぶりで手強い感じをよく出していた。その他萬次郎、右之助、市蔵、亀蔵、歌江など脇役が揃い、見所の多いものだった。このような狂言を当代菊五郎が演じるのは初めてとは意外だった。またの再演を期待したい。

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平成20年2月26日:『連獅子』、押戻し付き『京鹿子娘二人道成寺』−松竹座特別舞踊公演観劇記
今回の松竹座特別舞踊公演は、立女形として地位を揺るぎないものとしている玉三郎が、しばしば行う単独の舞踊公演ではなく、今華ある若手人気役者の海老蔵、菊之助、さらには尾上右近も加えて、座頭として行った大変贅沢な公演であったと思う。ある意味では最近玉三郎が力を入れている若手への芸の伝承と育成をも兼ねていたであろう。それにしてもこの顔合わせによる『連獅子』は今後観る機会はあるだろうが、押戻し付きの『京鹿子娘二人道成寺』は、もしかして二度と観られないような伝説的なものになる予感がする。

観劇当日は千穐楽であったためであろうか、上手桟敷には、舞妓さんなど綺麗どころが並び、ただでさえ特別な楽日が、なお一層華やぎが増していた。

『連獅子』

先月の幸四郎・染五郎親子の共演によるものを引き合いに出すまでもなく、勘三郎も頻繁に親子で踊り、最近はもっぱら親子により踊るものばかり観ている。

そういうなかで、今回の海老蔵と尾上右近による連獅子は、大変新鮮だった。二人がストレートに自らの持味を出していて、丁々発止と渡り合うような緊張感があったから、観る方も力が入った。海老蔵は、前シテの容姿や佇まいがますます祖父十一代目に似てきたように見える。舞踊にしては表情を変えすぎる点も散見したが、後シテのかっと睨んだ目も含めて、成田屋ならではのものだった。

尾上右近は若さに似ず踊りの切れ味が鋭いことは定評があるが、ここでも足拍子も爽快で、メリハリのきいた力強い踊りには感心した。後シテの毛振りも息のあった豪快な振りを披露してくれた。

押戻し付き『京鹿子娘二人道成寺』

さて、お目当ての二人花子の二人道成寺、平成十六年の初演から進化をして二年毎に再演され今回は三回目。二回目は、シネマ歌舞伎にもなった画期的な道成寺もの舞踊である。

二人で一つの魂、光と影の花子を二人で一緒に踊り、また踊り分ける工夫は、菊之助の踊りがまた一段と成長したことにより、さらに美しさに磨きがかかり、眼福というありきたりの言葉ではとても十全には表現しつくせないような、今咲き誇る満開の花を堪能した。

今までの二回の場合藤色の衣裳でただ頼めを踊った菊之助が、引き抜いて下手へ行くと、玉三郎が現われて二人で鈴太鼓をつかうのだが、今回の押戻し付きでは菊之助一人が踊って、鐘入りとなる。花道から鱗四天が登場して、本舞台での所作ダテの後鐘を引き上げると、そこには蛇体となった玉三郎がいる。鱗四天と絡みながら花道へ行くと、菊之助も蛇体となってスッポンから現われる。丁度最初の道行の逆の形で、蛇体への変化を大変うまく処理していた。 

海老蔵の大館左馬五郎は、歌舞伎十八番らしい強烈なバワーとオーラを感じさせた。この三人が本舞台に揃うだけで、なんと舞台が狭く感じられたことか!

幕切れは二人花子の蛇体が鐘にあがっての見得。玉三郎が鐘の綱につかまらず、見得をしていたのには驚いた。定式幕が閉まった後、鳴り止まぬ盛大な拍手にカーテンコールが一回あったのは、松竹座の特別舞踊公演ならではであろう。松竹座にはじめて遠征した甲斐のある充実した舞台に満足して、帰途についた。
平成20年2月21日:『口上』『春興鏡獅子」−初代松本白鸚二十七回忌追善二月大歌舞伎夜の部観劇記
『口上』

初代松本白鸚と言っても、幸四郎の名前を息子の染五郎に譲って襲名してからまもなく亡くなったので、私の記憶の中ではどうしても幸四郎(八代目)という名前が強く刻み付けられている。今回の追善興行が二十七回忌と聞いても、そのような長い年月が経過したとはにわかには信じられなかった。比類ない時代物の役者であって、戦後歌舞伎を、兄十一代目團十郎、弟二代目松緑の三兄弟で支えてきたことは、紛れもない事実である。

その意味でこの追善興行の意味は評価できるし、口上が最近のように大人数居並ぶというものでなはく、親族のみ(雀右衛門、吉右衛門、松緑、染五郎、幸四郎)五人であったのも、白鸚好みと幸四郎が言っていたように、追善の口上に相応しく温かく、大変いいものだった。ただ、唯一團十郎がこの場にいてくれたらなおさらよかったと思うが。しかも、舞台の襖絵は、絵を得意とした白鸚の「松の寿」を大道具さんが書いたものというのも追善に花を添えていた。

幸四郎は、白鸚を大変やさしい人だったこと(夫人がヴァレンタイン・チョコを送った巡業先を「松江」と覚えていて、夫人が大喜びだったという晩年のエピソードが披露されていた)、そしてまた大変ガマン強い人だったことも手術のエピソードを交えて話していたが、まさに私の記憶のなかにある幸四郎のイメージそのままであったことが懐かしい。

私は中学から大学時代に、『勧進帳』の弁慶、『仮名手本忠臣蔵』の由良之助や『菅原伝授手習鑑』の松王丸などを観たはずである。しかし、ちょうど一門の東宝専属事件もあり、そう多くの歌舞伎の舞台を観たとは思えないが、とにかく存在感のある重量級の役者であった。一番記憶が鮮明なのは吉右衛門が口上で話したように、今月昼の部に出ている『積恋雪関扉』を、当の吉右衛門の二代目襲名披露として帝国劇場の新装開場(昭和41年10月)で踊った時である。歌右衛門が付き合って出演し、大伴黒主を幸四郎、歌右衛門が小町姫、墨染の二役、宗貞を吉右衛門が演じた。古怪で、かつ大変こってりとして濃厚な関の扉であって、以降この舞踊を観るたびに思い出すほどである。

また白鸚は、今は吉右衛門が引き継いだ『鬼平犯科帳』の初代長谷川平蔵であり、このテレビドラマでも、原作をよく生かして、お茶の間のファンを惹き付けたと思う。

さて、口上では幸四郎が今回の追善の演目は、白鸚が得意にした演目を並べたと言っていたが、時代物に偏りすぎで、かつ昼夜の演目のバランスが悪く、決してよい選択だったとは思えない。とくに『熊谷陣屋』は、義経を除き主な配役が平成十八年十月と同じだったのは、いかがなものかと思う(相模は、芝翫休演のため、福助が代役。しかし、これとても昨年の秀山祭で福助の相模を観ているから、変わり映えしない)。

ただ、夜の部にただ一つ、染五郎の『春興鏡獅子』を入れてあったのは、よかったと思う。これは白鸚没後であるが、染五郎が子供歌舞伎で一度だけ鏡獅子を踊った時に、二代目松緑が観て「高麗屋にも弥生を踊れる役者が出たな」と、感慨深げだったことによるとの幸四郎の口上であった。

『春興鏡獅子』

染五郎は少年期は女形を演じることが多かったから、最近こそ立役が中心だが、この舞踊の大曲も危なげなく丁寧に踊る。御小姓弥生の清潔な色気が出ているのがいい。川崎音頭の部分はもう少し柔らか味があってもいいが、全体としては舞台映えする美しさも含めて、大変結構なものだった。

後半の獅子の精は、先月の『連獅子』から二ヶ月連続の毛振りとなるが、豪快に見せた。打ち出しはやはりこのように華やかな舞踊が、気持ちよく終わっていいものである。

富十郎が中心の『寿曽我対面』は、どうしたことか緊迫感がなくややすきま風吹いていた感じである。橋之助の十郎と三津五郎の五郎がアンバランスだったことにもよるかもしれない。橋之助がニンではなかったことから来ていると思う。『熊谷陣屋』は、上記の通り繰り返し観ていて目新しさもないので、今回の感想は略す。

初代松本白鸚二十七回忌追善二月大歌舞伎夜の部の主な配役・話題と見どころは、こちら
平成20年1月4日、27日千穐楽:通し狂言『小町村芝居正月』ー国立劇場初春歌舞伎公演観劇記
この初世桜田治助作の通し狂言は、寛政元年(1879年)の中村座の顔見世狂言として上演されて以来、一度も再演されていないので、実に219年ぶりの復活となるとのことである。とは言っても、当時の上演がどんなものであったかたは定かではないうえ、顔見世狂言としての約束事にしたがって作られていたから、現在では分かり難く冗長な部分が相当多かったと思われる。そこで国立劇場の初春公演としてすっかりと定着化した感がある尾上菊五郎を中心とした菊五郎劇団による今回の上演でも、かなり補綴の手が加えられたようである。このあたりの苦心は筋書の国立劇場文芸課による「補綴のことば」に詳しいが、それをまた歌舞伎の実際の舞台として作り上げるのには、菊五郎や團蔵などはおそらくほとんど一から作って行く苦労があったものと想像される。

もともと外題にある「芝居正月」は、歌舞伎における正月のこと、つまり旧暦の十一月の顔見世の芝居を指しており、この月から向こう一年間のその芝居小屋の顔ぶれを披露する重要なものだったわけで、当時の江戸の観客がいかにこの顔見世興行を楽しみにしていたかは、今と異なって娯楽が少ない時代であるから、我々現代の観客が考える以上に熱烈なものがあったものと思う。

今回は、前半に「時代物」を入れ、後半には時代物の人物が身分をやつして登場する「世話物」があること、そして「暫」を入れること、また動物や植物の精を登場させるなどという顔見世狂言の約束事をふまえて、世界(物語の背景となる時代や題材)を平安時代に求め、惟喬親王と惟仁親王の「御位争い」と「六歌仙」としている。芝居としては馴染みが薄いようであるが、今月新橋演舞場の通し狂言『雷神不動北山櫻』もほぼ同一の時代を扱っている。

さて、物語は文徳天皇の皇子惟喬親王と惟仁親王との皇位継承をめぐっての争いに大伴黒主が自ら天皇の位を狙って割ってはいるの野望を中心にして、絶世の美女であり伝説的な歌人でもある小野小町と深草少将の恋模様と黒主の横恋慕など多彩な内容を盛り込んでいる。しかし、入り組んだ筋をよくここまで整理して舞台化したと感心するほどすっきりとわかり易くまとめていた。もちろん前後で辻褄があわないような部分もあったが、そんな細かいことはこだわらず、現代の観客はお正月狂言としてふんだんに盛り込まれた歌舞伎の趣向を理屈抜きに大らかに楽しめればよいであろうし、事実その期待に十分こたえる高い水準の舞台を作り上げていたと思う。また序幕から四幕目の舞台背景がそれぞれ春から秋・冬へに季節の変化を見せていたのも視覚的に美しい。

序幕第一場「江州関明神の場」、第二幕「大内裏手の場」は、物語の発端で「御位争い」が簡潔に説明されていて、また主要人物が「だんまり」で登場する。菊五郎の大伴黒主が雲に乗って龍神を封じ込める妖術を使うところは、国立劇場の舞台装置を存分に使っていたが、やや装置に頼り過ぎの感じがあったのは残念だった。

二幕目「大内紫宸殿の場」では、まさに御位争いそのものと小町の詠んだ歌が万葉集にある古歌だと黒主が難癖をつける場である。その企みを「草紙洗い」で菊之助の五井之助兼道が解き明かそうとする場面と、黒主が小町を責める「琴責め」は趣向としてはあまり面白いとは思わなかったが、黒主の悪の大きさを見せるのに十分で、菊五郎がクールな悪をたっぷりと演じていた。

三幕目「深草の里の場」は、次の世話場と時代物をつなぐ舞踊にしてある。常磐津と長唄の掛け合いである。これが菊五郎、時蔵、松緑、菊之助の四人によるとても華麗で、見応えのあるものだった。

四幕目第一場「柳原けだもの店の場」は深草少将と小町が夫婦で江戸で獣肉屋を営んでいるという設定。しかも、五郎又実は深草少将は夫婦仲が悪いからと、新しい女房おみきを連れ込んできて、家主夫婦が夫婦喧嘩の仲裁に入る始末をテンポよく見せる。おみきが三人一緒に仲良く暮らそうと言う二人女房で無事納まる。しかし、松緑の紀名虎が汁粉屋に化けて、小町を連れ出そうとして入り込んでいたのを、おみき実は深草少将に恩義を受けた小女郎狐が、名虎から大事な村雲の宝剣を奪い取って逃げ去る。

第二場「柳原土手の場」は、菊之助の小女郎狐が狐忠信風の衣裳で、ぶちの衣裳の犬(赤い大きな爪がある)と雪中で菊五郎劇団お得意の大立ち回りとなる。下手の長唄、上手の竹本の三味線も効果的で、見せ場が満載である。最後は花道でぶっかえり、狐六法で引っ込む。

大詰「神泉苑の場」は、歌舞伎十八番の「暫」もどきである。松緑の孔雀三郎がその衣裳も孔雀の羽を用いていて、まことに堂々として大きい。菊五郎の黒主と筒守りを引き合うことにより龍神が飛び出して天に昇るところは、これまた「鳴神」もどきであって、楽しめる趣向であった。

全体としては例年よりも菊五郎、時蔵の役は地味であり、その分松緑の二役と菊之助の二役がひときわ目立つ舞台であった。しかし、その重責を二人の花形役者が十分こなして、その魅力をいかんんなく発揮したものだったと言えよう。
平成20年1月23日:『連獅子』『助六由縁江戸桜』初春大歌舞伎夜の部観劇記
・『鶴寿千歳』

筝曲にお囃子という珍しい舞踊。前半に歌昇の松、錦之助の竹、孝太郎の梅による爽やかな踊りのあと、芝翫の姥と富十郎の尉の人間国宝コンビがお互いに労わりあうように踊るのが、お正月らしい舞台背景もあって、なんともほのぼのとしてめでたい気分になった。

・『連獅子』

幸四郎と染五郎親子の共演。前段の親獅子が仔獅子を谷に突き落とす試練のところは、今一つ胸に沁みる部分が足りないように感じられた。しかし、後段の毛振りは、幸四郎はさすがに年齢的にもきつそうな感じもあったが、その分を補うように染五郎が力強く振っていて盛り上げていた。

宗論は、高麗蔵と松江ともにいささか固い。

・『助六由縁江戸桜』

まずは久しぶりに團十郎がこのお家の十八番の『助六』を、それも初春狂言として元気に演じてくれたことはめでたいことである。なによりも歌舞伎の面白さと華やかさのエッセンスが一杯つまったこの狂言、市川宗家が演じてこそ河東節十寸見会御連中も出るのである。團十郎は悪態の啖呵が切れがよく痛快だったが、長台詞になると少し声がかすれてくるのが気になった。

梅玉の白酒売新兵衛が初役とは思わなかったが、和事の柔らか味あって、それでいて助六の兄という貫禄と品が見えたのはこの人の藝の力であろう。これも初役の福助の揚巻、花道での酔態などまだ課題は多いが、初音の悪態も堂々としていて、助六を思う心がその立ち姿からも滲み出るようで、立女形としてのこの難役を立派に演じきったといってよいだろう。孝太郎の白玉も情のこもった台詞は実力を十分に発揮したと言えるが、揚巻の台詞の時などじっと舞台にいる時の表情が妙にきついのはいかがなものか?

段四郎の口上、門兵衛と左團次の髭の意休は、安心して観ていられる役であるが、とくに髭の意休は今の歌舞伎界に他にこれと言って演じられる役者が見当たらないのは逆に心配なことでもある。錦之助の福山のかつぎが、容姿と口跡とも爽快。歌昇の仙平は、その独特の台詞回しが若干物足りなく感じた。

東蔵の通人は、ギャグをふんだんに盛り込んでいて、十分に笑わせてくれた(観劇日には「株も下がる」などとも言っていた)。芝翫の母親曽我満江はもう貫禄十分で、舞台にいるだけで存在感があった。余談だが、助六が着る紙衣を畳紙につつんでいるのをはじめて観たように思うが、歌舞伎狂言としてはそこまでやる必要があるのかと疑問符が付いた。

壽初春大歌舞伎夜の部の主な配役と話題・見どころは、こちら
平成20年1月19日:『一條大蔵譚』『けいせい浜真砂』−壽初春大歌舞伎昼の部観劇記
・『猩々』

猩々は想像上の霊獣であるが、大の酒好き。この長唄舞踊は赤頭の猩々が、酒に酔って見せる舞が見どころである。梅玉、染五郎の二人は、清々しい踊りで好感を持てるが、もう少し酔態ぶりにメリハリがあってもよかったと思った。

・『一條大蔵譚』

吉右衛門の一條大蔵卿の作り阿呆が、何と言っても一番の見ものであった。最初の幕「檜垣」では、登場した時から身体全体で阿呆を作っているのだが、それを感じさせないほど春風駘蕩とでも評すべき徹底して柔らかな味がある。それでいて、鬼次郎と目をあわすところは、一瞬鋭く正気の体を見せる。

「奥殿」では、実は源氏に味方したくとも平家全盛の時であるから、作り阿呆を装っていたことを明らかにして、平家調伏の揚弓をしていた常盤御前を清盛に注進しようとした家老の勘解由の首を落とすのである。ここで、吉右衛門の大蔵卿の素晴らしい点は、阿呆と正気の切り替えが鮮やかであることはもちろんであるが、あくまで公卿という出自をしっかりと見せていることである。ぶっかえりの見得、そして勘解由の首をあたかもボールで遊んでいるような幕切れが強く印象付けられた。

福助の常盤御前は、見違えるほどおっとりとしたなかにも源氏のためを思っていることがよく分かる凛とした強さを持った役になっていた。この人にしばしば見られる顔の表情を変えすぎる悪い癖もなく、これは大変よい出来だったと思う。

梅玉の鬼次郎、魁春のお京夫婦は、源氏の対する忠義一途な気持が素直に現れていて、好感を持てた。段四郎の勘解由は、ここでは終始悪役に徹しており、また吉之丞のその妻鳴瀬は、夫が裏切って大蔵卿に申し訳ないという思いに溢れていた。ほかに、女小姓芝のぶが台詞はほとんど無いが、その美しさが際立っていた。

・『けいせい浜真砂』

「女五右衛門」とも言われるように、『楼門五三桐』の五右衛門と真柴久吉の出会いの場を、傾城石川屋真砂路実は明智光秀の娘皐月姫と久吉に書き替えた狂言。雀右衛門も87歳、舞台に立てるだけでも奇跡的なことであろう。動きが少ないこの狂言は、短いながらも雀右衛門の女形藝を垣間見ることができる。ただ、もう口跡もあまり力強さは聞かれない。

吉右衛門の久吉は、ただそこに立っているのみで舞台での存在感の大きさと惚れ惚れするような立ち姿の美しさで、圧倒された。

・『魚屋宗五郎』

幸四郎が意欲的に取り組んでいる黙阿弥ものは、時としてあまりにもリアルになり過ぎて面白みが半減してしまうことがある。この主役の宗五郎は酒癖が悪く、断酒していたのだが、お屋敷奉公に出していた妹が罪なくして殿様に斬られたことから、次第次第に酒乱となって磯辺邸に駆け込むという話しであるから、その酔っ払いぶりが一つの見せ場である。二代目松緑の宗五郎をはじめて観た時、実際に酒を呑んでいないのに、どうしてあのような酒乱の演技が出来るのか!と驚いた記憶がある。今回の幸四郎は、その点伯父に学んだことが多いようで、その酔い方はなかなか堂に入っているという表現はおかしいが、自然体で妹を喪った哀しみも見える酒乱ぶりだった。

周りも魁春の女房おはま、染五郎の小奴三吉、錦吾の父太兵衛とともに適役揃いであるから、その酒乱の場は緊迫感と滑稽味が交じり合っていて飽きさせない。錦之助の磯部主計之助と歌六の家老も手堅く、全体として上々の出来だったと思う。

・『お祭り』

これは團十郎の粋な舞踊を楽しめればよい。ただ、ご本人の顔がところどころ変に気難しい表情になっていたように見え、踊りも心なしか重いように見受けられた。これはもう少し機嫌よく、軽やかに踊るものだったと思うが。

壽初春大歌舞伎昼の部の主な配役と話題・見どころは、こちら
平成20年1月12日:『金閣寺』『与話情浮名横櫛』−新春浅草歌舞伎第二部観劇記
・『金閣寺』

雀右衛門の指導による亀治郎の雪姫が、その教えをよく吸収していてとてもよい出来である。容姿とその佇まいは、大変美しい。だから、縛められて爪先鼠を描くまでの見せ場は、降りしきる雪のなかで幻想的ですらある。ただ、この人の口跡は低音が太く聴こえるのが唯一難点である。その点は叔父の猿之助そっくりなのは、血は争えぬものだと思った。

勘太郎の此下東吉も、同じく初役ながら時代物の難役を立派にこなしている。獅童の松永大膳は努力の跡はみえるが、時代物の経験不足はこういう役であるとどうしても露呈してしまう。七之助の直信と男女蔵の佐藤正清は、どちらも及第点であるが、男女蔵はもう少し手強さが欲しいと思った。亀鶴の慶寿院尼は、ニンではないから本人には気の毒である。本来は鬼藤太の役であろう。

いずれにしても、今年の浅草歌舞伎のなかでもっとも難しい演目であろうが、亀治郎と勘太郎の頑張りで、第一部の『傾城反魂香』とともに、大変見応えのある舞台に仕上がっていたと思う。

・『与話情浮名横櫛』

愛之助の与三郎、七之助のお富、亀鶴の蝙蝠安の組み合わせである。他に男女蔵、獅童が共演。

見染めの場は、花道の出から七之助の艶のある美しさが際立つ。かたや愛之助も柔か味のある美男子ぶり。容姿や台詞回しなど仁左衛門にそっくりである。お富に見惚れての羽織落しもごく自然で、和事の味がある。獅童の鳶頭金五郎は、もう少し江戸っ子のいなせなところが欲しい。

源氏店の場も七之助は、湯上がりの風情が匂うがごとく婀娜っぽい。亀鶴はよく健闘しているが、まだこの役には若いようで、卑屈ないやらしさが出れば、さらによいだろう。愛之助は、聞かせどころの名台詞がやや声を高く張り過ぎている点が気になったが、粋な感覚は抜群で、これから持ち役になるであろう。男女蔵はまだ貫目が十分ではない。

しかし、全体としてこの狂言が手堅い出来に仕上がったのは、ひとえに小山三、千弥、京蔵、松之助らのヴェテラン陣が脇をがっちりと固めていたからである。小山三、千弥などは舞台にいるだけで、観る方が嬉しくなってしまう。
平成20年1月9日:『傾城反魂香』『弁天娘女男白浪』−新春浅草歌舞伎第一部観劇記
・『傾城反魂香』

「土佐将監閑居の場」は、頻繁に出るものであり、昨年の顔見世で吉右衛門の素晴らしい舞台を観ているので、最初は食指が動かなかったが、今回実際に勘太郎と亀治郎のコンビの舞台に接してみて、大変な熱演に感動でき、あらためて感心した。今の若手でここまでの「土佐将監閑居の場」を演じることが出来るのである。

前半は、亀治郎の女房おとくが、吃りでしゃべりが不自由な又平に代わって、出しゃばりなほど饒舌にしゃべる。しかし、それは夫又平を愛するが故に、何とか土佐の苗字を許してもらいたいとの真情に溢れているのがとてもよく分かる。第二部の『金閣寺』同様、雀右衛門の指導を受けた跡が明確で、時にふっと雀右衛門が演じているように見えるから、立派なものである。

後半は、勘太郎の又平が死をもっての一念で書いた手水鉢の自画像が、反対側に抜ける奇跡が起きたことから、師匠の将監に土佐の苗字を許されてからの喜びは、歓喜一杯ではじけるばかり。おとくの鼓で大頭の舞を舞うところは、その喜びが観る側にも伝わってきた。

巳之助の修理之助は、まだ固さが残る。愛之助の雅楽之助はきっぱりとしていて、手堅い出来である。男女蔵の将監は、もっと演じる回数が増えれば、持役になるであろう。

・『弁天娘女男白浪』

七之助の弁天小僧が目覚ましい出来栄えである。武家の娘から、男の正体を見顕されてからの居直りと啖呵は、不思議な色気を見せながら口跡も良く、まさに江戸の不良少年の勢いに溢れている。最近の七之助の演じる役はどれも勉強の跡がよく分かるが、この弁天小僧はまさに本人の地で演じているように感じられるほど適役であった。

獅童の南郷力丸、亀鶴の鳶頭はいずれもニンがあった役で七之助をがっちりと支えていた。愛之助の日本駄右衛門は、若さに似合わず重厚な味が出ていた。稲瀬川の場で亀治郎の忠信利平、勘太郎の赤星十三が出て、五人の勢揃いも若い観客を喜ばせるに十分な華やかさがあった。


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